萬代亀鏡録

宗義制法論 中巻(日奥上人)

 他状の条目を挙げて難破を加ふる編
 一、他状いわく、豊臣秀吉公妙法院門跡に於いて、千僧供養を修せられ、貴命辞し難きによって法華宗もまたその数に列なりぬ。等。云々 以上
 他状難じていわく、当宗の立義は偏に仏勅を重んじて世間の貴命を憚らず、専ら身軽法重の掟を守りて、法を弘む。
 法を曲げて貴命に従うはこれ諂曲の者なり。
 また国恩を知らざる者なり。
 世法にはこれを諛臣と名づけ、仏法にはこれを国賊と号す。
 賢者の悪む所、聖者の恥ずる所なり。
 それ厳顔を犯して、君を諌めるは六聖の忠臣なり。
 王難を顧みず正法を弘めるは出世の烈聖なり。
 国主の難を忍ばずんば何を以ってか法華の行者と号せん。
 経に国王大臣等の大難を挙げおわって為説是経故忍此諸難事と説く。
 これによって高祖以来代々の智者聖人三百余年に及びて、厳命といえども未だかつて謗法供養を受けられず。
 ある時は貴命甚だ急にして水火の責に及ぶこと有り。
 しかりといえども堅くその難を忍びて宗義の制法を立つ。
 これ偏に不惜身命の勅命を重んずる故なり。
 日乾等何ぞ仏勅を軽んじ、祖師代々の立行に違背して謗施を受けるや。
 もし先聖の如く、深く仏勅を重んじて身命を軽んぜば、人間の貴命これを辞するに何の難事か有らん。
 所詮貴命辞し難しというはただこれ未練臆病の致す所なり。
 既に不惜身命の掟に違す。
 何を以ってか本化の末流といわん。
 日蓮聖人の門弟と号して宗義の大禁を破り謗法供養を受けしかも邪義を構えん者は武家に生まれたる者、軍陣に臨みて虎口を脱し、しかも還って主君に向かって弓を引くが如し。
 かくの如き無道の者、いかでか誅罰を免れんや。
 日乾等すでに金言を背きて、また祖師代々の遺誡を破る。
 いかでか無間に堕ちざらんや。
 日奥この人を指して堕獄という。
 いかでか道理に背かんや。
 しかるを何ぞ倒に妄語を吐くといわんは誤りの甚だしき者なり。

 他状にいわく、日奥尊命を以って遠島に謫せらる。云々 以上
 他状報じていわく、法華の行者国主の御勘気を蒙って遠流等の大難に値うこと、経文の金言、祖師の行跡なり。
 何ぞ喜悦せざらんや。
 開目鈔にいわく、御勘気を蒙らばいよいよ悦びを増すべし。云々
 経にいわく、数数見擯出遠離於塔寺。云々
 すでに退寺以来度々に及んで住所を擯出せられ、結句は遠島に謫せらる。
 仏説と尊命とすべて以って違わず。
 遠離寺塔の未来記宛か符契の如し。
 当得菩提の記文、あにいかでか虚しからんや。
 報恩鈔にいわく、極楽百年の修行は、穢土一日の功徳に及ばず。
 正像二千年の弘通は末法の一時に劣れり。云々
 金章に就いて按ずるに、世世生生の喜び何事かこれに如かん。
 これ偏に讒言の人、国主の恩徳最も報じ難き者か。

 一、他状にいわく、たまたま舊寺に帰るといえども我執なおいまだ翻らず。
 今またこの条目を立て宗家の諸徳を難ぜんと欲す。云々
 以上他状報じていわく、明月狂雲に覆われるといえども、風これを払えばまた明らかなり。
 清流泥沙に汚さるといえども源清ければ流れまた澄めり。
 不善の人、人を讒すといえども咎無き者は聖主終にこれを知り、神明またこれを助く。
 宗祖佐州に在りて咎無き旨天に訴えて程無く鎌倉に帰り給えり。
 予対州に在りて久しく赦免を蒙らず。
 かつ祖意に順じいささか願文を制して仏天に祈請す。
 精誠偽り無き故に仏神これを憐れみて国に凶瑞を起こす。
 国主これに驚きてたちまち本国に召し帰さる。
 しかる上は早く隠遁の洞に入るべしといえどもなお一宗の衰弊を悲しみて、法理の趣、諸人に告げ示す。
 これ偏に仏勅の数に入り、自他同じく仏道に入らんが為なり。
 ここを以って旦夕祈る所は広宣流布、偏に志す所は令法久住の悲願なり。
 これによって身命を顧みず宗旨の立義を顕す。
 いかでかこれ我執ならんや。
 しかるに日乾等の謗法邪智の輩、その身の咎顕れんことを痛みて還って我執いまだ翻らず。
 心有らん人これを察せよ。
 大邪義に非ずや。
 またこの条目を立てて宗家の謗法を糾すことは偏に謗供者の堕苦を救わんが為なり。
 何ぞ誤りて我執といわんや。
 いわんやこの条目敢て予が自作に非ず。
 幸に諸門家家の法式、代代諸徳の舊記なり。
 もしこの義を背かばあに師敵対に非ずや。
 いわんや会通の趣敢て一箇条も正義に当らず。
 悉く曲会私情の悪義なり。
 邪心若し翻らずんば当来の苦果甚だ憐れむべし。

 一、他状にいわく、彼の謗人に施せばすなわち罪を得。
 故に諸経論ならびに高祖判釈等堅くこれを禁ず。
 般泥?経にいわく、阿羅漢に似たる一闡提有り等。云々
 涅槃経にいわく、我涅槃の後ないし当に比丘有るべし。
 像の持律に似たる等。云々
 安国論にいわく、涅槃経の如くんばたとえ五逆の供をば許すとも等。云々
 またいわくそれ釈迦以前の仏教はないし四海万邦一切の四衆その悪に施さず。
 皆この善に帰せば何なる難か並び起こり、何なる災か競い来たらん。以上他状
 そもそも日乾勘文の如くんば、謗人に施せばこれ悪業の最頂、仏法破滅の根源か。
 謗人供養に依りて勢力を得、いよいよ邪義を起こすればなり。
 これによって高祖一代の禁忌、殊に安国論の誡、偏にこの一義に在り。
 他の引く所の義意この趣を過ぐべからず。
 もししかれば他の状に就いて即ち大なる難有り。
 いわく前の国主秀吉公、妙法院門跡に於いて千僧供養を修せらるるはこれ皆謗法の諸僧なり。
 しかれば即ち国主仏禁を破れる罪業眼前なり。
 しかるに日乾等この罪を見ながら何ぞ諫暁せざるや。
 国恩を知らざる大賊なり。
 仏法中怨の責め脱るべからず。
 仏祖の掟違わずんば日乾等何ぞ無間に堕ちざらんや。
 即ち安国論にいわく、弟子一仏の子と生まれて諸経の王に事う。
 何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらん。
 その上涅槃経にいわく、もし善比丘、法を壊る者を見て置きて呵責し、駈遺し、挙処せずんば当に知るべし、この人は仏法の中の怨なり。
 以上 余善比丘の身たらずといえども仏法中怨の責めを遁れんが為にただ大綱を撮ってほぼ一端を示す。
 以上論文
 高祖既に国主の謗人に施すことを痛みて、安国論を造りて天下を諫暁したまう。
 日乾等祖師の放流を汲めば何ぞその志を励まざる。
 しかるを還って彼の謗者に同じ倶に同席の供養を受く、これあに無慈詐親の人に非ずや。
 結句は邪念を起こして種々の悪義を構う。
 これあに大?曲の人に非ずや。
 かくの如きの邪人いかでか阿鼻の焔を免れんや。

 一、他状にいわく、たとえ謗法人に非ずといえども小乗権教の人を供養すべからず。
 浄名経にいわく、それ汝に施す者をば福田と名づけず。
 汝を供養する者は三悪道に堕つ。云々 以上他状
 弾じていわく、状に就いて即ち難有り。
 妙法院門跡に於いて千僧供養の諸僧は小乗権教人なり。
 その上また謗法有り。
 これを供養すること不可なりと知りて何ぞこれを誡めざらんや。
 録内にいわく、仏禁じてのたまわく、持戒智恵高くして一切経ならびに法華経を進退せる人なりとも法華経の敵を見て責め罵り、国主にも申さず、人を恐れて黙止するならば必ず無間大城に堕つべし。たとえば我は謀反を発さざれども、謀反の者を知りて国主にも申さざれば与同罪の罪彼の謀反の者の如し。
 南岳大師のいわく、法華経の仇を見て呵責せざる者は謗法の者なり。
 無間地獄の底に堕ちて彼の地獄の有らん限りは出づべからず。云々
 以上御書金章の如くんば日乾等いまだかつて謗人を責めず、いまだかつて国主に申さず。その咎謀反の人に同じ。
 高祖ならびに南岳大師の禁誡誤り無くんば、日乾等あに無間に堕ちざらんや。

 一、他状にいわく、彼の謗者敬田の想を生じてこれを供養せば、理まさに受用せざるべけんや。
 彼信仰の微志萌し、改悔の寸心発する故なり。
 以上他状 難じていわく、秀吉公当宗に於いて信仰の微志無く、改悔の寸心を発せず、何ぞ彼の謗供を受けんや。
 問いていわく、秀吉公当宗に於いて信仰の寸心無きこと何を以ってかこれを知るや。
 答えていわく、もし実に信仰の寸心有らば、別して法華の一宗を供養せらるべし。
 全くその義無く、小乗権教の諸宗に同じて一にこれを供養す。
 明珠と魚目と相雑えるが如し。当宗に於いて信仰無きことこれ明白なり。いわんや法華最第一の行者を卑しめ第五番に置かる。
 たとえば天子の太子を蔑如して土民の下に座せしむるが如し。
 何を以ってか信仰の義といわん。
 汝身の誤りを荘らんが為に事を信仰に寄せて大妄語を吐く。
 あに諂誑の人に非ずや。

 一、他状にいわく、大聖の善巧方便謗者の門に赴きて強いて供養を求めたまう。
 大論八にいわく、阿難仏に従って諸国を遊行す。
 婆羅門城に到らんと欲す。
 ないし仏鉢を空しうして去りたまいぬ。以上他状
 弾じていわく、この論文を引きて大仏謗法供養の咎を脱れんと欲するか。
 これ甚だ相応せざる例証なり。
 しかる所以は先ず仏は三惑以断の大聖なり。
 日乾等は一毫未断の凡夫なり。
 何ぞこれ等しきことを得ん。
 是一 また仏は鉢を空しくして出でたまうといえども老婢の漿を受けて後不思議の神変を現じ、終に彼の婆羅門をして外道の法を捨てて仏弟子と為らしむ。
 日乾等は国主の供養を受くといえども未だ一通を現ぜず、終に国主をして法華経に帰せしむること能わず。
 何ぞ仏と斉しき事を得ん。是二
 また在世は順化の化導なり。
 末法は逆化なり。
 順逆の化儀その趣大いに異なるなり。
 何ぞこの差別を弁ぜさるや。是三
 また仏婆羅門城に入り給う事は法華以前阿含経の時なり。
 故に彼の婆羅門いまだ法華誹謗の咎有らず。
 この大仏の謗供は正しく法華誹謗の咎有り。
 何ぞこれ斉しき事を得ん。是四
 また彼の婆羅門は仏を謗ずといえどもその仏三蔵劣応の小釈迦なり。
 これ実大乗の大釈迦に非ず。
 今は既に久遠実成の本仏に背く。
 その罪遥かに超過せり。
 何ぞそれ斉しきことを得んや。是五
 謗供者偽りて論文を引くといえども、全くいまだその意を得ず。甚だ笑うべきに足れり。次に大報恩経を引けり。その難破略して前に同じ。
 ただしいささかその異を弁ぜん。
 経に説くが如くんば仏、王の請に従って王舎城に入り給う時に、闍王提婆が教に依って五百の酔象を放ちて、世尊及び仏弟子等を踏み殺さんと欲す。
 時に仏五指より五師子を出し給う。
 この象見おわってその心怖畏してついで即ち失糞し身を挙げて仏足を敬礼す。
 これ大教の意なり。
 また報恩経の如くんば、闍王即時に仏に向かって懺悔を求む。云々
 今にいわく日乾等もし仏の如く不思議の威徳を施して謗人をして正法に帰せしめばたとえ謗施を受くともその恐れ有るべからず。
 仏は一時に五百の大悪象を降伏したまう。
 日乾等あに一の小象を伏する力有らんや。
 また仏は闍王をして即時に謗を止め正法に帰せしむ。
 日乾等太閤をして一念も謗を止め正法に帰せしめず。
 何ぞこれを以って類例と為さんや。
 次に増一阿含を引けり。
 これまた符合せざる例証なり。
 しかる所以は、仏は迦葉が窟に入りて毒龍を収めて鉢の内に住せしむる神力有り。
 日乾等あに小蛇を収めて鉢の内に住せしむる力有らんや。
 また世尊は迦葉が請に赴きて龍の毒に中てられず、龍の火に焼かれず、嫌を知りて隠去し、念を知りて現来し、火滅して燃えず、斧挙げて下らず、かくの如く種々の奇特を現わし、種々の神変を蒔したまう。
 故に終に迦葉をして外道の法を捨てて仏弟子と為さしむ。
 日乾等太閤の請に赴きて何なる奇特を現わし、何なる神変を蒔して太閤をして法華経に帰せしめたるや。
 ただ日乾等の神変はよく謗施を受け、祖師代々の行功を破り、よく邪義を巧み、世人を誑惑し、よく人の信を失いて阿鼻の業を増長せしむ。
 ただこの奇特のみを見ていまだ余の神変を見ず。
 次に首楞厳経の意を引けり。
 これまた相応せざる例なり。
 ゆえ何となれば、阿難摩登伽女が家に到って食を乞うといえども彼の女法華誹謗の人に非ず。
 故に彼の供養また謗施に非ず。
 何ぞ類例と成さんや。
 いわんや阿難彼の呪術の力に惑乱せられず。
 また非行を作さず。
 故に義疏にいわく、心清浄なるが故に尚いまだ淪溺せず。
 まさに知るべし、阿難吉羅をも破らざることを。以上疏文
 それ阿難は多聞第一の大聖、八万法蔵を諳んぜし智人なり。
 いわんや八種の不思議を具し人天の福田となるに堪えたり。
 日乾等は三惑未断の凡僧いまだ実に一徳を具せず。
 結句邪慢熾盛にして昼夜仏法の正義を破らんと巧む。
 何ぞ阿難と斉しきことを得ん。
 いわんや摩登伽女早く欲を断じて三界を出離し、無量の衆生無上道の心を発す。
 日乾等いまだ施主をして実の道に入らしめず。
 あまつさえ万人をして信心を退転せしめて阿鼻の苦因を倍増す。
 何を以ってか阿難と斉しきことを得ん。

 一、他状にいわく、高祖また怨害を加うことを知してしかも強いてその請に赴き給う。
 いわく西條地頭の請に依って阿弥陀堂の供養を伸ぶ。以上他状
 謗供者この例を引いて高祖を以ってその身の謗罪に同じてその咎を脱れんと欲するか。
 甚だ転倒せる義なり。
 難じていわく、高祖怨害を加えんことを知すといえども、強いて彼の請に赴きて折伏の説法をなして毒鼓の縁を結ばしめ給う。
 全く供養を受けるに非ず。
 すでに殺害の勢いに及び敢て一?をも受け給わず。
 ひとえに死身弘法の立行なり。
 何を以ってか大仏の謗供に同ずることを得ん。
 日乾もし彼の謗席に赴きて高祖の如くいささかも供養を受けず折伏の説法あらば比例となるべし。
 日乾全くその義無くしてただ妄りに謗供を受く。
 誠に臆病の致す所なり。
 甚だ不惜身命の行に背けり。
 天地懸隔の相違何ぞその斉しきことを得ん。
 悲しいかな、謗供者一身の誤りを荘らんが為に高祖を以って謗法に落とし吾身の過を脱れんと欲す。
 師子身中の虫日乾に非ずんば誰をかいわんや。
 次に船守夫妻の奉事、阿仏房供養の事を引いてまた高祖を以って謗供の同罪に為さんと欲す。

 弾じていわく、およそ人出家に給与するに世間の恩あり。
 仏事の施あり。
 この両重古来相定まれる義なり。
 しかればこれらの衆受法以前は世間の恩に属し、受法以後は仏事の施に属す。
 何ぞその差別無からんや。
 しかるを日乾等自身の誤りを脱れんが為に高祖に於いて無実の咎を付け強いて謗法に落とさんと欲す。
 これ善星瞿伽離が仏弟子としてしかも仏の短を伺う類に非ずや。
 恐るべし、恐るべし。
 いわんや船守夫妻阿仏房等は生得謗法者に非ず。
 権者の化現として大聖人を供養し奉る。
 これを謗者といえるは大なる誤りに非ずや。
 問いていわく、これらの衆を権者の化現とは何を以ってか知ることを得んや。
 答えていわく、仏説の如くんば如説の行者有っては仏変化の人を遣わして供養有るべき旨経文分明なり。
 金言偽りなくんばこれらの衆あに権化の人に非ずや。
 いわんや御所判にその旨明らかなり。
 即ち船守鈔にいわく、日蓮去る五月十二日流罪の時その津に付いて候いし時いまだ名も聞き及ばざるに船より上がり苦しみ候し処にねんごろに当らせ給える事は何なる宿習なるらん。
 法華経第四にいわく、及清信士女供養於法師。云々。
 法華経を行ぜん者は諸天善神等あるいは男となり、あるいは女となり。
 形を替えて様々に供養して助くべしという経文なり。
 弥三郎殿士女と生まれて日蓮を供養すること疑いなし。以上御書
 金章の如くんば彼の夫妻の権化なること疑網をのこすべきに非ず。
 問いていわく、阿仏房を権化といえる証文有りや。
 答えていわく、これ有り。
 御書にいわく、佐渡の国に在りし時日蓮に向って慈悲道念有る者はただ阿仏房にかぎると。
 またいわく、あらゆる人は日蓮を失わんとこれを謀る。
 何なる阿仏房なれば地頭名主を恐れ謗法者に隠れて日蓮を崇敬するや。
 これただ人に非ず。
 諸天仏菩薩の化現にあらずや。云々
 この外なお証文多し。
 繁き故にこれを略す。
 次に三沢鈔内房の事を引けり。
 これまた謗者に非ず。
 ただ神を先とし仏を後とする誤りを咎めて見参したまわず。
 謗法の他宗に非ざれば進上の小袖を受け給うこと何の妨げ有らんや。
 問いていわく、内房謗者に非ずということ何を以ってこれを知らんや答えていわく、三沢鈔の趣も彼の人他宗とは見えず。
 ただ主君の法華経を先とせず、所従の氏神を本とするをとがめたまう計りなり。
 その上内房鈔にいわく、内房より御消息にいわく、九月八日父が百箇日に相当って候彼の布施の料十貫進らせ候。
 御願文の状にいわく、読誦し奉る妙法蓮華経一部。
 読誦し奉る方便寿量品三十巻。
 読誦し奉る自我偈三百巻。
 唱え奉る妙法蓮華経題目五万返。云々
 同状にいわく、伏しておもんみれば先考幽霊生存の時、弟子遥かに千里の山河を凌いでまのあたり妙法の題名を受けしかして後三十日を経ず永く一生の終りを告ぐ等。云々
 しかるに現世後生を祈る人あるいは八巻あるいは一巻あるいは方便寿量あるいは自我偈等を読誦し賛嘆して所願を遂げたる事先例これ多し。
 これはしばらくこれを置く。唱え奉る妙法蓮華経の題目五万返。云々
 この一段を宣べんと思いて先例を尋ねるにその例少なし。
 あるいは一返あるいは二返唱えて利生を蒙る人これ有るか。
いまだ聞かず五万返の類を。
 ないし妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし。
 毒薬変じて薬となる。
 妙法蓮華経の五字は悪を変じて善となす。
 玉泉と申す泉は木を玉となし、この五字は凡夫を仏となす。
 されば過去慈父尊霊存生に南無妙法蓮華経と唱えしかば即身成仏の人なり。
 石変じて玉となるが如し。
 以上内房鈔
 金章の如くんば内房は父の時より信者なり。
 いわんや自ら経を読み題目を唱えること願文昭然たり。
 明らかに知んぬ、内房謗法者に非ずということを。
 しかるを謗供者これを以って高祖謗施を受けたまう証文となす。
 大僻見に非ずや。
 およそ当宗に於いて謗施を受けることを制するは実の他宗に於いてこれを禁ず。
 当宗たる人に於いて謗法社参等の少しの誤り有らばまず誘引を立ててその施を受けることを許す。ここに於いてなお通屈あり。古来の制義今更に論ずる所に非ず。
 次の御書の事これも供養の施主一定の念仏者とは見えず。
 もし実の念仏者ならば仏に成り給わん事疑いなしとはいかでか書き給うべき。
 もし所難の如くならば高祖もっぱら立て給う念仏無間の法門虚妄となるべきか。
 高祖本化の再誕としていかでか一事両様の法門を宣べたまうべき。いわんや御書の文言も念仏者にてやおはすらん。云々
 明らかに知んぬ、ただ推量の御義にして一定の義に非ず。
 これを以って高祖謗施を受けたまう証拠とは定め難し。
 その上この御書録内に合わせて得意の義あり。
 志有らん人はつぶさにこれを明むべし。
 今この一段に於いて試みにいささか先聖弘法の元意を述せん。
 およそ弘経の師法を弘めるに就いて時に傍正あり。
 法に緩急あり。
 例せば仲尼世に出でて先王の道を弘むるが如きこれ興道の初なるによってただ三綱五常の大倫を宣べて禄の受と不受とその旨委悉ならず。仲尼世を去って後遥か星霜を送って孟軻世に出でて道を盛にするに及びつまびらかにその義を論じ深くその理を竭して堅く不義の禄を禁ず。
 仲尼あに陽虎が贈を甘んぜんや。
 時に傍正有る故にしばらく順じてこれを納む。
 孟軻斉王の贈を受けず。
 これまた仁義の道に背かんや。
 聖賢の所行受と不受と皆義に従ってみだらならず。
 当家の立行もまた以ってかくの如し。
 高祖は当家弘経の初めなる故にまず諸師の謬義を糾し、三大秘法の大綱をもっぱらにして謗施の受否を委細にしたまわず。
 これ不施の禁の中に自ら不受の制有り。
 また弘通の法にその緩急有るを以ってなり。
 仲尼また不義の禄を嫌うことなきに非ず。
 いわく、不義にして富みかつ貴きは我に於いて浮雲の如し。
 またいわく、邦に道なき時は富みかつ貴きは恥なり。云々
 高祖もまたかくの如し。
 不受の制不施を禁ずるが如く、繁多ならずといえどもまた不受を禁ずる分明の証文あり。
 この本文を所依として歴代の碩徳委しく経文を勘えてこの制法を堅強にす。
 例せば孟軻の時に至って緊しく禄の受否を定むるが如し。
 もしよくこの意を得ば高祖いささか不意の施を受けたまうといえども今の例とは成るべからず。
 所弘の法に緩急有るが故に。
 いわんや高祖顕露に謗施を受けたまうこといまだ見ず聞かず。
 先聖も敢てその義を宣べず。
 不仁なるかな、日乾一端の恥を隠さんがため祖師に於いて毛を吹いて傷を求めその身の謗法に同ぜんと欲す。
 大邪人に非ずや。およそ経論の掟の如くんば師に於いて実に過有るをすら覆い隠して悪名流布せざらん事を欲す。
 これ弟子の本心なり。
 故に輔行の第二にいわく、師に過失あらば当にすべからく隠蔵すべし。
 師の過彰露せば方便してこれを覆え。
 師功徳あらば称揚して流布せよと。
 謗供者の如くんば祖師の大徳を隠して還って無実の咎を付けんと欲す。
 大悪人に非ずや。
 大論にいわく、もし弟子有りて師の咎を見ん者はもしは実にもあれもしは不実にもあれその心自ら法の勝利を壊り失う。云々
 日乾等が如くんば聖師に於いて咎を求めんと欲す誠に法の勝利を壊り失う者なり。
 世義を以ってこれをいわば謀反の人、出世を以ってこれを言わば逆路伽耶陀なり。
 かくの如きの罪人いかでか無間に堕ちざらんや。

 一、他状にいわく、釈尊仏弟子高祖既に謗者の供養を受けたまう。
 もしこれ罪業にして堕獄すべきとは釈尊高祖もまた堕獄したまうべしや。以上他状
 難じていわく、釈尊と仏弟子と悪人の供を受けるはその根機既に熟して得道すべき時を知って往いて供養を受けたまう。
 鑑機違わず。
 皆ことごとく捨邪帰正して現身に得道す。
 日乾等の如くんば一分の鑑機なし。
 故に施主をしていよいよ悪道の業を増長せしむ。
 諸法は現量にしかず。
 謗供者釈尊の如く施主をして謗法を止め正法に帰せしめたるや如何。太閤すでに法華経に帰せず。
 一生を終わるまで謗法を改めず。
 結句その悪を子孫に伝えて早く国を亡ぼし身を喪す。
 日乾等何を以ってか施主の恩を報ずる験となさん。
 すべて符合せざる例なり。
 経文の如くんば天下の大賊日乾に非ずんば誰をかいわんや。
 次に高祖謗施を受けたまうという事難破すでに上の如し。

 一、他状自問自答の段にまた高祖景信が堂供養に赴きたまうことを引きて、日乾等彼の大仏供養を受けるも宗内相続の為という。
 以上他状義
 弾じていわく、そもそも日乾等宗門相続といえるその義はなはだ謬乱せり。
 ゆえ何となれば宗門断絶を以って還って相続という。
 たとえば咽喉を切断して命を継がんというが如し。
 すべて理に当らざる者なり。
 およそ当宗に於いて宗門相続といえるは真俗供に祖師の掟に順し、出家は堅く制義を守って謗施を受けず。
 檀越は信心清浄にして謗者に施さず、謗法の社参物詣を致さず、これを以って宗門相続という。
 しかるに日乾等大仏供養を受けて自身まず宗門を断絶す。
 何を以ってか相続といわん。
 檀那はまた師の謗法に習って意をほしいままにして人目を憚らず。
 あるいは謗法の僧侶に供養をなし、あるいは謗者仏神に於いて物詣を致す。
 総じて宗旨の行儀大山の崩れたるが如し。
 師檀共に謗法となりて宗門跡形もなく断絶す。
 相続の道理すべて無し。
 謗供者宗旨の法をしてことごとく滅せしむ。しかるを偽って令法久住の為という。あに大誑惑に非ずや。ただし日乾等の所存は堂舎仏閣有るを以って宗門相続と思えるか。
 ああはかなし、はかなし。
 堂舎仏閣はこれ仏法の正体に非ず。
 しかる所以は他宗謗法の寺にも多く厳霊の精舎あり。
 あにこれを以って真実の仏法といわんや。
 堂塔はたとえば刀の鞘の如く法理は利剣の如し。
 たとえ金玉荘厳の鞘ありといえども剣折れなば何の詮か有るべき。
 伝え聞く漢皇三尺の剣は恒に筍の皮に包めり。
 しかりといえども居ながらにして諸侯を制し、漢土一天下を掌の内に握る。
 当宗もまたかくの如し。
 たとえ堂塔なしといえども師檀共に謗法なくして法理堅固ならばこれ仏法盛んなるなり。
 また千万の仏閣有りといえども法理雑乱せば即ちこれ仏法破滅なり。
 つらつら在世仏法の盛んなる時を按ずるに僧侶皆房舎に住せず、あるいは樹下に在りあるいは石上に住しあるいは露座に住して修行覚道す。
 これ真の仏法繁栄なり。
 伽藍殿堂を以って敢て仏法繁昌とはいわず。
 今身延山伽藍軒を連ね仏像光を並ぶといえども日乾の代に至ってもっぱら祖師の法義に背きあくまで邪義を興す。
 これ仏法断絶に非ずや。
 これ宗旨破滅に非ずや。
 悲しむべし、悲しむべし。

 一、他状にいわく、高祖謗施を禁じたまうことは未だ明証を見ず。
 高祖既に他宗の謗施を用いたまうこと文義炳然なり。
 自身受用して他人を制せば誰人か信用せん。
 しかるに多才謗施を禁じ来ることはしばらく世の譏嫌を息めんが為なり。以上他状
難じていわく、高祖謗施を禁じたまうことその証文分明なり。上代の碩学 皆一同にこれを引証せり。
 日乾等宿習拙くしてこれを見ざるか。
 それ生盲の人は天の三光を見ず。
 故に天に日月なしという。
 また聾人は霹靂の声を聞かず。
 故に虚空に雷の声なしという。
 日乾等もまたかくの如し。
 文義炳然なりといえども宗義に眼盲いてこれを見ざるか。
 またこれを見るといえども自身の咎を隠さんが為に偽ってこれ無き由を称するか。
 高祖謗施を禁じたまうことなくんば代々の明哲何を以ってか一同にこれを禁ぜんや。
 いわんや新池鈔等の意、経文の義を以って神託に合してこれを述べたまえり。
 経文と神託とその義符合せば誰かこの義を背かんや。
 仏は本地、神は垂跡なり。
 本地垂跡その義一致にして宗旨の立義に相契うは誰人かこれを蔑如し何の倫かこの理を破らんや。
 しかるを謗供者ただ世の譏嫌のみに約して妄りにこの義を判ず。
 あに宗義に眼抜けたる者に非ずや。
 またしばらく謗供者の義に順じてこれを言うともその罪科免るべからず。
 ゆえ何となれば譏嫌戒を破ることは謗法の大禁なり。
 いわゆる迦留陀夷尊者の馬糞に埋められ、一行法師の遠流に値われしは譏嫌戒を破る故に非ずや。
 世法なおこの誡め軽からず、故に後漢書にいわく、嫌疑の間は誠に先賢の慎む所なり。
 文選にいわく、瓜田に履を入れず。
 李下に冠を正さずと。
 世間なおかくの如し。
 いわんや仏法に於いてをや。
 故に大経にいわく、かくの如き遮制の戒を堅持すること性重戒と等しくして差別なしと。
 この文に遮制戒とは譏嫌戒なり。楞厳義疏にいわく、涅槃には譏嫌戒を守ること性重と等し。
 故にすべからく微を防して大過を致すことを免るべしと。
 文の如くんば譏嫌戒の重きこと殺盗等の四重の如し。
 謗供者何ぞこの重禁を破るや。
 いかでか大罪を免れんや。
 およそ当宗に於いて相似の謗法を誡めることあり。
 例せば大経の譏嫌戒の如し。
 いささかもこれを破る者は必ず改悔せしむ。
 しかるに直ちに謗人の施を受けるは相似の謗法に非ず。
 これ実の謗法なり。
 すでに宗義の大節たるが故に。
 問いていわく、相似の謗法とはその相貌如何。答えていわく、相似の謗法の姿舊記の趣ほぼこれを注さん。
 これに就いて行跡の相似あり。
 言語の相似あり。
 ともに謗法に治定して改悔せしむ。
 その行跡の相似とは昔延徳四年七月摂津の堺に於いて念仏の風流あり。
 圓珠院といえる僧笠堂を造りてこれを出す。
 相似の謗法に落居してわざと上洛を遂げ本寺に於いて改悔せしめ終わりぬ。
 また永正十七年六月七日祇園会の時中将といえる小僧十二歳にして作り山伏となりて町の童子と同心して相渡る。
 相似の謗法に治定してにわかに改悔せしむ。
 また古西の岡に効験の観音あり。
 青地右金吾吉久という者当宗として一人の病子あり。
 医薬術を尽くせども快気を得ず。
 ある人吉久に向って彼の観音の霊験を語って病子の参詣を勧める。
 父子を思う道に迷いて病子を同道して彼の所に到る。
 その父観音を拝せずといえども相似の謗法たるによってその師出入りを止め深くその謗法を責む。
 三ヵ年の間諸寺の檀方種々の詫言に依って後に改悔を許し終わりぬ。
 またある檀那蛸薬師の前に於いて合掌す。
 人薬師を礼すと咎む。
 その檀那のいわく、我薬師を礼するに非ず。
 彼の前を過ぎる時に朝日東天より出でたまう。
 我これを礼すという。
 しかりといえども相似の謗法治定してついに改悔せしむ。
 以上これらを以って行跡の相似の謗法という。
 問いていわく、言語の相似とは如何。
 答えていわく、言語の相似とは心に謗法無く、また行跡にも謗法なしといえども仮初の語にも誤り有ればこれを謗法に堕す。
 これを言語相似の謗法という。
 今その大略をいわば古京都に一人の檀越あり。
 その名を宗圓と号す。備州に下向す同行皆他宗なり。
 ある人宗圓に向っていわく、汝は法華宗なりや。
 この人同行の前を憚って他宗なりと答える。
 これ相似の謗法たるに依って衆僧詮議して改悔せしめ終わりぬ。
 また摂津の堺に一人の信者あり。
 人の請用を約しおわって暫時見物の為に住吉に行く。
 これによって請用に遅参す。
 人遅参の故を問う。
 住吉に参ると答える。
 見物というべきを詣るといえる語の誤り相似の謗法に落居して即ち師の前に改悔せしむるなり。
 以上これらを以って言語相似の謗法という。
 それ当宗たる人は相似の謗法なお堅くこれを誡めることかくの如し。
 いわんや実の謗法に於いてをや。
 日乾等の如くんば経文に違背し、仏神を蔑如し、宗旨の掟を破りあくまで実の謗法罪を犯す。
 いかでか泥梨を免れんや。

 一、他状にいわく、貧染諂佞の心無く世の譏嫌を離れば謗施を受くともまた何の労か有らん。以上他状
 難じていわく、上代の明匠碩学実に貧染の心なし。
 しかりといえども皆ことごとく謗施を受けられず。
 堅固にこれを防禁す。
 殊に延山の代々その戒め軽からず。
 日乾に至って始めてこの義を破る。
 あに師敵対に非ずや。
 いわんや貧染甚深にしてしかも賢善の相を現わし諂佞熾盛にしてしかも慈悲の姿を示す。
 世尊経の中に於いて兼て末法の事を記したまう。
 あたか符契の如し。
 大宝積経にいわく、仏弥勒に告げたまわく、当来末世五百歳に自ら菩薩と称してしかも狗法を行ぜん。
 ないし自活の為の故に妄りに己身を称して以って菩薩とせん。
 衣食の為の故に如来の知恵功徳を讃嘆し、余の衆生をして信仰を生ぜしめ、内に自ら戒を犯して悪欲悪行ならん。云々
  経に就いて世を見るに誠に以ってしかなり。
 誰か疑網をのこさんや。
 この文に犯戒とは宗義に於いては宗旨の制法を破る人なり。
 狗犬の僧謗供者に非ずんば誰をかいわんや。
 また日乾等に於いて世の譏嫌浅からず、宗義の大禁を破って謗供を受ける故に天下の誹謗あまねく耳目に満たり。
 何を以ってか譏嫌を離れるといわんや。
 既に天下の信者大半延山の参詣を止む。
 これ眼前譏嫌の証に非ずや。
 ねがわくば日乾等邪慢の幢を折り祖意に随順して深く改悔を致さばその身万人に称嘆せられまた天下の諸人歩を延山に運ばん。
 もししからば自身の罪障消滅といいまた諸人延山参詣の功徳といい、現当二世の勝利これに過ぐべからず。
 もししからずんば現世にはいよいよ邪慢の悪名を招き、後世には無間に堕在せんこと疑いなき者なり。
 問いていわく、日乾住山ありしより天下信力の輩身延山へ参詣を留める。その意如何。答えていわく、彼の山謗地となる故に高祖の御魂彼の所に棲みたまわず。
 故に参詣を留めるなり。
 不審していわく、謗地に於いて御魂無き故に参詣せずとは道善房死去の時高祖何ぞ清澄山の師の廟所に参るべしと欲したまうや。
 清澄山あに謗法の山に非ずや。答えていわく、謗地の廟所へ参と不参とおのおのその旨あり。
 意趣大いに異なり。
 高祖師の廟所へ参らんと欲したまうは師匠を助けたまわんが為なり。
 道善房すでに一生謗法の人たる故なり。
 また当宗の真俗祖師の御廟に参るは高祖に助けられ奉らんが為なり。
 高祖に助けられ奉らんが為に遠く歩を運ぶといえども、その所に御魂なくんば参詣して何の詮か有るべき。
 曠野山谷何れの所にもあれ謗法無き清浄の地には御魂棲みたまうべし。
 例せば神明謗法の社を去って正直の人の家に宿りたまうが如し。
 仏神は謗法を以って不浄至極と為したまえり。
 人の糞穢を悪むが如し。
 故に須臾もそこに棲みたまわず。
 何ぞ今謗地不浄の身延山に高祖御魂を留めたまうべき。
 高祖の御魂なくんば悪鬼神の棲家とならんこと疑いなし。
 御書にいわく、仏陀は化を止めて寂光土に還りたまえば堂塔寺社はいたずらに魔縁の棲家となると。
 金章最も明白なり。
 誰か疑懐を貽さんや。
 ここによって日乾日遠改悔なき間は延山参詣の人を指してこれを謗法という。
 この義あに道理に背かんや。

 一、他状にいわく、たとえ譏嫌の制に背くといえどもあに大道を顧みず小径にたたずまんや。
 興法利生の為にこれを常用せば深く聖旨に符わんこと掌を指すが如きなり。以上他状
 弾じていわく、高祖以来の智者聖人身命に及ぶといえども堅く謗施を受けず。
 これ皆小径にたたずむの人ならんや。
 言語道断の邪義いうても足らず。
 責めても余りあり。
 いわんや謗施を受用して仏法を興隆し人を利益する義いかでかこれあらんや。
 世人は学者の行跡を見てその行儀を効う。
 学者人の師となって謗法を為さば弟子檀那いかでか謗法を為さざらんや。
 身曲がれば影直からず。
 師匠は身の如く弟子檀那は影の如し。
 師邪見にして弟子正見なりといわばこの所り有ることなし。
 ただし権者の化現をば除く。
 所詮日乾等大仏の謗施を受けて興法利生の義これありや。
 眼前の虚言なり。
 正直に邪慢を捨てて実の如くこれを言わばこの謗法供養より以来宗旨の法燈日々に滅し、諸人の信力月々に弱り、宗儀の行儀年々に頽れて興法利生すべて絶す。
 ただ増長する所はこれ阿鼻の業なり。
 これ偏に日乾等謗法供養を受けしによる。
 しかるを還って興法利生の為というは大虚誑に非ずや。

 一、他謗施の瑕瑾を隠さんが為に自問自答して涅槃経ならびに同疎梵網経同じく古跡法華文句の記等を引いて種々に邪会を構う。
 これ皆一徹の意なる故にこれを会するに及ばず。
 所詮日乾等この謗施を受けたる故を以って太閤受法あり。
 世間の諸人も信力を増進して堅く謗法を止めば所存の旨最もしかるべし。
 しかるにその義一もなし。
 あまつさえ諸人悪見を起こして宗義の信心すべて退転す。
 明らかに知んぬ、証文を引くといえども皆ことごとく悪義なり。
 いわんや不軽の行義謗供者の邪行に類せんや。
 またなんじ宗義建立の大節を指してあるいはこれを小径といい、あるいはこれを小節といい、あるいはまた一往の法度という。
 これ大謬乱に非ずや。
 例せば一天の大王を以ってこれを小人といい、また須弥山を指してこれを小山というが如し。
 万事の邪義偏にこの悪見より起こる。
 ああ先非を悔いもっぱらこの弊を革めば衆途正路に就かん。
 もしこの悪見革まらずんばたとえ千経万論を学し無数劫を経歴すとも終に正道を得じ。
 誠なるかな発心僻越すれば万行いたずらに施すと。
 これ学者の亀鑑深く肝に銘する者なり。
一、他状に竺の道生王命に順じて不非時食を破ることを引いて謗法供養を受ける咎を補わんと欲す。

 弾じていわく、不非時食を小乗八斎戒の中の随一なり。
 しかるに竺の道生は大乗の行人として盛んに悉有仏性の大義を弘む。
 故に大節をもっぱらにして小節に拘らず。
 ここを以ってその大節に当っては遠流に処せらるといえども王命に順ぜず、固く身軽法重の義を存す。
 不非時食の小節に至っては強いてこの制を守らず、時の王命に順ず。
 これ誠に取捨得宜の旨を得たる如説の行者なり。
 それ小乗の威儀は正法一千年の内前の五百年の間の制戒なり。
 しかるに生公出世の時代を按ずるに後秦の代像法三百余年に相当る。
 小乗の戒法ことごとく隠没の時なり。
 この時に当って何ぞ強いて小儀を守らんや。
 顕揚大戒論にいわく、三宝の種を断つはこれ声聞の毘尼。云々
 またいわく、近代小戒を執する人あり。遠くは大聖の訓に背き、近くは三宝の種を断つ者なり。云々
 顕戒論縁起にいわく、二百五十戒たちまちに棄捨しおわりぬ。云々
 これらの本文を勘がえるに生公大乗の行者として小戒を執せざること最も仏説に相契う者なり。
 しかるに日乾等は時節相応の制儀に背き宗旨建立の大節を破って謗法供養を受く。
 生公の意地と天地懸隔の相違なり。
 生公は大節に当って既に身軽法重の義を立つ。
 日乾等は大節に当って未だ一度も死身弘法の行を立てず。
 度々の未練誠に天下の嘲弄する所なり。
 何を以ってか生公と斉しきことを得ん。
 また生公は虎丘山に在って石に向って法を説きしかば豎石ことごとく点頭す。
 日乾等かくの如きの徳ありや如何。

 一、他状にいわく、世間出世に経て礼に局して礼に協わず。
 格を守って格にかなわざるあるなり。
 礼を知って時にこれを行い、格を越えて格にかなう者これ諸道の達人なり。
 孔子いわく、義を見てせざるは勇なきなり。云々
  以上他状 弾じていわく、日乾謗法供養を受けたる恥を隠さんが為に無尽の邪会を巧むといえどもすべて道理に協わず。
 この義前に破すといえどもなお重ねてこれを難ぜん。
 もし日乾等彼の謗施を受けたる故を以って国主も受法あり、天下の諸人も堅く宗義を立てて信力を増進することあらば、格を越えて格に従う道理最も立つべし。
 しかるに日乾等彼の謗施を受けてより以来、宗義次第に破滅して国主すべて信仰無く、諸人の信力日々に退転しほしいままに謗法罪を犯すこと眼前の境界なり。
 これによりて彼の大仏の謗供を受けたる学者檀那の謗法を誡めんと欲すれば、檀那即ちその学者を詰っていわく、我等が謗法を防がんより先ず御辺の謗法を止めらるべしと。
 日乾等の学者言下に閉口して二言を継がず。
 これによって不信の檀那はいよいよ邪見に住し飽くまで謗法を致す。
 格を越えて格にかなう義いかんがある。
 妄語の至り悪見の咎、言うても比無く責めても余り有り。
 孔子の語に義を見てせざるは勇なしとはこれ日乾等の不義無勇の人を指すに非ずや。
 しかる所以は当宗として謗施を受けざるはこれ宗旨最要の義なり。
 日乾等この義を見てせず。
 あに孔子毀れる所の無勇の人に非ずや。
 いかでかこれを達人といわんや。
 もし無道不義の人を指して達人といわば強窃二盗の輩も皆達人なるべし。
 戦場に臨んで主君を捨てて逃げ走る臆病仁も達人なるべし。
 日乾を以って達人と為さば誰か達人ならざる者あらん。
 謗供者妄りに人を難ぜんと欲して孔子の語を引くに還ってその身の傷を顕せるか。

 一、他状にいわく、小節の法度に拘って国主の厳命に背き忽ち宗門の破却に及ばばあに仏祖の冥慮に契わんや。以上他状
 弾じていわく、日乾?弱低下の意地を以って書き出だせる所、皆ことごとく宗旨の高懐を汚す。
 ああ挙げて言うに足らずとも止むことを得ず、ほぼ一端を示す。
 そもそも当宗として謗施を受けざるは宗義第一の大節なり。
 故に先聖皆国主の命を背いて身命に替えてこの制法を守る。
 これを小節の法度ということ頑愚の至りに非ずやまた宗義の法理に就いて国主の厳命に背かざれば何を以ってか大難に値わんや。
 もし大難に値わずんば不惜身命の真文殆ど綺語の典とならんか。
 高祖度々国主の命を背いて刀杖遠流等の大難に値いたまう。
 その後代々諸聖皆以ってこの風儀を学ぶ。
 何れの代にか国主の命に従って謗施を受けたる例ありや。
 宗旨建立以来終に未だこれ有らず。
 もし法理を立つる故を以って寺破却に及ばば元より当宗の本懐なり。
 何ぞこれを痛むに足らん。
 伝え聞く、去る天文年中松本宗論を起こせし時山門大いに憤りを含んで当宗を破却せんと欲す。
 その時の扱いの一義有り。
 妙伝寺の門を焼いてこれを以って綺として山門発向を止めんと。
 当宗敢てこれを叙用せず。
 堅く死身弘法の義を守る。
 山門即ち江州ならびに北陸道七カ国の大軍を催して大いに合戦に及び当宗の寺ことごとくこれを破却す。
 この時に当宗の僧俗討死その数を知らず。
 しかりといえども法理に傷を付けざれば宗旨の瑕瑾と成らず。
 また寺の破却に及ばんことを痛んで国主の非命に従って一宗の瑕瑾となりしは江州安土に於いて宗論の時の義これその先蹤に非ずや。
 今に至るまで当宗と他宗と仮初の法論にも他宗詰る時は安土の宗論は如何という。
 しからば即ち向後といえども寺の破却を痛んで国主の非命に従い法理を背き制法を破らば即ちこれ仏法の破滅なるべし。
 一宗の学者最も大事となすべき事ただこの一事にあり。
 いわんや彼の宗論の時当座の害を脱れんが為に非計をなせし衆既に現世に於いて悪瘡重病臨終の悪相あまねく天下の知る所なり。
 現報すでにかくの如し。
 後報最も恐るべし。
 何にいわんや一宗大禁の制法を破ってかつて改悔の心無くしかも邪義を構える人いかでか阿鼻の重報を免れんや。
 それ命は一身第一の宝、満界の珍宝にも替えざる重宝なり。
 しかるに仏法の為にはこの大事の命すらなおこれを惜しまず。
 いわんや命の外の物何をかこれを惜しまんや。
 もし堂塔の破却を痛んで宗義の大節を破らば先段の喩えに鞘を惜しみて剣を捨てる者の如し。
 あに愚痴の至極に非ずや。
 堂塔の破却を痛しとせず法義の破れんことを惜しむは鞘を捨てて剣をとる者の如し。先聖の遺誡皆この義なり。
 経に我不愛身命但惜無上道と説き、釈に身軽法重死身弘法と宣るこれなり。
 いわんや今度の大仏供養は出仕を勤めざる寺公儀より破却有るべき御沙汰全く無かりき。
 ただ日乾等心地おう弱にして卒爾に彼の謗供を受けこの恥辱を隠さんが為に偽って無尽の邪会を構う。
 これ邪智心諂曲に非ずや。
 過てば即ち改める。
 これを君子という。
 過ちを飾る者これを小人という。
 しかるに日乾等?に仏弟子と号すといえどもなおいまだ外典の教に及ばず。
 無下の小人にしてしかも智者の由を称す。
 ああ恥ずべし、恥ずべし。
 この僻人を以って身延山の貫首と為すことこれ誰が謬りぞや。

宗義制法論  中巻 終