伝え聞く、堯舜は許由に随って聖となり、殷紂は崇侯に染んで暗主となると。
人馴習するところ深く慎まざるべけんや。
古人言へる事有り。
三歳学ばんよりしかじ、三歳師を択らばんにはと。
また云く、務めて学ばんよりしかじ、務めて師を求めんにはと。
この語偉なるかな。
至れるかな。
これ学者の亀鑑なり。
深く心腑に銘すべき者か。
しからば即ち世出の昇進を思はん人最も求むべきは善師、甚だ恐るべきは悪師、善師に随えば悪性変じて善となる。
たとえば黒漆に白物を入れれば、変じて白色となるが如し。
悪師に随える者は善性変じて悪となる。
たとえば白粉に墨を入れれば、即ち黒色となるが如し。
かの鴦掘摩の如き本善性を具せり。
しかれども摩尼抜陀を師とせしかばその邪教を信じ、千人の指を切って髻に結び、母を害し仏を殺さんと欲す。
善星比丘が如きは初め仏に従って出家し、八万法蔵を諳んじ、欲界の結を断じて四禅定を得たり。
後に苦得外道に値いてその邪法を習い、悪業至極して生身に無間に堕つ。
かくの如き等の類諸典に載せたる所それ誠に尽くし難し。
しからば即ち智者の恐るべからざる者は旃陀羅、霹靂、悪龍悪象等なり。
深く恐るべきはただ悪師なり。
仏雙林最後の遺誡まことにゆえ有るかな。
しかるに我が朝去る文禄年中大仏出仕より一宗の法理大いに乱れ、世間の万人後世の道に惑い、謗法謗人の罪障を犯し、先聖莫大の行功を空しうして日日夜夜無間の業を増長す。
これ前代未聞の凶事なり。
その濫觴を尋ねるにただ悪師一人の所為なり。
例せば建仁年中に一人の邪師世に出でて諸大乗経を誹謗して専修念仏を始めしかば、天下の道俗悉くその邪教に靡きしが如し。
一人万人を惑わすこと古今まことに一揆なり。
悲しいかな、当代阿羅漢に似たる一闡提有りて邪義を興盛して普天の諸人を惑わす。
その名を日乾と号す。
この仁初め悪人に非ず。
人その道徳を称す。
しかるに悪師に随順してその異見に従いしより、善心頓に変じて今天下の悪知識となる。
輔行の第四に増一阿含を引いて云く、若し人本悪無けれども悪人に親近すれば後必ず悪人となりて悪名天下に遍うす。
云々 聖語虚しからず。
今日乾に於て正しくその徴を見る。
誰か慎まざるべけんや。
ここに清信士有り。
三浦長門守為春と号す。
文武兼備せり。
世その才能を称す。
前の征夷大将軍家康公殊に深くその武勇を歎じ給ふ。
はた信力世に絶倫たり。
去る元和元年夏の頃、在京の刻み切々来臨しばしば法語に及ぶ。
予その篤心を嘉して当宗謗施禁断の条目、諸門流の法式並びに舊記等詮を撮り、要を記してこれを授与す。
為春帰国の後日乾等これを視て大いに驚愕し、その身の誤りを隠さんがため悪義を巧み、邪会を一巻に記し偽りて彼の大仏謗供の咎を脱れんと欲す。
その僻見の深き事喩えを取るに物無し。
文釈引証の誤りあたかも天を指して地と云うが如く、また火を以て水と争うに異ならず。
そのほか自語相違の失曲会私情の偽り挙げて論ずべきに足らず。
然りといえども世俗の疑いを晴らさん為いささか禿毫を染めて彼の悪義を破す。
すべて三巻有り。
名付けて宗義制法論と号す。
上巻には大綱を以て彼の邪義を破す。
ここに於て十九箇の条目を立つ。
中巻には他の条箇を挙げて難破を加ふ。
下巻には他の会通に就いてまた重難を加えてこれを破す。
真偽は本文に任せて敢て自義を存する事無し。
こいねがわくば後世を志さん緇素一時の世事を留めて法理の是非を暁めて邪を捨て、正に付いて以て妙果を期せよ。
謬って邪師に随って悪道に墜堕し永劫悔ゆる事莫れ。
法度を破る罪科の事
初めにこの条目を置くは大仏供養の謗施を受く事大段宗旨の法度を破る咎を顕さんが為なり。
それ世間出世その道異なりといえども、ともに法度を以て最も要枢となす。
法度に非ざるよりは諸道立つ事無し故に儒童経に二帝三王の政を記して云く。
法度をつまびらかにす。
云々 大禹の曰く、法度を失う事なかれと太公の曰く、帝堯天下に王たりし時法度を以て邪偽を禁ずと。
范氏が曰く、天下を治むる事法度に無くんば有るべからずと。
詩に曰く、愆たず、忘れず、率いて舊章に由ると。
これらの本文の如くんば法度無くしては国家治まらざるか。
故に先王の誡め法度を破る者辜これより大なるはなし。
故に書の注に云く、その法制を乱して自ら滅亡を致すと。
仏法もまた以て是の如し。
釈尊一代の説教その事無辺なりといえども法度を以て根本となす。
故に経に云く、如三世諸仏説法之儀式我今亦如是説無分別法。
云々
この文に儀式とは即ち法度なり故に儀をば度に訓ず。
徐が曰く、度は法度なり。
式をば法に訓ず。
また度に訓ず。
故に儀式の二字共に法度の義なり。
然れば即ち教主釈尊も三世諸仏の説法の次第を糾していささかもその法度を乱し給はず。
また智者大師世出一双の義を以て法華の体を釈して曰く、体の字礼に訓ず、礼は法なり。
若し礼無くんば即ち非法なり。
云々
この釈に無礼とは法度を失う義なり。
また非法とは謗法の義なり。
よって非は非謗に訓ず。
晁錯が伝に誹謗治まらず。
云々
然れば法華の体も専ら法度を以て詮となす。
また法度に背くを謗法となす。
故に天台智者釈して云く、謗とは背なり。
云々
宗祖録内に判じて云く、謗法とは違背の義なり。
云々
所詮天台と高祖と両聖の義の如くんば法度に違背するは皆謗法なり。
現在の謗供者身の誤りを脱れんがため、制法を背くは謗法に非ずと云う。
これ仏祖の金言を破り、先師代々の遺誡を欺く。
あに謗仏謗祖の大悪人に非ずや。
況んや宗旨の大禁たる謗施を受けて大いに法度に背く、いかでか謗法罪を免れんや。
謗法治定せば何ぞ無間に堕ちざらんや。
一、諸宗の謗法も皆法度を背く義なる事。
謗供者陳じて曰く。
謗施を受用するは宗義の法度に背くといえども謗法とは為るべからず。
凡そ謗法と云うは善導が千中無一、法然が捨閉閣抛、弘法が第三戯論等なり。
我等はかくの如きの誹謗無し。
何を以てか無間に堕ちんや。
難じて云く、諸宗の謗法と云うも所詮は法度を背く義なり。
然る所以は釈尊は浄土の三部経を以て正直捨方便と定め給ふ。
法然はこの掟を背いて方便の三部経を捨てず。
還って真実の法華経を捨閉閣抛す。
釈尊は法華経を聞く者をば無一不成仏と定め給ふ。
善導はこの掟を背いて千中無一と立つ。
釈尊は法華経を以て最第一と定め給ふ。
弘法はこの掟を背いてこの経を第三と下せり。
釈尊は法華経を以て要当説真実と定め給ふ。
空海はこの掟を背いて戯論の法と毀れり。
この外諸師の謗法皆以てかくの如し。
然らば即ち諸宗の謗法も詮はこれ仏の掟を背く義に非ずや。
故に法度を背く外に別に謗法なし。
しかるに日乾等高祖代々堅固の法度を背く、いかでか謗法と成らざらんや。
謗法治定せば何ぞ無間に堕ちざらんや。
法華最第一の行者第五第六と下る罪科の事。
それ小乗と権大と位の高下を分かつに天地の不同有り。
しばらく仏在世の儀式を案ずるに一向大乗の白衣は一向小乗の僧の上に坐せり。
故に文殊所将の白衣は迦葉等小乗極聖の上に居せり。
権大乗の位なおすでにかくの如し。
況や実大乗法華の行者の位に於てをや。
在家の位なお爾なり。
況や出家の位に於てをや。故に法華の行者位尊高なる事諸宗第一なり。
故に経に云く、有能受持是経典者亦復如是於一切衆生中亦為第一。
云々
文句に云く、法妙なるが故に人貴し。
云々
秀句に云く、よく法華を持つ者はまた衆生の中の第一なり。
云々
録内に云く、諸経の大菩薩は法華経の名字即の凡夫より下れり。
云々
釈尊、天台伝教、高祖等の正義の如くんば法華の行者諸宗の頂上に居せん事一天の大王の諸臣万民の上に居せんが如し。
この義偏へに法王の金言に依る。
誰か偏執を懐かんや。
しかるに今の日乾等法華最第一の行者と号し乍ら第五番に下されて権小下劣の僧徒の座下に居す。
結句は浄土宗に難ぜられて第六番に下る。
例せば国王の太子下賎の者に賎しまれ、土民の下に坐せしが如し。
かくの如きの恥辱世に未だそのためしをきかず。
謗供者臆病不覚の故にその身人に軽賎せらる。
これその身軽賎せらるるに非ず、ただ法華経の位を下せるなり。
録内に云く、身を挙ぐは慢に非ず、身を下せば経を蔑る。
松高ければ藤長し。
源深ければ流れ遠し。
幸いなるかな。
穢土に於て喜楽を受けるはただ日蓮一人なり。
云々
金章の如くんば法華の行者と号せん者権小謗法の僧の下に坐せば経を蔑り、仏を軽んずる者なり。
例せば勅書を持てる北面時の相国に値って下馬せしかば頓に勅勘を蒙って進退を失いしが如し。
これ北面の位相国より貴きには非ず。
勅書を持てる故に下馬還って無礼となる。
法華の行者もまたかくの如し。
その身尊貴なるに非ず。
所持の妙法諸典に勝るる故に能持の人また最尊なり。
日乾等の如きは未だ世間の礼法だも知らず。
況や仏法の義理に於てをや。
既に法王の勅宣を帯し乍ら第五第六に下る。
あに経を蔑り、仏を軽んずる者に非ずや。
仏を軽んじ法を蔑る咎いかでか無間に堕ちざらんや。
また弘法大師はただ筆端を以て法華経を下す。
日乾等は直ちに身を以て経王の位を下せり。
空海第三と下し、謗供者は第五第六と下す。
然れば日乾等の謗法は実に弘法の第三戯論の謗言に超過せり。
嗚呼恐るべし、恐るべし。
謗法の咎有りて改悔無き罪科の事。
それ昔の智人は謗法罪有れば早く改めて懺悔を致す。
譬えば頭燃を払うが如く、また毒害を吐くが如し。
菩薩戒序に云く、自ら罪有りと知らば当に懺悔すべし。
懺悔すれば即ち安楽なり。
懺悔せざれば罪益々深し。
云々
愚人は罪を犯して懺悔する事を知らず。
ただ人の知らん事を恐れて甚だ深く隠匿す。これに因って罪益々深重なり。熱鉄を懐いて衣を覆うが如く、また毒樹の根を断らざるが如し。
日乾等若し誠の知恵有り、真実の道念有らば早く先非を悔い、嘉祥大師の如く再び法華経を講ぜず、衆を散じ、身を肉橋になすべき処にその儀無き事無慙至極なり。
況や何の面目に重ねて手に巻を取り、再び高座に登って法華経を講ぜるや。
かくの如き不義の説読をば世人これを名づけて乞食読経と曰い、また非人説教と号す。
嗚呼恥ずべし、恥ずべし。
智者の所行いかでかかくの如くならんや。
ここを以て録内に云く、嘉祥大師は法華玄十巻を造って法華経を讃めしかども妙楽彼を責めて云く、毀りその中に在り。
何ぞ弘讃と成らん等。
云々
法華経を破る人なり。
されば嘉祥は天台に落伏して仕えて法華経を読まず。
我れ経を読むならば悪道を免れじとて七年迄身を橋となし給ひき。
云々
また云く、嘉祥大師は天台大師を請じ奉って百余人の智人の前にして五体を地に投げ、遍身に汗を流し、紅の涙を流して今よりは弟子を見じ、法華経を講ぜじ、弟子の面を守り、法華経を読めば我が力この経を知るに似たりとて、天台より高僧老僧なりしかども態と人の見る時は負うて河を越し、高座に近づいて肩を寄せ、高座に登せ奉る。
云々
また云く、嘉祥大師の法華玄を見れば痛う法華を謗りたる疎には非ず。
ただ法華と諸大乗経と門は浅深有れども心は一と書かれたり。
これが謗法の根本か。
云々已上御書
それ智人は小罪を恐るる事尼具類樹の鷦鷯鳥を怖れて枝折れしが如し。
愚人は大罪を恐れず生盲の人の毒蛇を怖れず。
赤子の火坑を避けざるが如し。
嘉祥大師は智人の故に小過を恐れて天台に帰伏せり。
日乾等は深重の謗罪有りて未だ改悔の心有らず。
偽って智者の由を称すれどもそれ実には頑愚なり。
すべて是非を弁えざること、狂児の如く、盲瞽の如し。
嗚呼憐れむべし、憐れむべし。
謗供者集会直談の堅約を違える事。
大仏千僧供養執行の初め当宗も出仕を勤むべき旨徳善院より書状これ有り。
その状に云く、
大仏妙法院殿に於て毎月太閤様御先祖の御弔いとなして一宗より百人宛彼の寺へ出仕候て勤め有られ一飯を参らすべき旨御掟候。
然れば今月二十一日より初めて執行せられ候その意を成ぜらるべく候。
百人これ無き寺は書付けて申し越さるべく候。恐々謹言。
九月十日 民部卿法印
玄 以 在 判
法華宗中
この状同十二日に到来す。
これ一宗の大事たるに依って諸寺に於て種々談話あり。
然りといえども衆僧の僉議是非究まり難し。
ここに因って六条本圀寺に於て諸寺の聖人参会有って直談これ有り。
予は少し遅参す。
その間に早く談合相い究まり畢りぬ。
予参着の時僧正日禎ならびに諸聖人奥の座より客殿に出られ予に対して語って曰く、今度大仏出仕一宗不祥の義なりといえども、今国主機嫌悪しき時分偏に制法の趣を宣べて出仕を遂げずんば諸寺破却に及ぶ義も出来せしめんか。
然る間ただ一度貴命に応じて彼の出仕を遂げ、即ち翌日より公儀を経て宗旨の制法を立つべきに議定せしめ畢りぬ。
云々
予諸聖に報じて曰く、衆義最も然るべしといえども愚意は爾らず。
それ公儀の重き事は何れの時も同じかるべし。
然るに今強いて制法の趣上奏に及ばず、祖師の時より堅く立て来る制法を一度もこれを破らば永代宗義は立つべからず。
これに就いて先例を案ずるに普廣院殿千僧供養の時も一宗すでにこの難儀に及ぶ。
然りといえども当宗一同に不惜身命の行を立て強いてその理を宣べしかば義教将軍速やかに聞こし召し分けられ当宗の一宗終に芳免を蒙り了りぬ。
それよりこのかた宗義の制法いよいよ堅固に立て来れり。
今に於てもその理強いて上奏に及ばんに国主いかでか御宥免無からんや。
万一大事に及ぶといえども身軽法重の宗義何ぞこれを痛むに足らん。
ここに於て本圀寺日禎は予とほぼ同心の気色有り余聖は黙然たり。
本満寺日重一人驚動斜ならざりき。
日乾その時は悪義未だ強盛ならず。
師匠倒惑の故にかつて一言も出されず。
本法寺日通種々に会釈有りしかども憶意日重と斉し。
畢竟この座の僉義も一度は謗施を受くべきになりぬ。
然りといえども永く制法を破るべしと云える義は敢て一人も無かりき。
ただひとたび上意に応じて供養を受けおわって次の日より先規の如く宗義を立つべしと決定せられ畢りぬ。
予は一度も制法を破って謗施を受ける事同心し難き故に再三諫暁せしむといえども同心の人無き間速やかに座を起って帰りぬ。
日重は遥かに予を送って出でられ今暫く御思案有るべしと強いて異見有りしかどもかつて承引に及ばざりき。
しかるにこの直談は文禄四年九月二十二日なり。
しかして同二十五日に大仏供養相始まる。
諸寺の聖人大略一同の出仕なり。
一両人一たびは脱れしかども終には叶わざりき。
その後大仏供養相続する事慶長十九年に至る。
その星霜を勘ふれば全く二十年なり。
その間皆謗法供養を受けて敢て制法を立つる人無し。
衆座に於て堅約の義すべて違す。
予理の往く所を責めて曰く、世間の賢人なお一たび言い結びし事はたとえ身命を喪うともその約束を違えず。
ここを以て樊於期と云いし者は荊軻に頭を与え、季札と云いし者は徐君が墳に剣を懸けたり。
外典に云く、人に一諾を許すには千金にも移らずと。
そもそも六条に於て談合の時列座の衆一人二人ならず、出世の衆七人この外僧衆その数を知らず。
悉くその座に在ってその約諾を聞けり。
智者上人と名乗る人々何ぞ衆座の大約を違えて永く制法を破るや。
結句はかくの如き悪義を存してその瑕疵を護惜し、深く衆人を惑わす事、すべて釈氏の風義に背きぬ。
若しそれ実に謗施苦しからずと思はばその時何ぞその義を謂わざるや。
言行大いに相違しぬ。
竹馬の小児だもなおこれを恥ず。
しかるを況や君子に於てをや。
謗法供養を受けざる制法は宗旨建立の大節なる事。
謗供者日乾偽って曰く、謗法供養を禁ずる事は宗義の小節なり。
云々
弾じて曰く、謗供者身の誤りを隠さんが為に宗旨建立の大節を以てこれを小節と云う。
これ甚だ悪義なり。
然る所以はこの義若し小節ならば代々の先聖いかでか上奏の大義に及ばんや。
国主御代替りには必ず恒例となして諸寺一同して上奏を経て露点を申し下して堅くこの制法を守る。
宗旨に於て法度の旨多しといえども余事に於ては未だかつて上奏に及ばず。
偏えに謗施の制義に限って公儀の大途に及ぶ。
明かに知んぬ、この義実に小節に非ずと云う事を。
況や高祖このかた代々の先哲身命に及ぶといえども敢て謗施を受けられず。
若しこれ小節ならばいかでか身命を喪うに及ばんや。
謗供者の料簡はなはだ理に背けり。
謗施を受ける人ただ仏祖を背くのみならず、はた天下の御下地を破る事。
それ一宗の制法は源経説の明文に依る。
依法不依人の立義天下の諸宗敢て防難を加えず。
これに依って国主代々制法の趣明かに御許容の旨永代不易の御下地を賜う。
その文に云く、
当宗都卑本末寺衆徒同じく檀那等の事他宗の志を受け施さず。
殊に諸勧進以下出されざる儀祖師已来堅き制法の段御代々聞食し入れられ御許容の旨去年八月二日御下地を成さるの上は向後いよいよ宗体の法度を専らにせらるべきの由仰せ下さる所なり。
よって執達件の如し。
元亀三年十一月二十三日 右 馬 助 在判
左衛門尉 在判
法華宗中
この外京都所司代の折紙悉く皆これ有り。
右憲章の趣厳然たるに因って数百年の間天下異議なく都卑一同に堅くこの制法を守る。
若しこの法度に背く者有らば即ちこれを謗法に落しその師の前に於て必ず改悔せしむ。
若し異議を存し改悔せざる者をば永く宗門を放つ。
これらの文証を以てこれを思うに当宗としてこの制法を破る者はただ仏祖を背くのみならず、はたまた国命を用いざる者なり。
その罪科あに軽からんや。
謗法を改悔せざれば法華経を読むといえども功徳とならず。還って無間に堕ちる事。
それ古の智者は謗法罪有りと知らば深くその罪障を恐れて改悔の為にしばらく法華経を読誦する事を止め、罪を滅せんが為に正師に仕えて身をおしまざる事僕の大家に侍るが如し。
例せば三論の吉蔵大師誹謗の咎を恐れて法華経を読む事を止めて七年の間身を肉橋となして天台大師に仕えしが如し。
かくの如く懺悔せずして法華経を読めば罪業すべて滅せず。
還って無間地獄に堕つ。
ここを以て清澄山の圓智房は五十年の間昼夜法華経を読誦す。
その功三万余部に及べり。
また清澄の大堂にして三年の間一字三礼の法華経を書けり。
時の人これを信じる事生身の仏の如し。
然りといえども高祖圓智房を責めて言く、法華を読誦すといえども謗法の者なり。
念仏者よりも無間地獄の底に堕つべし。
云々
聖語虚しからず。
この人臨終に阿鼻の相を顕し、現に白癩となりぬ。
四信五品鈔に云く、明心と圓智とは現に白癩を得。
道阿弥は無限の者となりぬ。
罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑い無き者なり。
云々
かの圓智房昼夜不退の読誦等末代の人及び難き行なり。
しかりといえども謗法を改悔せざりしかば無間地獄に堕ちぬ。
況や当代の人々指せる行功無くしてしかも謗法の咎改悔無くんばいかでか無間の業苦を免れんや。
録内に云く、慈恩大師は玄賛十巻を造って法華経を讃めしかども伝教大師責めて云く、法華経を讃むといえども還って法華の心を死す。
云々
これらを以て思うに法華経を読み讃談する人々の中に無間地獄は多く候なり。
云々
已上御書
心有らん人この誡文を見て誰か驚愕せざらんや。
日乾等何ぞ驚いて改悔の心を生ぜざる。
これ愚闇深重の故か。
菩薩戒序に云く、怖心生じ難く善心発り難し。
小罪を軽んじて以て咎無しとなす事莫れ。
水の滴り微なりといえども漸く大器に盈つ。
刹那も罪を造れば殃無間に堕つ。
一度人身を失えば万劫にも復らず。
衆等一心に精進せよ。
謹んで懈怠する事勿れ。
已上戒序
小罪なお爾なり。
況や大罪をや。
こいねがわくば日乾等の学者先ず自ら謗罪を改悔して他人をしてこれを効はしめよ。
然らざれば師弟檀越ともに地獄に堕ちん事決定疑い無き者なり。
守護鈔に云く、その師の堕ちる所弟子また堕つ。
弟子の堕ちる所檀越また堕つ。
金口の明説なり。
嗚呼慎まざるべけん等。
云々
悲しい哉、当世無智の道俗一生空しく過ぎて法理の邪正を弁えず、悪師と倶に阿鼻に堕在せんこと掌を指さんのみ。
古は諸寺一同して謗施を受くる寺を呵責して堅く通用を止む。今はこれに反する事。
それ高祖以来歴代の智者聖人は身命に及ぶといえども敢て国主の謗施を受けられず。
若し謬ってこれを受ける寺をば諸寺となしてこれを呵責し、堅く通用を止めてその交わりを断つ。
証文今に在りて明白なり。
今は返って謗施を受けざる者を怨んで悪口罵言し結句は無尽の讒奏を企てて国界を駈擯し、理不尽に流罪等の大難に行う。
九猴一猿を駈けるの説恐らくはまたこの時に当れるか。
その九猴人を悩乱するの趣守護経の説委悉なり。
伝教大師の云く、当に知るべし、九猴の出家は仏法を毀滅して余り有る事無からしむ。
云々
今謗供者の悪比丘を以て九猴に相配して経説の実否を知らしめん。
そもそも前の太閤秀吉公妙法院門跡に於て千僧供養の事はただ京中の諸寺に課せて他国に亘らず。
しかるを日乾等謗法の同類多からん事を欲して他国他郷の僧を駈り出して彼の謗法供養を受けしむ。
これを脱れんと欲する者をば守護所に訴えて種々に悩乱す。
故に心弱くして難に堪えざる者は終に責め落とされて彼の謗施を受く。
或はまた出家を退いて還俗する者数を知らず。
また制法を守る事堅固にして彼の謗施を脱れんと欲する者は或は本寺を捨離して遠く他国に避け、或は山林に流離し、或は毒を飲んで病を発し、或は自害に及ぶ者有り。
これ全く他宗の留難に非ず。
国主の怨憎にも非ず、偏えに自宗の悪比丘の所行なり。
仏法我が朝に渡って一千五百余年、かくの如き悪行未だ見ず。
聞かず。
伝教大師の云く、九猴の出家は仏法を毀滅す等。
云々
当代謗供者仏法を毀滅し善人を悩乱する事誠に外魔に超過せり。
彼の経に説く所の悪党の九猴日乾等を指さずんば誰をか謂わんや。
先年僧徒の訴状に云く、日奥貴命を向背して出仕を遂げず。
故を以て我が門中を擯す。
云々
悦ばしき哉、謗供者に怨まれて衆中を擯棄せられ他国遠島に至って久しく難堪を経たり請う智有らん人自他の偏党を捨てて彼の訴状とこの経文とこれを合わせて具にこれを視よ。
金言若し偽りに非ずんば恐らくは予善の一猿に相預かれる者か。
多生広劫の慶び何事かこれに如かんや。
当代の謗供者師敵対の事。
それ身延山等の先聖の如きは皆一同に国主の謗法供養を受けざれと誡む。
向師朝師等の筆記その証甚だ明白なり。
今日乾は顕露に言を放ち、書を呈して国主の謗施を受けんと云う。
かくの如きの謗言を聞いては巣父に非ずとも宜しく耳を洗うべし。
この門を過ぎん者は曾子に非ずともすべからく車を返すべし。
誠に師敵法敵仏敵なり。
後報の猛火何の劫にかこれを脱れんや。
謗供者の意地非人に同じき事。
それ日乾等宗義制法の元意に暗くして高祖の御所判に於て不施を禁ずるが如く、不受を制する証文を見ずと言いて自は他に施さず、その身は他の謗施を受けんと欲す。
これ愚慮の僻案不義の至極挙げて論ずるに足らず。
然りといえども世人の為にいささかその理を弁ぜん。
およそ当宗の立義は専ら経説に依って深く謗人に施す事を禁ずるに即ち不受の制は自らその中に在り。
これ言うに及ばざる道理なれば宗祖筆墨を繁くし給わず然りといえどもかつてこれ無きには非ず。
その明証余所に勘がえるが如し。
それ達人は裏を見て面を知り、また面を見て裏を知る。
愚人は迷倒して表裏一双の義を知らず。
例せば世間の法の如し。
主君の怨敵に対しては堅く隔てて問訊せず。
また財物を与えず。
肴?を備えず。
我彼に与えざるに彼また我に与えんにいかでかこれを受けんや。この義理を違わん者は実に人倫に非ず。偏えに禽獣に斉し。大論に云く、理を以て人となす。
形を以て人とせず。
云々
人間に生を受ける者誰かこの道理を知らざらん。
およそ人に与えず我のみ人に受けばこれただ非人なり。
今日乾所存の如くんば偏えにこれ非人の所行にあらずや。
自は受けて他に施さずと言う。
故に宗旨建立以来未だかつてかくの如き悪義を聞かず。
悲しい哉、日乾等当家尊高の立義を下して非人の所行に同ぜんと欲す。
他宗の嘲弄、世人の軽笑偏えにこの不義に在り。
世間仁義の道を引いて仏法の義理を知らしむる事。
それ仏法を習う人は先ず五常の道を学んで世間の義理を知るべし。
然る所以は仏法は至って深く、人の智は極めて浅し。
故に先ず世間の道を知れば仏法に入り易し。
妙楽大師の云く、仏教流化する事実にここに頼る。
礼楽前に馳せて真道後に啓く。
云々
当世仏法者と号する人未だ世間の義理にだも達せず。
故に志意卑劣にして壟断の賎夫に斉し。
故に世の為に軽賎せらるる事頗る行路の非人の如し。
かくの如きの輩はすべて慙愧を知らず。
故に意牛羊に斉し。
たとえ語をつくして義を説くともその意を得べからず。
仲尼の曰く、中人以下には以て上を語るべからずと。
老子の云く、下士は道を聞いて大いに笑って行わずと。
かくの如き人に於ては更に義を論ずるに足らず。
孟軻の曰く、その道に非ざるときは即ち一箪の食も人に受くべからずと。
また云く、生もまた我が欲する所なり。
義もまた我が欲する所なり。
二つの者得て兼ぬべからず。
生を捨て義を取る者なり。
この故に欲する所生より甚だしき者有り。
悪む所死より甚だしき者有り。
独り賢者のみこの心有るに非ず。
人皆これ有り。
賢者はよく喪うこと無きのみ。
一箪の食一豆の羹これを得るときは即ち生じ、得ざるときは即ち死す。
■爾としてこれを与えれば道を行く人々も受けず。
蹴爾としてこれに与えれば乞人も屑とせざるなりと。
本文の如くんば寧ろ死すともその道に非ざれば人に受けざるなり。
世間の義理なおかくの如し。
況や仏法に於てをや。
若しこの宗の行者一摶の食も謗者の施に於てこれを受けば仏弟子に非ず。
謗法の咎最も免れ難し。
なお外典の訓に及ばず。
無慚非人よりも甚だし。
孟軻の云く、悪む所は死より甚だしき者有り。
故に患いも避けざる所有りと。
夷齊が首陽山に飢えしこの義を知りし者なり。
たとえ身命を喪うとも謗施に於ては一飯をも受けざる意けだしこの義理を以てなり。
心有らん人自ら覚知すべし。まことに以れば生死の輪廻止め難く、六道の苦患免れ難し。嗚呼出離何の時ぞや。
今幸に生を末法流布に受け、しかも宿殖深厚にして本化の末流を汲めり。
静かにこの幸を思えば優曇の海中に開くよりも珍しく盲亀の浮木に値うよりも希なり。
こいねがわくば有智の君子無益の世事をなげうって先哲の遺誡に順じ、謗法の声を聞きては千刀耳を刺すが如くし、謗法供養を見ては熱鉄丸の想いを成せ。
若し然らずんば銅状鉄柱の苦報千劫にも究め難く、億劫にも尽し難し。
慎まざるべけんや。
慎まざるべけんや。
謗供者広学の由を称して世人を誑惑する事。
それ日乾等謗法の咎免れ難きによって世人を誑惑して曰く、我等は南都北嶺に経歴して広く学業を究む。
謗法供養を嫌う人は所学狭き故にただ一隅を守る。
云々
世間の愚者多くこの辞に誑かされて彼の邪教を信受し、宗義の信力を退して無間の業を増長す。
難じて云く、謗法供養を嫌うを以て所学狭き故と言わば高祖を初めとして天下数百年間の明匠碩学は悉く日乾より所学狭きや。
殊には延山代々の高祖はしばらくこれを置く。
向師朝師一宗に於ては天下縦す所の正師広学の明徳なり。
この両師謗施を誡める事誠に厳重なり日乾この両師に勝れる智徳有りや。
ただし日乾当家の法門の分斉は世間の人多分これを知れり。
その事この書に記すべしといえども繁き故にこれを略す。
況や今度書き出せる所の一巻を以てその憶意いよいよ手に執ってこれを知る。
僻案の料簡誠に宗義に暗き事闇夜よりも甚だし。
その見の拙き事羊眼に過ぎたり。
一一の謬語末に至ってこれを顕わすべし。
こいねがわくは有智の君子明かに理非を察して誑言を信ずる事勿れ。
仏法の邪正は全く広学に依らず。
況や南都北嶺に宗義を知れる智人無し。
何を以てか広学の所以を信ぜん。
嗚呼偽誤の誑言後報甚だ恐るべし。
広学多聞を好む人多く謬って邪道に入り成仏劫数を送る事。
それ仏法の邪正得道の遅速は学の広狭に依らず。
ただ理に契うを以て貴しとなす。
凡そ往古来今を勘ふるに、法門に於て邪僻を生ずる事多く広学を好む人に在り。
故に知道の人は儒道なお慎みて多聞を恐る。
魯論に云く。子路聞く事有りて未だこれを行う事能はず。
ただ聞く事有らん事を恐ると。
注に云く、前に孔子に聞く所有るをば即ち修し行はんと欲す。
若し未だ能く行いに及ばざるときは即ち更に聞く所有る事を願はず。
行の周からざらん事を恐る。
故にただ聞く事有る事を恐る。
云々
それ学はこれ行わんが為なり。
行わずして多く聞く事は君子の恥ずる所なり。
子夏の曰く、小道といえども必ず観ずべき者有り。
遠きを致しては泥ん事を恐る。
これを以て君子はまなびざるなりと。
儒道なお小道を学ぶことを誡む。
況や仏家に於てをや。
しかるに小大分別望に従って重重の不同有り。
外典外道に対すれば一代の仏教皆大乗なり。
釈籤に通指仏教以為大法と釈するこれなり。
仏教の中に於て小大を分別するに阿含経は小乗、華厳方等般若は大乗なり。
若し後八箇年に対すれば前四十年は皆小乗、ただ法華経のみ真実の大乗なり。
また法華の中に於てなお小大を分たば因門はこれ小なり。
始成を存する故に果門独り大なり。
久成の遠本を顕す。
故に疎に云く、近成の小を聞く事を楽って長遠大久の道を聞く事を欲楽せず。
故に楽小と云う。
云々
これらの道理を以て当家の本意を言わば本化建立の三大秘法の外は天台建立の圓慧圓定、伝教建立の跡門の戒壇なお小に属すべし。
況やその余をや。
しかるに小大権実その学を簡隔する事は新学の菩薩の為なり。
後心の菩薩は大小兼学す。
新学は小大雑乱せん事を恐る。
故に兼学を許さず。
名字五品は皆これ新学なり。
末法当今はすべて名字即の最初心新学が中の新学なり。
この位に於て兼学を好まばあに謬らざらんや。
頃年我が宗に遊学を好む人或は南都に至って唯識論を学んで心を滅種に移し、或は小乗の論を学んでたちまち大道を忘失す。
また三井山門の所学は過時の法門なり。
況や権実雑乱全く時刻相応の法に非ず。
或は孔孟の道を学んでこれを至極となし或は荘老を談じて大いに仏法を褊す。
広学を好む人万に一も宗旨の正義に契う事無し。
遊学の過失害をなす事外魔と一揆なり。
先覚かえすがえす誡む、深位に至らずして妄りに多聞を好む事莫れと。
首楞厳経に云く、阿難仏を見たてまつって頂礼して悲泣す。
無始より来た一向多聞にして未だ道力を全うせざることを恨んで懇ろに十方如来の菩提を成ずる事を得たまえる事を啓請す。
義疎に云く、仏と阿難と空王仏の時同じく大心を発せり。
多聞を楽ふが為に勤めて修習せず。
仏今道を成じ給えるに我は始めて流れに入れり。
よって悪縁に値って免脱する事能わざる事まことに偏失に由る。
誠に悲しむべきかなと。
法華経に云く、阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤めて精進す。
この故に我すでに阿耨菩提を成ずる事を得たり。
云々
謹んで後生の学徒に告ぐ。
阿難悲泣して多聞を好める後悔これ学者の箴鑑に非ずや。
求道の諸生慎んで以て心腑に銘せよ若しこの誡を廃忘せば永く労して更に功無けんことを。弥勒所問経の如き弥勒の発心仏世尊に前だつ事四十二劫然りといえども八相成道釈迦に後れたる事五十六億七千万歳なり。
明かに知んぬ、多聞の懈怠は聞少の精進に如かず。
天竺かくの如し。
近く和漢を訪えば唐朝の玄奘三蔵、西天に渡って五竺に遊学し諸宗を習い究めて五性各別の悪義を伝う。
法護三蔵は月氏に入って、梵本の法華を見る。
しかりといえども属累の前後これを謬って経末に置けり。
漢土の大師は梵本を見ざれどもよくこの誤りを糾せり。
本朝の慈覚智証の両師は漢土に入りて諸徳に値遇し、広く本門を学して理同事勝の邪義を伝う。
日本の学者四百年の間いまだこの謬りを知らず。
我が祖深く経論を勘がえてこの誤りを糾明し給うに謗法の根源悉く顕れぬ。
上代の智者広く遊学を好める尚かくの如き失有り。
況や末代の愚凡偏えに名聞を求めて広学を事とせばあにそれ謬らざらんや。
今日乾等自宗の法門に疎くして妄りに名聞を求め、煩わしく他学に関わって徒らに身心を苦しめ、しかも大悪見を生じて自らを損じ、他を誤つ。
こいねがわくば後来の学者慎んで心馬を制し未だ能く自宗を明らめざる間は堅く他学を好む事勿れ。
一師一学といえども広く諸義を含んで多聞の徳を備える事。
それ寺門を出でず一師に従って学すといえどもその師正智ならばまた何の不足か有らんや。
李華が曰く、巻を出さずして天下を知ると。
老■が云く、知れる者は博からずと。
伝教大師の云く、庭戸を出でずして天下知んぬべしと。
大経には僅かに八字を聞くを以て多聞となせり。
妙楽大師の曰く、一一の句義多聞ならずと云う事無しと。
これらの本文の如くんば経論章疎多く見、広く聞くを名けて広学とせず。
また多聞と云わず首楞厳経に云く、多聞有りといえども若し修行せざれば聞かざると等し。
云々
日乾等の所学一向宗義に暗くしてすべて正理に契わず。
広学の利口甚だ笑うべし。
一句一偈を学すといえども能く理に契うを以て名づけて多聞となし、また広学と云う。
録内に云く、一滴を甞めて大海の塩を知り、一華を見て春を推せよ。
万里を渡って宋に入らずとも、三ヵ年を経て霊山に到らずとも、在世の如く二処三会に値わずとも、一代の勝劣はこれを知るべし。
ないし法華経の六難九易を弁ずれば一切経読まざるに随うべし。
云々
また云く、この経は諸経の文字に似ず。
一字を読むといえども八万法蔵の文字を含む。
云々
金章の如くんばこの一字に於て普く諸義を暁らむ。何ぞ猥らしく枝葉に攀附せんや。日乾等の学者宗義に暗くして妄りに遊学を求むば貧女が家内の宝蔵を知らず、諸国に流浪して衣食を乞い索むるが如し。
辺遊の広学更にその詮無きをや。
近代当宗の学者他学を好む故に自立廃忘して多く邪道に入る事。
それ我が宗学者近代かつて宗義を学せず。
ただ名聞を本として偏えに他学を専らにす。
故に宗義日々に衰え、邪義月々に興して世間闇冥の如し。
故に自立廃忘の輩国中に充満して昼夜悪義を談ず。
故に天下の道俗いたずらに邪信を催し、邪道に入る者その数を知らず。
在家の男女は信力を廃退して謗法の社参物詣を事とす或は偶々世を厭うて出家せる者も時機相応の行を知らざる故に或は暗禅の室に入りて虚無の悪見を起こし、或は賊律の家に入りて錫を振り乞を行って還って時刻相応の行を軽慢す。希に一乗を学ぶといえども台宗過時の教文に耽って本化応時の法門を習わず、空しく心神を労して還って苦道を増長す。
嗚呼悲しむべし。
悲しむべし。
それ俗網の家を出て剃髪染衣の身と成る事は偏えに自ら脱しまた他をして脱を得せしめんが為なり若し真実の道心有らば速やかに名利の広学を捨てて専心に得脱の要路を案ずべし。
これ先覚慇懃の遺誡なり謹んで勿諸すること勿れ。
一念顛倒すれば千巻万軸を誦じて唇腐ち、歯落つれども終に得道の要を識らず。
空しく皓首に至って臨終惘然たり。
この時に当って千悔益無し。
あに慎まざるべけんや。
真実道徳有る人妄りに広学を好まず。一句一偈に於て能く得道を究める事。
それ実に道念有りて得道の要を期する者は煩わしく多経多論の広文を仮らず。
ただ一句一偈を行じて悟道の本意を達す。
所以に槃特尊者は僅かに一十四字を誦じて阿羅漢果を得たり。
不軽菩薩は二十四字を行じて相似の六根浄を獲得せり。
故に義決に云く、似の六根を得る事一句の力に依る。
云々
況や当家の立義は五字の枢柄を取りて修行の法体と定む。
四信五品鈔に云く、なお一経の読誦を許さず。
況や余の五度をや。
云々
誠に悟道の要は多句を仮らず。
深く心を致せば一句に於て能く果極を究む。
輔行の第二に法句経を引いて云く、仏の云わく、千章を誦せりといえども義有らずんば何の益有らん。
しかじ一の要を聞いて行じて度する事を得んには。
千章を誦せりといえども解せずんば何の益有らん。
一句の法を解いても聞いて道を得べし二百の比丘これを聞いて阿羅漢を得たり。
云々
先蹤これ明かなり。
後輩最も法るべし。
何ぞ自宗の最要を捨てて猥しく心を他学に移さんや。
日乾等の学者宗義の心地微弱にして名聞の為に異の広学を好む。
故に大事に臨んで心意倒惑し前後忘却して宗旨の瑕瑾を致す。
ああ最も慙ずべきに足れり。
これ他の非を謂わんとには非ず。
ただ後学の為に悲歎の深切なる事を示すのみ。
かえすがえす後来の為に誡む。
一句も仏道の為に学して名利の広学を好む事莫れ。
前車の覆るは後者の誡めなり。
日乾等の前覆を見後輩何ぞ慎しまざらんや。
謗供者取捨得宜等の釈を引き曲げて邪会を構える事。
当世の学者謗施の誤りを隠さんが為にややもすれば適時而已取捨得宜等の釈を引いて偽って邪会を構う。
これ浅智の致す所か、はた邪義の興する故か。
未だその実を知らず。
高祖この釈を引証し給う事日乾等の義と天地の相違なり。
凡そ録内録外に亘って宗祖この釈を引き給う事皆これ一轍の意なり。
更に別途無し。
所詮今引証の正義を言わば末法には天下の謗法を折伏して三類の強敵に怨まれ流罪死罪等の大難に値ってこの経を弘通すべし。
仏法は時を以て本となす。
天台伝教の時の如く摂受の行を修する事莫れ。
故に天台は適時而已と釈し、章安は取捨得宜不可一向と宣べたり。
諸鈔の意皆この義なり。
また末法摂受の一義これ有り。
別の意趣なり。
末に至って委しくその義を弁ずべし。
しかるに当宗の立義として、謗法供養を受けざるはこれ極重の折伏なり。
然る所以は彼の謗者を以て主師親の怨敵とすればなり。
故に折伏の時刻に当って謗施を受けざるは時に適える行なり。
これを適時而已と云う。
また当宗の立義信者の供養を取って謗者の施を捨てる、これを取捨得宜と云う。
適時と得宜と語異にして意これ同じ。
像法には謗施を禁ぜず。
末法には堅くこれを制す。
故に不可一向と云う。
所詮謗施を受けざれば義折伏の行に当れる事深くその意を得ば天台章安の釈の元意に契い、また高祖の引証し給う所の本意に相契わん。
悲しいかな、日乾等ただ身の謗罪を隠さんが為に赫々たる道理を曲げて明明たる妙判を暗ます。
あに仏祖の大怨敵一切衆生の悪知識に非ずや。
宗義大節の法度を破る人盲者禽獣非情の草木にも劣れる事。
それ法度を以て堅くその道を立つる事は仏家はしばらくこれを置く、世間貧陋の家、異体の道に至るまで尚その法度を乱らず。
いわゆる盲者座頭の如き急事有りといえども石匠の家に寓せず。
猿楽の亭に宿せず。
またその給与を受けず。
この外かくの如きの例世にこれ多し。
しかるに日乾等ほしいままに法華の行者と称しながら何ぞ甲斐無く宗義大節の法度を破るや。これあに盲瞽の人に劣るに非ずや。
それ盲瞽の輩はなおこれ人倫なり。
毛を被り角を戴く畜類に至る迄なおその法度を乱らざる有り。
いわゆる鳳鳥は竹実に非ずんば食わず。
梧桐に非ずんば棲まず。
行雁連を乱らず。
鳩鴿三枝の礼有り。
鶯舌春に非ずんば囀らず。
郭公夏の季に入らずんば泣かず。
鶏鳥暁を待って謡う。
これあに飛鳥の法度を違えざるに非ずや。
また老狐は丘を跡にせず。
駱駝は路の限りを過ぎず。
羔羊跪いて乳を飲む。
これあに走獣の法度を乱らざるに非ずや。それ禽獣はなお有情の類なり。非情の草木また法度を乱らざる理有り。
凡そ千草万木青陽(春)に華咲き、商天(秋)に菓を結び、三伏(夏)に枝茂り、極時(冬)に落葉す。
これあに草木の上の自爾天然の法度に非ずや。
日乾等何ぞ非情の草木に劣って宗家の大禁を破るや。
かくの如き無慙の僻人を以て延山の貫首となす事悲憾の至りに非ずや。
宗義制法論 上巻終