寺報コラムから

国家の非常事態と日本精神

 WHOによる「パンデミック」宣言から約4カ月、いまだ終息が見えない新型コロナウイルス。
 いつになったら日常が戻るのかという不安な日々が続いている。
 歴史を顧みれば、我が国においては疫病蔓延の恐怖のみならず、美しい自然に恵まれ四季の豊かな変化を楽しめる恵まれた地勢を持つ一方、不安定な岩盤プレート上にあり、地震や津波、また峻険な山岳地帯から豪雨など自然災害にも度々見舞われ苦しんできた。
 先人たちは、こうした災いに自然界・地球・大宇宙を冒涜し、環境破壊している不道徳な人間世界、人間の身勝手な所業に、神仏が怒りを表していると捉え、より自分自身を律し、高い道徳心とモラルを模索したのである。
 日蓮宗の宗祖・日蓮もまた、飢饉や疫病、大地震などに襲われていた時にあって『立正安国論』をあらわし『法華経』に帰依しなければ国が乱れると警鐘を鳴らした。
 もとより科学的な根拠のないことだが、神仏に手を合わせ、その『天の怒り』を鎮めることが、疫病の蔓延を止め、自然災害を少なくする道であると信じられていた。
 「自分の行いに悖る(もとる)ところはなかったか」と、繰り返し自らの生き方を見直し道徳心を磨いてきたのが日本民族であった。
 決して豊かな国ではなかったが、日本を訪れた外国人がこぞって高い評価をした。
 今、そのように先人たちが培った日本人の精神性が多少危うくなりつつあると言えなくもないが、世界の覇権争いが過熱し、対立が深まる今こそ人間として正しい生き方を模索する日本精神を取り戻すとともに、気概をもって世界をけん引する役割を担うときにあるのではないか。

読者投稿:和氣健/寺報243号(R.2 Aug.20)から転載