しかし、日指方は日講の指揮に従わず、改悔をする様子もない。
『日指方の主張が日々強くなるのみで、一向に埒が明かない』と"法難"にそう書いている。
貞享三年五月、日講は侍者の備前出身の岡村善助を一時帰国させ、親しく旨を諭したがまとまらなかったという。
更に、三浦心鏡、竹内清左衛門等有力な人物に趣旨を伝えて、あらゆる方面、あらゆる手段を用いて道理を説き、穏やかに教え導いたのであるが、最終的には不調に終わってしまった。
ついには、『二幅の本尊を取り戻しこれを始経導師の旗印に押し立て、日堯の条目通りに弘通すべし。もし背く者は謗法に落ちるであろう。』と主張するに及んだ。
これが元禄二年正月に日講の耳に聞こえた。
日講が折角尽力した事も水泡に帰したのである。
寺報第274号から転載