真相を究明するべく天和3年3月上旬に岡山下之町木屋八左衛門の家にて10数人の法中が立ち会い、宗順・助七に対して審理が行われた。
助七は「導師をしたつもりは毛頭ござらん」と。
宗順は「導師をしていたのを見た」と平行線。
結局、押し問答に終始し、確たる証拠も得られずに審理は終わりを告げた。
天和3年6月10日、覚隆院日通、覚照院日隆ら法中10数名が日指に集結し、その中で助七は改悔し両人の処分は終わった。
しかし、日指方から『宗順は、助七が謗法をした(導師をした)」と言った咎があるから、それを改悔させなければならない。
そのことは津寺の覚照院も知っておきながら何故放置しておくのか』と言い始めた。
津寺の覚照院は『助七が導師をしていないのに、したと偽ったのなら咎があるが、導師をしたとすれば嘘ではないので咎はない』という見解であった。
助七と宗順の審理で助七は最後まで「導師はしていない」と貫き通している。
しかし其の弁明には疑念が残ったままであったようだ。
※注釈
日指は、現美作市にあり和気から北北東の方面にあって中国自動車道作東ICの北に位置します。
津寺は、山陽自動車道岡山JCTを央点とする一帯の地名です。
寺報第264,265号から転載