本尊お曼荼羅の下部に、信仰の証として「看経講一結」と書し、講社を形成する信者(法立)の面々の名前を記すことがあります。
信仰での結びつきを至上のものとし一致団結を誓い合うのです。
禁制不受不施では見つかれば捕縛され財産はおろか命までも危うくなるので強い団結力が必要だったということでしょう。
それはそれとして、濁派である内信者の法名を清きお曼荼羅に記したのが問題で、誰がこのお曼荼羅を書し、授与したのか当然ながら調査が始まりました。
その調査で、春雄院なる法中が浮かび上がってきたのです。
その春雄院の弟子たちが、讃岐丸亀の流僧日堯が因州(鳥取県)の僧信者に与えた本尊に~
『「授与之因州法華行者内信心如法之清信士女者也」延宝九年衣更著上旬時正目図焉』と書されているのを根拠として、{春雄院が授与のお曼荼羅には正当性がある}と援護を始め出したのであった。
寺報第261号から転載