宗順が引き起こした此の騒動は、助七の弁明によって宗順の勘違いによる過失で、改悔と謝罪で終わるかに見えた。
ところが、助七が掲げていたお曼荼羅ご本尊を調べてみると、そういう問題ではなくなってきたのである。
何故ならそのお曼荼羅には講中の内信者六人の法名(戒名)が列記してあったからであった。
法中・法立は清派と呼ばれ、内信者は濁派と呼ばれる。不受不施派禁制の時代に於いて、人別帳にも載らず無宿者として不受不施の信仰を貫いているのが清派の者(僧・信者)たち。
内信者は不受不施を信仰しているものの表向きは他宗他派を装っているので濁っている。
なので、濁派という訳である。
そこには明確な一線が引かれ区別されていた。
清なるお曼荼羅に、濁派である内信者の法名を記すことは清濁混同、「とんでもないこと」だと大騒ぎになったのだ。
寺報第260号から転載