「内信者」略して「内信」と言うのですが、江戸時代に禁教となった不受不施派にとって大きな存在となりました。
教団としての体裁・組織はなくなったのですが不受派の僧侶、不受派の信者は残存していたのです。
ただ、宗門人別帳にも載らず言ってみれば無国籍人の不受僧・不受信者は社会から隔絶されてしまったので生きていくことさえ難しくなりました。
そんな彼らを精神的物質的に支えたのが内信者でありました。
内信者は他宗他派を装い、人別を受けて社会に留まったのです。
田畑を耕し、仕事をして経済活動を担い金銭を得、それを以て不受僧・不受信者を助けたのです。
不受不施派禁教時代の信仰形態を説明する時に、法中ー法立ー内信者という図式を用いることがあります。
法中というのは、不受不施僧のこと。
法立は世捨て人となった不受不施信者のことです。
不受僧と内信者との間には必ず不受信者(法立)が介在しました。
寺報第255号から転載