福田五人衆の殉教(3
日勢は四人の比丘尼の菩提を弔われた。
そして断食六十日も近づいた頃、日勢も最後の時を迎えようとしていた。
福田殉教悲史を物語る堅住坊日勢書置き(捨身捨書)なるものを日勢は書き遺し、この塚から北に一里半ほど下った池に入水自死したのであった。
お題目の刻印は後世に誰かがノミを加えて今の状態にしたらしいこと。
日勢は現在の御津建部の出。
二宮新兵衛の孫で十六歳の時に出家、断食入定は四十一歳でした。
四人の比丘尼については現在の御津建部町大田、田淵氏の墓地に比丘尼塚と呼ぶものがあり此の地に葬ったものと伝えられています。
妙意日現 三十四歳 断食四十八日
妙定日意 二十一歳 断食五十一日
妙現日定 二十二歳 断食五十四日
妙勢日須 四十二歳 断食五十六日
御津建部町の比丘尼塚は平成元年九月三日に先代日進師と松尾講社の方々がバスを使ってお参りに詣でた記録が残っています。
寺報第254号から転載