不受不施の話(93

寛文法難後(3

 矢田部六人衆の処刑(1)

 不受不施派が弾圧され、日講日浣が流罪となって禁教となって行く中で様々な悲劇が起きている。
 手元にある資料からその様相を伺わせる事件を見てみようと思う。
 「備前佐伯」は現在の岡山県和気郡和気町佐伯が舞台である。
 平成18年に和気町と合併するまで和気郡佐伯町であった。
 時は、日講が佐土原流罪となって2年目の寛文8年5月。

 不受不施派弾圧によって佐伯本久寺を追われた日閑は域内の矢田観音を祀った洞窟に仮の庵を結んでいた。
 日閑は、地域の内信者に守られながら精力的な説法を続けていたのである。
 田植えの季節となり、村人たちは一人残らず田んぼに出掛け、村はひっそりと静まっていた。
 庵で一人お勤めに励んでいた日閑は、ただならぬ足音にふと読経を止めた。
 と同時に、どっと役人が庵に雪崩込み、日閑を取り囲んだのである。
 日閑は『何事でござる』と声を発した。
 役人は『藩命により、ひっ捕らえに参った。
 お縄を頂戴せよ!』と。

寺報第248号から転載