不受不施の話(92

寛文法難後(2

 妙国寺について追記してみます。
 同じ名前のお寺が近畿にあるが、それとは別である。
 法難に遭ったのは、備前金川妙国寺の方である。

 史料によると、金川松田氏の菩提寺で備前と美作の法華寺院を統制していたという。
 「妙国」とは松田元成の法号(戒名に同じ)であり、元成の父・松田元澄の法号を寺号としたものに妙善寺がある。
 その妙国寺も寛文6年には末寺と共に廃寺となった。
 松田氏は法華宗にぞっこんで、それが高じて衰退したと言われてます。
 その後を受け継いだのが宇喜多氏でありました。
 ここ大安寺の北側に矢坂山というのがある。
 備中に対する前衛基地として宇喜多直家の弟・浮田忠家の山城があった。

 さて、池田光政が自分の点数を上げるため、幕府に忖度して寺院を廃寺に追い込んだという説もあるが神社も整理されているのを見ると仏教嫌いだけでもないようです。
 何にせよ弾圧されたのは間違いがなく、池田光政の圧政は、不受不施を信奉する強信者の抵抗で悲劇を生んで行くことになる。

寺報第247号から転載