日講、日浣は一緒に出頭した。
日浣を上座に日講は次に坐した。
裁定は予想通り「昨年から既に言い渡しているように、手形を出さぬ事は、上意違背の義に相成る。
繰り返して手形を出さぬ故に、遠所を申し渡す」と下った。
日講は「遠島を覚悟していたのだが、存外の軽罪に仰せ付けられた」と挨拶した。
日浣は「井戸水河水までも供養と言い、寺領もない寺であるのに詮議されるのは合点し難い」と返答したが、「寺領を下さると言っているのに、それを受けぬと言ってるのだから同じである」と捨て置かれた。
日講また、宗旨・宗義について述べ「この度のことは道理に合わぬ」としたが、甲斐守は「それには及ばず」と返すのみであった。
日講再三に述べるも、甲斐守は「日講、お前一人だけが宗義を見極めたとでも言うのか」と取り付く島もない。
此れには「埒が明かぬ」と、日講日浣は座を立ったのである。
そして両人は、預かり奉行へと引き立てられたのであった。
寺報第243号から転載