寺領を一旦取り上げ、それを再び差し出すからこれを受け取った証に朱印受領書を出すことは過去には形式的に行われた社会通念の事務的なものであった。
これを強いて供養として受け取れというものが迫害の第一弾である。
日本を支配した徳川幕府とその配下にある大名たちの領地の寺院寺領は幕府管理下にあるのだという主張だ。
その土地を今度は布施として差し出すから、受けとったら領収書を書いて出せという…。
幕府にとって、寺領を受け取ろうが受け取りを拒否されようが何ら痛くも痒くもない。
不受不施派にとっては大問題ではあるのだが。
もともと寺領として受け取ってなければ、朱印を求められる事もなく出す必要もなかった。
不受不施派はその部分で抵抗したのだが、ここに「土水供養令」なるものが発布されて窮地に追いやられることになる。
それは、人が行き交う道・自然の恵みである食物・飲料水・天地の万物草木はすべて領主のもの、領主に集約する。
領主はこれを改めて皆に供養として差し出す~とした。
寺報第239号から転載