不受不施の話(78

寛文法難(5

 寺院が所有する土地のすべてが総て御朱印受領の対象になった訳ではないと思う。
 幕府の管轄下にあるものと、大名から寄進された土地は対象となったろう。
 しかし、庶民や富豪からの寄進もあったろうからそれはまた別の問題となる。
 それ故、御朱印を出さないこと=幕府に立てつく者という烙印を押す必要があったのだ。

 不受不施派はその教義ゆえ受領できない、御朱印を出せないことを熟知していたのが身延受不施派である。
 手形・朱印を出さない・出せないことが寺領の返還に留まらず、違背の咎になるように策を練っていたのである。

 不受不施派は、決して幕府に立てついたり反政府運動を企んでいたのではない。
 反社会的な活動もしていないのである。
 自由な信仰、幕府から干渉を受けない信心を求めたに他ならないと思う。
 この騒動においては、我が派祖日講上人が調停活動に奔走していた。(破鳥鼠論・日講上人)
 圧力に屈して朱印を出す寺々も当然あった。
 不受不施を捨てなければ寺として存続できないかもしれないという苦悩があったのだ。

寺報第232号から転載