不受不施の話(73

対論の結末と(終

 『身延傘下となった寺々を退去した僧は人目を忍び、隠者のごとく遠慮して過ごすべきである。
 しかるに、彼らの庵室は余りに大き過ぎる』
 『彼らは死人に弔いの守り札を与えている。
 これは寺の住持だけが持つ特権である。
 彼等の行為は新たに寺院を設けたのと同じであり、禁止されている新寺建立の法に違反している』と身延は訴えた。

※死人に弔いの守り札=今の戒名を与え葬儀を出すこととほぼ同じ。
※住持=今でいえばお寺の代表者・住職のこと。

 一度発布された掟・法の徹底と厳守は為政者が常に望むところで、これなくしてはその権威を保つことが出来ない。
 末寺の出寺僧の行為は明らかに違反であると見た寺社奉行は、出寺僧を召集して次のように言い渡した。
 「汝等が居を構える庵は、何故にあのように広いのだ。
 分に過ぎた構えである。
 柱を切り、梁を狭くして小さな建物にすべきである」
 出寺僧がこれを守ったものか、以後は召集されていない。
 折しも戦さによる力の秩序から、道理による法の秩序に動き出した時代であった。
 その後も身延は幕府に対して不受不施派を幾度も訴えているのだが、およそ30年間目立った動きはなかった。

寺報第227号から転載