不受不施の話(69

対論の結末と(4

 4月1日池上方の負けの沙汰が下り同2日に日樹ら6人に申し渡された。
 日樹らは耳を疑ったかもしれないが、今さら抵抗する術はない。
 6人は同月5日に江戸を離れることになった。
 まぁ即執行というところである。
 『お万の方は身延から言えば護寺の女菩薩、不受不施から言えば混世の魔女か』と養珠院お万の方をうたった怨み節とも取れるものが残っている。

 池上本門寺をはじめ関東の主だった不受不施派の寺々は没収されて身延の配下にされた。
 当然、寺々に在居の僧たちや信者らはそのまま身延付きになるはずであった。
 ところがそうはならなかった。
 身延日遠が池上本門寺に入った時には僧たちは退去した後であり、信者たちの参詣もなく閑散としていたという。
 「本寺の下知はそむかざる様に手形を致させ、そのまま相違なく居置申すべく~」。
 背かないと約束するなら、今まで通りお寺に居てよい。
 『お前たちまでは処罰は及ばない。
 背かないなら今まで通りでよい』と通達するに及んでいる。

 一見、寛大な処置である。
 これなら、従来の行きがかりも自然に解消し、晴々として僧たちは元居た寺院に戻って来るであろうと思った。
 しかし、彼等が退去し参詣しないのは処罰を恐れたからではなかった。
 そのことを身延は分かっていなかったのである。

寺報第223号から転載