不受不施の話(62

身池対論(16

 対論の様子は、相当端折っていますが以上のようなものであった。
 頃合いを見て進行役の奉行から『本日のところは理非の沙汰はない』と言い渡された。
 双方、争点がハッキリしたこともあるが検証(工作?)が必要でもあり、出尽くしたところで討論を終わらせ、日にちを取ることにしたのかもしれない。
 そして最後に、三問三答の文書を交わすこととし、未明に討論終了が宣言された。
 そして、お互い礼儀をつくして退座し、それぞれ宿への帰路についたのである。
 手元の資料には、その三問三答の項目について記述がないが、討論の中にあった次の三点のことだろうと思われる。つまり、

 一.不受不施と受不施
 二.日奥の赦免(と、折り紙)
 三.寺領は仁恩か供養か

 この対論の記録については、不受不施派と受不施派の史料とではまったく反対の事を伝えている。
 いずれも自派の勝論を主張しているのだ。
 当時の対論を傍らで筆記した東武実録が最も公平で信頼されるものとされるが、これとて身延を「自」とし、池上を「他」として、しきりに「他」閉口と記している。
 史料が必ずしも真実を伝えているとは限らない一例である。

寺報第216号から転載