不受不施の話(59

身池対論(13

 『信施』だとか『仁恩』は専門用語なので少し説明をしておきます。
 『信施』は文字通り信仰における布施のこと。
 菩提寺への喜捨・寄付等と考えて良く、『仁恩』は「人道的に認められてしかるべきもの」と言えそうです。
 たとえば、国主・統治権力者が替わっても各宗派の寺領(不動産)は寺の既得として認められ、改めて承認や没収の対象になるようなことはない訳です。
 これを政道上の仁恩と云い、現代風に云えば、政権が変るごとに法人登記が必要になることはないということ。
 また、権力者の寄進は、それを受けることによって権力者の意に振り回されないよう気を付けなければならないことも指摘されています。
 「国主には不受不施を適用しないことにした」だけなら、純粋不受不施制が成立する前の状態に戻るだけであり、ある意味「復古」とも云えるのだが…。

 池上方の弁
 祖師以来、道理に合わぬ布施は受けておらず。
 何故、今になってこれを受けるべきであると身延は言うのか。
 それは、祖師の教えに背くものではないのか。
 また、直弟子の「日向記」にも寺領の件と信仰上の供養は異なるものであるとあり、寺領は世間の法であると論じられている。
 身延方は、国主の恩と三宝の恩が同じであるというのか!。
 仏教では「知 恩 報 恩」を説き、日蓮聖人も「四恩」を述べられ、その中で、寺領は国主の恩、供養は三宝の恩として明確に区別されているのある。

寺報第213号から転載