身延方の発言
もし、日奥の赦免によって不受不施が許可されたと云うならば、剥ぎ取られた袈裟を何故取り返さぬ。
また、身延以外の受不施の寺々を何故糾明しないのだ。
更に、およそ寺領は国主からの供養ではないか。
何故、これを受けぬのか。
大阪城対論の時、負けと宣告された日奥はその時、袈裟を剥ぎ取られた。
袈裟を剥ぎ取られるというのは、僧として屈辱的な仕打ちなのだ。
「その時の袈裟を何故に取り返さないのだ?」と身延方が問う。
池上方の返答
『赦免は日奥個人だけではなく、不受不施の法理の赦免でもある。
折り紙頂戴の上は、袈裟を取り返すまでもない。
不受不施の袈裟であると認められたからだ。』と返答している。
『身延以外の受不施の寺々は糾明しないのか?』については、
『不受不施の法理、既に諸寺にて用いられており、重ねて糾明には及ばず』と返答している。
千僧供養会における京都の寺々が出仕に傾き、一時的にせよ不受不施の不履行に陥ったのは事実であるが、日奥ご赦免帰洛の際、京都の寺々との間で悔い改め和解しているし、この度、折り紙を頂戴した時に、不受不施の制法を確認するよう諸寺には通達が回り、諸寺も不受不施制を確認した筈である。
(身延の息がかかった数カ寺を除いては…)。
さて、問題は「寺領は国主からの供養」と身延方が解釈(主張)し、それを受領している点である。
寺報第211号から転載