不受不施の話(56

身池対論(10

 池上方の返答
 「仏法怠慢あるべからず」といっても、諸宗によって仏法は様々である。
 我が宗の仏法は不受不施の制法である。
 すでに、不受不施は御赦免あって朱印をいただいている。
 何故、それをもって受施(受不施)も許されるとするのだ?

 各宗派に、仏法の精進研鑽の御朱印通達が出ていたことが覗われる。
 国主とは文字通り「国の主」である。
 江戸時代は全国に300ほどの藩があったそうだが「藩」は大名の領地という程度の意味であった。
 通常は、武蔵国とか吉備国というふうに、地方・地域を意味する呼び名が使われていたそうである。
 身延山は甲斐国に位置し、この時代は幕府直轄地であった。
 養珠院お万の支援も受けた。
 そして、寺領を拝して広大な境内を擁するようになる。
 この寺領を受けたことが不受不施制に障り、日奥や関東諸山から批難を浴びる一因となったのである。

 この場合「仏法怠慢あるべからず」の解釈を「藩主国主の申し出を断らず、寺領等の寄進は快く拝受する」と言い換えても良いかもしれない。
 藩主・国主には不受不施を適用せず、受不施を主張したのが身延・日乾たちである。
 これを「王侯除外の不受不施」と云う。
 一方、日奥や関東諸山は古来からの「王侯も除外しない不受不施」いわゆる純粋不受不施を主張した。

寺報第210号から転載