この対論の記録については、身延方・池上方、双方の資料があるが、お互い全く反対の史実を伝えている。
つまり、各々の勝論を記録しているのだ。
当時、対論の傍らで筆記した『東武実録』が最も信頼されるものと思われるが、これとて身延方に付いた内容であると宮崎英修教授は指摘している(大崎学報一〇八号)。
何故なら、将軍の検閲が通っており、裁決に不都合なことは記録されないか、脚色されるからである。
ただ、これらの資料のお陰で「身延と幕府との間に暗契があったのではないか?」という疑念が生じてくるのだ。
さて、対論の場に戻ろうと思う。
前号で「身延方閉口」つまり、押し黙ってしまったと。
しかし、対論はそれで終りではなく、窮した訳でもなく、次の議題に展開していく~ぐらいの意味合いに解釈した方がよさそうである。
身延方の発言
御朱印の文面には「仏法怠慢あるべからず」とある。
この朱印状とその折り紙と、権威はどちらが上であるか?
※朱印とは、幕府が発給する公的文書に押される朱色の印のこと。
将軍が、命令・承認などを目的とした公的文書に、朱色の印章を用いた。
言うまでもなく最も権威ある書状である。
手元の資料では、身延方の発言は短く、しかも、何故にこのような質問を池上方に仕掛けたのか良く分からない。
だが、これに対する池上方の返答を見ると、実はもっと長い文言で質問したのではないか? と推察される。
寺報第209号から転載