不受不施の話(54

身池対論(8

 池上方の返答
 対馬流罪となった日奥は元の京都妙覚寺に還えされた。
 それは、公儀違背の罪が許されたからである。
 しかも不受不施の制法については、それを公認する折り紙を賜うている。
 日奥が問われた罪は過去のこと。
 赦免されたのだから、それを問うのはお門違いである。
 最新の判例に依るのが世の恒である。

※注釈。
 つまり「日奥は今も罪人である」という身延方に反論したものである。

 身延方の追求
 不受不施の制法を公認したという折り紙のことは今回の事とは関係ない。

※注釈。
 不受不施を議題(問題)の外に追いやれば、池上・日樹らが身延を批判、謗法の山と言いふらし、お参りの停止を勧めていることは不当であり、言い掛かりであると主張できるのだが。

 池上方の反論
 折り紙は、まず不受不施の制法をあげ、ついで別段に諸々の布教活動の儀を認めてある。
 単なる布教活動の許しというのではない。

※注釈。
 日奥に問われた罪は「不受不施を唱えてお上の命に従わぬ」ものであったが、御赦免と折り紙の権威でチャラになったという主張である。

 ここで身延方「閉口」とある。

※注釈。
 「閉口」とは文字通り口を閉ざすということで、反論に窮した意味。
 ぐぅーの音も出ない状態。

 ◆雑学「文中の折り紙について
 文書の形式の一つ。
 横長の紙を横に二つ折りにしたもの。
 折り目を下にして、手紙や目録を書く。
 江戸時代は、鑑定書にも使われ「折り紙つき」という言葉が生まれた。
 今のような意味で使うようになったのは、昭和になってからだといわれている。

寺報第208号から転載