対論とは、論争する双方を一堂に呼び寄せ、直接対決を行って白黒を決めること。
現在の民事訴訟に似ているが、事は宗教的な対決であるので、その判定は、それなりの専門知識をもつ高僧・学者がその都度務めることになる。
対論の進行役は寺社奉行が担うが、公正・公平とは行かず透明性も有るとは言えない。
つまり、判定内容に権力者が介入するということは、時に有るということである。
今回は江戸城が対論場で、徳川三代将軍家光の時代。
老中酒井忠清の采配で設けられたこと。
身延日乾を擁護していたお万の方は、この十年前に没しているという背景も記憶に置いておくとよいと思われる。
お万という強い後ろ盾を失った身延ではあるが、当然、無策でこの対論に挑んだ訳ではないだろう。
勝負の判定者には天台宗から高僧四名、禅から一名。
立会い人として奉行が六名同座した。
身延方からは、身延久遠寺日乾・同久遠寺日遠・同久遠寺日暹・藻原妙光寺日東・玉沢妙法華寺日遵・貞松蓮永寺日長の六名。
池上方からは、池上本門寺日樹・中山法華経寺日賢・平賀本土寺日弘・小西檀林日領・碑文谷法華寺日進・中村檀林日充の六名が列座した。
池上方の首座であるはずの日奥の姿がここにないのは?
実は、この三週間後の三月十日に日奥は亡くなられているのである。
寺報第206号から転載