大まかに訴状の内容を見てきたが、全体として「日奥や日樹・関東の寺々が、いわれの無い身延山の悪口を公然と言いふらしている。
火のない所に煙を立てて騒ぎを起こし、民心を惑わしている不届き者である」ということを強調したものとなっている。
さて、これに対し池上本門寺日樹は、翌年寛永7年2月21日付にて、答書を奉行所に提出した。
身延が訴え出て約一年後である。
電子化文書を参照しながら意味を汲んでみたい。
『宗祖日蓮は、この世に生を受け出家して僧となり、国恩仏恩に報いるため法華経を弘通し、大小の難儀を凌いで一宗を立っす。
法華の文々によって、他宗の僧への施を止む。
他宗に施さずなれば、他宗からの施を止むのも道理なり。
この不受不施の法制は三百年にも及び、誰も異義をとなえる者なし。
然るに、日乾誤って新義を立て、他宗の施を受ける事を許し、宗旨の法理を破す。
このような事は未だかつて見た事も聞いた事も無い。
祖訓が雲に覆われ、宝玉が土に埋もれるに似たり。
宝物を益することなく、逆に人々を謗法の悪業へと結び、未来への苦果を呼び込む。
(中略)
日奥は、千僧供養の時かたく法制を守り、家康の命に従わずして流罪されるも御赦免を賜り、不受不施許認の折り紙を下されている。
以来、数度の供養ありしも当宗は免除されており、不受不施の法理顕然たり。』
寺報第204号から転載