歴史ある大寺院は、たいてい大火に遭っている。
そのまま廃寺になる場合もあるが力強く復興を遂げた寺院も多い。
池上本門寺も幾度となく、その歴史の中で伽藍を消失している。
現代でも火事は恐いもの。
そこから立ち上がるのは大変な事なのだ。
お万が具体的にどんな妨害をしたのかは分からない。
しかし、日樹にとって最も痛かったのは、肥後の加藤家に対してのものであったという。
ただ、加藤家のそれは、お万の策略だけではなかったようである。
しかし、日樹は激昂したのであった。
加藤清正の五女・八十姫はお万の長男・紀伊藩主の頼宣と縁組をし、その正室であったからお万と加藤家とは深い姻戚関係にあった。
清正亡き後も、池上本門寺と加藤家との関係は続いており、清正未亡人の正広院が池上の復興に協力することは当然のことであった。
それを、姻戚ゆえを以てお万が池上の復興に強力な妨害を加えようとは、日樹は思ってもいなかった。
寺報第198号から転載