当初、再建の予算は3・4千両で出来るだろうと日樹は考えていたようだが、工事に取りかかってみると材料の値上がりなどから1万両でもどうか…と案じられるほど費用が嵩んで行ったのである。
有力な外護者は、前田利家の側室で二代目利長・三代目利常の母である加賀の寿福院日栄や、先の大堂の建納者である加藤清正の妻・正広院、そして酒井家の息女たちであった。
しかし、強力な妨害者もいた。
その妨害者とは誰あろう養珠院お万である。
お万は、身延系諸寺を外護して堂塔を寄進すること百十数に及んだが、池上本門寺の大堂復興にあたっては強力に妨害したという。
池上の日樹が日頃から、お万が外護する身延山を非難・誹謗して世人の身延参詣を押し止めたり、あるいは尊崇してやまない日乾・日遠に対して悪口を放ったりしていたので、お万としてはいつも不愉快な思いを日樹に抱いていたからであった。
寺報第197号から転載