不受不施二派分派の由来-5(中川古鑑)
寛仁大度の慈悲を以て改悔御許容の所に一旦改悔の作法相勤候て又構表裏には彼等が天命の尽る処自縄自縛にて候智者之前の説経と哉覧にて候え共当分存当候故御工夫之助成にも可罷成歟と存申進しみなもと日指方之真俗世義に付覚照を強く悪み候故彼等初一念貴師を津寺贔屓と存入候に付無偏頗金言妙句を被仰候ても自己之情に引懸是も贔屓贔屓と存ずる物と令野察候止観に十界之心倶に初一念之発動大節なる旨所々に御示候流来生死之根源も初一念之迷倒より事発候段経論に照示今更存合せし儒書にては候え共列子に能喩を取候事忘念顛倒無実之よき潤色にて御座候或は斧の置所を忘れて折節仏家の者参候故此者必定盗み候よと存定候て彼隣人と詠め候えばつらつきより立居挙動まで斧ぬすみそうなる者相見え申候偖後に床の下より不慮に斧を見出して後に彼隣家の人を見候えば一身の内いくつにも斧盗みそうなる所無之様に相見え申候と書記し候初一念より起て所見の色相まで如翻掌令転変候此喩不生観之能教喩にて御座候然れば貴師へ改悔之義相済候て無偏頗実儀顕れ候わば貴師之起居動静迄無御贔屓処自然と可令露顕と存候且又嫉妬の女人夫を悪み候に別にあたるべきこと無之故夫の尊む所の法華経を◇候て夫に迷惑させ候にも相似たる様に存候覚照を悪み候より事発りて貴師本尊まてきき候顛倒令出来候然ば其根源を覧照被成候わばいよいよ憐愍を垂候はては不叶義と存候愚人の造悪をば童子之親を打に其親少も不腹立様に令観念候えば一念之残◇なかるべき旨聖教之明文感心不少候世間の習敵味方と成て弓箭兵杖亜相残害の義御座候ても扱なと入り致和融候得共本に復し候て何の隔心も無之様に成行候事眼前の義御座候致改悔候程にては如何成とも後日の逆心は有間敷事候一、日指方種々悪義之事被成御示候是に彼等に在ては浅間敷作業にて候え共貴師に在ては畢竟小事にて御座候大行不顧細僅道理に候えば御堪忍尤に存候不軽◇の杖木瓦石の難を御凌ぎ一念の瞋恚も無之義存合候えば悪口罵詈の分は堪忍易成事与存候罵詈虚緞の観念は勧持品文句記に委曲御座候條定而可為御熟覧候学大乗者雖有肉眼名為仏眼の掟に候えば後心の作法をも初心より学候筈にて候初心◇観智解の分計にて行跡に構わぬ義にては有間敷候されば衣坐空の三軌名字観行に直候事大師の高判祖師の炳誡にて候凡夫の浅◇さ時に当ての義は非理順理の噴恚難停止候え共長時の工夫を廻し候わば如何様之仏心も似せられ候わんと存事に候本尊の日典上人奥師へ御遺誡の古記を見候えば典師は始は上総之藻原に住職被成其後妙覚寺御上洛候時身延の日叙聖人より道中へ使僧を御出し被成典師へ内異見御加被成候其趣は大地之貫主に御成候事大三段の工夫御座候一には見ざる二には聞かざる三には云わざる也三ヶ條朝夕無御失念寺家旦那の内種々の事を申候とも少しも御聞入被成間敷候此外に一大事の工夫御座候夫は思わざるにて候無住の草紙にも有之事に候えども秘事は◇と哉覧に而目前の事も厳密の工夫無之候ては会得難成候故日叙上人別而教示被成候事と存事に候それ故歟典師御在寺内種々堪忍被成にくき事御座候共少しもさわりなく後には寺家旦那働の如く被偈仰備作三ヶ国典師の時よりこそ別て本寺へ信伏申候其節妙覚寺の寺家に円大坊(住善院日定之祖父師匠)智徳院(是阿仏房日◇祖父師匠)亦玉泉院と申平僧是三人典師へ分明に相背候御入院之始め本堂の朝経に御出被成典師看経の終に達成就仏身と磬き御打候時円大坊手拍子にて又仏身と大声にて申候えば玉泉院相図にてえいとなとはやし候由され共典師少しも色目に御出し不被成候円大坊智徳院は京都諸寺抜群之学者にて殊に後藤一家狩野一旦那にて候故彼者取除候えば寺の大なる衰微と思召候御覚悟故御堪忍被成常の者の分別ならば入院の初加様の不礼不沙汰に致し候えば已後の法度も難成候間急度可申付抔と噴り可申を挌と越たる深重の御道念にて御座候左様の者も後には自然と智徳行徳にて感心深く候て帰依渇仰申故首尾能諸堂備作万部の終迄御興行被成快く御臨終被成候永々敷昔物語にて候え共悪口罵詈の義少しも御残念無之様にと存如此に候加様之時分は結句順魔の御用心専一に御座候御為に成候様にて偏情を以て何角と妨候事は曽て御取上被成間敷候是は右の指図之義彼等領掌の上の申分にて御座候若失判の指図合点不申改悔の義異義申候えば内々如申渡候此方よりも弥所可為世出不通候條何の相談も無之事に候今迄一左右無之事は大方貴師御推量之通にて御座候わん歟若彼等左様の表裏相構候其日了は野僧より申達候通に相違は有間敷様に存候兎角備前よりの一左右次第早き便宜に可申進候若右之指図無相違彼方相調候わば必々貴師も右之趣に被成改悔の義御許容偏に所庶幾に御座候濁法へ本尊授与等の義は別紙に認進之候毎事猶期後便候恐惶謹言 丑八月朔日 日講 日相貴師 一、御本尊之事日堯書中の御評定遂一得其意候野僧工夫共大体令符合一段之義に存候乍去日堯の義に准して一途申立候わば本尊授与は常の法施と替わり常には他宗並一宗の濁法は不授不事通途之掟にて御座候されば祖師も一谷入道へ法華経御約束被成御渡かね候趣録内三十五一谷抄にも相見え候然ば尋常之格式を以て難し来候わば本尊授与の師へ妨難可来候其故は珍敷新法を濁法へ本尊を令授与候故末々迄紛らわしくなり拝不拝与同不与同の異義相起こり候えば根本を能勘わば其誤本尊授与の所へ可帰候本尊を遣候は体の如く拝不拝等の異論は用分の上の僉議にて候えば与同の機嫌戒は能授の師へ懸かり可申歟候内心清浄の義も隠密の事に候えば世上の人は不存候故仮判を以て他宗受不施同前に可存候に付不同の機嫌戒難遁候此機嫌戒を不顧法滅の砌止事を不得して内心清浄の者を摂取現末の実益を令得事に候喩は孟子に所謂魚は我所欲也熊之掌亦我所欲也二者不可得兼合魚而取熊掌者也生も亦我所欲也義も亦我所欲也二者不可得兼合生而取義者也生亦我所欲也有甚於生者故不為苟得也死亦我所悪也所悪有甚於死者故患有所不僻也と云えるが如くに候然に日堯師は内心清浄の方を実義と御取り三宝の御照鑑の辺を詮に被成候故仮判の義をば世間一旦の方便と御心得にて不◇拝の義不苦と御申歟古来も神主山伏社人等の家業を勤め他宗勧請の仏神を取持候え共それをば世間渡世の方便にて不苦の心入を以て法義通用本尊授与の例も御座候又此三界を世間にて梵王魔王の所領と申乃至国主は其身所領と被存候え共実義は釈尊の所領と致得心候勝手内心清浄の方を実義と被成納得候歟仮判のものは半清半濁両楹の間踟躊して半清の辺にては信者の摂属半濁の辺にては謗者とも被申候故志の虚実を以て分別被成信者摂属の辺強き様に被成工夫候右の趣向に成り来候歟され共是は畢竟難勢来工夫未練の所に御座候故可然義とは難申候されども本尊授与新法出来の手初の事候得ば互に談合をも尽くさず衆議決断をも不致内々の事なれば面々の思入相違の分齊にて候故両類一緒の授与書御座候ても謗罪と迄は究難かるべき歟其内に此事難為軽罪他宗受不等の与同の例を以て此両類不混乱様に心得候衆は能格式に相当り候然は今迄の混乱授与の分は未制以前故不苦の義に存候一向無沙汰にて唯此以後不拝不与同の義を格式に致し度所存に候仏出世の後阿含十二年の内後六年の間に戒法の義は相定り候此已前は縦破戒の者御座候ても戒法未制已前の事に候故擯出等の義も無之候先年受不施異論之時御書の中に謗施を御請候様なる御文体御座候祖師未制已前之御筆跡其池上の樹師は被成会通候奥師抔の義とは替わり候え共◇一節も可有之由先哲之評議にて候今般の義も此格式に准て無事に治申度存候加様に未制已前の潤色を加え候事三ヶ條の心入有之故に候 一日堯師無二の道念にて内々法義を随分大節に被成候処に今度の義は誠に駿馬の一蹴にて候此一ヶ條之工夫に不足を以て僅付事無本意義存候有大功者不挙細瑕之名言難遊候其上にも不拝義を被募候わば可為僻事候えども是は自身の思入にて衆義決断も無之時の事にて無程遷化に候故極定の義とは難申候野呂日観池上の大坊住職の時寺を御捨兼日遠池上◇入院の時迄在時にて日遠へも礼儀を御勤候え共其後大坊を御出候えば別の改悔にも不及諸聖も通用野呂への請待も候き是も法義大功の時亦具身大人にて候故用捨有之儀と令野察候是奥師御在寺の時本満寺とは不通に被成候え共諸寺とは法義通用千部万部の時も互往復御座候◇かも其諸寺本満寺とは通用にて候き是は理不尽の義にて奥師誘引すきたる様に人々は存候え共奥師の御存念は諸一同の相談にて不受不施継目の御折紙頂戴被成候上は諸寺一流の筈にて候然る処に本満寺は日乾在住にて受不の邪義内心不改養珠院殿への書中に不覚悟の義共書遣候を三浦長州より奥師へ被懸御目候故本満寺とは被成不通候若住も替わり左様の邪義も止候えばと思召諸寺へは本満寺と不通被成候え共不被仰渡候事深重の御道念にて御座候其後寛永六年身延池上の法難発り候て則身延池上より京の諸寺へ回状参候時妙覚寺の外立本寺日英項妙寺日遵を除候ては皆身延の回状◇致連判候其時こそ諸寺◇使僧を御立候而向後世出不通と被仰渡候其外奥師御一代の内四五ヶ條も誘引之義御座候え共長文に及候故令略候人々悪敷心得候えば大旨を不顧唯其身を立破に致し外聞を思候様なる勝手に成行さらなるもの御座候 二には如此未決定の義を以日堯を謗法に致落居候えば最早纔の法灯の内或は両派に別れ候か或は領聖与同之妨難可有之様に存候故小事を以て大義を破り候事如何敷存候 三には此義無事に不治候ては日本国中一派信者法義に猶予の心を生ずべく候其故は加様に惣滅に臨て祖師の立義を堅く相守流聖密塞等の巨難にも取逢候歟と存候えば亦此義区別に成行候事兎角宗義不治定事と相見え候或は我慢偏執にて申張候哉覧などと狐疑を生ずる基にて候殊に如御存知江戸も二派に分かれ如何様成行候わんも難計候所又々此義?合世何角と公私の評判候者兎角法灯無甲斐無分別者の名を取り他門の笑種不可過之と存候然ば未制已前之義を以て貴師日堯の間をも無事に治候えば日堯も誤無之向後不拝不与同の格式を定むる上は永代貴師の御存念の通に罷成候條其段能々御思惟可被成候則日堯因州へ授与の本尊立賢への直筆之書状並春雄院より助七等へ授与の本尊も向後の為と存候て野僧所に留置候先日日了へも書中にて申達候内々堯師万端に付野僧指図次第に可被成趣にて候つれば只今御存生にて野僧より右之趣談合申候わば異義も有間敷事に存候えば没後とても如此料簡申候事堯師も結句可為満足と存候旨申遣候き 一、如来意今度之僉議は同座不同座の義にて御座候此同座不同座の義は先年浣師へ誰も相尋候時不同座可然由被仰候に付自然諸人も左様に心得来たり候由近き頃了閑物語にて◇◇候勿論去年両方其元へ御呼上せ候時覚體剿ウ相違致改悔候えば春雄院本尊の義は其分にて御指置候御覚悟に御座候処に使者不致改悔引破り候故春雄院本尊の事迄穿鑿被成候次第に成来候貴師より春雄院への書中に貴院御本尊の義少思慮候所も可有之歟と存候乍去さして妨碍に成候事は有之間敷候と被仰遺候御文体其上貴師御落居の書物の内にも春雄院老僧にて衆且も思付候により誘引被成候御尤之義と存候此度日堯之事は春雄院と相似ざる法灯一分の人にて候えば弥無沙汰の御分別御尤に存候後日に人々聞伝候ても貴師一旦御書出し処をも大義の破立を被思召無事に御済候事深重之御道念と少も智慧ある者は殊勝に可存候さて貴師御落居之書物を始終御提に被成候わば一旦貴師へ随遂の者は前後も不顧気味能様に可存候え共大義の破れ候増上縁と相成候事結句如何敷存候羊僧野俗の悪口の車匿をば被成黙擯可為存事候 又日了は講師の五月十九日付書翰を拝読し講師の配慮を大に悦んで同年八月左の返翰を差出した 五月十九日の御尊翰六月初に到来再三奉拝上候 一、最前は覚驩@一派之義に付御六ヶ敷事共申進候処に御懇に御料簡被遊早々尊書給誠に以て不浅忝奉存候然ば両人の者共対顔の義遠慮に思召候段御尤に存候え共無御慈悲御助被成下候段両人の者に許改悔御経頂戴仕法灯違背罪障懺悔の一札仕生々世々難有忝奉存候誠以難有義何とも可申上様も無御座候乍憚私に御礼を被仰上可被下候と申候 一、覚驩@並一派の真俗御料簡被遊候通私意見仕候わば如何にも諸事奉仕上意領掌可申上由にて御座候合点仕候誠に久敷義に御座候処に尊師の御懇に御料簡被遊候ゆえ早速領掌仕偏に御厚恩難申宜忝奉存候覚驩@義も御両尊師様御料簡の上は何角と私義申立候事憚多奉存候間万端御請可申由に御座候領掌能仕候可安御心候委細に可申上候処に野子病気故遅り無心元思召候半と存早々申上候扱又日相へも二三日中に書札を遣わし申候 一、覚驩@方へ改悔の御本尊被遣被入御念候 一、春雄院御本尊日堯因州へ授与の本尊と同じ趣にて信謗同一の授与書にて候事無紛候然ば春雄院を謗法と落居候えば堯師へも難題懸かり候扱日相より此方へも無談合春雄院の本尊謗法と被致落居候事も理不尽の儀と存候本尊師の御料簡にて堯師にも疵不付様に被成亦日相の落居の一筋をも無妨碍様に料簡被遊候義感入申候扱又相談の上にて後代迄の格式を定置度料簡の大旨御懇に被仰越候是は又結構なる事難申宜候委細に可申上候え共急便に御座候故乍恐令略候如何にも別紙の通合点仕候此方の一義相済候て重て可被仰越之段御尤に奉存候殊に亦拝不拝与同不与同の義も面々心入にて分別替わり申事無余義御座候と被仰下候段一々領掌仕候 一、右の日堯日相の両義只今法滅の時に候えば法義繁昌の時とは少違目も可有之候え共則宗家強弱の二義に相当り候妙覚寺九ヶ條の法式の次に異体同心者繁栄の洪基於立破者思強弱と御座候えば一宗大義の外少々の破立候時分必強弱の分別可有之事に候され共宝正年中一宗通同の格式に日蓮宗の法義難有強弱以強為正と御座候えば既に両義に分かれ候上は法灯の批判には強き方に随い候が本意にて可有之候此文言深重の義殊勝難有感歎仕候委細は重て可申上候恐惶謹言 八月二十二日 日了 判 日講尊師 貴答 かくて日指の覚驩@は日講上人の扱いといい日了の勧めもあり、旁々同年八月十四日付にて法灯違背私立制法寺の左の改悔状を認め、江田源七を使として日講上人に謝罪した。 一礼之事 一、御本尊奉頂戴去年已来法灯違背私立制法等の罪障改悔仕候上は向後万端の義可尊師の御指図者也依為後日一札如件 貞享二乙丑年八月十四日 覚驕@判 日講上人様 依て日講上人は覚驍フ志を嘉みし即ち日指方真俗惣代として本柳院及び市良太夫の両人を早速上京せしめて日相上人へ改悔すべき旨命ぜられた。 然るに日指方は日相上人に対して尚悪口誹謗しつつあったから岡山の日相上人の信者より容易に改悔を赦されぬよう相師に申告した。 この間相師と講師の間に左の書面を往復せらる。 貞享二乙丑九月十三日日相師より講師への御返書 八朔の貴翰到来忝候先以貴体愈御不安被成御座候由大悦不浅拙子無恙罷在候 一、本尊拝不拝之義且日堯師宗順心底御察の義に仏法繁昌の時誤ては致謗法人に不授与本尊之事は古来相定る格式に候爾に今時濁法の輩に与本尊とは不同文常へ法施を施すも各別の義と云云仏法繁昌の時謗法の者に与本尊候えば彼に随順する義然則呵責謗法の失勝利能授の師に与同罪可掛候法滅の時濁法の輩に致授与本尊信心令増進は有得無失候得ば仏法繁昌の時を為定掟今法滅の時を可難義不可有之存候但仮判内証の義余人不知上然ば与同機嫌の咎能授之師に可掛の難是又先に如呈其施不受納則於宗義無妨碍候故尋常以法施救迷類候と可為一例存事に候難然強て機嫌掛師の難は会通令同貴師候 一、一谷入道へ元祖法華経を御渡し被成候事入道元来他宗其上無受法仁に候仮判濁法の人は従来法華今亦内証信仰輩に候えば是亦同入道可難義と不存候 一、船守弥三郎阿仏房夫妻奉供物事可為謗施の来難以阿含未制戒の義会通可事既に十二年の内最初四ヶ年間若随有破戒の輩無擯出事は未制已前の義に候えば無擯出義尤可也以此義受謗施の来難可致会通義如何思召候哉大聖佐州御赦免其年既に被成御隠居候然ば高祖御弘通の間は謗施未制也不受の制戒は御入山已後に始ると申候ては会通難立候歟所詮奥師尊師の義可然存候 一、日堯御本尊可拝之義に付救助被成候時阿含未制戒の義を以て被仰給事は尤得其意令存候難示堯師本尊可拝之工夫は連日の思案尤随分の義と令野察候然は御教誡に被成候共改転不改転の義難計定令存候是に付ても逝去悲歎残心令存候殊更日堯師の悲招謗法耶可悲難之一句是併浄侶一流に通じ誹謗の文言と存候兼又一派信仰の真俗等能文証に意得写令所持候わば永々迄愚俗迷惑の基と歎し令存候難然貴師大旨三ヶ條の御儀には一堯師無二の道念法義随分大節に被成候処に今度之儀は誠に駿馬の一蹴乃至有大功者不挙細疵義二如此未決定の小罪を以日堯を謗法に致落居候えば最早纔の法灯之中両派に分かれ或余聖与同の妨難如何しく三流罪密塞巨難被逢候得共法義区別に成行候事兎角宗義不治定歟或は我慢偏執にて申張哉覧の狐疑を生ずる基と云云 右三ヶ條の趣道理致至極賢慮銘肝候然上は就是非御指図次第に可仕候但以来堯師之文証尋候時黙示候わば其人弥可為疑網申聞候時は違兼約申候段如何思召候哉 ※原本がガリ刷りのため、かすれて文字が判別できない部分は一文字につき◇マークを1つ記しています。 |