萬代亀鏡録附録

梅花鶯囀記-3(日念上人)

客人のいわく、段々仰せらるる所一々納得致し候。
日乾一人の分別を以て仏勅を破り祖師大菩薩に背き奉ることおそろしき大悪人なり。
かくの如く日乾を破責し給うこと彼の行義弘通の趣を以て日乾を破り給うや。
但し日乾の筆跡に祖師大菩薩の御法度を破りたる証拠これありや。
委しく御物語り候え。

亭主のいわく、日乾筆跡これ有り、能々聞き給うべし。
日乾の破奥記にいわく、法華宗として他宗の供養を受けざることは祖師以来三百余年の法度なり。
我等も法度をば破りたり。
然りと雖も謗法とならず。
弘法の第三戯論、法然の捨閉閣抛等なり。
我等はかくの如く謗法なく昼夜に法華経を読誦しいかでか無間に落ちんや。云云

日奥宗義制法論にこれを破していわく、法度を破ることは自ら白状せり。
元祖弘法法然を以て謗法と破し、所詮は釈尊の法度を破る故なり。
釈尊は法華を以て最第一と定め、弘法はこの法度を背き第三と下す。
釈尊は法華を以て要当説真実と定め、弘法はこの法度をそむき戯論の法と笑う。
釈尊は法華を以て無一不成仏と定む。
法然はこの法度をそむき千中無一と破し、捨閉閣抛の四字を以て法華を捨てしむ。

天台のいわく、謗は背なり。
法度を背くほか別に謗法なし。
いかでか無間に堕ちざらんや。云云

また日乾のいわく、法華宗として他宗の供養を受けざる事は当宗三百余年法度なれば、おなじく受けざる事法度を守る義なればよろしき事なれば妨難なけれども、国主一人に於いてはこの国のあるじなれば辞退成りがたし。
この故に一人の供養をば受くべしと。云云

この趣を見れば今の国主は三世常住の主と覚ゆるなり。
人間の大王と生まるは十善戒を中品にたもてるもの国主に生まると見えたり。
この果報は一世ぎりの事なり。
「妻子珍宝及王位臨命終時不随者」の文は大集経の文。
国主もこの世にて善根を修し給わば未来の悟道もあるべし。
邪法を信じ給わば未来は三悪道の古郷へかえり給うべし。
さあらば一世ぎりの国主にしたがいて未来永々の堕獄を思わざる事大愚痴の至りなり。
これ皆現身苦痛堪忍なりがたき故に受くる所の謗法なり。
然らば日乾の心は渡世一辺の覚悟と見えたり。
渡世一辺ならば商売耕作等を勤めて渡世の業となさば罪もあるまじ。
なまじいに出家の身となりて元祖九年の行法の霊地をけがし、三世常住、三徳有縁の釈尊にそむきその身堕獄するのみならず、大勢の人を導きてだごくせしむるは何事ぞや。
種々御振る舞い御書にいわく、わずかの小島の主等がおどさんにおそれて閻魔王の責めをば如何すべき。云云

この御文体の趣を各々よくよく御納得候え。
僅かの小島の主と遊ばせるはその時の国主最明寺時ョ公をさし給えるなり。
これは一世ぎりの国主なる故にこの国主に背き三世常住の国主釈尊にしたがい給わん事なり。
これ日乾の義とは天地の相違なり。
さればかかる難儀の出来たらん時は不惜身命を立てて仏祖の制戒を守り法華経の説相に叶いてこそ法華経の行者と云うべけれ。
日乾は経意をそむき制戒を破りてしかも法華経の行者と名乗るものなれば仏法の中の大賊なり。
日乾の如く難儀の時は経文組判を破り勝手に法を立つる時は法華宗にあらず、日乾宗と云うものなり。
各々あんじても御覧ぜよ、如何なる愚痴の人か。
これ日乾の法度を破る証拠なり。
いかに昼夜法華経を読誦すというとも仏勅の法度を背く者は皆無間におつべしと知るべし。
総じて末法に生まれる者は本未有善の機なれば大を嫌い小に執して遠々劫より以来謗法悪業の雲に包まれ正法を嫌う者なれば、本化の菩薩出世して折伏の逆風を以て衆生の悪業煩悩の雲を吹きはらい、驚動せしめ瞋恚を生ぜしめ、未来成仏の種を植えしめ給う時なり。
彼法華誹謗によって地獄にはおつれども、折伏の逆風と衆生の具する所の仏性と一性成る故に早く地獄を出でて仏道へ引入し給わん為ばかりなり。

妙楽大師は人の地にけつまずいてたおれたるもの地をおさえて起くるが如しと釈し給えり。
薩芸芬陀利経にいわく、法華をそしり地獄におつるもの三世の諸仏の供養する功徳に過ぎたりと。云云
妙楽大師の釈の心と同じ。

客人のいわく、日乾の法義を破られたることは紛れなく承り候。
さて只今の時節も真言禅宗等の出家の中に法華経を昼夜読誦せらるる人を申す。
これらも成仏の縁と成り候や。

亭主のいわく、当世を見るに真実に法華経を読誦する人多し。
然れども成仏の縁とは成るべからず。
本宗を捨てて一向に法華に入らずんば成仏すべからず。
御書にこの事をあそばせり。

金珠女抄にいわく、たとえば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬せんが如しと。云云
修羅は帝釈の敵なり。
この御書に修羅をば諸宗の元祖にたとえ給う。
帝釈をば釈尊にたとえ給えり。
諸宗の元祖は法華経を信ぜず、その宗に入るものは皆その祖師を尊むものなり。
法華経を謗ずる祖師を尊みながら法華経を読む時は釈尊いかでかそのせつを受け給わんや。

昔祖師の時清澄山に円智坊という学匠あり。
如来一体の成仏の経は法華経に限れりというて五十年の間毎日法華経二部ずつ読誦しその功三万余部に及べり。
また三年の間清澄山大堂に於いて一字三礼の法華経を書写す。
その時の人仏の如く尊ぶ。
元祖大ぼさつこれを破責し給いていわく、念仏者より無間地獄の底におつべしと。
円智坊たちまちに白癩の病を得て無間地獄の相をあらわして死せり。
これは真言弘法の宗旨をたもちながら法華経を読誦せし罪なり。
今の諸宗の中に法華経を読誦する人もかくの如し。
本宗の謗法を改悔せざれば毒と薬と交えて害をなすこと甚だしきが如し。

客人のいわく、今時の受不施の出家のいわく、他宗の施を受くる事は此方は法華の行者なればこの受くる施物を縁として他宗を救うこと利益広大なり。
結句は受けざるは利益を忘れたる無慈悲なりといわるるいかん。
この事は我等も道理と存ずるなり。
法華経の行者を供養して諸々の有難き功徳を得たるを伝記にものせたり、御説法にも承る事なり。
それに付き祖師を最明寺時ョ公佐渡の島より帰参仰せ付けられ候ことは、或る夜最明寺殿の御枕元にて大音声をもって佐渡に在る日蓮坊かえせと三度迄呼ばわりしに驚き給いて俄に帰参を仰せ付けられたり。
龍の口にて御首を切らんとし給いし時は江の島より光り物来たりて奉公人もおどろき、御殿も光り物来たりて驚かし、依智にては明星梅の木へ下り給う。
これらの奇特を御覧じ日蓮は凡人にてはあらずと思し召し、始めより信仰成されし仏禅師、良観上人等の大智徳の人をさし置いて日蓮上人へ天下の御祈祷を御頼み、愛染堂の別当になされ一千町の寺領を御寄進なさるべきのよし執権平左衛門頼綱を以て仰せらるる事はなかば御帰伏と見えたり。
然るを御受けなされず、諸宗の僧の頸をきりて由井が浜にさらし給わば御祈祷になるべしと仰せられ、その供養を御受けなされざるは方便を忘れ余りきびしき御事と存ずる。
その供養を受け給わば御一門の大名よりも御馳走なされ門徒も繁昌すべきに余りつよき御事なりと存ずる。
但しこの事も道理これ有る事にて候や。

亭主のいわく、各々申さるる如くなかばは御帰伏のように見えたれども御受け成されざる事子細これ有り。
最明寺殿はじたい禅宗信仰にて仏光禅師を仏の如くうやまい、そのほか諸宗の大智徳の衆をも信仰なされ候によって御受けなされざるなり。
上にも引く御書の如く修羅王を尊敬するもの帝釈を尊敬する時帝釈受け給わざるが如く、本宗を捨て給わざるが故に受け給わざるなり。
しかるを今時の受不施の僧如何に智徳ありとも祖師大菩薩には及ぶべからず。
その上他宗の施を受くればまず仏法の法度を背く故その身堕地獄の罪をつくれば、他宗を救う事はさておきその身仏祖の敵となれば鵜の真似をする烏の如く、祖師大菩薩を蔑如する大高慢のことばかり今時の出家この事をさかんに申しふらして諸人をまどわし、供養を受け用いければ出家も俗も共に入阿鼻獄となる。
いたわしき事なり。

客人のいわく、また受不施の僧の中に少し心ある人のいわく、少し道理を背いても昼夜法華経を読誦せば遠縁とはなるべしと申す人あり。
この遠縁と申す事はいかようの事にて候や。
申さるる事道理に叶い候や。

亭主のいわく、遠縁ということは義に背き法華経を読む時はまず地獄に入り、無量劫も責められてその後地獄を出でたる時昔読誦の御経の功徳あらわれて得道する事なり。
これも地獄にある時かくの如く苦痛を受くる如きは正道に背きたる咎によりて受くることなり。
改悔懺悔の心起こりたらば人間に来たりて正道に入れば得道も有るべし。
もし改悔の心生ぜずんば何時を限りともなく三悪道に流転せば遠縁ともなるべからず。
大愚痴なるかな。
如何に地獄数奇成りとも劫数を経て地獄の火坑に焼燃せられてその後楽しみを求めんよりはこの生の命終わって順次生に得道するこそ本意なれ。
かかる娑婆の老少不定衆苦充満の世界を楽しみて地獄に堕つるをも知りながら正道に背くは何事ぞや。
よくよく御分別あるべし。
たとえ富貴の身となるとも百歳迄の命をば保つべからず。
老少不定の世界なれば不慮に重病を受けんをも知らず。
身の堅固なる内に早く心をも改め正道に入るこそ誠の道なれ。
何の為に我慢を立て悪しきを知りながら正道に背くは何の因果ぞや。

客人のいわく、世間を見るに法華経説法の時一向の他宗来たって受法する者あり。
この人は受不施の訳をも知らず。
ただ法華経の有難き事を聞き得て受法する者なり。
これらも得道あるべしや。

亭主のいわく、得道有るべからず。
その故はこの説法人の弁舌を聞いてこの出家を仏の如く思い受法すればこの説法の師と共に流転すべきなり。
この説法の人の内心に邪義をふくめるを知らざる故なり。
たとえば平親王将門未だ謀叛の企てを人知らざる時将門に奉公する者の如し。
内心に謀叛の企てありとは知らざる故なり。
彼の企てあらわれて官軍に向かいたる時その軍勢皆誅罰せらるるが如し。
これも後に懺悔の心おこらば得道あるべきものなり。

客人のいわく、段々仰せらるる通り最もと存じ候。
それにつき受不施不受不施と別れたること如何なる故有っての事にて候や。
世間の出家に尋ねても何れもこの事存じたる人なし。
何れも昔より有るように思うなり。
詳しく御物語り候え。