梅花鶯囀記(日念上人)
山城の国或在所に庄屋つとめたる男鬢白におよんで隠居し、子供に世を譲りて本家を一町ばかり去りて茅屋をしつらい、浮雲軒と名付けて隠居せり。地勢を見るに南は大いにはれて前に清き小川流れたり。 北は高山あって北風をふせぎ、西は林有って夕日を覆い、東は森あって朝日をかくせり。 南に築山をかまえ梅桜松を植えたり。 心よかるべき栖舎なり。 時々法華経を読みて煙草茶を友とし、ひとり心をすまして世話をのがれたり。 その村中に多く隠居あって寄り合い申しけるは、庄屋の隠居こそ誠の隠居なれ。 我等の隠居は世話まじり正体なきありさま仏神の前も恥ずかしく、今日は日も長閑になり、いざやつれだち酒もたせて彼の隠居を見舞わんとて、赤飯、煮染めなどととのえ彼の隠居へぞ見舞ける。 亭主見て喜び、何れも奇特の御出かな、われらもさびしく居たりけるに物語申さん、いざこれへと招ずれば、客人のいわく、今日は日も長閑に候えば御見舞の為に参り候。 御庭の梅も盛りの由御酒一つすすめ我等も賞翫し申さんとて盃を出し、持参の物取りそろい盃も数献廻りける。 客人いうようは、今日参る事少し望みこれあり。 御存知の通り我々も隠居し候えどもいたづらに日を送り貴翁のていたらくを見るに朝夕御経を読誦なされ、唯ひとり御心をすまされ候事うらやましくはんべり、貴翁は庭訓大学なども御読みなされ、諸々の説法御すきにて折々御聞き候えば定めて御覚えもあるべし。 所斑に御物語成され我等が心をも仏道の方へ御引き入れ下され候えかし。 只今梅の花を見れば多くの鶯飛び来たり囀り候。 諸鳥のさえずりは正体もなく候に、鶯ばかりこそありありと法華経の三字をさえずり候事、いかようゆえ有る鳥やらん。 彼の声を聞いて法華経の事を尋ね奉らんと心の起こり候も彼の鶯の声より起こり候えば、仏菩薩の我等が心を起こさんために変化なされ候かとありがたくあやしまれ候。 それにつき法華経を経王と申し候事、人の申すにまかせ我等も経王と申し候えども、経王の子細いかようなる事に候や、この事を御物語候え。 亭主のいわく、何れもよき御心付きにて候。 仰せの通り鶯の囀り候によって御心の付ける目出度き瑞相にて候。 御経にも「於無量国中乃至名字不可得聞」と説かせ給えば、生々を経て無量の国の中に生まれても法華経の三字をだにも聞くことかたし、成仏得脱の御経なるゆえなり。 然るに今鶯の声に誘引せられて御心のつき候は有りがたき事なれば、この鶯をば仏菩薩の御説法と観じたまえ。 それに付き経王の事を御尋ね候。 まず隠居の心持ちを申し、その次に経王の事を申すべし。 まず隠居と申す事は、娑婆の役をすぎて仕舞いたるを隠居と申し候ぞ。 心をしずめて聞き給え。 各々我等も土民耕作の家より出でたり。 若き時より鋤鍬をとりて働き、牛馬をつかい候には心ならず虫をふみころし、切り殺し、或いは野鼠土竜なんどの害をなすものをばわざと打ち殺し、子供をはぐくみ、家内を養い、家を立て候にはあくとして作らぬ事もなし。 殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貪欲、瞋恚、愚痴、これを十悪と申し候。 これを身にあてて御覧ぜよ作らぬ罪はなし。 この十悪は皆地獄へ堕ちる罪なりと御説法にも承り候。 この上に五逆罪という罪あり。 父をころし、母を殺す等のつみなり。 この罪を作れば無間地獄におちて一中劫の間責められ候とあり。 されどもこの五逆をつくるもの今の世に稀なり。 またこの上に謗法罪あり。 これは小乗経を守り法華経を誹謗する罪なり。 この罪をつくれば無間地獄におちて千万劫もせめらるると有り、恐るべきはこの地獄なり。 各々愚痴なりというとも信心さえつよければ不退の位にのぼらんこと疑いなし。 無智なりとも卑下すべからず。 心なききりぎりす御経の声を聞いて忽ち出家と生まれ、また出家を呑まんとうかがいし大蛇御経の声を聞いて出家と生まれたる事あり。 いかに各々愚痴なりともきりぎりす、大蛇には劣るまじ。 いかに博学大才成りとも法華経に背きなば地獄に入るべし。 総じて隠居して世話をするに三つの損あり。 世話をせざれば三つの徳あり。 三つの損を云わば、第一に隠居して世話をやく時はその身の後世を忘れ、土仏の水遊びのように我が身の損ずるをば忘れ、臨終迄かせぎて後世をねがわざれば、人間に生まれたる甲斐もなし。 三悪道の古郷へかえらん事大愚痴の至りなり。 古歌に、 いつまでかあけぬくれぬといとまなん身はかぎりあることはつきせず とよめり。 老人のいう事は若き人の気に合わず、何程かせぎてもいわれざる事をせんよりは、似合いたる看経して居られよかしというものなり。 また世話するは子供の罪となるなり。 臨終迄下人同然に親をつかい後世のささわりを招ずれば、子供の罪となりて果報もつき、親子共に悪道にしずむは大愚痴の至りなり。 |