愍諭盲破記:5(日念上人)
報じていわく、その体不同なしと会すれども、濁法所持の本尊は色汚るる故に徳用を半月に喩うと云えば本尊の上に半月満月勝劣歴然としてあり。それを不同なしと云わば眼前の偽りなり。 さほどに謗法汚穢にくもりたる本尊を清派の人に勧めて拝せしむるはいかなる魔心ぞや。 清派の人の手を引いて沸?へ引き落とすに非ずや。 濁法は仮判の曇りを晴らさん為施主を立つるに依って仮判の曇りを晴らすことあたわず。 施主を立てて曇りを晴らさば清派と何の異なりあるや。 雲晴れざる故に眼前清濁の異なりあり。 心を静めて案ぜよ。 また能破に仏慧比丘が威儀に劣れりと云えるを他書に会していわく、今の濁法は清法勧進に依っていよいよ信心を増し、仮判の罪障消滅の志深重なり。 何ぞ仏慧比丘が威儀に劣ると云うやと。 云云 報じていわく、能破の義は直ちに堯了を破す、濁法のことには非ず。 これ仏慧比丘は瘡のかゆきに依って瘡を火にあぶる等のわざをなせり。 その様体を見て修行者のする事なれば定んで修行の法なるべしと思いて種々の外道の威儀起これり。 仏慧比丘はその種々の威儀を起こさんと思う心はなし。 今の堯了の勧めは濁法所持の汚穢の本尊を清派の人に勧めて礼拝せしむれば、清派の人もその教えを受けて同行同拝の雑乱の悪をなすを、仏慧比丘が威儀に劣れりと云う義なり。 此方より悪を勧むるは仏慧比丘が威儀に劣れる義なり。 また能破に堯了状の内外清浄、外濁内浄これ程分け立て有り。 本尊は同事なる故に分かつべからずとある文を挙げていわく、この義なれば清派濁派の本尊共に十五満月に喩えたる義なり。 上の月は喩えは堯了の義にはあらじ。 もし堯了の義ならば自立廃忘なりと破せり。 今他書の会通を見ればこの月の喩えも正しく堯了の口より出でたりと云えり。 しからば堯了に自語相違の過失あり。 その故は清派濁派人には不同あり、本尊は同事と云えり。 これ清濁二派の本尊十五満月に喩うる義に非ざれば同事とは云うべからず。 清派濁派の人に不同あるように本尊にも清濁の異あらば同事にはあらず。 月の喩えに至っては清派所持の本尊は満月の如し、濁派所持の本尊は半月の如しと云えり。 この時は清濁の人にも不同あり、本尊にも半満の不同を立てたり。 これ法体と譬喩と自語相違せり。 また他書にいわく、日堯師清派の者濁法の本尊を拝不の義を日講へ尋ね玉うは道念深重の故なり。 その子細は一派流聖の義なれば異義致さざる様に思し召され申し遣わすにあらずや。 濁法の本尊拝しても苦しからざる義委細申し遣わされ候えば、日講返答に貴師の義ごもっともに存じ候。 今総滅の時分に候えば十分の改悔は希有にこれあるべく候條、内証の方を摂取致し一人ずつも帰伏せしめ候義然るべき様に存じ候と日堯存生の時たしかに返状しながら、遷化なればとて今忽ちに妄語を構え謗法と違返するは如何なる聖人ぞや。 しかも我は君子などと過言し玉うと聞く。 結構なる聖人君子かな。 誠に君子は二言なしと聞く。 聖人は正法を得る故に聖人と云う。 悪心我慢依怙贔屓を本意とす。 これも断りなるかな、今悪世五濁の有名無実の聖人なるぞや。 是一 日講誠に謗法と思い定め玉わば日堯師へ返状の時直ちにその義謗法になるべしと申し達し玉わば、日堯日了は道念深きが故に謗法になるならばその義を停止成さるべし。 またいよいよ謗法にならざる義に候わば日講へ書付の通りを以てその道理を糺し玉うべし。 是二 日講その時より謗法と合点しながら?諛を以てもっともと答え玉わば、その罰大いに日講に帰す。 是三 両聖は総滅の時分法義を一大事と思し召し、何とぞ諸人の信心も増進し、未来も得道せしめたく思し召し、五里十里の渡海ならず、百五六十里の渡海を彼方の義と此方の義と一処に弘め玉わん為に申し遣わすに、底心には謗法と思いながら返状には計略に貴師の義ごもっともとの玉うはいよいよ日講内に悪義を巧み玉うにあらずや。 是四 但し日講も返状に委曲申さるれば、法立として内信の本尊を拝して苦しからず、謗法に成らざる義は日講も能く合点し玉うと見えたり。 然るに一派の内異義あるにつき彼方より頻あり、此方には道理にまかせその上日堯日了は御遷化なれば、死人に口なしを以て凡僧なれば今は妄語を構えて却って両聖を謗法と破さるるは、志ある人は日講は悪鬼入其心の経文に叶い玉うか、誠に正直の法華経の行者か能く能く案じ玉え。 是五 已上他書 報じていわく、先年日堯より日講へ問訊ありし事を挙げて事々しく破言を加えたり。これ子細知らざる故に実に本尊拝不拝の事を日講より決定せられたるように書きなせり。 今その興起を示すべし。 貞亨二年日指津寺異義起こり、日指方は日相師の下知に随わず二派に分かれ正体無くなりて後、日了よりのこの和睦あつかいの事を日講へ懇望ありし時たがいに書状の往復あり。 今その状を引いて知らしむ。 貞亨二年乙丑五月日講より日了へ送らるる状にいわく、 去去年御両所より野僧への状に拝不拝の儀問訊の砌総滅の時に候故常と格をかえ拝し候いても苦しかるまじきかの由申し進らせ候。 是ははやその元より苦しかるまじき由仰せ越され候いて以後の尋ねに候えば、法滅の砌殊に小事に付いて異義に罷り成り候もいかがわしく存じ候故、人により密かに拝しても苦しかるまじきかの趣を以て一途申し進らせ候。 その上了遠施物を御返し有るべき強義に付き、此方よりは弱の辺を以て誘引の義申し進らせ候時の事にて候えばこの本尊拝不拝の義も暫く弱の辺に随い候いて、法滅の時に候えば拝も苦しかるまじきかと申し候。 勿論各々内証心得の為に種々通屈共野僧存じ寄りの通り申し進らせ候。 他宗に希に本尊授与の義も法滅の時に候故、別途を以て法施を許し、ともに末代の為の義に候えばこれも押し出し苦しからずと披露申す程の事にては有るまじく候。 尋常法義繁昌の時に候えば一派の内少し濁り候いてもその者には義絶して本尊をも与えず彼に改悔の儀を勧め、且つまた一人を罰して大勢の手本に仕る厳戒にて候。 然るに今法滅の時故外濁内浄の者に別途を以て本尊授与せしめ候義勢いにて他宗へも希には苦しかるまじきかの旨次手ながら申し進らせ候。 それ故その時の状にも万端内証示し合わせ、後代までの支証に成り候様に格式を定め置き申したき所存に候間少しも覆蔵無く御内談ごもっともに存じ候と書き進らし候。 内談の内の事にて候えば未決定の事もこれ有るべく候條能く能く御心得専一に存じ候。 されども信謗与同致し同行仕り候いては金石迷いやすく候わんか。 その上筆跡に顕す混同の授与はもっとも遠慮有るべき事に候。 委曲別紙の如く候。 恐惶謹言。 五月十九日 日講 在御判 日了貴師 尚以てもし日指方改悔の儀相調わず候えば永く二にわかれ、彼方も我に成り候いて日堯共に謗法などと申し立て候えば大事に候條、随分改悔の儀御異見専一に存じ候。 本尊も始めより苦しからずと題を出す義にてはこれ無く候。 未制以前なる故に面々の思い入れ不同の分にては謗法には成り申すまじくを救い申す程の事に候。 尋常一味の時にて候えば斯様の少事は相談の上にて弱の辺へ随いても強の辺へ随いても妨碍なき事に候えども、既に異義に成り候上は寛正年中一宗通同の法式の如く強義為正の格宗旨の大法にて候故その段背き難く候。 殊に信謗雑乱の授与並びに同音の勤等は十人に八人は結句不審を立て候者これ有るべき様に存じ候。 然れば行々謗法の増上縁にも罷り成るべく候條、この義相済み候わば向後は授与書も信謗格別に致し、不拝の義を格式と定むべき覚悟に候。 已上 また日講よりの別紙にいわく、 一、本尊の事、日相よりは春雄院の本尊謗法に落居されその元堯師因州へ授与の本尊とその義をわけ、堯師の本尊は濁法ばかりへの授与に候條混乱有るまじき由決帰候えども、この度両人(逢沢清九郎・井上三右衛門)持参の立賢へ遣わされ候堯師の書中を見申し候えば、春雄院のと同じ趣にて信謗同一の授与書にて候事紛れ無く候。 然れば春雄院を謗法と落居候えば師へも難題懸かり候。 さて日相より此方へも談合無く春雄院の本尊謗法と落居致され候事も理不尽と存じ候。 それに就いて野僧才覚にて堯師にも疵付けざる様に致し、また日相の落居の一筋をも妨碍無き様に料簡せしめ、さて相談の上にて後代までの格式を定め置きたく候。 その料簡の大旨は天下総滅の儀祖師以来ついにこれ無き事に候故今度別義を以て内心清浄の族不惜身命をも立てず、しかも心は不受不施にてこれ有る一類を憐愍せしむる故本尊を押し並べて授与せしむる新義出来候。 本尊授与新義なれば拝、不拝、与同、不与同の義も面々の心入れにて分別替わり候事余義無き事に候。 堯師は内心清浄の方を詮に御取り候いて仮判の義を方便と御心得候故拝しても苦しからずの料簡出来申し候。 また日相は外相仮判の不浄の義を定規として与同謗法と落居致され候。 されども是は一分一分の思い入れにて衆議判の儀にてもこれ無き格式未制以前の儀に候えば何れも妨碍有るまじく候。 然れば向後は一向清法と内浄外染の者と別段に定め置きたく候。 譬えを以て申し候わば一向清法の所感の本尊は満月体用円満なるが如く、外染内浄の者所持の本尊は半ばくもり候如く、一向他宗新古の受不施に渡し候えば体は改まらず候えども光用は一向にかくれたる如くにて候。 既に半清半濁の者に候えば本尊も半ばかくれ候いて一向清法の本尊の力用にはその隔てこれ有るべき義に存じ候えば、各別の筈に落居申し候わば一向清法も気味悪しき狐疑これ無く、半濁の者も分齋相当の所感の本尊の応用を蒙るべき事に候えば面々利益これ有る上に信謗混乱の疑惑これ無く候條この義に治定致すべき覚悟に候。 一、もし常途の格式を以て難を加え候わば濁法へ本尊授与の師へ与同罪の妨難来たるべく候。 その故は珍しき新法を出し濁法へ本尊授与せしめ候故末々に至って拝、不拝、与同、不与同の異義発りまちまちに分かれ候えば、与同の根本は能く勘え候に本尊授与の処にこれ有るべし。 本尊を遣わすは体の如く、拝不拝等の異論は用の上の僉議にて候えば功帰する処能授の人に懸かり申すべしと強難来たり候わんか。 然れども上に申す如く法滅の砌故止む事を得ず慈悲の余りこの譏嫌を顧みず、内心清浄の者を摂取して現未の実益を得せしむる義に候えば、本尊授与苦しからざる義に罷り成るべく候。 その上是は一度本尊を渡し候いて二度此方より彼等と法義与同の事これ無く、施物をも堅く受けず候えば妨碍これ無く候。 その上彼等本尊頂戴の時一旦改悔の験ともなり、後々もこの本尊に向かって随懺の作法を勤め候えば滅罪生善の妙術にて候。 拝不拝の義は用の上とは申しながら拝を許し同行与同の作法を致させ候えば、公儀より法義宥免これ無き内は子孫の代までも信謗混同の妨碍相残り候故、向後は信謗一列の授与の義を停止せしめ不拝の義を以て定め置きたく候えば、後代にての諸人の疑惑これ無く、その上人々の心持ちも潔白に御座有るべく候。 一、右の日堯日相の両義只今法滅の時に候えば法義繁昌の時とは少し違目もこれ有るべく候えども、則ち宗家強弱の二義に相当たり候。 妙覚寺九箇條の法式に異体同心は繁栄の洪基、立破に於いては強弱を思えと御座候えば、一宗大義のほか少々の破立の時分は必ず強弱の分別これ有るべき事に候。 されども寛正年中一宗通用の格式に、日蓮宗の法義強弱有りと雖も強を以て正と為すと御座候えば、既に両義に分かれ候上は法灯の批判には強き方に随い候が本意にてこれ有るべく候。 この砌もし強いて拝の義を募り候えば異義に成り候いて諸人疑惑の基に候。 その上弱の義を申し立て候わば権実雑乱の潤色に成るべき様に存じ候えば法滅の時にても一向清浄の徒少分にても世上にこれ有る内は信謗混乱せざる様に掟を定め候事仏祖の本意に契当申すべき様に存じ候。 然れば野僧非器の身たりと雖も時に当たって法灯の一分に候えば、この義を興行せしめ貴師並びに日相も野僧と相談の趣にて向後不拝不与同の義を正義に定め置き申したく候。 この義相調い候わば行々江戸日庭日養へも申し通じ都鄙一同の格式に成り候様に念願せしむる事に候。 然れば堯師の料簡も御存生にて野僧よりその趣談合申し候わば異義あるまじき事に存じ候えば、歿後とてもかくの如き料簡申し候事日堯も結句満足たるべしと存じ候。 さて日相の落居をも未制以前の義にて春雄院の本尊も謗法に成らざる義に致し、和融させ申すべしと存じ候。 この段道理遮難など勘え短章一篇したため置き候。 堯師の書面一々の難も試みに会通せしめ候。 これはこの談合調い候いて以後御目に懸くべく候。 貴師もいよいよ右の旨御同心に候や、日相へもその趣申し遣わし返書待ち入るの由申し越し候。 この落居に致し候わねば、当世の嘲弄後代の瑕瑾になり候事必然の儀に候間、能く能く御工夫成さるべく候。 已上 五月十九日 日講 在判 日了貴師 同年丑八月二十二日の日付にて了師より返翰到来す。 その状にいわく、 五月十九日の御尊翰六月初め到来再三拝上し奉り候。 一、覚驩@並びに一派の真俗御料簡遊ばされ候通り私異見仕り候わば如何にも諸事上意に任せ奉り領掌申し上ぐべき由にて御座候合点仕り候。 誠に久しき儀に御座候処に尊師御懇ろに御料簡遊ばされ候故早速領掌仕り、偏に御厚恩申し宣べ難く忝なく存じ奉り候。 覚驩@儀も御両尊師様の御料簡の上は何かと私義申し立て候事憚り多く存じ奉り候間、万端御請け申すべき由にて御座候。 能く領掌仕り候間御心安かるべく候。 委細に申し上ぐべく候処に野子病気故遅り心元無く思し召し候わんと存じ早々申し上げ候。 さてまた日相へも二三日中に書札遣わし申すべく候。 覚驩@方へ改悔の御本尊遣わされ御念入られ候。 一、春雄院御本尊日堯因州へ授与の本尊と同じ趣にて信謗同一の授与書にて候事紛れ無く候。 然れば春雄院を謗法と落居候えば堯師へも難題懸かり候。 さて日相より此方へも談合無く春雄院本尊謗法と落居致され候事も理不尽の儀と存じ候。 尊師御料簡にて堯師にも疵付けざる様に成され、また日相の落居の一筋をも妨碍無き様に料簡遊ばされ候儀感じ入り申し候。 さてまた相談の上にて後代までの格式を定め置きたき料簡の大旨御懇ろに仰せ越され候。 これはまた別にして結構なる事申し宣べ難く候。 委細に申し上ぐべく候えども急便に御座候故恐れながら略せしめ候。 いかにも別紙の通り合点仕り候。 此方の一義相済み候いて重ねて仰せ越さるべきの段ごもっともに存じ奉り候。 殊にまた拝不拝与同不与同の義も面面心入れにて分別替わり申す事余義無き事と仰せ下され候段一々領掌仕り候。 一、右の日相日堯の両義唯今法滅の時に候えば法繁昌の時とは少し違目もこれ有るべく候えども、則ち宗家強弱の二義に相当たり候。 妙覚寺九箇條の法式の次に異体同心は繁栄の洪基、立破に於いては強弱と思えと御座候えば、一宗大義のほか少々破立の時分は強弱の分別これ有るべき事に候。 されども寛正年中一宗通同の格式に、日蓮宗の法義強弱有りと雖も強を以て正と為すと御座候えば、既に両義に分かれ候上は法灯の批判には強き方に随い候が本意にてこれ有るべく候。 この文言深重の儀殊勝有難く感歎仕り候。 委細は重ねて申し上ぐべく候。 恐惶謹言 八月二十二日 日了 判 日講尊師貴答 已上 この両聖の書面を能々見るべし。 日講の状に去去年とあるは天和三亥年、堯師逝去の前年なり。 この時の問訊も決定して同拝同行の義広く弘通せんとの事にも非ず内証にての問訊なり。 広く弘通の覚悟ならば、それがしは同拝を内信の者へ弘通すべし。 貴師もそれがしと異義にならざるように弘通なさるべしとあるべき事なり。 この故に日講の状にも内談の内の事にて候えば未決定の事もこれ有り候とあり、また日講の状に、法滅の砌小事に付き異義になるもいかがわしく存ずる故に人により密かに拝しても苦しかるまじきかと云えり。 押し出して広く弘通の義には非ず。 内談にて弱の義を問訊し玉える一筋の事なり。 互いに広く内信の者へ弘めんとならば重慮憶度あるべし。 その上この時は了遠よりの施物を堯師は返すべしとの相談なり。 講師はこの施物を返せば述師に疵つく義なる故、たとい了遠に過失あるとも述師に疵つけば大事なる故に弱の辺に依って受納然るべしと異見ある時なり。 故に同拝の弱の義の問訊をも一往時に当たってもっともに候と書かれたる趣なり。 この時は一味懇志の内なれば互いに隔意なく、いかなる事にても内談ありし時なり。 この故に日講の状にも万端内証示し合わせ後代までの支証に成り候様に格式を定め置きたく候間少しも覆蔵なく御内談もっともに存じ候とあり、これはいかなる義にても受けこして格式を立つる時決定して可否を料簡し弁明せんとの存念なる故に、内証問訊の時は広く弘めんと云う義にあらざれば未決定の返答あるべき義なり。 また他書に堯了より日講問訊の時謗法と知りながら?諛してもっともに候と返答し、後に謗法と決帰あるは心底邪念を巧める故なりと云えり。 報じていわく、堯了より問訊の弱の義往古にもかようの事有りて異義に及びたる証拠もあらば早速この義無用なりと返答あるべし。 勿論堯師も智者なれば往古に先蹤有りて悪しき事ならば建立もあるまじき事なれども、元祖以来ついにこれなき法滅の砌なれば、人々の得意各別にて弱の辺時に相応して宜しかるべしとの心得にて建立し玉えり。 その時は一味和順にて何事も起きざる時なれば直ちに謗法と見えざるなり。 既に浣師より養真への御返書にも謗法にはならざれども脇よりの見分け悪し、指し留むべしと仰せられたり。 これも事起きざる時なればかくの如く御返答あり。 日講の早速謗法と申されざるも同じ事なり。 何れも末法名字即の凡夫なれば住上の菩薩の如く鑑機三昧はなし。 後に至って異義起こりて日指方一同に堯了義に徒党して両派と成って嫉謗せし時こそ堯了建立の弱の義破法罪の洪基となれる過失露顕せり。 日講何ぞ心底に邪念を含みて謗法と知りながら?諛して堯了を塗炭へ落として笑わんと思う巧みあらんや。 堯了もこの弱の義を思い立ち玉う始めには何心もなく法滅の時なれば弱の辺の弘通今時相応すべしとばかりの分別にて、後々強弱の異義出来せば破法して二派にならんかの志慮はなし。 日堯逝去の後異義と成りて二派に分かれ嫉謗する事日了も満足にてはあるまじ。 これに依って日講よりの状に両派と成りて異義に及ぶ時は法灯の批判には強き方に随い候が本意にてこれ有るべく候と書き送られたれば、日了よりの返状に深重の儀殊勝有難く感歎仕り候との返答なれば日了もかくの如く異義に及びたる時は強の義一段殊勝なりと納得領掌なり。 されども日了後に至って一の迷いより起こって日講と分かれたり。 一の迷いとは日雅日堯の二幅の本尊を不拝とありしに驚動の迷謬あり。 この事は末に弁ずるが如し。 日講の心底に?諛も邪心も我慢もなし。 汝事の始終を考えざるが故に偏頗の心を以て見るに依って恨みを日講に結ぶるはもっともの事なり。 また堯了ばかり道念深きにあらず、謫戮の難を顧みず身命を抛ち玉える流聖何れ勝劣あらんや。 道念なき僧侶はことごとく堕落し、或いは遁辞を構えたり。 また他書に日堯日了遷化なれば死人に口なき故に今は妄語を構えて堯了を謗法と破せらるるは悪鬼入其身なりと破斥せり。 報じていわく、日堯は貞亨元甲子二月逝去なれども日了は存生にて日講と書状往復あり。 上に引くが如し。 その中日了の返書にいわく、春雄院の本尊日堯因州へ授与の本尊と同じ趣にて信謗同一の授与書紛れ無く、さたまた相談の上にて後代までの格式を定め置きたき料簡の大旨御懇ろに仰せ越され候。 これはまた別して結構なる事申し宣べ難く候と。 云云 この日了の返状の趣きは不拝不与同の義信仰の筆跡紛れなく、しからば日堯建立の同拝の勧め、清濁一列の授与書不信仰にてこの勧めの停止を好む義なれば、日了の心は強の義の教化納得領掌なり。 |