愍諭盲破記:4(日念上人)
何ほど施主に目掛けてもその本人は謗法穢濁の人なり。清派と相対するに内外共に位に高下あり。 同行はならぬ位なり。 仏在世の大乗小乗の人位を分かちて大小列座せざることを制法論に挙げ玉えり。 今の清派濁派も全く同じ事なり。 この故に同行するは甚だ非にして自他共に罪を犯すなり。 また堯了師同行同拝の教化建立は堯師逝去の前の年なり。 その以前は述、浣、講等と同じく一轍の弘化なり。 堯了師この義を思い立つはまず思慮あるべき事なり。 一には法滅の時の法灯の首頂述師この弘化なし。 浣師また同じく始経無用なり指し留めよと仰せあり。 講、相、庭、養等この弘通なし。 右の衆と相違するは如何と。 二には自身も延宝三年の有松氏への返書の趣と云い、配所以来今までの弘化顛倒し、いにしえの弘化は泡沫に同ずる妨げは如何と、九思はさておきせめて一思はあるべき事なり。 無念無分別大楚忽の至りなり。 また日講より破斥せらるる旨趣は一には先哲の強義為正の義を本懐として、法滅の時にても先聖の格式を少しも乱さぬ意なり。 儒道孔孟の聖賢の掟も一揆なり。 尺を枉げて尋を直くすることをば堅く誡め玉えり。 乱楽先に駈けて真道後に啓くとは天台の語なり。 儒教は仏法の初門なり、否と云うべからず。 堯了何ぞ尺を枉げて尋を直くせんとするや。 堯了の義は尺を枉げたる故に尋も枉れり。 何ぞ顧みざるや。 二には同行同拝は権実雑乱に近きが故に。 三には日指方一同に堯了義に阿党して一味清浄の法中二に分かれ、互いに嫉謗して破法罪を犯すこと源堯了建立の同行同拝の義より起これる故に、重慮憶度して破斥せられたり。 しかるを日講の義顛倒無分別と云わば堯了は盲跛陥井の人なり。 もっとも哀愍すべし。 また日指方覚驩@等も改悔のあつかい破れて相師と不通になり、?●辛苦の砌に堯了の同拝の書出でたる故に、立腹の紛れの能き見方出来たりとや思われけん、先聖の制誡も当時法灯述浣の掟をも打ち忘れ、思慮分別もなく先年春雄院と一同して宗順を呵責せし旨趣をも忘失して同行同拝の異徒の深坑に陥入せられたり。 哀れとも云うばかりなし。 また春雄院日雅は不意に本尊を書き誤り玉えども、日雅の心底は堯了の如く同行同拝の義は全くこれ無し。 然る処に日雅は早く逝去あり。 その後堯師因州看経講の本尊露顕し、追いついて堯了の同拝書出でたる故に覚驩@等堯了の同行同拝の義に与力して、日雅の心底も堯了の義と同轍のように云いなし、無理やりに堯了の義に押しこめたり。 日雅の心底冥途にての怨み思いやられて痛わしきことなり。 日雅存命ならば両派にはなるまじきに、魔障の故に早く逝去ありてついに両派と成りて互いに嫉謗に及ぶこと悲歎限りなし。 また能化の方よりは強の義を立てても弱の義を立てても濁法の罪体は減りも増しもすべからず。 結句は仮判の謗罪を暫くの方便などとたのもしく云う時は、濁法の罪体は軽きように思う人もあるべければ、却って贔屓の引き倒しになるべきなり。 また同行同拝の教えを信仰する者の心には述浣二師も堯了の如く弘通し玉わば利益も広大にして、濁派の信心も増心すべきに残念なることなり。 述浣二師も堯了の智慧には及ばざるか、時節の至らざるかと思うべければ、先聖を軽賎する咎を犯すなり。 また堯了を信ずる者も述浣の本尊をば礼拝をなすなるべし。 されども弘通の異轍の処に心を付けざるは不審なり。 また述浣二師と日講とは弘化の筋目一轍なり。 述浣もし御存命ならば堯了を破斥あるべきとこ必定なり。 この妨げをばいかが思えるや。 また他書に蓮花の喩えを挙げて、濁派は蓮花の泥中に在りながら少しも泥に染められざるが如く、謗法に交われども謗法に染めらるることこれ無しと云えり。 諭していわく、今の濁法は心より起こって外相謗法の淤泥に穢る。 心より起こるとは妻子家財に深く悋着し、後世の事をば二三分とし今生の事をば七八分として後世を今世に思い替えたる故に他門法敵の奴僕となれり。 内外共に仏祖の炳誡に背けり。 かくの如きの謗人を謗法に染められずと云うは、車を横に推し、茂か籬をさかさまに引くが如くなる会釈なり。 謗法に染められずんば清派と何の異なりあるや。 一笑すべし。 不軽菩薩を軽毀せし人現に信伏随従せしも、先謗の重き故に二百億劫常に仏にあわず、法を聞かず、僧を見ず、千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受くと説き玉い、顕謗法抄には懺悔せる謗法すら五逆罪に千倍せりと誡め玉えり。 今の濁法は彼の不軽軽毀の人ほどこそなからめ、随分許して千分の一分を蒙りても恐ろしき事なるを、謗法に交われども謗法に染められずと云うは仏祖に違背せる悪鬼入其身の教化なり。 恐るべし、恐るべし。 一、他書これより下に堯了状並びに日講の能破を段々に逐うて委しく挙げおわって能破の義を破斥せり。 今返答には堯了状をばつぶさに挙げ、能破をば要を取って挙げ、他書の義を評論す。 堯了状第一段にいわく、当時流僧は不受の随一なり。 礼法を云わば国方は両師の義に相違す、定んで道理有るべし。 これを尋ね究めてその上に取捨候わんと申さるべし。 何ぞ直に国の法式を信敬し、此方の義を軽賎するや。 これ礼法を知らざる謬なり。 已上堯了状 この書は天和三癸亥の年日堯の弟子立賢へ送られたる状なり。 その翌年貞亨元年甲子二月十日に日堯逝去、その後日指津寺法義矛盾に就いてこの書露顕せり。 一、他書にこの堯了状を註解していわく、立賢より国方は濁法の本尊を法立として拝せず、また法立として濁法の始経導師を致さずと云う。 ここに日堯師は国方と云うを自然と国の風儀と御心得玉うと見えたり。 その子細は当時の流僧は不受の随一なりと有り。 さては知らぬ諸聖の流僧も濁法の内に不受を尊敬し、その上に施主を立つるに依って遣わす本尊並びに施主と内信を目掛け本尊を拝し、または始経導師は何れも相違あるまじきと得意し玉う。 さるに依って国方の風儀を信敬して此方の義を軽賎するやと。 此方の義とは諸聖の流僧の事なるべし。 これまた礼法を知らざる者なりと破し玉う。 已上他書 評していわく、この註解非なり。 国方とは日講の能破に云える如く備州の事なり。 立賢は備前備中を徘徊して修行せる出家なり。 中国述、浣、講、相の教化弘まりて清派少しも雑乱の行儀なきことを知れる故に堯了の教化異義なる故不審に思えり。 殊に日堯の弟子なる故に堯了の御言は一言にても大事なり。 国方の義と相違す、まず披露あるまじと抑え置きたる由を祐甫と云う人堯了へもの語りせられし故に、この状を遣わして立賢を呵責ありしなり。 また他書に堯了の意を推量していわく、諸聖の流僧も施主と内信を目掛けて礼拝し始経導師する事何れも相違あるまじと心得玉うと云えること、我が勝手に合わせたる曲会通なり。 もし述浣同行同拝を許して先年より濁法の衆もその風儀に成り来たりてあらば、立賢何ぞ国方の風儀に相違すと云いて抑え置かんや。 述浣の弘化同行同拝せず、その風儀中国に流布してある処へ堯了の同拝の書到来するに依って何れも聞いて驚動せんと思うが故に披露せざる義なり。 堯了状の此方の二字を述、浣、講へわたして見るは大いなる誤りなり。 述、浣、講もし先年より同行同拝を許し玉わばその事何ぞ堯了の耳に達せざらんや。 これ堯了の新義なる故に立賢の不審もっともの義なり。 これ故に日講の能破に堯了新義を建立して愚俗を勧誘すと破せり。 また傍若無人とも破斥せり。 法灯の首長述師この弘通なし。 浣師また指し留めよと誡め玉えり。 然る処に堯了弘通あるは、述浣の義を用いざる傍若無人の建立にあらずや。 一、堯了状第二段にいわく、内心清浄の方へ遣わす御本尊拝せずと云う事、これを拝すれば謗法となる故に拝せざるか。 また能持の人濁法なれば御本尊も濁り不浄なる故に拝せざるか。 もし謗法と成ると云わば授与の僧も謗法人なるべし。 何ぞこれを難ぜずただ御本尊を難ずるや。 謗法と成る御本尊何ぞこれを口入れして所望し遣わすや。 已上 この段日講の能破に略して三條を挙げて破斥す。 一には人法一致の格に背く。 まず濁法の人内に信心あれども外相他宗に同じ。 所感の本尊何ぞ内外清浄の所持と同じからんや。 もし人に清濁あれども本尊の功力は等しと云わば忽ち人法乖角の失を招く。 二には四句の立法に違す。 四句とは、一には内浄外染、二には内染外浄、三には内外倶浄、四には内外倶染なり。 第一の内浄外染と第三の内外倶浄と分明に格別なり。 もし混同せば四句を知らざるの失なり。 三には吾宗本色心の中には色を以て正と為す。 事理の中には事を以て要と為すの約束に背く失なり。 然るに内心に目掛けて清濁を混同するは台家の万法一如に執して凡聖を混乱する過に同じ。 また日乾等の会通に他宗にても内に信仰の寸心きざし改悔の微志催すが故に供養を受けても妨げなしと云う邪義に同ずる失なり。 また授与の僧も謗法なるべし等と云えるは不覚の義なり。 法滅に望んで慈悲心に住し捨邪帰正の縁となさんと欲して授与す。 一たび授与して以後彼と与同せず施物をも受けざれば授与の僧に混乱の失なく所感の人に莫大の益あり等。 已上取意 他書にこの能破の人法一致の格式に背く失と云う義を会通していわく、天下正法総滅に依って不惜身命を立つること成り難し。 故に受不悲田台宗等を頼んで国法に随って判形を頼むといえども、実の仮判にして内に不受を尊敬し、外に施主を立てたり。 何ぞ人法一致の儀とならざらんや。 色心不二の法立に施主入るや。 今濁法成る故に施主を立つ、人法一致と合点せざるは大いに他の誤りなり。 已上他書 報じていわく、所感の本尊は必ず所持の人に依って転ずるものなり。 濁法の所感は半濁れり。 清派の所感は全分清浄なり。 元祖大菩薩の御本尊にても受不等の所持なれば拝せず。 これ所持の人濁れる故に本尊も随って濁れる義なり。 堯了も濁派の外相の謗法を悪む故に、何ほど内信を目掛けても施主を立てざれば施物を受けず。 これ人に半濁あることは堯了も納得なり。 しかるを本尊は始終清浄にして所持の人には依らずと云わば人法一致にあらず。 人は半濁、本尊は清浄と立つる故に人と法と齟齬す。 これを人法一致の格に背くと云う義なり。 日講の意は濁法は人も半濁、本尊も半濁と立てて濁法の人法一致、清派は人も内外清浄、本尊も全分清浄と立てて清派の上の人法一致を云う義なり。 かくの如き義を立つる時は堯了の義は人法一致に非ず。 法は始終清浄、人は半濁なる故なり。 たとい百千人の施主を立ててもその本人は濁法なり。 施主を立つる故に外濁の謗法滅せば内外清浄の人と何の異なりありや。 他書の人法一致の義大いに齟齬の失あり、能く工夫すべし。 また他書に能破の四句の立法に違すと云うを会していわく、第一の句と第三の句とこれに各別なり。 少しも混乱せず。 今の濁法は内浄外染なるに依って色法仮判に染めらる。 これを悔い施主を立つ。 内外清浄の法立の者に施主有無の沙汰これ有るや。 分明に四句分かれり。 これを四句分かたずと云うは還って愚難なり。 已上他書 報じていわく、第一の人と第三の人と位各別なれば同行はならぬ者なり。 第一と第三と各別と見たらば何ぞ同行混同するや。 故に四句の法を知らずと破斥するなり。 施主を立てても第一の人が第三の人とはならず。 然らば清派は半濁の穢れを蒙り、濁派は清派を汚す罪を犯して自他共に罪科を造るなり。 また能破に吾が宗本色心の中には色を以て正と為し、事理の中には事を以て要と為すの約束に背くとあるを他書に会していわく、濁法の者法難の時祖師の御立義に背き国法に随って仮判を致す。 ここを以て濁法の名を得。 今これを悔い返し内に法義を尊敬し、外に施主を以て罪障消滅の首題を志す。 これ何ぞ色ならずや、また事ならずや。 台家は権実雑乱す、今の濁法権実を糺し滅罪の題目を唱うるを一例するは浅まし。 また受不施は謗法の邪義を勧む。 今の濁派は仮判を悔い、施主を立つるを一整ならしむるは何なる愚意ぞや。 已上取意 報じていわく、他の会通は一向能破の旨趣を了せざる故に義あたらず。 台家の謬解に同ずる失とは、台家権実雑乱の濫觴は万法一如に執して凡聖を混乱するより起これり。 堯了の義も内信に目掛くるより起こって清濁雑乱する失となれり。 これを台家の謬解に同ずと云うなり。 色を以て正と為し、事を以て要と為すとは外相謗法の穢濁を斥けて同行同拝すべからずと云う義なり。 末法は能化所化共に名字即の凡夫なる故に色法と事相とを専要とする事、元祖大菩薩初心後心の規矩を分けて立て玉える義なり。 また受不施の謬解に同ずる失とは日乾等他宗の供養を受くる事を会通する時、他宗なれども内心に法華信仰の寸心起こり懺悔の微志催すが故に供養を受けても妨げなしと云うなり。 今堯了義も内信に目掛けて同行同拝して妨げなしと立つること日乾等の曲会に同じと破する義なり。 他書の義は何れをも濁法の上にて会釈す。 これ能破の意を了せざる故に会通顛倒せり。 堯了の義は色を以て正と為し、事を以て要と為すの約束に背く義なり。 また他書に能破の主君奉公の人の譬えを挙げて外相を専らとするに喩えられたるをその喩えの始終に付いて難ぜるは却って愚痴なり。 譬えをば分喩と云いて一分相応する処を喩うるばかりなり。 始終を合するものには非ず。 昔夢窓国師の弟子経文の喩えに如来の面貌満月の如しとあるを難じて、満月には目口鼻はなきものをと云えるを夢窓呵して、汝は喩えの法を知らず、如来の御面貌の不足なきことを満月の如きと云えり。 目口鼻などを皆々喩うるには非ずと云えるが如し。 今能破の喩えも唯外相を要とする一往の喩えなり。 喩えにも全喩と云うことあれども、それともに分喩となるなり。 他書の難は喩えの法を知らざる愚痴なり。 次に他書に内信の人に本尊授与のことを挙げて堯了の義は順縁とし、日講の義は逆縁の義なる故にたのもしからずと云えり。 この義上に評するが故に再び筆労せず。 一、堯了状第三段にいわく、また能持の人濁法なれば御本尊も濁本尊と云わば内信清浄の人は本来他宗と同じか。 もし然なりといわば何ぞかようの悪人に口入れして遣わすや。 もし本来他宗とは格別といわば何ぞ授与の御本尊拝せざるや。 受不悲田の御本尊と同ずる事謗罪を招くに非ずや。 悲しむべし。 濁法の方へ御本尊遣わす事大いに子細有り。 本を明めずして枝葉に付いて無義の法式を定むること前後相違本末不対の語なり。 能く授与の根本を案ぜば不審有るべからず。 已上堯了状 能破にいわく、今反詰していわく、内浄外染の人と一向清浄の人と同なりや異なりや。 もし異なりと云わば内外清浄の行者自身所持の本尊をさしおき濁法の本尊を好んで礼し、与同するは何等の心ぞや。 自その不潔を蒙るのみならず彼の濁徒をして清派を汚す失を起こさしむ。 自他共に損あり。 また濁徒の本尊を礼する時気味あしき心あるべきこと必然なれば、半疑半信の礼拝二途不摂の溢れものなり。 もし清濁轍を分かちて清派は自身所持の本尊を礼すれば三業相応の大善全得の大利に預かり与同の失を招かず。 濁徒も清派を汚さず所持の本尊を滅罪生善の所依とせば分々の利益あるべし。 もしまた同なりと云わば眼前の偽りなり。 既に外相に信謗の異あり、木に竹を継いで同じと云うが如し。 そもそもまた清派として濁徒の本尊を拝せば濁派の人清派の人と同位等行の見計を起こし、功徳齊等の邪念を挟んで捨邪帰正の念あるべからず。 清派もまた習練してついに濁法となり、子孫等に至っては何の差別もなくなりなん。 また伝え聞く趣は愚俗を勧誘していわく、清派は満月の如し。 濁派は半同半異なれば欠けたる月の如し。 光用に異あれども月の体同じ、何ぞ拝せざらんやと。 云云 今これを評破するに与奪あり。 与えてこれを言う。 秀句に今昔二円に月の譬えを設け玉えり。 秀句上本にいわく、但し因分の円教を聞き別門に円を悟る人は九日の月に似たりと雖も十五日には如かず。 已上 吾祖また判じていわく、九十五種の外道は仏慧比丘が威儀より起こり、日本国の謗法は円体無殊より起これりと。 云云 然れば則ち信謗雑乱は仏慧比丘が威儀にも劣り、所持の本尊を例同するは今昔二円を混同する義に同じて月の虧盈を弁ぜざる失あり。 されば譬えを取るときは濁法所持の本尊は半月の如くなれば法体の光用薄し。 また奪って云わば謗法の過甚だしければ善体を失すること漆千盃に蟹の爪一つ入れたるが如し。 信謗混同を此方より勧むるは宗義の綱格に迷えるに非ずや。 その上堯了状の次下に内外清浄、外濁内浄これ程大いに分け立て有り。 御本尊は同事なる故に分かつべからず。 云云 これ則ち清濁両派の本尊分かつべからずと云えること分明なれば、信謗の本尊共に十五満月に喩うる義なり。 然れば上の月の喩えもし堯了の口より出でたる義ならば忽ちに自立廃忘なり。 もしその派を汲む流俗の義ならば却って堯了の本書に背けり。 已上能破 他書にこの能破の趣を永々と会通せり。 堯了の義は内信と施主とを目掛けて授くる本尊なる故に清派へ遣わすも濁派へ遣わすも本尊同体にして違い無し。 堯了状の大いに子細有りの文言肝心なるに、日講道念なくして見らるる故に道理も見ず義味をも知らずと妄りに悪口せり。 日講の能破に示さるる如く一向清浄と内浄外染と既に外相に清濁の異あり。 堯了も外濁を斥うが故に施主を立てらる。 何ほど施主を立つとも外濁の謗罪滅するにあらざれば事相に清濁を混乱するなり。 これ自他共に雑乱の罪を犯せり。 また大有子細の四字の事は上に委しく評するが如し。 この言を何ほど誇耀しても内信に目掛けて同行同拝するは台家の風儀、受不施の曲会と同じ。 事を正と為し、色を本と為すの格式に違背するなり。 また述浣二師の教えと轍を替えたることこれ新義にしておのずから述浣をも破する義となるなり。 述師は配流以後十七年、浣師は配流十一年に入寂なればこの二師の教え中国に弘まれり。 この教えと堯了の教えと相違せるが故に立賢これを恐慮し抑え置きて弘通せざるなり。 その時堯了何ぞ述浣と異義になる恐慮なきや。 十七年の間の教化作法何ぞ堯了の耳に達せざらんや。 しかるを我が建立の同拝の義を弘めんとするは述浣の義を破する義なり。 これ悪鬼入其身に非ずや。 また他書に能破の前段に濁法に本尊を授くるは来縁を結ばしめん為なり。 この本尊水火の難にあい玉わずんば宗義再興の時は体用光顕の利益あるべしと書かれ、今この段に内信の者自身所持の本尊を滅罪生善の所依とせば分々に利益あるべしと書かれたるを前後相違せりと破せり。 愚なるかな、来縁を結ぶと云い、分々に得益あるべしと云うも同じ事なり。 清派の如く順次生の得道にはあらず。 濁徒の信心に厚薄あれば流転の上にまた遅速あるべし。 これ来縁なり。 分々と云うも遅速のことなり。 前後少しも相違にあらず。 上に挙げたる堯了より有松氏への返書に、施主を立てて朝暮看経する人を永劫を経て種子生長すともその間の流転何ぞ悲しまざらんやと書き玉える先聖通途の義なり。 濁法の謗罪の重きこと知んぬべし。 しかるを濁派の罪を軽罪と云わば仏祖違背なり。 また能破に流俗月の喩えを挙げて勧誘するを破するに就いて秀句の文を引かれたるを他書に会通していわく、清法の本尊も濁法の本尊もその体不同なし。 しかも内信は色汚るる故に濁法の名を得たり。 その所持の本尊なる故に徳用を半月に喩え、清法の本尊は色心不二の行者所持の本尊なる故に法体満月の徳用に喩え玉う。 去るに依って濁法は仮判の曇りを晴らさん為に施主を立て、何とぞ満月の光用を得玉わんと願うにあらずやと。 云云 |