萬代亀鏡録

尭了状能破條目:2(日講上人)

一、
彼の状にいわく、散銭の事勿論なり。
此方にても無施主濁法の布施受くる無し。
何ぞ珍しくこれを云うや。
已上

破していわく、この義不審千万なり。
すでに能持の人を内証清浄信伏の人なりと許し、本尊また法義堅固の師認めるを以て拝しても妨碍なしと許して信謗法義通用せしむる義ならば、供養の時もまた施主を立てず直に納領あるべき事なり。
もしまた施主を立てれば彼の人濁る処ある故なるべし。
しからば彼所持の本尊をも拝すべからざる事必然なり。
何ぞ用捨轍を替えて己情に任せらるるや、尤も不審なり。

一、
彼の状にいわく、濁法へ遣わす御本尊は現当二世の利益の為遣わす。
もし正体無く利生無くば反故に同じ、授与して何の詮有らんや。
もし利生有らば濁法さえ利生有り、法立の人拝して何ぞ利益無からんや。
已上

破していわく、およそ仏法繁栄の時法水少しも濁りあれば堅く制止を加え、もし改転せざれば本尊をも授与せざる格式なれども今般宗旨開闢以来ついにこれなき普天一同法難競い来たり、外より訴えて道俗貴賤身を安んじ法を守るに処なし。
さすが身命を捨つる程の猛志を懐けるもの希なれば、僧は年来の風儀を改めて新義邪徒にくみし、俗の中に希に志ある者も皆他宗の判形を求めて公儀を相繕い、僅かに内心に清法追慕の寸志を懐けるのみなれば誠に宗義磨滅の時運正法否塞の澆季なり。
その灯の任に列なる人も或いは左遷の身となって説経授道の因縁を欠き、或いは流浪の姿にやつれてまた伝灯利他の願望を絶やせり。
されば別途道理を以て彼の内浄外染の徒を摂取し本尊授与を許して現未の勝縁を結ばしむるの手段とせり。

これ則ち彼の濁徒外相は止む事を得ずしてその轍を替ゆと云えども、内心清浄の志有って清法の僧侶の本尊を頂戴渇仰し、随分滅罪生善の依止と憑める故なり。
いやしくも尋常の格を守って授け与えずんば却って無慈悲の至りなるべし。
およそ尋常も逆縁の化導なお逆謗を損ずる時は一向の他宗にすら懇望に随って本尊を与える事あり。
況や総滅の時に於いてをや。

然りと雖も彼の濁徒既に外相他宗に混ずる大科あり。
故に本尊感応清法の者の本尊現当二世の利益を得るに相望せば濁法本尊の利生従って劣るべき事必然の理なり。
吾祖御妙判にいわく、露の命の消えがたさに或いは心ばかりは信じ、或いは兎角す。
難信難解と説かれて候が身に当たって貴く覚え候。
已上

この御書に難信難解と説かれ候が身に当たって貴く覚えると遊ばせるは、吾祖の如く色心二法に歴て堪えがたき難を忍び給うは真実の法華を信解し給う道理なるを御身の上に引きうけ経文にかなえる事を感じ給うについて、そのほか弟子檀那の中に臆病にして色法の難を忍ぶにたえず、ようよう心ばかりに信じ、或いは種々に品を替えて難を遁るる不覚をしながらしかも法華を信ずる由をする者を別して撰出し給えり。
かくの如きの類は法華を実に信解する義にてなきに依って正法の行者は畢竟爪上の土の如く希なる故に、経文に此法華経難信難解と説き給える金言あたかも符契の如くなればこれをも感心し給う。

されば御自身勇猛の御修行と不覚の弟子檀那退転の類と二の意を含んで身に当たって貴く覚え候と遊ばせるなり。
この妙判に内心清浄の信者の分をば法華信受の義を許し給わざる的証なるのみならず、当世古受新受等の難を遁れんが為に新義を建立し、或いはその身は一旦難にあうといえども来意をとげずして後々は魔障に依って邪念を起こし、種々の邪義を弘め、愚俗を勧誘して受不悲田にも替わりなきようにしなせる等の類を写せる明鏡なり。

また日朗聖人土籠御書にいわく、今月七日に佐渡国へまかる。
各各は法華経一部ずつあそばして候えば我が身並びに父母兄弟存亡等に廻向しましまし候わん。
已上

この御書は朗師等色法の難を忍びて入籠の身となり給えるを、真実の法華一部ずつ遊ばすと印可し給えるを以て知んぬ、心ばかりに信じ口にのみ読むは真実の持経に非ざる事分明なり。

また御書にいわく、始中終捨てずして大難をとおす人如来の使いなり。
已上

またいわく、師子王の如き心をもてる者必ず仏になるべし。
例せば日蓮が如し。
已上

心あらん行者尤も肝に銘ずべし。
かくの如き等の深旨をも了せずして清濁同じく現当の益を得るように書きなせば理不尽の理に非ずや。
かつまた濁法さえ利生あり法立の人拝して何ぞ利益無けんやとつのれる事甚だ曲解なり。
清法の人すでに自得の本尊あり、何ぞ猥りに濁法本尊を求めて礼拝し更に世上の嘲弄を招かんや。
その上さきにも示すが如く半ば濁れる本尊を清法の本尊と混雑して礼拝する時は彼の半ば濁れる不潔を蒙るのみならず、自身所持の本尊も信謗雑乱の過を犯すに依って却って利生薄く成り行くべき事眼前の道理なれば、害のみ有ってかつて利なし。
然るを濁法の利生を以て清法の利益を況出せるは顛倒の義に非ずや。

一、
彼の状にいわく、袋臭きを以てその金を捨つることなかれとはかようの事か。
濁法内心に宝珠を懐く、何ぞ捨つべきや。
已上

破していわく、この喩えを引く事誠に不覚の至りなり。
これはもと大論四十九の文なるを止観弘決等に引用して、師の外相に拘わらず内徳を敬うべき趣きを述べたる文なり。
これ則ち破戒にして正見なる師を捨てざるに喩えたり。
されば吾祖祈祷抄にも行者は必ず不実なりとも智慧は愚かなりとも身は不浄なりとも戒徳は備えずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給うべし。
袋きたなしとて金を捨つる事なかれ。
伊蘭をにくまば栴檀あるべからず。
谷の池を不浄なりと嫌わば蓮を取るべからず。
行者を嫌い給わば誓いを破り給いなん。
と判じ給えり。

破戒は世罪となる辺あるが故に正見の真実を捨つべからざる道理至極せり。
外相一向他宗に同ずる謗法者の一身を以て袋臭きに比する事未だその例を見ず。
謗法の人は身心とも不浄なる事歴然なれば外相の一向濁れるに望めてしばらく内心の清浄を許すといえども、それ実にはつつむ処の物体信者内心の宝珠真金とは混同すべきに非ず。

然るを喩えに似たるを僻依して自義の潤色とせる事曲会私情に非ずや。
およそ彼の濁徒に内心清浄の名を与うといえども全分の清浄には非ず。
その故は外儀すでに他宗に同ずる上は内外違却し外の不浄また内心を汚す失あるが故なり。
例せば爾前の円前三教と並立してこれを会する事能わざるが故に円にもまた失つくが如し。

妙楽の釈にいわく、細人粗人二倶に過を犯す、過の辺に従えて説いてともに粗人と名付く。
已上

この釈の意もと善人にても悪人にくみして彼の悪を改めしむる事あたわざれば善人もその過を蒙る義になり、ともに悪人と云わるる如く爾前の円本善人の如くなれども三教の悪人にくみしその相手と成って彼を会する事あたわざれば三教と同じように粗法と名付くるぞと合譬し給える意なり。
これに依ってこれを思えば色心の二法既に違却して心法の善色法仮判の悪を改むる事あたわざれば心法も色法に引かれて濁る義あれば一向清浄とは各別なる故に奪って云わば不浄の名を得べし。

さきにも示すが如く内外の中に外相他宗なる事は公儀はれての義なり。
内心に法義を信ずる事は隠密にして一己の私なれば外は強く内は弱きが故に外悪に内善は奪われやすく、外悪を降伏して内善の方へ従える事は難し。
業は秤の如く重きものまず引くの道理にして、害悪因によりまず悪果を招くべき事必然なり。
されば彼の仮判の徒改悔懺悔の作法をつとめて一向清浄の法水を相汲まざる内は実の内心清浄の義には非ず。
ただ一向の他宗に対してしばらく内心清浄の名を与え、慈悲摂取の便りとする分際のみなり。
然るを彼の内心清浄を一向清浄の行者の内心に例同せるは大いなる誤りなり。

追加
一、
然るに彼の濁徒に遣わす処の本尊授与書一様ならずして諸人の疑いを招き、その可否を論ずるについてまた異義区々なり。
なかんづく日尭春雄院信謗の両類一味混雑の授与書よろしからざる事勿論の義なれども、時今法滅に属して清法を汲む類僅かに小水の魚の如くなるに、また破法の義あらばいよいよ清法の磨滅かつは世上の嘲弄あらん事を日講思惟せられ和融の工夫を尽くさる。
大段伝法の僧侶胡越の境を隔て、或いは一処に匏繋して衆議決断の便りを失い、或いは万里に放浪せられて音問通用の儀に労せる粧にして僅かにその身を善くし、ただその心に任せていやしくも清法を汲むを幸いとするのみなれば、その心入区区なる事余儀無きなり。

されば日講その大旨を斟酌して未制已前の義を立て日尭等の授与書を臨時の誤りに属し、幸いにその二幅の本尊並びに日尭真筆の書札手に入る故に預かって世間の流布を停止し、その上向後の格式を立てらるる事なり。
これ則ち総滅の時と云えども希にはその処により或いは好き縁にひかれて忍び忍びに清流を汲む輩諸国になお多きが故なり。
殊に先車の授与書既に誤れる例あれば後車の筆端を簡ばずんばあるべからず。

これに依って日尭等の授与書をば未制の時なるが故に直に謗法にては有るべからずと救われ、その外日尭立賢につかわるる処の書状の趣きをも、臨時の誤りに属して流人に謗法の過つかざるように会融を構えられ、さて向後は堅くかくの如き信謗雑乱の授与書及び清法の徒濁法の本尊を礼する等の儀を堅く停止せらる。
されば未制の時なるが故に謗法には非ずと云える詞の裏に、向後已制の日混雑の授与書等謗法に属する儀自ら顕れたり。
日講の指図にまかせ二幅の本尊を永く預け置き、日尭書状の趣きをも相継いで沙汰せずんば尤も清法再興の洪基なるべし。

然るに日相春雄院の本尊を早く謗法に落居の儀日講の儀といささか不同なるに似たりと云えども敢えて相違に非ず。
その故は日講は日尭等に疵をつけざらんが為に善巧の誘引を以て未制以前の義を立て救わると云えども、向後この本尊の流布並びに書状の趣きを一向沙汰せずして堅く流布を止め即ち永代格式を定めてこの後かようの義謗法と落居せらるれば、ただ詞の立て様前後時節の殿最のみにして、あたかも朝三暮四、朝四暮三の異に似て同じなるが如し。
その上日指方先年以来謗法の條目を日講より糺明せらるる事あり。

一は像門徒の法式門徒の首頂に違背するをば謗罪に同ずる例、二は法灯を軽蔑し下知を受けずしてひそかに真俗連判し津寺方謗法の趣きを落居して廻状を廻す。
これ還って日指方謗法の義となる事、その外像門徒の伝来として「本従此仏菩薩結縁還於此仏菩薩成就」の旨を糺し、御書には本従たがえずして仏に成り給えりと遊ばせる御文体に基づきて末寺末山までもその趣きをたがえざる事像師已来の軌範なるにかようの義をも顧みずほしいままに徒党を構うる等の過を挙げ改悔の義を催促せらる。

これに依って日指方の真俗日講へは右の罪障懺悔の一札(別して覚驩@一札総じて真俗中名代の一札二通到来)を捧げ改悔の本尊を望みその本尊の前にて事相改悔の義にて相勤むと云えども日相への改悔未だ済まざる内種種の故障有って改悔の義遅遅せり。
もし日相に詣って改悔の作法勤むる時日相の心地右の本尊謗法落居の義を兼含せられ改悔の作法事終わる時は日講格式とその揆一なり。
右の道理を考えられ日了並びに日指方へ両度迄ねんごろに異見状を遣わされ、右二幅の本尊を永く此方に預け置くか、もし取り返すに於いては向後この本尊不拝の裏書きを領納してひそかに一処に納め世間に流布せざるかの両状の内一箇條許諾致すべき趣き教誡せられ、兼ねて彼の徒日相へ改悔の首尾早速相調えて然るべき旨異見を加えらると云えどもその返書ついに到来せず。

その後日指方いよいよ邪義盛んになり、殊に日庭等に内通して別流を立て、日了も彼方へ同心せらるるの旨伝聞し、日了並びに日指方をいよいよ謗法に落居せんと支度せらるる内、日了死去も聞こえあまつさえ内心清浄の者看経講の時、同座にて清法の出家看経の導師苦しからずと云う事、また濁法所持の本尊を清法の者礼拝致すべき事、この二箇條の趣き讃州の俗人に堅く弘通すべき由遺言せらるるについて、彼の俗備前備中の真俗に対してこの趣きを弘通し、同心せざる者をば却って非に落とす趣き元禄二年の正月たしかに聞こえければ、日講向後は日尭日了並びに春雄院いよいよ謗法の旨落居致され、日相等へその趣き相伝えらる。

同年三月備前より逢沢清九郎、讃州より須股長兵衛同道日向へ渡海す。
右の二幅の本尊並びに日尭の條返弁催促の為指し越すの由覚體剴Yえ状あり。
これに依って日講二幅の本尊いよいよ謗法の旨落居の添え状を加えて返弁せらる。
彼既に別立と成って日講をも用いざる上はこの添え書きの趣き敢えて同心あるまじき故に本尊を世間へ流布し専ら礼拝すべき事必定なればますます東西不弁の流俗を邪路へ引入すべき事悲しみても余りあり。
右の趣きなるが故に日講数年心肝を労して日尭等を救わんとせられし善巧たちまちに泡沫に同じてその本意を失われたり。

然るに日尭はもとは日講を深く信ぜられ流刑以後に万諸指南を受けられし事数通の書札分明なれば、日尭存命にて日講達って異見を加えらるるに於いては情を張り通せらる義は有るべからざる事なれども、日了いよいよその非を厳り、自身短才なる故に毎事日尭へ兼ねて相談の義なりと世間に披露せらるる故に向後尭了は申すに及ばず、春雄院本尊も取り返して世間に流布する上、この後謗法に落着せらるる事尭了同前なり。
日庭また日指謗法の由来をも知らず日講等に書中の相談もこれなく濫りに日指方へ助成せらるる等の謗罪遁れがたき故に日講等も向後堅く不通なり。
かつ辛き事を蓼葉に習う輩彼の誤りの書札を天子の一言と仰いで万代の規矩を乱るべき事を日講悲歎せられ、行学のいとまに二三子の学徒を教誡せらるるの趣き、見て記憶する分を端端書き集めて能破の條目を加う。
これ敢えて事を好むに非ず、宗家歴代の法式万世の末迄も塗炭に堕さしめざらんと期する処の寸志なる事定んで仏天照覧し給うべし。

慧照 日念記之

今度渡海の俗人の伝説所破に足らずと云えども似たるを友とかやの風情かつ一犬虚を吠ゆれば万犬実を吠ゆるのためし、誤りを伝うるの事燎原の如くならん事を慮っていささか彼の言に随ってこれを評破す。

一、
彼の俗いわく、仮判の者施主を立つるに依って外相の濁りをもこれにて補う故に行いては内外清浄の義に成って品弱の不受不施の分際なるべし。
その上身命に替えて施主を立つる義なれば清法の者と替わらざる道理なりと云云。

破していわく、およそ施主を立つる事は宗旨開闢已来の事にして、事旧りたる義なり。
他宗の中に法華宗を殊勝に思いて志はあれどもさすがに改宗することはならざる類、祈祷或いは追善等を頼む事ある時は施主を立て彼の志を通ずるは彼に当分の望みを達し、宗旨の僧侶も檀越の前にて一転する故直ちに謗施を受くる義に非ざればその作法を用い来たり、或いはそれを縁としてついには改宗せしむる手段とせり。
然れども改宗せざる内はただこれ他宗にして仮初めにも法華宗の名を与うる事なし。
もし汝が義の如く施主を立て外相仮判の過を補い、不受不施の名を得る義なれば何ぞ昔より施主を立つる他宗を法華宗と名を与えざるや。
もし他宗に法華宗の名を与えば眼前の笑いぐさなるのみならず彼の他宗永代捨邪帰正の志あるべからず。
濁法の徒に仮にも不受不施の名を与えば彼の者ますます増上慢を起こし、信謗混同の僣上の思いをなすべければ改悔の志もなくいよいよ阿鼻の焔をまさん事掌を指すが如し。
諺に言える引き立てんとて引きころばすと云うはこの事なるべし。

濁法を救わんと欲して却って罪障を招かしめ堕獄を急がしむる事浅ましき事に非ずや。
また施主を立つるは身命に替えて立つと云う事大きなる偽りなり。
この施主を立つる事を公儀へことわりを立つるに非ずんば身命に替う事とは云うべからず。
誰人か公儀へ断って施主を立てたるや。
またそれほど捨てやすき身命ならば何ぞ法義を守り内外清浄の行者として宗旨の法式を堅く守るべき処に何ぞわざと濁法と成って更に思い出したる様に俄に身命を顧みずと誇?するや。
諺に云えるぬかぬ太刀にて人を切る風情に似たり。

その上当世備作の風俗物柔らかなる時は施主を立つると云えども、少しもきびしき時は施主をつぶして身を全うする調儀をなすのみにして未だ一人も施主を立てとおすに依って公儀の難にあうと云う者を聞かず。
然るに虚言を構えて一向清浄の行者の不惜身命の規矩を守れるものに劣らじと自讃せる事誰かこれを信用せんや。

一、
また彼の俗いわく、仮判の者と清浄の者と同座して看経を勤むる時、清法の僧侶導師なる時は少しも苦しからざる事。
その故は仮判の者唱題の功積める時は清法の僧衆を頼み開眼を遂ぐる事は何れも許容の義なりもし彼の唱題隔てあらば何ぞ清法の看経同様に開眼せんや。
さればこの同座看経清法の僧導師の義それと同座不同座の違目ばかりにて唱題隔てなき事は全く同じ事なり。
何ぞ看経開眼僧侶をば許して同座の看経清法導師を誡め給うや云云。

破していわく、一切の事につき総別の二途を別ちて意得せざれば道理尽きざるものなり。
例せば十方仏土中唯有一乗法等と説き給う時挙足下足皆仏境界なれども、別しては霊場を構え仏神を安置しそれに向かって滅罪生善の義をも修し、またその仏壇に向かって放逸緩怠の振る舞いあれば忽ちに罪を蒙る事なり。
これ則ち十方の仏土は広き故制止するに及ばず。
霊場は別して一座の内なるが故に専ら崇敬をすすめ堅く緩怠を嫌うが如し。
されば今看経開眼をば許し同座始経をば制する事全くこの差別の道理に当たれり。

およそ廻向を頼む時はなお法界無縁の衆生をも普く廻向し、開眼を頼む時は功徳の軽重に拘わらず何れも開眼してその趣きを呈露するは清浄の僧一分の意得作行にて、彼の唱題の人を直ちに同行とするに非ず。
また仮判の者の唱題と清法の人の唱題と功徳浅深なしと一味に開眼するにも非ず。
功徳の深きは深きに任せ、浅きは浅きに任せて取り集めて総て開眼する義なれば少しも与同罪を蒙る事なし。
開眼の上迄も濁法所唱の題目は功徳甚だ浅く、一向清法の徒の唱題は功徳尤も深重なれば浅深の階級少しも混乱せず。
事相にも永く権実混乱の過を離れたり。
この上開眼の心持ちを広く論ずる時は相対種、種類種の二種の開会あれば相対種の時は悪即是善と開し三道即三徳とも達するなり。

されば他宗所修の善根並びに仏号等を唱うるも尋常は種類種開会とて善根の一分にて人天有漏の果を感ずるほどの義をば彼の類謗法の過有るに依って宗旨に帰伏する砌今迄の善根をも此方にて受法せしむるにつき、これを開会する時も相対種の意にて彼の善根を悪に属して開会する事なり。
これに例して意得るに濁法の唱題他宗に勝れたる辺にては種類種開会の一分となり、一向の清法に望むる時は既に事相謗法の義を兼ねたれば相対種に属して開眼すべし。
相対種は逆縁の心、種類種は順縁の心なれば仮判の者は順逆二義を含んで開眼に預かる義なるが故に一向清法の純円一偏の開眼とは遙かに隔てある事なり。

もし同じ唱題にて同時に開眼するが故に功徳斉しかるべしと云わば十界同時に廻向するが故に地獄も仏も一向差別なしと云うべけんや。
また他宗受不施の唱う題目も同じ題目なれば同功徳なるべしと云わんや。
今信謗相混じ同座して看経を勤むる事歴然に清濁雑乱の過を招く故に却って清法の仏前を汚す道理に成って実義もよろしからず。
外には信謗同行の譏嫌を招くが故堅くこれを制止する事道理至極せり。
さきに尭了書札を破する中にも示すが如く、宗旨の立義は兎角事相に権実雑乱するを嫌うなり。
他宗の譏嫌を止むる義を正意とするが故に心法一ばかり目懸けて信謗が混雑して同座看経を勤むるようなる乱惰の作法を即ち謗法と云うなり。
誡めざるべけんや。
慎まざるべけんや。

また日尭書札に内外清浄、外濁内浄これ程大いに分け立て在り、御本尊は同事なる故に分かつべからずと云えり。
この文体信謗両類所持の本尊功徳は同事なれども、濁法の人と清浄の行者と人には大いに隔てある義なれば信謗の人同座に看経するようなる事をば許さざる筈の文体なり。
されば下にも施主を立て濁法の布施を受くる旨を宣べられたり。
これを以て考うるに信謗同座の看経を許す義は日了私立の義なるべし。
もし俗人の物語の如く日尭もこれを許せる義なれば、何ぞ書面に載せずしかも信謗の人差別を強く立てられたる自義と忽ちに乖角せるや。
測り知んぬ、立賢が信謗看経同行の事を日尭に問うて、日尭これを許せるをたしかに聞けりと云わば彼の俗の偽りなる事を。
かくの如く公儀はれての他宗と分明に同座の看経を勤むるは古受新受にも劣れる作業なり。

その故は古受新受はなお法華宗の名を立て他宗の供養のみを受く。
他宗と同座して勤行法要等を勤むる事はなし。
ただ天台宗の権実雑乱の作行と全く同じき事なり。

一、
彼の俗いわく、日尭より示されたるは濁法へ遣わす本尊を施主の者にして拝せよとの義なれば、その示しの如く施主の物にして拝する義なれば少しも謗法には非ずと云云。

破していわく、この義眼前の相違なり。
およそ濁法の本尊を施主の仏壇に安置し施主の物にして拝する義は元来述師より仰せ出されたる義にして、先年より国方の風儀となりて真俗も能く知れる事なれば立賢新たに日尭に尋ぬべき事に非ず。
その上日尭書札に国方の法式は両師の義に相違すと立賢尋ねたるを日尭大いに呵責せり。
何ぞ施主の物にして拝する義ならんや。
殊に日尭状の始終濁法の手前へ渡す本尊について専ら内心清浄の故本尊の利生替わらずとつのれり。

ここに知んぬ、施主の有無に拘わらず総じて濁法の徒を内心清浄と云える事必然なり。
もし然らずんば日尭或時は内心清浄に目懸けて拝せよと示し、また或時は施主へ目懸けて拝せよと教えて自語矛盾狂人戯語の如くなる咎を招くになるべし。

編者いわく、説黙日課元禄二乙巳年三月十八日の項参照

なお以って香雲到着申し候いてその元の様子もあらまし相聞き候わんと存ず事に候。
かつまた近年種々誘引を廻らし候者何とぞ日尭に疵つかざる様にとの所存にて彼これ肝煎り候所にさようの志も泡沫に同じ是非に及ばざる義に存じ候。
この上は大慈悲心を以て日尭折伏還って可為日尭冥路脱苦之因縁と存じてこの能破をも急に仕立て可申候。
以上

今度門弥令帰国候に付き的便に一書令啓達候先以其元貴院弥御堅固候哉。
当表野僧無恙令看経候可御心易候。

一、
日指方二つ相分かれ候義兼ねて伝承候。
内々如風聞逢沢清九郎須股長兵衛と申す者と両人渡海三月十八日に当所迄被越候え共、内々両人別して悪心強盛に付き、和融の義も不相調。
兼ねて讃州之俗人弘通故日尭日了いよいよ謗法に令落居候條、その御心得可被成由、両人渡海以前日相師へも委しく申し遣わし候に付き、両人へ対面の義には及ばず、捨邪帰正の教誡をも一向停止せしめ候。
内々二幅の本尊を預け置き候。

裏書致し返弁申すかの義は、何とか日尭に疵付かざる様にと存じ、立賢への書状は一旦の誤りに致し候わんと存じ候て、未制以前の善巧方便を廻らし候え共、日尭日了同意の趣きにて、濁法の本尊を清法の者礼拝少しも苦しからず、その上清濁二派同座し、看経講に清法の者導師致し候え共苦しからざるの由盛んに弘通致し、覚體凾煦齧。の旨治定申し候故、日尭日了謗罪の段遁る処なく、その上是非に付き本尊取り返し礼拝申すべしと申し候上は、我等義をも用いざる趣き分明に露顕せしめ候得ば、本尊を留め候ても行く行く何の詮もこれ無く候。
その上日尭等謗法落居の上は、二幅の本尊は申すに及ばず、自余の本尊皆々反故に成り候。

この上に裏書致し候は、糞土の牆に掛物致し蒔絵など書き候と同前の愚痴なる義に候えばその義に及ばざる事故、ただ勝手より覚髟タびに讃州への返書に、今度の二箇條弘通並びに野僧近年の異見を用いず、本尊取り返し候上は破法歴然に候條、日尭日了春雄院並びに日庭謗法いよいよ治定の間、何れへもその段無覆蔵被申渡候様にと申し遣わせ候。
その上彼の両人少々逗留もよろしからざる儀に存じ候いて早々罷り帰し候え。
門弥追っ付け上り候條その時たしかに返弁申すべく候。
謗法治定の上は此方に留め申すべき覚悟にてはこれ無き由、平六門弥心得にて申し候えども種々荒言を吐き候故門弥上りを待たず早々平六門弥手前より返し申し候。

さて取り除き候衆の内郡屋等も貴院へ詣り候て申す趣と、旧冬善助並びに切付屋等当地へ連状越し候趣きとは懸隔相違にて御座候。
此方へ書面趣きは兎角春雄院を謗法と落居なされ候いては取り除き候者共も合点申すまじきなどと申し越し候。
先日勝手より善助への返書にも、取り除き候衆今度聖人落居の通りに日尭日了春雄院並びに日庭謗法落居、二幅の本尊は申すに及ばず、自余の本尊をも捨て候いて、永代日指方と義絶申す義に候いて改悔も堅くなるまじく候。

右の通りに候故聖人より連状の衆へ返書遣わさるにも及ばざる由申し伝え候えと申し遣わし候趣きに候。
彼の逢沢須股両人その元へ帰り候て以後の様子並びに取り除き候衆も如何様に成り行き候や、重便に委曲承りたく候、もし推量の外取り除き候衆覚悟よくして、野僧申す通りを守り申すべき趣に候えば、善をば急ぐを以て能とする習いの條、ここ元へ御断りにも及ばずきっと京都日相師にて改悔相調い候ように、随分内証御肝煎りごもっともに存じ候。
彼の日尭日了より立賢への書札直筆も今迄平六等預かり置き候えども、右の首尾故本尊と一所に返し候。
然る上はいよいよ彼の状を定規に致し邪義弘通申すべしと存じ、とりあえず彼の状能破を認めさせ、則ち当便に貴院へも一通指し越し候。
奥に恵照これを記すと認めさせ、日相師へも写させまいらせ候。
これを控えになされ、彼の邪義折伏ごもっともに存じ候。
委曲了閑物語申すべく候條細筆する能わず。
なお後便の時を期し候。

五月朔日 日講
覚照貴院

編者いわく、右御書状は日蓮宗不受不施講門派本山本覚寺秘蔵の講師御真筆に依りこれを校合す。
説黙日課元禄二己巳五月二日の項参照。

尭了状能破條目 終