萬代亀鏡録

語問答:2(日講上人)

あに未決の義に非ずや。
然るに彼実心より起こって改悔を乞うこと公儀へ当分披露せざる故に内証に属すといえども一派の檀越に隠密する義には非ず。
如何にも改悔の義を顕して天運に任せてしばらく時をまつの義なり。

また日講と往復して相談する義なる故に今度の五人私曲をかまえ日講に問わずして大事を決する義とはうらはらの相違なり。
今度の改悔と同日に語すべからず。
然るをそれを幸いのとりこにして方人を設けんとする。
あに真正の憶度ならんや。
この義つぶさに別処に評する故にここに委悉にせず。
豈一向強敵の三箇寺等と昨今まで此方の立義を堅く守るものやむことを得ずして手形を書けるものとは黒白の異なりあるに非ずや。
何ぞ混乱して義をまぐるや。
何ぞ日講文の中の深重の道念にて新受と堅く不通の上にといえる文言をみざるふりをするや。

これ還って三寺とは和融すべからざるの旨自然と顕れたる文章なり。
況やこれは已作の者に約して摂取の義を存するが故に未造業のものの格式とするに非ず。
豈定めて改悔さえすれば手形して苦しからずと先々へ触し廻す義ならんや。
僅かに一二箇寺をのこして万一の物だねとせんとする志なり。
もしこれを以て通格とせば率土皆宗旨の風俗と思いて随って犯し、随って懺し、恐らくは懺悔の名有って実無きになるべし。

いやしくも滅罪生善の方法殆ど俳優に類し懲邪帰正の要術塗炭に落ちて宗義の魂抜けたるものになるべし。
誰か思慮をめぐらさざらんや。
況やこの日講の文は五月十日の日付なりといえども延引して二十日過ぎに遣わせり。
思うに六月末つ方江府に到着すべし。
然るに改悔の義は春来の興行にして六月十日江府龍土屋敷に於いて改悔の義すでに調えり。
何ぞ日講をかすめて邪義の潤色とするや。
誑惑して自非を免れんとするの失鼓を鳴らしてこれをせむべし。

五輩はすでに浣講の流類なり。
何ぞ配所に問訊せずしてたやすく改悔を諾するや。
これ則ち事おわって流人に告げもし許諾せば幸いのことなり。
異儀を存せば不通すべし。
是非に及ばずと巧める逆心の思慮さきに定まれるものに非ずや。

譬えば世間に君父の強敵を君父にきかずしてひそかに和融し、後に君父に告ぐるが如し。
君父あにうけんや。
識者籌量せよ。
次に決断を日精に請うことこれまた野狐精なり。
今般の所論は三箇寺と流人との諍論にて新受の義を立つる中には彼の三箇寺を以て邪党の魁本とし清潔の流れ汲むものは流人三輩を以て巨夜の明灯と仰ぐ。
然るにこれを流人に決せずして、猥りに京都一門一家の首頂に決する、豈その理あらんや。
況や三箇寺の邪見深重古今無比なること切々に会合し、しばしば談論して流人よく知れり。
心根の?曲熾盛なること世上の推量に遙かにこえたり。
然るを日精それに由って来る所以をも知らず、猥りに評せるは日本の公事を唐人及びごしにさばけるが如し。
況や京都の義につき誘引の格式あやまりて大きに非義を興せり。
一大事をこの人に決するは誠にあやうきことに非ずや。

譬えば軍場に臨んで、一引引きたてたる大将に対して軍にすすまんか退かんかを尋ぬるが如し。
決定退けと云うべきを知って後の口塞ぎに問えるに似たり。
殊にこの三寺和融と京都の誘引とはまさに同時なれば誘引をさしはさんでは関東の法義をみだり、関東の和融をわきばさんでは京都の法義を混乱す。
二義相成じて一准に非に帰す。
されば日精より日講へ遣わせる状の中にもし自身公庭へ呼び出されん時は素懐を述して罪科に行わるべしといい、或いは三箇寺はすでに僭聖増上慢の類なる故に堅く不通の上に誘引する義を評定の旨帰と告ぐることあり。
打ち見えたる文体は巧みなるに似たり。
しかれども再びみがけば鍮石真金の不同明白なり。
片心にすでに三寺和融の内意を存知せる故に以後には訴人もなくして公儀より呼び出すことのなからんことも顕れぬれば、呼び出されて高名せんといえるも、諺に云える兎兵法に似たり。
または三寺と通用の義を心にはあくまで含んで外には愚俗のききを脅かして三寺は大悪人なる間同じく手形をいたすとも彼とは中々内心までは同じがたし。
外儀相似たるばかりなりなどと云いて口のやわらかなるままに相似の謗法の様にいいまわし諸人を迷乱したるものなり。
総て京都の誘引立て様の計略なる義並びに京都は奥師の的流にして余所に混ぜざる故に急に臨んで誘引を用ゆるもはや第二義門に落ちて真正の義に非ざることつぶさに別処に理証を立ててこれを評し、及び日精より日講へ遣わす所の綿々たる書札の章段件々を逐うて別に破斥を加うるが如し。

ここに枚挙するにいとまあらず。
あに、一身泥土を蒙って人をきよめんとすることその理あらんや。
かつて以て改悔の所依ともならじ、真俗の福田ともならじ。
ああ悲しいかな、奥師の的伝なりと云いてみだりにこれを尊むは愚俗の分別なり。

伝教大師の門弟に慈覚智証如きのおこのものあり、祖師の直弟に三位坊が如き不覚の者あり。
依法不依人の炳誡思わざるべけんや。
次に龍土の番神に参詣を企つることこれ何ぞ改悔の作法とするに足らん。
既に霊前を厳って祖師の本尊をかけたり、誰人か丁寧にこれを拝せざらん。
およそ懺悔の五義の中第三に(金光明疏に出たり、智者大師の説)いわく、また懺をば来を修するに名付け悔をば往を改むるに名付く。
往日の所作たる悪不善法鄙んでこれをにくむ故に名付けて悔となす。

往日棄つる所の一切の善法今日すでに去って誓願して勤修す故に名付けて懺となす。
往を棄て来を求む故に懺悔と名付く。
また懺悔第四の義を明かしていわく、また懺をば衆失を披陳するに名付く。
過咎を発露して敢えて隠し諱まず。
悔をば相続心を断ずるに名付く。
厭悔捨離して能作所作合して棄つ故に懺悔と云う。

披陳とは口にのぶることなり。
このたびの改悔仏前に向かって声をあげて今迄の謗罪を発露せりや。
すでに改悔の義深く覆蔵して他人のききを忌むこと歴然たり。
また彼三寺自己の檀越に向かって分明に改悔をつとむるの義を知らせたりや。
推するに還って流人の余流三寺に帰伏せりと告ぐべし。
彼中心には以後の公事を構えてしかも表には身延の再訴の義に託し、これを深く隠さんとするものなり。
楊震が四知を恥づる如き、天しり地しり我しり人しることを慮る、何ぞ思わざるや。

古き諺にいわく、人のさざめごと神のきくこと雷の如し、暗室の虧心天のみること電の如し。
何ぞつたなく永くかくさんとするや。
況や已にふれをまわして法中にあまねく告ぐ、身延もはやとく知るべし。
然るに三箇寺重ねて公儀の僉議を受けては改悔致すにはあらず。
流人の末派此方へ帰せりと陳すべきの巧謀今心に深くふくんで身の咎なき様をこしらえすましたるものなり。

その時此方より誰人か公儀へ出でて不受に改悔せしめたりと諍うもの有らんや。
たとい出でて諍うとも公儀已に前に定まれる格式有る故にまた衣をはがれて退く一種なるべし。
あに見苦しき極りに非ざらんや。
これ人の知りがたき膏盲の病なり。
余幸いに秦越人が針炙を伝えてこれをさし示す。
ついにのがれがたからん。
況や両方檀越互いに帰伏の義を争うて日夜に口論やむことなく、水かけあいの如くに成ってついに正統の義は自然に滅亡すべし。
彼徒かくの如きの邪心をたくわえ非をかざる、豈相続心を断ずる悔の字の義ならんや。
況や三寺の犯す所は本述浣講等の流人なり。

然るに所犯の本人に対して改悔せざればその罪滅せざること経論釈疏祖判分明なり。
されば提婆菩薩は馬鳴に先謗を悔いて舌を切らんとし嘉祥大師は智者へ晩年に帰して身を橋となせり。
いわんや吾が祖添加の一言赫々たること杲日の如し。
誰かこれを知らざらん。
近く吾が宗に入っては藻原の日海身延山の叡師に懺謝し、妙顕寺の日紹奥師に伏して悔過す(日紹は則ち大阪に於いて対論の時奥師の当敵として邪義を吐き正理をかくしたる人也)。

今もし流人命終わらばやみぬ。
既に歴々と存在せるに五人等流人を亡魂に擬してあからさまにも沙汰せず。
豈改悔の作法をしれるものと云わんや。
これみな自身愚案に落ちたるより外はまた余義なしと思える管見のいたす所なり。
況や公庭の事大樹の知不知ははかり難しといえども執権頭人皆彼三寺に与同せりと思うべし。
然るに宗義の本意は国主等の存知を専要とす。
何ぞ奉行等にも内意をへずしてたやすく通用せるや。
何ぞ雅楽殿か久世和州かへ改悔の素懐を伝達せずしてたやすくその義を成ずるや。

況や既に秘密の改悔なればたとい真実の改悔なりとも如説の行者はこれを知らずして信力を退転するもの多かるべし。
一宗如法の正信の真俗を将護せざるは無慈悲の至りさながら?鹿の親撃たるれども子かえりみず、子死すれども親は身を全うして難を遁れんとするが如し。
これ道人の所行ならんや。
貴賤都鄙の異ありといえども心田に仏種を殖ゆることを論ずるときんば同一の仏子なり。
忽ちに異体同心の祖制に乖き水魚不相離の同梵行者を外にして無二の法敵と和融する義あらんや。
ああ田横が五百人の客は節を守って操を変ぜず。
漢の高祖俸禄を以てあつくこれを招くに応ぜずして田横が死を聞いて皆自殺して命を堕せり。

高祖聞いて田横が士を得たるをほめ客を賢なりと慕えり。
太史公後世恥を知らざるものの為に賛述の言をのこしていわく、田横の高節客を賓し義を慕うて横に従って死せり。
豈至賢に非ずや。
余因って列ぬ、善く画せざるもの無し、能く図ることなきは何ぞや。

索隠にこれをのべていわく、言は天下善画の人無きに非ず、しかして田横及びその党義を慕い節に死せることを図画することを知らざるは何の故ぞや。
画する人これを画することを知らざるを嘆ずるなり。

この文を見て心あるものあに心を寒し額に汗せざらんや。
ああ吾法士を得ざるの弊か。
そもそもまた世に賢達なきか得てしるべからず。
これを以てこれを思えば改宗の徒にも両類あるべし。
もちろん宗旨手形などにつまりてしばらく他宗にうつるものこれ大分なるべし。
また一類は流人の外世間の依止ともなるべき人の無味に節を変ずるを見て、邪見を起こし信力を退して轍を易るものあるべし。
始め公難にあいて宗旨をかゆる者不惜身命の行を立てざるこそ浅ましけれども先祖以来の宗門をかえて他宗にうつるは宗内の当敵を深くにくんで一向に途を改めたるものなれば中心には信力いまださめずして、流人等一の義理をとどけたるものなり。
然るに今般の違乱を聞いてはすべて宗家に於いて計略不実の思いをなし、永く捨離の心を生じて信楽慚愧の衣のやぶれたれるもいよいよ朽失すべし。

すべて順逆の二縁にもれて球を繋くるに由なけん、なげかしきことに非ずや。
況や普天諸宗の嘲弄と云い率土古受の譏嫌と云いかつて口を開くべきようなし。
豈ただ当世のみならんや。
永く捨邪帰正の入路をふさぎ、逆化折伏の威勢を失えり。
況や彼の邪党の嗷訴によりて四海の俗流宗旨手形の僉議にあい人別の改めに逼りてあたかも網にかかれる魚の如し。
吾そのかみ久世和州に聞けり。
一身の放逐は是非に及ばず、一天の余流をくむものは別義あるべからず。

また近ごろ古湊等にも余流にかまわざるように異見を加えたり云云。
ここに知んぬ公場はもと小鮮を烹てしばしばかくが如きの御仕置にてはこれなき所を、邪党綿々として嗷訴し一天下の清潔の族を一々注進し、越えて稲葉氏等に取り入って謀訴をつくせる故にかくの如くなり来たれること必せり。
ああ已に断頭して再び償うべからざるが如く最後断仏種の人なるに非ずや。
闡提の続善も一生にはかないがたきことあり、法華の大海には謗法の死骸をとどめず。
測量せざるべけんや。

次に後代の支証に彼の邪徒の一札を取れり云云、これまたかつて以て支証にならず。
およそ先年浣講両人諸国の回文に書物取りかえさざる間は彼々の寺院穢濁の義をのがれず(取意)。
これ正風体の格式なり。
されども寛正年中の式法に依って一等を降して謗義の弱の辺を論ぜば委悉の起請文を以て公儀へ捧ぐるの一札取り返すべきの旨をのせ、及び宗旨手形の書物せざる日蓮宗の流れにてはこれなきの文言を削る。
愁訴をつくすべき趣きをのべ、並びに別時供養の有らん時は異体同心に不惜身命の立行を守るべき堅約を致し(同聴異解の手形はかつて以て証跡になるまじければ別時供養のとき穿鑿あるべきこと治定なれば予め盟約すべき義なり。
数多の旨ありと雖も略して三條をあぐ)。

さて起請のあて処を流人にして先非を悔ゆるの義慇懃至誠ならば或いは許容の相談もあるべきことか。
然るに今般の一札五人の僧より日講へ注進の状の中に三箇寺書物の文章を載せたるその言にいわく、この度公儀へ手形書くと書かざるとは天地各別にて御座候。
書くは劣り書かざるは勝ることその段は各々御同意にて御座候云云。
同状の中に日精批判の言を挙げていわく、彼此勝義劣の正義とは申し難く候えども清法一味の文言紛れなく候改悔の印に罷り成るべく候。

今不審していわく、已にこれ末代支証なれば句々吟味あるべきことなり。
何ぞ一札の全文をのせざるや。
およそ一字の増減一点の清濁にて義の趣向胡越をへだつること和漢の先蹤それ幾ばくぞや。
今何ぞ自他の浮沈をきわめ真俗の迷悟をよする所の大切の一札を省略してしかも縁起をのべたる言は綿々と山鳥の尾のしだり尾ほどながくかけるや。
或いは恐らくは末に至って禁忌の言あるに依って首尾をのせざるか。
その意のゆくところ領解しがたし。
然るに今しばらく五人注進の手形の文章と日精批言とを束ねて一章としてこれを糺明するについにその非のがるべからず。
いかんとなればおよそ彼此勝劣の義はもと彼の徒の口実なり。
日講左遷の後三箇寺の邪輩相談を遂げ虚をかまえ、非をかざりて他人に託して書記せる一冊の巻物(この巻物到来の後、日講一々に條を逐い難を加え非を糺し鳥鼠論弁と号す)その中にいわく、然ればとて手形をせずにすむことあらば、せざるほどのことなし。
偏に思うべからず。
已上

今何ぞ勝劣の言を以て新たに改悔の義とせんや。
つくづくこの書くと書かざると勝劣ありといい、末に清法一味と云える言をよくきたいみるときは、あたかも像師門流に法華の部旨本迹の法門を料簡して一往勝劣再往一致といえるに似たり。
また治病抄に本迹は天地遙かにことなり判じたまえるによく似たるものかな。
勝劣を云うことは結句一致を云わん為なり。

今彼が意をさぐりてことわりていわく、手形は書くと書かざるとは天地不同なれば、書かざるのほどのことはなし。
その段は異義を存せず。
されども書かざれば宗旨忽ちに滅する故に寺院を将護して相続の微志をいだき、法の瑕瑾にならざるように書ける間畢竟両方同じく不受不施にして清法の段は一味なりと云云。
これ則ち彼の邪徒?曲巧侫の毒心を含んで後日に公場の僉議あるとき少しも苦しからざるように会通をかまえて巧みに書けるものなり。
何ぞ後代一派の潤色とならんや。

さて彼の邪党は悪義にてこそあれ、よくよく首尾を合わせて人をかたりおとしたること、あたかも功の入れる白粘賊の如し。
されば彼の邪徒の巻物の中にまたいわく、いかんとなれば手形かかれぬ日述も不受不施、書ける諸寺も不受不施なり云云。
あに清法一味の言とわりふを合わせたるが如くに非ずや。

然るに二句八字の文相を見習うほどのものはこれらのことは合点のゆくところなるに、このたび歴々の功学まざまざとだしぬかれたるは、もし実心ならば魔障なるべし。
もし虚心をかまえてそらとぼけしたる義ならば、また釈氏の恥づるところなり。
然るに五人の書札にこの書物をひけらかして天地各別の文言末代の亀鏡これに過ぐべからず。
還って流聖の威光なりなどと一銭をも弊やさず日講へ樽を入れんとしたるはこれ何事ぞや。
五人はたとい両楹に踟?するとも日精は高年の老功にても推知あるべきところに精義浅薄にして清法一味の言紛れ無き改悔の印などと許容したる、天か命かはた本心を失えるか。
よくよく悪鬼深く入りうつりて新受の邪義と牽合付会せんとしたるものなり。

これ則ち彼の硫黄が島の俊寛僧都赦免状を開きたるに成経康頼の名ばかり有って己が名のなきをいぶかしく思いて表を裏へかえし口より奥へまた奥より口へ千回百回まきかえどもついにその名なかりしが如く、この邪党の改悔の一札をいかにながめても何れを改悔の言とおぼしき言も見えざれば清法一味の言にひしととりつきて改悔の義を印可することあまりにおこがましきことに非ずや。
何ぞ空花の中に美悪を論ずるに異ならん。

上来の如くなれば所詮今般和融の義は宗門の妖怪にして末代の恥辱なること疑いをおくべからず。
客席を退いて、又手していわく、一々の消釈その理明らかにして玉をつらね、條々の疑難その義濃にして金をちりばめたり。
吾已に諭を聞きつ。
以て未聞に伝うべし。
ただ疑うところは今総滅に属して天下非器の真俗難を忍ぶにたえず、志を立つることあたわず。
忽ち沙門の風儀を失い永く円宗の教法をはなる。
少しく法水を濁しても寺院不退にして僧種不断なるを以て勝利とすべし。
いささか祖制を乱るというとも信力相続し檀越を将護せば豈善巧に非ずや。

況や不受不施の名言永く廃せざるをや。
思うに一向の他宗よりは古受を勝るとすべし。
古受よりは新受を勝るとすべし。
捨劣得勝は世出の通規なり。
何ぞ一概に強言を吐くや。

答えていわく、この難世間の口実なり。
皆これ祖師の明判に闇きに依って起こる所の難勢なり。
別処に略して三義を以て宗家の邪義他宗にまさる旨を述するが如し。
今一の喩えを以て示さば、味方のもの俄に謀反を起こせるは始めよりの敵人にまさらざらんや。
師子身中の虫思って知んぬべし。
然りと云いてゆるして他宗になるべしとすすむるはまた非なり。
但し法式のごとく不惜身命をすすめて彼もし器量にかなわずんば捨て置くべし。
今はわきより改宗のものは宗内の強敵に帰伏するにはまされりとはかる義なり。

またしばらく濁って相続を存すると云う事これまた内典外典の大格に乖けり。
まさしく吾が祖の開目抄に違せり。
また不受不施の名のみ有ってその義をみだるは名を盗める盗人なり。
宰相の位を盗んで宰相の政を乱るはそれ非器を知って官に任ぜざるには劣れり。
また外道常楽我浄の名を存すといえどもその義顛倒すれば却って苦空無常無我の所破となる。
何ぞ不受不施の名のみに執せんや。
これらの趣き委曲別に義章有りて分別す。
今諸国余地なき故にしばらく略して評す。

客いわく、畢竟今般和融興行の真俗と永く義絶せらるべきか、また通用すべきの術ありや。
答えていわく、今般傍若無人の企て誠に責むるに堪えたり。
然りといえ共過ってよく改めば何ぞこれを摂せざらんや。
昨日まで清潔の法水をくめるは新受の梟悪とはその品各別なれば誠に先非を悔いて帰降を尽くさば何ぞ容受せざらんや。
況やもし意を尽くさずしてたまたまこのあやまりある者に於いてをや。
然るに改悔を此方より勧むるは本意に非ずといえども道に迷うこと未だ遠からざるものをば何ぞ大音をあげて呼び還さざらんや。

客礼を作して去るかと思えば忽ちに夢さむ。
問者答者所問所答ついに空に帰す。
因って名付けてゲイ語問答と云う。

維時寛文第九己酉暦臈月哉生明
日州佐土原謫客
幻居庵夢遊子 日講 四十四歳
ゲイ語問答 終