破奠記下巻 1(日講上人)
第三他遮難下の余一、他書七箇條にいわく、問う、録外四の巻新池抄にいわく、諸仏諸神も謗法の供養乃至無間地獄を免るべからず。 録外と雖も祖師既にかくの如く禁止し給う。 何ぞこれを用いざらんや。 答えていわく、この書は偽書にして真書に非ざる故に全くこれを用うべからず。 問う、謀書となす証拠如何。 答えていわく、この書を謀抄となすその証一に非ず。 まず一にはこの書に建長寺円覚寺の僧共が作法戒文を破る事等云云。 円覚寺は弘安五年の建立なり。 この書には弘安三年二月日とこれ有り。 これ大いに乖隔なり。 弘安三年の時未だ号を立てず書すべき理なし。 二にはこの書にいわく、昔釈尊の御前にして諸天善神菩薩声聞異口同音に起請を書かせ給う云云。 異口同音に起請を書くと云う道理無し。 三にはこの書にいわく、霊山の起請の恐ろしさに社を焼き払いて天に上らせ給いぬ云云。 然るに八幡炎上は弘安三年八月の事なり。 この書には二月とこれ有り。 未だ来たらざる八幡の事何ぞ載するや。 故に知んぬ、偽書となる事分明なり。 たといこれらの明拠無しと雖も文理に違す故に真書に非ず。 何の疑いか有らん。 弾じていわく、およそ貴き事その意を得るに在り。 何ぞ労わしく短を求めて真文を乱るや。 この抄已にこれ私の言に非ずと標して神託等を指示し法華第五の巻を指せり。 何ぞこれを褊すべけんや。 五の巻を指せるは古来相承して勧持品の『貪利供養増不善根』並びに『瞋濁?曲心不実故』の文を指すなり。 或いは不染世間法如蓮華在水の文を指す伝授有り。 経文祖判並びに日向日興両御講記と相応す。 何ぞ疑惑を加えんや。 況や上古の明哲皆この御書を引用せり。 妙覚寺祖師以来歴代相承の法式にもこれを引けり。 また中山日全の正義抄にいわく、勧持品下謗者施物の事進師より口伝していわく、不受不施の制戒は新池抄等の如し云云。 仰せにいわく、新池抄は弘安三年に遠州新池左衛門尉殿へ遣わされしなり。 云云。 本満寺日重愚案記にもかの書を引きしなり。 予書本の愚案記所持せる内にあり。 然るに開板の時ぬけるにや現行の本にては見当らず。 今まさにその三箇の難を会せん。 初めに円覚寺の事は弘長年中よりはや草創ある事近代禅僧の筆跡に見えたり。 順礼鎌倉記にいわく、瑞鹿山円覚寺は時ョ弘長三年に薨じ給う。 その先大覚禅師時ョ遊山のついで禅師のいわく、この地は叢林相応の所なり。 建立あるべしと。 時ョ時節をかえすべからずとて折節田をかえし居たる耕夫の鋤をとりて時ョ一度下ろし給い、同じく大覚も鋤をとりて一下し給いそこに草を結び初め給う。 その後弘安元年に大覚も入滅ありて同五年時宗公建ておさめらる云云。 その後弘安元年に詮蔵主英典座の二人宋に入る時、時宗書簡を遣わして仏光禅師を請待する故に同二年に仏光来朝し円覚寺の開山となれる事、つぶさに彼の順礼記に見えたり。 豈分明の証拠に非ずや。 その寺落慶せずして寺号先立つ事その例多し。 天台山国清寺等の如し。 次に異口同音に起請をかくと遊ばせるは在世の声塵と滅後の色の経巻とに約して詳に挙げ給えり。 諫暁八幡抄にも起請を書くとある言あり。 異口同音に誓音を立つるとあるべきを滅後に約し一転して起請をと遊ばしたる事、文字の工巧みにして言を省くの法なり。 諸経の中に於いて闕して書かざるの例文もあり。 汝これを知らざるや。 三に月次の違目の事弘安三年十二月とある本あり。 これを以て正とすべし。 何ぞ伝写の脱落を以て幸いとして難ずるや。 この御書のみならず録内の御書にも年月支干等の相違これ多し。 戒体抄等の如し。 かくの如くなれば三難共に妨碍とならず。 況や新池抄首尾諫暁八幡抄と文義符合せるをや。 一、他書八箇條にいわく、問う、上の道理文証の如きはかつて不受の理無し。 もし然れば昔より以来何ぞ不受不施の制法あらんや。 答えていわく、不受の義経文等に於いて一としてその証拠無き故に釈尊の制戒に非ず。 また祖師の行跡並びに御書判等にかつてその明拠無き故に祖師の禁止に非ず。 但し中古の師時宜に随って息世譏嫌戒を守りしばらくかくの如し。 もしまた不受の制に依り却って世の譏嫌を招かばこの法度を用うべからず。 取捨得宜不可一向適時而已等これをおもうべし云云。 これ迄は万民に約してこれを論ずる事この條目上来を結して別に所以無き故に弾もまた闕す。 一、他書九箇條にいわく、万民の施物受不受の事国王国主は沙汰の外なり。 国王国主に対しては受と不受と施と不施とを論ずる事無し。 その故は国王等に対して施す事無ければ施不施の論無し。 また昼夜不退に国主の施を受く故に受不受を論ずべき無し。 故に受不受施不施の制法を絶するものなり。 また万民に対する時偏に不施の制を立つるに非ず。 悲田恩田並びに親睦等の縁に対してこれを施すことこれ制の限りに非ず。 今新たに不施の制を立つる事これ断善不信の謗者を貴敬して供養を設くるに就いて立つる所の制なり。 およそ沙門に於いては挙足下足及び一滴水等これ皆国主の供養なり。 況や地子寺領に於いてをや。 故に国主に何ぞ不受の制有らんや。 宝積経百十三巻宝梁聚会にいわく、もし非沙門有りて自ら我はこれ沙門なりと言う。 この大地に於いて乃至涕唾分処有る事無し。 況や挙足下足去来屈伸をや。 何を以ての故に過去の大王この地を持して持戒有徳の行者に施与し中に道を行ぜしむ。 天台止観の第一五十三丁にこの文を引き釈していわく、宝梁経にいわく、比丘比丘の法を修せずば大千唾処無し。 況や人の供養を受けんや。 弘一の下五十三丁にいわく、経にまたいわく、もし非梵行乃至中に道を行ず。 これ則ち地子寺領は沙汰に及ばず。 挙足下足並びに一滴の水も出家に於いては布施供養なる事文明らかなり。 弾じていわく、まず国主に対して受不受の沙汰無しと云うこと西を東と云うほどの迷謬なり。 万民の受不受は吾が宗行者の心に任す。 必として責むる者なし。 歴代の公方より折紙等を頂戴する事まさしく国主の施を辞する故なり。 然れどもまた官位所領等をば賜り来る事源御講記より起こって国主所賜の物に仁恩供養の違目有るが故に受不受の料簡有るに非ずや。 また汝が義にしては世出を弁えず、単に国主より供養を受くる一辺に帰する故受の名はまさしく国主に約すべし。 何ぞ受を論ぜずと云うや。 また汝が義ならば万民をも勧めて受くるが功徳と云う故万民に於いても受の一辺なるべし。 何ぞ受不受の異論あらんや。 また先年大仏供養並びに延池の諍論はまさしく国主に付いて受不受の論にあらずや。 日乾日遠等国主に就いて受の義をつのるは汝が所破に当たるになんぬ。 何ぞ恐慮せざるや。 およそ宗旨開闢よりついに万民に付いて受不受の論有りて公庭に及び水火の難、流死の罪等に会いし人をきかず。 何ぞ妄説を吐くや。 国主に於いて施不施の論なしと雖も已に不受と不施と一双の熟語なる故に言総して呼ぶなり。 汝が義の如くならば兄をも弟をも世話に通総して兄弟と云うは一字あまれりと云うべけんや。 笑うべし。 然るに施の字俗に約し、受の字僧に約するの便及び財施法施僧俗分配の義を知らばかようの戯論あるべからず。 十住毘婆沙論第七五丁にいわく、この二施の中に在家の人はまさに財施を行ずべし。 出家の人はまさに法施を行ずべし。 何を以ての故に、在家法施出家に及ばず、法を聴受する者在家の人に於いて賎薄なるを以ての故に。 また在家の人は多く財物有り。 出家の人諸々の経法に於いて読誦通達し、人の為に解説し、衆に在りて畏るることなし。 在家の人のよく及ぶ所にあらず。 また聴者をして恭敬の心を起こさしむる事出家に及ばざればなり。 またもし説法して人心を降伏せんと欲する事出家に及ばず。 またいわく、出家の人もし財施を行ぜば則ち余善を妨げまた行を妨ぐ。 阿練若処空閑林沢に遠離す。 出家の人財施を楽しまば悉くかくの如き等の事を修行する事を妨ぐ。 もし財施を行ぜば必ず聚落に至り、白衣を与う事に従って多く言説有り。 もし事に従わざれば財を得るに由無し。 もし聚落に出入して声色を見聞する時は、諸根摂し難く三毒を発起す。 また持戒忍辱精進禅定智慧に於いて心薄し。 また白衣を与う事に従えば利養垢染して愛恚慳嫉煩悩を発起す。 思惟力を以て自ら心志を抑制すと雖も弱者或いは自制せず、或いはすなわち死を致し、或いは死等の諸悩苦患を得、五欲に貪着して戒を捨て俗に還る故に名付けて死となす。 或いはよく戒に反して多く重罪を起こす。 これを死等諸悩苦患と名付く。 この因縁を以ての故に出家に於いては法施を称歎し、在家に於いては財施を称歎す。 この文を見ば受施の相貌自ら明瞭なるべし。 次に彼の宝梁経止観弘決等を引くと雖もかつて文旨を解せずあたか?を蒙って壁に向かうが如し。 これらの文は還ってこれ仁恩供養各別の証拠なり。 今まず宝梁経の全文を引いて文意を点示し、並びに止観弘決引用消釈の旨趣を弁明せば汝が非義自ら顕るべし。 宝梁経にいわく、この大地に於いて乃至涕唾分処有る事無し。 況や挙足下足去来屈伸をや。 何を以ての故に、過去の大王この大地を持って持戒行徳有る者に施与して中に於いて道を行ぜしむ。 迦葉これ破戒の比丘は挙足下足の処一切の信施この人に及ばず。 況や僧坊及び招提僧舎経行の処をや。 もしあらゆる房舎床敷園林所有衣鉢臥具医薬一切信施受くべからざる所なり。 経文初めに於此大地より令於中行道に至る迄堅く国主仁恩の施にして布施供養の義に非ず。 持戒有徳の言に執して出世の供養とする事なかれ。 仁恩豈破戒悪人に施さんや。 また施与の言世出に亘るが故に局情すべからず。 これ私の料簡に非ず。 止観にこの文を引いていわく、宝梁経にいわく、比丘比丘の法を修せず大千唾処無し。 況や人の供養を受けんや。 破戒の比丘は国主の恩を報ずる事あたわざるが故に恩分の地芥子ばかりもなき道理なり。 これに依って大千無唾処と云う。 また破戒の比丘は崇敬信施を謝する徳有らざるが故に次に況受人供養と云うなり。 故に始め一段の文は仁恩にして供養に非ざる事必然なり。 次の迦葉是破戒比丘の下仁恩と供養と明らかに二節に説く。 始めに挙足下足処とは略して国主所施の世間恩分の処を挙げ、一切信施とは略して信施供養を標し、不及此人とは上の二句をつらぬく。 上の二種破戒の比丘に及ばずと云う文なり。 況僧坊の下は上の国主恩分処の挙足下足を況出して広くその体を出し、若有房舎の下広く上の信施の物体を出し、その終わりに所不応受と結するなり。 故に止観にこの文の意を取って引いて、国主所施の仁恩の外に況受人供養と云うなり。 輔行にいわく、この人乃至大地唾処無し。 況や去来屈伸をや。 何を以ての故に過去の大王この地を持して持戒の比丘有徳の人に施し中に於いて道を行ぜしむ。 況やまた余物僧坊四事をや。 この文初めは国主所施の仁恩次に況復の下は経文の若有坊舎の下四事供養等の意を牒す。 則ち止観の況受人供養の心に当たるなり。 故に知んぬ、経文止観輔行の意一轍にしてみな仁恩供養の二段を分かてり。 もしかくの如く料簡せずんば経文の況の字おだやかならず止観輔行の文一向に会得し難かるべし。 所詮国主の仁恩も破戒の人には及び難き理を挙げて強く破戒の比丘を呵責する。 これは宝梁経一段の大綱なり。 出世の違目なお次の段につぶさに弁ぜん。 一、他書十箇條にいわく、総じて一滴の水一足の地に至るまで国主の恩に非ざることなし。 故にその地を踏みその水をのみ、役無くしてこれを受用せば則ち国賊たり。 士農工商各々その役有るが故にこれを受用してその役を闕ぐは国賊と名付く。 出家に於いては給使奉公を勤めず、商売をなさず、工巧をなさず、田畠を作らず。 もし然れば何の役有らんや。 いわく沙門は戒行堅固にして国家安全武運長久の丹誠を抽んでまた国君先祖の菩提を弔う。 これ沙門の役なり。 故にこれを受用す。 この役無ければ国賊なり。 故に沙門に於いては一足の地一滴の水布施供養に非ずして何ぞや。 弾じていわく、もし国主の所施皆供養なり国中の所有皆布施なりと云わば、四恩の中の国主の恩と云うものなし。 何ぞ諸経論に国主の恩を報ずる事を説き給うや。 吾が祖四恩抄の中に、また国恩を報ずべしと判じ給い、また一処の御妙判にいわく、されば日蓮貧道の身と生まれて父母の孝養心にたらず、国恩を報ずべき力なし。 今度頸を法華経に奉ってその功徳を父母に回向せん。 その余りをば弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなり。 もしすべて供養ならば報ずべき恩分なし。 如何。 是一 そもそもまた一切を皆供養と云わば面面各々の主君父母賜う処のもの皆国主の供養なりや。 もししかれば父母の恩というものもなし。 面々の主君の恩もなしといわんや。 是二 およそ地水はもと一切衆生の同業の感ずる処。 またこれ面々の恩処あれども、王はこれ統領の主なるが故に王の水土と名付けてこれを飲み、これを行く。 これ則ち国主の通恩なり。 故に大乗本生心地観経にいわく、三に国王恩とは、福徳最勝にして人間に生ずと雖も自在を得。 故に三十三天の諸天子等恒にその力を与え、常に護持するが故に、その国界山河大地より大海の際を尽くすまで国王に属す。 一人の福徳一切衆生に勝過するが故に、これ大聖王正法を以て化してよく衆生をして悉く皆安楽ならしむ。 また後訳華厳経にいわく、国に君主有り、一切安き事を獲。 これ故に人王一切衆生安楽の本となす。 在家出家精心道検皆正国に依り住持する事を得、演化流布す。 もし王力無ければ功行成ぜず、法滅して余り無し。 況やよく利済せんをや。 この故に修する所の一切の功徳六分の一常に国王に属す。 願わくば王福山の如く崇固にして壊し難からん。 文の心昭然なり。 これ則ち国主と万民と共業の因縁由籍の義有るが故に六分の一国主に酬うなり。 これを思うべし。 心地観経に尽属国主と云えるも一法の二義なる故に属というなり。 もし汝が義の如くならば万民は国主の所領なる間六分共に国主に帰すと云うべし。 何ぞ六分一というや。 心地観経に正法と云えるは政道正しきを云うなり華厳の正国と同じ。 是三 およそこの土は一仏の化境にして教主に属する辺これあれどもまた業感に約して衆生に属する辺これあり。 されば玄義六 二十八にいわく、この神変を用ゆ、もしは多く、もしは少なし、倶に妙を表すなり。 文に今仏入于三昧是不可思議現希有事と云えり。 現希有事はこれ妙の~通なり。 もし依報に応同せば両意有り。 もし国土の苦楽は衆生に由って仏の所作に非ず。 仏はただ応同するのみ。 もし折伏摂受を作さば仏機縁を鑑み、或いは苦国を作り、或いは楽国を作る。 苦楽は仏に由って衆生に関わらず。 今しばらく初意を釈す。 大論にいわく、或る国土にはもっぱら声聞僧なり、或る国土にはもっぱら菩薩僧なり、或いは菩薩声聞共して僧となす等。 云云。 同七 十八にいわく、浄名にいわく、我が仏土は浄し汝見ずやと。 これすなわち衆生の惑見の差別なり。 仏土に関わらざるなり。 もし今この三界は皆これ我有なりと言い、諸土浄穢の調伏と摂受とは皆仏の所為なり。 譬えば百姓土に居れども土はその有に非ざるが如し。 父の舎を立て父去れども舎は存するが如し。 如来もまたしかなり。 衆生の為の故に仏土を取り化おわって滅に入る。 仏去りたまえども土は存す。 これすなわち仏の土なり。 衆生に関わらざるなり。 釈箋六 三十三にいわく、次に応同依報の中に二、まずは重ねて所属の両意の不同を判じ、次に今しばらく下はまさしく釈す。 初めの文はその正報を論ず。 なおすなわちまた生仏相摂すべし。 但し衆生は唯理、諸仏は事成なり。 故に一切衆生悉く皆仏の境界の中に摂在せり。 況や所依の土は本これ諸仏の所化の境なるをや。 世の王土の土は必ず王に属すれども、万姓の所居の各々自ら得という。 その実王万姓の為に以て国を治む。 万姓王に帰して家を立つ。 この故に慈を以てし、忠を以てして更に互いに相摂す。 彼此相望むに王に従い義に強し。 今機応の義異を分かたんが為に前は機に従って説く。 故にしばらく釈すという。 況や諸仏の寂理は神に方所無し、所依の寂境を常寂光と号す。 この故に砂石七珍は生の所感に随う。 もしこの意に依ればまた生造に由る。 この故にこれに従って以て土を立てて機と為す。 維摩疏一 六にいわく、或いは有が釈していわく、応国とはこれ衆生集業の所感の故なり。 文にいわく、衆生の類これ菩薩の浄土なりと。 聖人慈悲を以てここに来たって生を現ず。 故に法華にいわく、しかも三界の朽故りたる火宅に生じ衆生の生老病死を度せんが為なり。 有がいわく、諸仏の法身はなお明鏡の一切の色像ことごとくその中に現ずるが如し。 これ則ち一切の国土皆法身の本国より応現す。 国は仏身による。 故に仏国と云う。 故に法華にいわく、今この三界は皆これ我有なりその中の衆生は悉くこれ吾が子なりと。 今この語を詳らかにするにもし応国法身より現ずと云わば即ちこれ自生なり。 もし衆生に従うと云わば即ちこれ他生なり。 衆生仏に対すと云わば即ちこれ共生なり。 もし生を離れ仏を離ると云わば即ちこれ無因にして土有るなり。 皆性に堕つる義なり。 これ即ちすべからく破すべし。 まさに知るべし。 国土のもしは浄、もしは穢、皆不可説因縁有るが故にしかも説くべき者悉く檀機に赴き、皆説く事を得るなり。 垂裕記一 二十二にいわく、二に或有より下、他を叙し執を破するに二あり、初めに他人の偏執を叙し、各々一文に拠って遂に定計を起こす。 豈妙理四性本無なる事を知らんや。 来此現生とは国はこれ民の有、王その中に住すと云うが如し。 国由仏身とは国はこれ王の有。 民その中に居すと云うが如し。 二に四性に約して斥破するに二あり。 初めには四執倶に非なり。 衆生対仏とは前の両計を合するなり。 無因而有土とは荊渓のいわく、計は性過なりと雖も本これ理土、生仏理具し、凡聖一如なり。 計すれば過を成ずれども土体に何の失あらん。 もし計すれば過を成ず。 性執をばすべからく破すべし。 性を破するすなわちこれ事に従い以て説く。 破三は見つべし別論を仮らず。 従事とはもし一向に自他有ること無しと言わば、ことさらに所計をして無因の失を成ぜしむ。 皆性義に堕すとは両師の所執すでに自他に属す。 或いは共と離とを計す。 豈性計を出でんや。 故に皆堕という。 類とは前者くわしく四性を破する事すでに玄義にあり。 二に当知の下は機に随って説くあり。 悉檀機に赴く等とは、いわく歓喜し、生善し、破悪し、悟道せしめんと欲するが故に自他浄穢等の説を作す。 唐決二十七にいわく、玄文第六に国土の苦楽に二種の釈有り。 一には、いわく衆生に由る。 仏の所為に非ず。 二には、いわく仏に由って衆生に関わらず。 云云。 疑者のいわく、釈尊の本願にいわく、我未来に穢悪の国土を出でて十方浄土の擯出悪業の衆生を利益す云云。 知んぬ、所有の苦ただこれ衆生の悪業の所感なり、何ぞ仏に由って衆生に関わらずと云うや。 もししかれば衆生の悪業空しくして果報無けん。 如来の方便還って大悲に背く。 何れの処の経論にか仏方便力を以て衆生をして三途の猛苦を受けしむるや。 しかも不軽の所行、文殊の所化かくの如し。 皆これ長を転じて短ならしめ、重を転じて軽ならしむるの方便なり。 故に受苦の因縁を設くるに非ず。 答えていわく、もし善悪の因を作って苦楽の報を招く事を論ぜばすなわち衆生に由る。 仏に関わるに非ず。 もし苦楽の事を用いて衆生を折摂するに約せばすなわち仏現に由って衆生に関わらず。 まことにおもんみれば苦治に由ってまさに化を受くるによろしければ、諸仏即ち為にこれを作す。 先王の利を製するが如し。 豈苦を以て百姓に加えんと欲せんや。 けだし至仁なり。 諸仏もまた然り。 折摂の為の故に強いてこれを現ず等。 云云。 所引の文分明なれば細釈するに及ばず。 籤の六に強弱の義を作ると雖も両属の義必然なり。 生仏相対せば迷悟はるかに隔たり、妄想と実境と胡越万里なれども、悉檀赴機の日自他両向の義を存せり。 況や国主と万民と共に実業の所感にして迷中隔歴の差相宛然なる時豈全く庶民業感の辺を泯して偏に国主の所有なりと云う義を成ぜんや。 一を解すれば千も従い、一に迷えば万も惑うとはそれこれを云うか。 是四 また恩を知って恩を報ずるは人倫の習いなり。 然るを皆供養の義にしてその恩にあずからずと云うは最も不知恩第一の者なり。 何ぞ畜類に異ならん。 是五 在家は士農工商の役を勤めてその国用を弁じその厚恩を謝す。 もし在家の中にも端拱無為にして空しく国用を費やすは豈賊の義に非ずや。 沙門に在りては専ら戒行をつとめ、仏法を弘めて国中の諸人を勧善懲悪せしめ、国家安穏武運長久の懇祈をこらし、国君先祖の仏果菩提を期し、これを以て報謝に備う。 豈これ国賊ならんや。 是六 |