名詮自性記
名はよくその自性を顕す者なり。故に釈に、名は自性を詮すと。 その性聖人に非ずして聖の名を得る者は聖人の名を盗める盗人なり。 賢人もまたしかなり。 故に良き名を得る者はその名その性に過ぐるを恥づ、行を励まずんばあるべからず。 故に賢聖の性とすべき理を求む。 内典外籍の好語を集めて以て自鏡となす。 それ聖人に二有り。 一には世間の聖人、いわく、唐尭、虞舜、老子、孔子等これなり。 二には出世の聖人、いわく、正?知、仏、世尊これなり。 初めに世間の聖人とは、弘決一にいわく、聖とは風俗に通ずるを言う○その吉凶に合す。 云云 私いわく、世の聖は仁義天理に達しよく物に応じて窮る所無し。 これ誠に私欲の弊無心虚明清徹の故なり。 次に出世の聖人とは、弘決一にいわく、今出世の聖○その冥顕に合す。 権智は十界差相を知り、実智は真如一実の理を知るなり。 名義集に阿離野これには聖者と翻じまた出苦者と言う。 孔子伝にいわく、事に於いて通ぜざる無しこれ聖と言う。 孔子魯の哀公に対っていわく、聖人は知大道に通じ変に窮まらず物の情性を測る者なり。 応変不窮は聖人万法の理に通じて窮まり無し。 故に阨害に遭いて心窮まらず玄冬の雪中松色なお緑なるが如し。 一、孔子仏を知る事 商太宰?○ 如常 止の五にいわく、人聖の法を得るが故聖人と言う。 弘の五にいわく、実を名付け聖と為す。 円はこれ聖法、極聖を成ぜしむるが故に聖人と言う。 已上。 玄の三にいわく、聖とは破邪法に対するが故に聖と言うなり。 已上。 記の九にいわく、但し出世に非ざるを皆名付けて邪と為す。 私いわく、所詮三諦円融の理を究めて法性の淵底を尽くすを出世の極聖と言う。 一、聖人の域に入る事は漸に習って修練の功に非ざれば叶うべからず。 水の滴り微なりといえどもようやく積もって大器に満つるが如く吾等の智水渇して体に充たずというとも聖人の書を開いて常に怠らずこれを習わばいかでかついに智水生じて胸を潤さざらんや。 智水生じて心潤わば豈にまた聖に至らざらんや。 葛氏外篇にいわく、水積もって淵と成り学積もって聖と成ると。 また水積もらんとすれども器全からざれば水漏れて器に満たず。 智水を受くる器はただ至誠の心なり。 至誠の心は信の一字なり。 故に信は仁義礼智を総じておわりに居せり。 誠に千言万句を学すとも信無くば堤切れて水放蕩するが如くなるべし。 ついに智の験を得べからざるが故に孔子いわく、人として信無きはそのよろしきを知らざるなり。 大車?無く小車イ無し、それ何を以てか行かんや。 云云。 大車小車ともに円転して極まり無き事は?とイとの有る故なり。 その如く仁義礼智を行わんとするとも信が無くば行わるまじきなり。 信と言う心は偽り無き義なり。 学を勤むる心、利の為にするは信に非ず、名の為にするも信に非ず、ただ仁義の天理を心に得身に体し、深く聖人の域に至らんと欲してまた他念無きを信と言うなり。 およそ世間を見るに内典外典を学する人信有って勤むるは無きなり。 ここを以て邪智増長して還って仏法を破り世間を滅する輩世にこれ多し。 正信にして学し世間出世の棟梁と成る者は実に麟角よりも希なり。 人の酔えるをば見て笑えども吾酔いの未だ醒めざるをば覚えず、年去り歳来たって死期早く近づけどもすべて驚く心無く、ただ朝暮に無益の事を言い、無益の事を思惟し、無益の事を営んで徒に日月を送る。 豈に臨終に憂悔せざらんや。 人として遠慮無ければ則ち必ず近き患い有りと言えり。 ただ造次顛沛にも臨終の近づく事を忘れず、来生の受苦必然なる事を思惟してしばらくも放逸に行ぜざれ。 放逸を止むる事はただ聖教の遺誡を守るに有り。 世の末なれば実の善知識なし。 専ら典籍に拠らざれば道の行く処を知るべからず。 故に内外の章疏、或いは古人の明語、或いは和歌の風情等思い出に任せてこれを集め、聖山に登る梯橙に擬する者なり。 この書章段を分かたず、字句を糺さず、ただ連日長夜自が痴心を勧めん為に漸にこれを注す。 甚だ後人の所覧を恥ず。 およそまず凡夫の苦を受くる根源は有執深きが致す所なり。 故に抜苦の秘術空観最も始めなり。 故に慧心空観にいわく、それおもんみれば悪を捨て善を招く方法空観に過ぐる無し。 邪に背き正に向かうの媒介豈に聖教を離れんや。 これに依って一度万法空なりと観ずればよく無始の罪障を亡ぼす。 しばらく諸法無きなりと思えば有漏の輪廻に留まる事なかれ。 またいわく、まさに知るべしこれ畢竟空寂の理は仏道の枢鍵菩提の城門なり。 罪を滅する事犀の一角の水の流れを払うが如し。 悪を亡ぼす事金剛の杵の万物を砕くが如し。 この観を学ぶ人は如意珠を得るが如し、万善四徳の宝をふらすが故なり。 この旨を知る輩は金剛の杵の如し、三毒十悪の根を除く故なり。 この心を発心の始めと為し、この慧を以て道心の相と為す。 已上。 私いわく、この釈誠に空観の徳深重なる事を明かす。 しかるに犀角の水を払う事、金剛の杵の物を砕く事、眼前に未だ見ざれば凡情の心感勢深からず。 ただ雪や氷の堅く積もりたるが熱湯をかくればそのまま消ゆるは眼前に誰も見る事なれば滅罪の譬えに誰も合点しやすかるべきなり。 利根の人は遠き譬えにても悟るべきか。 予が如きの極鈍の者はただ譬えをも近く眼前の事を取らざれば理に通ぜざるなり。 総じて譬えば近き事を引いて遠き法体を悟らしめん為なればいかようにも近くして愚人の早く合点するように譬えを取るべきなり。 沙石 空と言うは無着の心なり。 万法不可得の道理を達する形なり。 不可得ならば執着あるべからず、水月鏡像の如し誰か貪着せんや。 止の十にいわく、諸見の中に空よく一切を壊す。 一切空を壊する事あたわず。 人を引く事甚だ利なり。 今まさにまず空見を観ずべし。 我等が身を観ずるに本来自性無し。 ただ父母の遺体を借って仮に心神を宿すなり。 本来自物に非ざる故にこの身ついに消えて跡なし。 決の七にいわく、愚夫了せず、故に知んぬ無我なり。 この身は悪業の五陰なり。 先世に悪の識受想行を起こして今この悪色を受けたり。 衆縁和合して仮にこの身を成す。 これを執って宰主に立つ、これ虚妄の根源なり。 身は地水火風空識の六界を以て仮に成ぜり。 これ先世の業力に依るなり。 例せば仏師の膠漆等を集めて木像を作れるが年月久しく成りぬれば続ぎ節はなれて各々に成るが如く、この身に業力有る程相続して有れども業尽きぬれば必ず離散するなり。 実に宰主なきなり。 愚痴にして我物と執して妄りに妄念を起こすなり。 沙石 この身は不浄なり。 無常なり。 ○内には仏性常住の妙なる理を信ずべし。 沙石 紀州八幡御託宣にいわく、世に有るは我身を思い、妻子眷属よろずの事を思うが罪にて有るなり。 ただ一時片時も物を思わぬがめでたき事にてあるなり。 悪縁を捨てて遁世する事殊勝なりと。 云云。 沙石 一代の教門方便門広けれども衆生の執心を除き無我妙理に入るほか所詮なし。 沙石 一切苦果の根本はただ執着なり。 根本の我相を除けば枝葉自ら断じ易し。 仏法修行の人根本の我を断ぜずして我相を以て法性を取り、情量を以て解行を立つるは、怨賊を養って子として家財を失うが如し。 奥 我相より一切の悪事は起こるなり。 執心と言うも我より起こるなり。 本無我の処に迷って一つの宰主を立つる故に人を危ぶめ、自ら安んぜんと欲して事々法々我相を起こさずと言う事なし。 この我心に因って現にも諸々の苦を受け、後世はまた火血刀の苦患無量無辺なり。 かくの如く現当の苦患を受くる根本はただ我相の致す所なり。 我が身を助けんが為に我を起こして還って我の為に我が身を損す。 これ誠に大怨敵を我が子と思ってこれを愛し還ってこれが為に害せらるるが如し。 深理の妙法を行ずともまずこの我相の怨敵を除かずんば甘露変じて毒害となるべし。 急いで勤め速やかに習って本無我の理に至るべし。 ただ恐ろしき怨敵は我心なり。 仏法修行に労を尽くしても我心を以てすれば魔道となるなり。 沙石 我相執心を除き名利恭敬を捨てて実の修行は立つべきなり。 奥 仏法修行し剃髪染衣の身と成る、その為をよく案ずべし。 農人は耕作を勤め、商人は海渚を渡って売買を致し、武士は弓箭を事として忠烈を尽くす。 それ家々の能作その品万差なれども畢竟してその為を論ずれば只一命を養い身体を安んぜんが為なり。 仏法修行もまたまたかくの如し。 行々無量なれども畢竟してこれを論ずれば凡情の我想を治し本無の理に入って常住の妙楽を受けん為なり。 これに依って沙門の姿最上厳飾の鬚髪を剃除し、俗服の荘厳を脱ぎ捨てて粗弊垢膩の衣を着するは全く別の子細に非ず。 ただ我想を倒し無我の理に入って世の執着を離れんが為なり。 世の執着を離るること只理無くして離るるには非ず、後世の大利を得んが為なり。 後世の大利は何ぞや。 これよく弁うべし。 世間一旦の身を荘るは綾羅錦繍なり。 これ外物の仮の荘厳にして永き身の荘厳と成らず。 一夕に目を瞑げば一生蓄え置ける珍財衣服一もその身に付けず、ただ経帷一単わずかに身に纏うて情け無く野辺に送り捨つるなり。 玉楼金殿千万の財を尽くし筋力を労しめ種々無尽の造作をして造り出したる我家にも命終われば一日も此に留むる事を恐れ急いで野外に送って空しく墳墓に此を捨つるなり。 これ人の上ならんや。 大地をばさしはずすとも此事ははずるべからず。 これ豈に眼前の境界に非ずや。 故に綾羅錦繍のこの身の為に真実の厳と成らざる事をよく弁えて執着を成すべからず。 また綾羅錦繍を捨てて粗布の荒衣を着して世の執着を切り偏に修行学道して仏身を得れば三十二相八十種好の妙荘厳を以てその身を厳飾す。 これ外物を借れる荘厳に非ず、妙法修行の功力に依って身に得る処の荘厳なるが故に永劫不失の荘厳なり。 これ豈に後世の大利に非ずや。 止の五にいわく仏以三十二相八十種好纏絡其身 無始の生死を物を思う心より○ 沙 人間怱々として由無きぞめきのみ○楽天いわく、往事を追思することなかれ。 ○ 奥 過ぎ去った事を強く思い出す事なかれ。 悔いても還らぬ事をくいくいと案ずるは心労して更に益無き事なり。 また未だ来たらざる事を強く案じ置く事なかれ、不定の世界なり。 いかに思案し置きたりとも当たるべからず。 浮雲を目当てに頼みたるが如くなるべし。 ただ不断の行儀天命仏意違わざるように深く慎むべし。 孟子いわく、君子は法を行い以て命をまつのみ。 註に君子はこれを行って吉凶禍福計らざる所有り。 已上 沙 神力も業力に勝らずと言える、誠なるかな○空華の譬えをよく心得べし。 奥 誠に空花の譬え面白し。 目眩めける時は大山も転ると見る。 目定まれば大山もまた動かずと思うなり。 大山もとより動ぜずただ目の眩めけるに依って妄見を生ず。 万法もとより静なり。 人迷乱して自ら閙しまた深く思い合わしたる事あり。 夢に或いは鬼を見、或いは大蛇を見、或いは怨賊に遭いて怖畏極まり無し。 これ眠りの為に心弊れて跡形もなき妄苦を受く。 或いはまた物に襲われたる時は物来たってしかと胸を押さえ手足を取うると見る。 これを取ってのけんとすれども彼強く押さえて、ちとも身を働かせず、汗水に成って後目ざめて見れば物も来たらず、胸を押さえたる人もなし。 ただ一睡の為に弊われてかくの如きの事を見る。 眠り覚めざる間は傍らにて人これは夢ぞ恐るる事なかれと言えども、その恐れかつて止むべからず。 所詮夢中の恐れを止めん事は疾く目をさまさするに過ぎたる事なし。 三界六道の苦患を止める事もまたかくの如し。 ただ衆生の妄念を晴らし、執着を滅ぼして三諦円融の妙理を開かしめんには如かじ。 心よく地獄の依正と成り、心よく寂光の依正となる。 慎まずんばあるべからず。 玄にいわく、出入息相空中の風の如し。 人我を得ず。 皮肉筋骨芭蕉の如くして実ならずと言う事、誠なるかな。 およそ世間を見るに勇健強力の人も年事ようやく積もって必衰の期必ず来たる。 しかして一旦に命終しぬれば勇健なりし身体即ち爛壊して臭気充満せり。 翠黛紅顔とみに塵埃に同じうして跡形もなし。 秦の始皇、漢の高祖勢い天下を動かせしも名のみ残ってその人はなし。 楊貴妃、李夫人の容色美麗にして万人の心を傷ましめしも無常嵐に散り果てて空しく名のみ残れり。 誠に芭蕉の風に破れて塵土に朽ち果つるが如し。 誰の智有らん人かこれに執を留めんや。 喜楽等の受悉く破壊の相有り、これ苦にして楽に非ずと言う事誠なるかな。 親類兄弟親友眷属に相会いなば互いに喜び楽しむといえども、会者定離の習い必ず別離の悲しみ有り。 或いは酒宴の楽しみ、或いは淫楽の娯び。 一往は楽しめども後に必ず苦しむ。 これ眼前の境界なり。 誠に有為所造の快楽は悉く以て苦の因なり。 無為自然の妙理は常住不変の快楽なり、 よく思うて勤めよ。 深く案じて深く練せよ。 元享十一釈良算○この故に身命を惜しまず苦修練行す。 日影まつ朝顔の上のゆなれやあだし身にあるもろき命は誠にあだに儚きこの身を惜しみ愛するは無下に愚かなる事なり。 世間にけなげなる人も深くこの理を弁えて身に着せぬ人は無しと見えたり。 智者碩学覚え有る人、我想名利いよいよ深くこの身に執着の心愚人よりもなお強しと見えたり。 当世学者と言う人の所行所言を聞見るに只一切悪事の頂上は法師の身の上にこれ有るべしと覚えたり。 恥づべし恥づべし。 これも只浮き身の無常を悟らず、本無我の理を知らざる故なり。 同じ辛労して学問をするならば、只実相無性の理を求めて真実深妙の道に疾く入る事を得べきなり。 三界六道の陋巷に長居して損取るべからず。 沙 知足の人は貧しけれども富めり。 不知足の人は富めども貧し。 楽天の詞に富貴もまた苦有り。 奥 誠に欲心は苦患の根本、無欲は快楽の洪基なり。 ただ万事について少欲知足の心あらば現世にも好誉を得、来生はまた諸仏菩薩善神明王の称美に預かって当詣道場の面目を施すべし。 畢竟現当の安穏は少欲にあり、現当の苦患は重欲に在り、深く思いてこれを慎め。 嗚呼愚かなるかな。 やがて山野に送り捨つる身をさとも弁えずしてこれを結構せんと欲して千慮万計を廻らし人を諂い人を恐れ一生空しく送る、誠にあさましくおこがましき事なり。 我も人も微妙清浄の仏性を具しながら一切これを知らずして徒に六道の貧路に佇む事無下に口惜しき次第なり。 彼の大富長者の子我が身を長者の子とも知らずして他国に乞食流浪して自ら辛苦せしが如し。 きっと思い返して本有の仏性を顕し速やかに下劣の思いを止めて人天大会の為に敬わるべし。 相構えて賤しからぬ我が身なり。 一切衆生一仏性隔てなし。 沙 昔の賢人は皆心静かなり。 心に叶わぬ妻子等これ我が善知識なり。 真実に道に身を入れ如説に行わん人は衣食の二事自然に有るべし。 依報果報生得の分あり強いて求むべからず諂って貪るべからず。 誰の人か長生の齢を持ち○愚かにおこがましき事なり。 一切有為の法は幻の如く化の如し。 已上。 生ずるほどの物ついに滅に帰せざるは無きなり。 人間怱々として。 守護経にいわく、或いは煩悩有ってよく解脱と為り以て因縁を為す、実体を観ずるが故なり。 或いは解脱有ってよく煩悩と為り以て因縁を為す、執着を生ずるが故なり。 云云。 この文肝心なり。 万事は心の向け様が大事なり。 弁慶が義経を打ちしは大忠の至りと成れり。 所従として主君を打つ事は大逆の至りなれども、時によりてその振る舞い大忠勤と成る。 高尾の文覚上人頼朝の御前にて平の六代の事を散々不器用者なり何の用にも立つまじとそしられしは悲しみの至りと成れり。 愚迷発心集に頓に死眼に遮る○仮人なり。 人間の有様依正ともに転変無常なり。 浮雲の聚散するが如し、堅く執すべからず。 急ぎ早く急ぐべきは出離解脱の計なり。 とかく生死の苦を脱れずしては何事を成しても所詮無なり。 造次顛沛にも忘れず心に懸けて計を成すべきなり。 忘れてもなお忘るべきは虚妄実有の謬なり。 諸行無常なり。 妄情にて実有と執すこれ大謬なり、早く愚を忘るべきなり。 すべからく境界に向かうべし。 自性本無にして万法皆空なり。 これ因縁合の所成なるが故に実体有る事なしといえども因縁和合の生ずる処の法は歴然たり。 故に性空なりといえども因果の理濫るべからず。 遁世に三重あり。 一には世を捨つ。 第三重の遁世真実の遁世なり。 世を捨つるは枝葉を断つが如し。 身を捨つるは茎を断つが如し。 心を捨つるは根を断つが如し。 ただ根本を破れば枝葉自ら滅するなり。 已上。 同じ辛労に只初めより根を断つべき事なり。 鈍なる狗は礫をかむ。 利根なる狗は礫を置いて打つ者をかむなり。 諸道共に利なる者は本を勤め、鈍なる者は枝葉に頓着するなり。 小乗の戒は七支を防ぎ、大乗の戒は心を防ぐ、これ皆利鈍の故なり。 大学匠の霊と成って○ 発心僻越すれば万行徒に施す。 已上。 初発心の一念大切なり。 名利の一念発して学すれば秘伝相承を稟くるまでも名利の値となる。 畢竟して苦患の種子となる。 初発の一念菩提の道に志せば低頭挙手皆仏身の種子となる。 名利と菩提と初一念の別るる処、誠にわずかなれども漸々に増長して果てに至って地獄の依正となり、寂光の依正となる。 くれぐれ初発慎むべし、会者定離眼前なり。 口には言えども心にしかと思い当たらず。 されども心を静めて深く思えば誠に外に求めざる事なり。 まず自身先祖類親の会者定離を勘えて法界の会者定離を知るべし。 然れば会う時必ず別離あるべしと覚悟すべし、悲しみて悲しむべきは我法の妄執なり。 くれぐれも悲しむべきは妄我の堅く結ぶ事、空観の力用を以て早くこれを解くべし。 堅氷も日の光用にあいて早く解く。 妄我堅く結ぶとも空観の力豈にこれを解くべけんや。 聖者いわく、凡夫いわく、遙かに外を尋ぬべからず。 凡夫即極なり。 ただ妄我を空しうするを聖人と言い覚者とも言うなり。 娑婆即寂光なり。 ただ我等が妄執に依って寂光の妙土を娑婆穢土と見るなり。 夢中に険難に懸かって辛苦し憂悩するが如し。 かえすがえす聖人の心は人の心を以て心とする故に私欲すべて無し、故に万機に応じて難渋する処なし。 応身縁に同ず、縁長ければ長に同ず、縁促ければ促に同ず。 ともかくも彼自らよる我於いてなすなし。 応身の如来の兎も角も衆生の機に応じて利益し給う如く世の聖人も自性に於いて欲情の私無き故に人の心に応じて凝滞なし。 虚空自性なきが故によく万物に応じて妨礙する処無きが如し。 漁夫いわく聖人は物に凝滞せずしてよく世とともに推し移る。 畢竟法身遍一切処の内証より起こす処の応用なる故に万法に於いて隔てなし。 世の聖人も分に自他不二の内証を得るが故に物に於いて隔礙する処なきなり。 三井寺式部侍従と言いて二人の僧あり。 程なく死せり。 侍従は無学の者なれども心をとなしき者にて小児などの寺。 然ればたとい学は無しと言えども人の用に立ち慈悲心あるものは仏意神慮に相叶うて現当勝利あるべし。 一、怖畏を離るる事。 怖畏に五有り。 一には不活畏、二には悪名畏、三には死苦恐、四には悪道畏、五には大衆畏なり。 この五怖畏は人身を受くる者これ有らざること無し。 如何にこれを離れん。 修無我智。 離不活畏。 不活畏とは渡世の安からざる事を歎く事なり。 渡世を歎く事もその元を尋ね究むれば只我想これ有る故なり。 無我の性を達して空理の内証に住す、何物をか宰主と為さん。 何物をか助けんと欲して労しく怖母を生ぜんや。 畢竟無我の理を習うべし。 我愛とは一の宰主を立ててこれを愛するなり。 衆具愛とはこの身を助くる衆具なり。 家宅雑具衣服臥具等なり。 これらを愛する事も身見より起こるなり。 他人に於いて求むる所有らずして悪名畏を離る。 人の悪名を立つ事は人に物を求め媚び諂って比興の覚悟を持つに依って悪名が立つなり。 人間たる者貪心は有ってしかも悪名の立つ事をば嫌うなり。 今貪求の念を翻して大誓願を発して一切衆生に一切の楽具を与え、只彼を饒益せんと欲して更に我に於いては彼が供養恭敬を受けんと欲せず。 誠にかくの如くならば悪名の畏れ何に依ってかこれ有らんや。 畢竟怖畏は貪求の心より起こるなり。 万法具足の心を持ちながらこの理を弁えずして諂い媚びんは無下に口惜しき事なり。 我見我想に於いて心生ぜずこれ死畏を離る。 已上。 死苦を畏るるもその心の本源尋ね究むれば只我見の故なり、法界の当体本有の生死なり。 本有の法に於いて何ぞ更に怖畏を生ぜんや。 夏はあつく冬はさむし。 これ時節の常と知りたれば更に驚く事なし。 但し兼ねてその用意は有る事なり。 夏は暑くして厚綿の衣用に立たず、故に兼ねて帷を用意して夏の衣に充つ。 冬は寒くして帷用に立たざれば厚綿の衣を用意して冬の衣とす。 これ皆兼ねて用意せざれば時に当たって顛倒す。 死期の逼迫一生の大事急難の終極なり兼ねて用意肝心なり。 畢竟我見身見を生ぜず法界倶寂の妙理に安住するが兼ねて用意なり。 我身を観ずるに因縁和合の身にして実に本有の宰主なし、宰主なくんば何物主と成って死を畏れんや。 この身命終して未来世に於いて必ず仏菩薩と共に会せんこれ悪道畏を離る。 我想我見を生ぜず法界一如の理に住し一切衆生にまたこの妙楽を与えんと欲して一切妄念生ぜざれば一息切断しおわって即ち浄土に生じ一切の快楽を受けん。 これ即ち悪道の畏れを免がるるなり。 世間を観ずるに与等の者無し況やまた過上をやこれ大衆畏を離る。 人我より上位の人の前に出ずる時必ず畏憚の心生ず。 今妙因妙果を得て天中天の尊主と成れば世間に於いて与等の者なし、況やまた我より上の尊人あらんや。 故に一切の大会に於いて恥じ畏るる処なし。 およそ人会合の時身の人に及ばざる事誠に術無くうらめしく覚ゆる者なり。 かようの時は貴人の少し面目あるように言葉を懸けらるれば誠に世にうれしき事に思うなり。 この心を推して天人聖衆御ことばに預かり乃至我身三界の独尊と成って人天大会に敬われ無上の法輪を転じて一切衆生を利益せん時の大歓喜兼ねて思い遣るに喜ばしくうれしき事極まり無きなり。 くれぐれ人情わずかの昇進をもこれを望む習いなり。 一寸の魚龍門に登らんと望むが如し。 もし然らばこの心を推して何ぞ天中天極無上の尊位を望まざるや。 追加 殊に吾が身に五怖畏を具足せり。 速やかに怖畏を免るる法を修すべし。 我が心自ら空にして罪福主無し。 已上。 本無我の処に於いて?って一の我主を生じて千慮万計を生ず、これ実に諸苦の根源なり。 こうは分別して書き付くれども実に我想やみがたし。 苦しいかな、苦しいかな。 心は法界にして虚空の如し本来無我の相なり何ぞ是非を争わんや。 身はまた四大仮に和合してしばらくこの身を成す。 故に一旦に命終れば四大離散して法界の地水火風に帰る。 この時昔我が物として深く愛せし身何くにか在る、ただ路傍の土と成りぬ。 故に心も法界、色も法界にして定主ある事なし、何を宰主として我相を生ぜんや。 これ得解の観に非ず。 眼前の境界にして迷うべき事に非ず。 家宅雑具等辛苦して求め置き堅くこれを守って深くこれを惜しむとも一息切れおわんぬれば徒に他の有と成って中有の旅、冥途の路に一物も相随う事なし哀れなり哀れなり。 これらの理をよくよく思い解って身にも財にも浮雲の聚散する思いを成して敢えて執心を留むる事なかれ。 ○聖人の釈これを略す。 世親菩薩いわく、寿尽くる時歓喜すること衆病を捨つるが如し。 已上。 この身は衆苦の聚集なり。 一切の憂悩はただこの身ある故なり。 譬えば籠獄の人を苦しましむるが如し、籠破れば苦を免る。 愚人のこの身を惜しむは籠に入りたる者籠を破る事を悲しむが如し。 故に智人はこの身を捨つる事を喜ぶ。 重担をおろしまた籠を出づるが如く歓喜するなり。 また籠を出でても咎を造ればまた籠に入るなり。 たまたまこの身の籠を出でて心自在なる事を得れどもまた罪を作ればまた必ず胎獄に駆り入れられてこの色籠に入るなり。 その罪の根源はただ婬愛なり。 しかればいかなる方便を以て婬愛を絶つべきや。 疏の九に、豈に智慧非ざればよく煩悩を滅せんや。 止の五に、解脱の三刀豈に智慧に過ぎんや。 已上。 雲を吹き払うは風なり。 火を消すは水なり。 闇を除くは灯なり。 木を切るは斧なり。 吾等が心中の煩悩を滅して仏心を得ん事はただ智慧に在るべし。 智慧とは己心の三諦を観じて万徳一念に具する事を知るなり。 啓にいわく、法華経を持つと言うは己身の三身を開くを言うなり。 寿量品に仏にあい難き事を説けり。 値遇すべきこと難しと。 この仏は他の仏に非ず、己心三身如来を見る事難しと言う義なり。 己心の三身を見ん事は三諦三観の行力にて見るべきなり。 ただこの修行肝心なり。 名詮自性記 終 |