萬代亀鏡録

門流清濁決疑集・後 (仏性院日奥)

問うていわく、身延山の外にも高祖自歎の霊地なおこれ有りや。
答えていわく、不惜身命の難にあい給う処は皆そこを歎じて或いは仏土と名付け、或いは寂光と称し給えり。
問うていわく、その証文如何。
答えていわく、証文甚だ多し。
頼基鈔にいわく、日蓮過去に妻子所領眷属等の故に身命を捨てし処いくばくか有りけん。
然れども法華経の故題目の難に非ざれば捨てし身も蒙る難も成仏の為ならず。
成仏の為ならざれば捨てし海河も仏土に非ず。
今度法華経の行者として流罪死罪に及ぶ。
流罪は伊東、死罪は龍の口。
相州龍の口は日蓮が命を捨てたる処なれば仏土に劣るべきや。
その故は既に法華経の為なる故なり。
経に「十方仏土中唯有一乗法」と言う。
この意なるべきか。
もししからば日蓮が難にあう処ごとに仏土なるべきか。
娑婆世界の中には日本国。
日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には龍の口に日蓮が命を留め置くことは法華経の故なれば寂光土とも言うべし。
神力品にいわく、「若於園中若於林中若於山谷曠野是中乃至而般涅槃」とはこれなり。
已上御書

金章の如くんば龍の口を指して寂光土と名付け給えり。
これ法華経の為に命を捨て給う処なる故なり。
また佐渡に於いて最蓮坊に賜る玉章にいわく、劫初よりこのかた父母主君等の御勘気を蒙って、遠国の島に流罪せられたる人我等が如く悦び身に余りたる者は与も有らじ。
然れば我等が居住して一乗を修行せる処は何れの処にても候え常寂光の都たるべし。
已上御書

金章の如くんば佐州の配所を指して寂光土と名付け給えり。
明らかに知んぬ、不惜身命の人の住処は何くも皆これ寂光なり。
人尊きが故に処尊しとはこれなり。
それ法華開顕の眼の前には無間熱鉄なお常寂の厳土なり。
何にいわんやその外の土地に於いてをや。
問うていわく、御書の現文最も分明なり。
はた経文の本拠これ有りや。
答えていわく、前の頼基鈔に引き給える所の神力品の文まさしくこれ金言の本拠なり。
問うていわく、この経文の意くわしくこれを示すべし。
答えていわく、経文にいわく、「於如来滅後応当一心受持読誦解説書写如説修行」云云。
またいわく、「所在国土乃至如説修行」云云。
已上経文

心有らん人つぶさにこの経文を見給え。
幾程も無き二行の間に如説修行の語両処に在り。
この如説修行の人の住処を経に説き給う時、園中と林中と樹下と僧坊と白衣舎と殿堂と山谷と曠野とこれらの処を挙げおわって「当知是処即是道場」云云。
この文に道場とは即ちこれ寂光土なり。
記にいわく、道場はこれ果なり。
云云。
この釈に果とは極仏の境界なり。
内証仏法血脈譜にいわく、即是道場とは常寂光土の宝処なり。
末法今の時法華経所坐の処道俗男女貴賤上下所住の処しかしながら皆これ寂光なり。
法妙なるが故に人尊し。
人尊きが故に処尊しとはこの意なり。
已上血脈譜

当体義鈔にいわく、正直に方便を捨ててただ法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱える人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕れその人の所住の処常寂光土なり。
云云。
已上御書

所詮これらの諸文を出す事は如説修行の人の所住の処即寂光土なる事を決定せんが為なり。
経に若白衣舎と言うが如きは仏閣僧坊は言うに及ばず、在家の舎たりと雖もすべて謗法の意無く説の如く信心清浄ならばその処即ち寂光土なり。
いわんや出家精舎の処に於いてをや。
問うていわく、如説修行の人の住処即寂光土ならばこれに対してまた謗法謗人の住処は即無間地獄なるべきや。
答えていわく、然るべきなり。
疑っていわく、如説修行の人の住処即寂光土なるべき事は証文最も分明なり。
謗法謗人の住処即無間地獄なるべき事は未だかつてその義を聞かず。
くわしくこれを示すべし。
答えていわく、この義最も大事なり。
深く道念に住しよく意地を静めて丁寧にこれを聞け。
それ一乗妙法の玄旨は元より依正不二の極談なり。
故に能居の人善なれば所居の土即ち寂光となる。
能居の人悪なれば所居の土即ち地獄となる。
譬えば帝王の住み給う所は何の処にても都と名付け、或いは王城と号す。
帝その処を去って野人ここに住めばこれを田舎と名付け、或いは辺土と号するが如し。
昔長岡の京の時はこの愛宕の郡は辺土なり。
今帝王ここに在っては即ち都と為り、王城と号す。
長岡の京は今また辺土となりぬ。
地獄寂光もまた以てかくの如し。
ただ人の果報に従って土は存する所無し。
故に疏にいわく、それ依法の国土は皆正報の所感なり。
已上疏文

記にいわく、およそ諸々の依土は皆正報に順ず。
已上記文

この釈に依報とは所依の国土なり。
正報とは能依の衆生なり。
所詮能居の善悪に依って所居の土は地獄とも為り、寂光ともなるなり。
故に元より霊地なりと雖も謗法の人住せば豈に無間地獄と成らざらんや。
問うていわく、道理極成せり。
なお証文を示すべし。
答えていわく、金●論にいわく、阿鼻の依正は全く極聖の自身に処す。
云云。
釈の意は無間の熱鉄受苦の罪人は全く妙覚極果の仏身中に在り。
況や凡夫の身に於いてをや。
これ十界互具の故なり。
故に謗法悪人の住処は性具の無間を顕して依正共に無間地獄となるなり。
問うていわく、高祖御所判の中にもかくの如き証文有りや。
答えていわく、いよいよ分明の証文有り。
秋元鈔にいわく、謗法者の住する国はその一国皆無間地獄と成るなり。
大海には一切の水集まる。
その国には一切の禍い集まる。
飢渇おこればその国餓鬼道と変じ、疫病興ればその国地獄道と成り、いくさ起こればその国修羅道と変ず。
死して三悪道に堕つるのみに非ず乃至この国変じて無間地獄と成るべし。
云云。
已上秋元鈔

また録内にいわく、両火坊と言える謗法の聖人は鎌倉中上下の師なり。
一火は身に留まって極楽寺焼けて地獄寺となる。
一火は後世に日本国の師弟子供に無間地獄に堕ちて阿鼻の焔に燃ゆべき先表なり。
已上御書

これらの明文誰か疑いを為さんや。
問うていわく、謗法の罪に依って依正共に現に無間地獄となる。
道理証文最も明かなり。
一毫の疑滞無し。
また世間悪業に因って現身堕獄の先蹤有りや。
答えていわく、三国の伝記を勘うるにこの証これ多し。
漢土に於いては隋の開皇の始め冀州に十三歳の小児有り。
桑田の中に遊ぶにたちまちに変じて地獄となる。
猛火中に満ちてその身を焼く。
この児叫喚して馳せ走り南門に出んとすれば門たちまちに閉じ塞がる。
東西北の門またまたかくの如し。
これ隣家の鶏卵を盗んで多く焼き食いし報なり。
唐の代洛陽の午橋に家を焼いて人を殺せし盗賊はたちまちに虚空より熱鉄丸を降してその身を焼く。
日本国には武蔵の国、玉の火丸は大地俄に裂けて生きながら地獄に入る。
これ母を殺せし罪の現報なり。
平の相国清盛公浄海禅門は一身燃ゆる病を受けて死せり。
これ強ちに宸襟を悩まし多くの堂塔を滅せし現罰なり。
天竺に於いてはかくの如きの事多し。
慈童女が如きは鉄輪頂に堕ちて頭上に火燃ゆ。
これ過って母の髪を抜きし報いなり。
術婆伽と宝蓮香比丘尼が如きは己が身より猛火出て一身焼けて死す。
これらは欲火熾然なりし現報なり。
この外三国の先蹤くわしく記するにいとま有らず。
世間の罪の報いすら猶すでにかくの如し。
況や謗法の罪科に於いてをや。
最も恐るべし。
最も恐るべし。
ここに知んぬ、悪業極ればその悪即ち地獄と変じて猛火熾然の苦を受け、善業極ればその善即ち寂光と変じて一切の諸々の快楽を受く。
業因業果印の如くにしてたがわず。
慎まざるべけんや。
問うていわく、文証現証誠に分明なり。
道理また極成せり。
もししかれば謗法邪見の大悪人たる日乾何ぞ提婆が如く大地破れて現身に無間地獄に堕ちざるや。
答えていわく、凡識を以て疑いをなすべからず。
所以何となれば如説の行者の住処即ちこれ寂光なりと雖も凡夫の見には只これ常の娑婆瓦礫荊棘の穢土なり。
然りと雖も仏見に任せて疑いを為さずんば後必ず娑婆即寂光と開く。
然らば則ち謗人邪人の住処即ちこれ無間地獄なる事ただ仰いで聖者の見を信ずべし。
何の疑滞有らんや。
この上なお道理を示さばそれ無間に於いて因の無間有り。
果の無間有り。
因の無間とは五逆謗法の二罪なり。
この二罪の中にも五逆罪は最も軽く謗法罪は至って重し。
五逆は鵞毛の軽きが如く、謗法は大石の重きが如し。
故に苦果を受くる事も五逆は一劫にその苦を果たし謗法罪は展転無数劫にもその苦患尽くし難くして十方の大阿鼻地獄を経歴す。
果の無間とは鉄城鉄網猛火熾然たる八万由旬の受苦無間なり。
因の無間とは凡眼に未だ苦の相を見ずと雖も聖者の見には因の処に於いて苦果の相を見る。
況や五逆謗法の因業至極すれば現身に果の無間の極苦を受くる者これ多し。
いわんや後世の無間に於いてをや。
日乾は因の無間を具足し成就せり。
果の無間いかでか虚しからんや。
それ世出の万法因として果に酬いざる無し。
譬えば種を地に蒔くに芽を生ぜざる事無きが如く、たとい劫数を送ると雖もその業因に於いては芥子ばかりも朽ち失する事無し。
或いは現身に受け、或いは未来に償う。
凡眼の見ざるを以て阿鼻の果無しと疑うべからず。
もし現に無間に堕つるを見ざるを以て疑いを為さば当家所立の念仏無間の法門をも用ゆべからざるか。
何となればこの無間の法門はひとえに法然の謗法に依るなり。
しかるに法然上人謗法の咎に依って現に無間に堕ちたるを誰か見たる者これ有る。
然りと雖も経文に堕獄の道理明白なれば諸宗の学者も無間の義を諍わず。
彼の宗も実には口を閉づ。
依法不依人の立義なれば吾が宗已に天下に流布す。
法然無間の義はただ当宗よりこれを言うのみに非ず。
南都北嶺より度々奏聞を経てその義を決定す。
然らば即ち念仏無間の法門は深く仏説にかない、最も金言に徹せり。
今ここに横に入って法然無間の義を論ずる事はいよいよ日乾無間の義を決定せんが為なり。
しかるに罪の軽重を校量するに法然は猶軽く、日乾は甚だ重し。
所以何となれば世間の罪も本来敵者凶害を企つるはその罪これ軽し。
重代の所従謀反を起こすはその罪最も重し。
仏法もまたかくの如し。
法然が謗法は本来の敵者凶害を企つるが如し。
故にその罪なお浅し。
日乾の悪行は譜代相伝の被官謀反を起こし主君を殺害するが如し。
その罪科至って重くその凶害至って深し。
いかでか阿鼻の極底に沈まざらんや。
つらつら事の意を案ずるに在世に於いて直ちに仏に対して怨害を加うる者は多分現身の堕獄なり。
いわゆる提婆達多、善星、瞿伽離、戦遮女、玻瑠璃王等の悪人これなり。
滅後の弘経者に向かって怨嫉を致す者は現身の堕獄これ希なり。
ただ無間の先相に身に悪瘡を顕わし死して後に阿鼻獄に堕在す。
また乃往のいにしえを訪うに不軽軽毀の四衆も現身の堕獄に非ず。
後世に於いて千劫阿鼻の苦患を受け、普事比丘をにくみし苦岸等の悪人、喜根菩薩を怨みし勝意比丘等、覚徳比丘に逼りし大悪人等みな次生の堕獄なり。
また大聖人を怨みし良観道髫「智等も現身の堕獄に非ず。
然りと雖も誹謗の罪科顕然なれば入阿鼻獄の厳誡を免れず。
乾公もまたかくの如し。
現身無間に堕ちずと雖も次生の堕獄何を以てこれを疑わん。
なお疑っていわく、道理文証明白なる上現身後身堕獄の人証甚だ歴然なり。
何ぞ疑うべけんや。
然りと雖も身延山は高祖已来代々の明哲跡を継いで住持し給えり。
殊に波木井鈔には未来際まで心は身延山に栖むべしと記し給えり。
しかるに日乾一人の罪科に依って歴代行功を空しゅうし天下の霊地たちまちに謗法不浄の土と成りて参詣の人皆功徳を失い、結句は堕獄の種因と為らんと。
愚人の疑う所なり如何。
答えていわく、文証人証重々これを示すになお疑慮を残すは愚痴の至り、迷惑の甚だしきなり。
これ未だ宗義の法理を聞き究めず。
未だよく乾公罪過の深重なる事を知らざる故なり。
それ宝山には曲林を斥い、大海には死骸を留めず。
天月は影を惜しまざれども濁水には宿らず。
仏神もまたかくの如し。
利益深大なりと雖も謗法の土には栖み給わず。
延山の法水清浄なる時は高祖の神霊最も彼の山に栖み給うべし。
日乾法師貫首と成りしより後は既に謗法の土と成す。
いかでか神霊を留め給うべし。
今なお正しき先例を引いて汝が惑いを諭さん。
そもそも八幡大菩薩は日本の鎮守として殊に百皇守護の誓願まします。
然りと雖も日本国中上一人より下万民に至る迄正法に背き謗法強盛なりしかば八幡の本懐に違い深く神慮に乖く。

故に百皇百代守護の誓願たちまちに破れて八十一代安徳天皇は西海に沈んで空しく魚の食と為り給う。
八十二代後鳥羽院は隠岐の島に流され、ついに還御無くして十九年の星霜を送りいたづらに島の土と為り給えり。
その後いよいよ謗法興盛せしかば、八幡大菩薩棲無くして去る弘安年中すでに宝殿を焼いて天に登り給う。
高祖もまたかくの如し。
未来際まで延山に栖むべしと欲し給うとも、法水大いに濁れば全く栖み給うべき道理無し。
所以何となれば、八幡大菩薩は謗法の不正直をにくみこの国を捨てて天上し給えり。
高祖もまた謗法の不正直を嫌い給う事八幡の神慮と全く斉し。
八幡の御誓願にいわく、正直の人の頂を以て栖と為す。

●曲の人の心を以て亭とせず。
云云。
この●曲とは謗法の人を指すなり。
正直捨方便の妙法に乖く故に●曲なり。
この書の意まさしく日乾法師を指して●曲謗法の人と言うなり。
その故は祖師代々の正義に背いて己情の邪義を構う、故に、録内にいわく、八幡大菩薩は正直の頂に宿り給う。
別の栖無し。
但し日本国には日蓮一人ばかりこそ世間出世の正直者にては候え。
その故は最明寺入道に向かって禅宗は天魔の所以なるべし。
後には勘文を以て告げ知らしむ、日本国の人みな無間地獄に堕つべしと。
これ程有る事を正直に申す者は先代にも有り難し。
もししからば八幡大菩薩は日蓮が頂に栖み給わん。
已上御書

この意深く吟味すべし。
高祖はかくの如く正直を好んで不正直を嫌い給えり。
もししからば日乾の如き瞋濁●曲不正直の者を以て延山の代々に列ぬる。
高祖いかでか彼の山に栖み給うべき。
所詮高祖在々処々に身延山を歎じ給うは更に別の意趣に非ず。
如説修行の正直の行者栖み給う山なる故なり。
しかるに今濁れる山と成ると雖も道理を破って是非延山に栖み給うべしと言わば恐らくは高祖二言相違の咎に堕ち給うべし。
その故は諫暁八幡鈔等を勘うるに八幡大菩薩は親の不孝の一子を捨てざるが如し。
謗法の氏子を棄て難くして社に留まり給うを霊山の起請を破り給う間無間地獄に堕つべしと高祖大いに呵責し給えり。
この呵責を恐れて八幡は天上し給いぬ。
故に御書にいわく、それがしに支えられて社を捨て給う。
云云。
かくの如く八幡を責め給う上は高祖いかでか濁れる山に栖み給うべき。
世間の事すらその身に行わずして人を責むをば人これを笑いて用いられず。
しかるに高祖一代の弘経つぶさに三業に経て理を尽くし、義を究め、一字一句も金言に違わず身命を捨て刀剣器杖の責めを恐れず、説の如く行じ給える聖師一閻浮提の内に仏を除いて外に誰かこれ有る。
そもそも高祖大士は二千余回の当初霊山会上に於いて釈尊本懐を宣べ給いし時多宝分身一切の諸仏人天大会来集のみぎり、六万恒沙の上首と為り多宝塔中に於いて後五百歳の別付を蒙り、末法弘通の大導師と為り給う。
故に三類の強敵を忍んで世尊付属の三大秘法を日本国に弘め給えり。
死身弘法の烈聖何れの祖師か肩を並べん。
この大威徳おわす故に天照八幡等の大明神をも大家の僕を呵するが如く、散々に弾呵し給えり。
誠に本化の大薩●に非ずんば誰かかくの如き威徳を現ぜん。
しかるに世間の賢人すらたとい身命を失えども二言相違の偽り無し。
ここを以て樊於期と言いし賢人は己が頭を切って荊軻に与え、紀信は身を捨てて漢王の命に替わる。
いわんや大権応作の高祖大士に於いてをや。
既に天照八幡等の謗国を捨てざる神天上しばらく遅滞有りしをば、無間地獄に堕ち給うべしと大いに呵責有りながらその諌言に違背して今日乾等の悪比丘に与して身延山に栖み給わば豈に大いなる自語相違に非ずや。
既に日本国には日蓮一人ばかり世間出世の正直者と書き給える無虚妄の実語虚誕と為るべきや。
もし高祖に於いてかくの如き自語相違有らば誰か上行薩●の再誕と定めて一宗の元祖と崇めんや。
請う道心有らん人ひとえに執情を捨ててよくこの道理を案ぜよ。
いかでか大聖人自語を廃忘して今身延山に栖み給わんや。
誠に木石に非ずんば誰かこの理に惑わん。
御書にいわく、謗法の土は守護の善神法味に飢えて社を捨てて天に上り給えば、社には悪鬼入り替わって多く人を悪道に導く。
仏陀は化を止めて寂光に帰り給えば堂塔寺社はいたづらに魔縁の栖と成る。
云云。
已上御書

金章の如くんば謗法の土をば仏神これを嫌ってその処に留まり給わず。
高祖いかでか仏神に背いて謗地に栖み給うべき。
一切の聖衆謗法の土をにくみ給う事人の糞聚の地を厭うが如し。
一切不浄の中に謗法の不浄最も第一なる故なり。
汝なお疑網啓けずんば今また近き喩えを挙げてつぶさにこれを示すべし。
自今他に問う、ここに久しき清涼の池有り。
天下の万人甚だこれを愛楽し、これに因って身手を浄め、これに因って渇乏を止む。
もし人有ってこの清涼の池の中に或いは鳥獣の糞を入れ、或いは臭りたる死人を入れ、或いは悪瘡の膿血種々の不浄を入れば、人この水を用ゆべきや否や。
他答えていわく、元より清涼の池なりと雖もかくの如き不浄を入れば誰人かこれを用ゆべき。
もしこの水を以て渇を止めんと欲すれば臭気鼻に入って胸を突き、たちまちに嘔吐すべし。
人なおこの池の辺に近づくべからず。
いわんやこれを用い、これを飲む事有らんや。
自いわく、この喩えの意を以て自ら得解すべし。
不浄の至極謗人に過ぎたる無し。
謗施禁断論にくわしく経文を引いてこれを弁ずるが如し。
それ当宗の法理は清涼の池の如し。
故に経に「充満其願如清涼池能満一切諸渇乏者」と説く。
故によく悪業の垢穢を洗い、よく煩悩の渇愛を止む。
しかるに身延山高祖已来の法水は喩えば彼の清涼の池の如し。
このみぎりに臨まん輩豈に煩悩悪業の垢穢を浄めざらんや。
然りと雖も日乾法師瞋濁?曲謗法の不浄は彼の糞穢の如く、また臭りたる死人の如し。
かくの如き不浄の人を以て延山清浄の法水の中に置かば豈にこの法水穢れざらんや。
ここに歩を運ぶ人いかでか現当の損亡を取らざらんや。
一宗の真俗深くこの義を弁うべし。
然らずんば一世の万行しかしながら泡沫に同じ、善根還って阿鼻の因と成るべし。
当家の行者眼をここに懸けて最も深く習い究むべし。
豈に安からざる大事に非ずや。
問うていわく、今つぶさに譬喩を聞く。
疑氷とみに釈然たり。
まことに遠く難堪を凌いで歩を延山に運ぶはひとえに滅罪生善の為なり。
しかるに乾公住山に依って法水不浄と成りては労しく歩を運んで何をか為さん。
ここになお疑い有り。
今延山に参詣して功徳を得ず、無益の苦行と成らん事は道理最も明かなり。
但し堕獄の種因と為らん事は未だその義を弁えず。
甚だ過説に似たり。
如何。
答えていわく、さきに妙判を引いて言わずや。
謗法の堂塔等には仏神栖み給わず。
故に悪鬼魔王入り替わって多くの人を悪道に導くと言えり。
この悪道豈に地獄に非ずや。
魔鬼正法を障うるは人をして三悪道に堕さしめんが為なり。
三悪道の中には地獄道に堕す事天魔の本意なり。
所以何となれば、魔の心念はただ人をして久しく生死に留めしめんと欲す。
しかるに生死の苦永く出離し難きは地獄界なり。
例せば身子尊者六十劫菩薩の行を修せし時に乞眼婆羅門が責めに遭いてたちまちに菩薩の行を退して三千塵点劫が間生死に流転し多分は地獄に在るが如し。
魔障悪知識甚だ以て怖るべき故に魔の人を悪道に導くこと地獄を以て本と為す。
余道は魔の素意に非ず。
問うていわく、仏神栖み給わざる堂塔に何ぞ必ず魔王来たって住するや。
答えていわく、国に良将無ければ敵人乱れ入って人を殺し、国を亡ぼす。
家に主人なければ必ず盗人入って害を為し、財を奪う。
堂社もまたかくの如し。
仏神栖み給わざれば魔来たって必ず住し禍いを起こし人を損す。
謹んで一経の説を開きたるに第六天の魔王なおよく生身の仏の身中に入り悩乱を為す。
いわんや堂社木像の中に入る事を得ざらんや。
問うていわく、天魔人をして地獄に堕さしむるを本意と為す証文如何。
答えていわく、録内にいわく、第六天の魔王は一切衆生の仏性の本心を誑かしてただ悪のみ勧めて三悪道大地獄の中に堕さんと欲す。
已上御書

この文豈に明証に非ずや。
然らば即ち何なる霊地と雖も謗法の人住すれば仏神その処に栖み給わず。
仏神栖み給わざる故に魔王来たって住す。
魔王住する故に人の善法を妨げて地獄に堕さしむるなり。
故に謗師日乾を以て延山の代々に列ぬるは衆聖霊神全くこの山に住し給うべからず。
衆聖霊神住し給わざれば豈に邪魔悪鬼乱入して住せざらんや。
邪魔悪鬼住せば参詣の人を誑かして豈に地獄に堕さざらんや。
これ聊か私の料簡を加えず、ひとえに仏祖の遺誡に任す。
汝疑う事なかれ。
汝怪しむ事なかれ。
ここに問者信伏していわく。
今つぶさに宗義の淵底を承るに疑網すべて晴れぬ。
雲霧を開いて天の三光を見るが如し。
誰か猶予を生ぜんや。
悲しいかな、今世間の人邪師を知らずして妄りに恭敬を加え、今生には色心を苦しめ、来生には阿鼻に堕在せん事文明らかに、理審らかなり。
誰か歎かざらんや。
誰か悲しまざらんや。
喟然なるかな、高祖已来代々の明哲法理清潔なる事雪の如く、玉の如し。
しかるに乾公が代に至って謗法の土と為り、いたづらに魔縁の栖と成りし事心有らん人誰か傷嗟せざらんや。
今また問う。
如何がして身延山の法水を浄め天下の人をしていにしえの如く参詣せしめんや。
答えていわく、身心の罪垢を浄むる事懺悔に過ぎたるは無し。
然れば昔の嘉祥大師の如く日乾深く改悔有らば延山また清浄の霊地と為るべし。
もしまた邪見改まらず、改悔の意無くんば延山貫首の名を削り、日乾を代々に列ぬべからず。
然らざれば延山を浄むる義別にこれ有るべからず。
不審していわく、日乾も先年已に改悔有りし事天下その隠れ無し。
何ぞ重ねて改悔に及ばんや。
答えていわく、一旦改悔すと雖も大悪義未だ止まず、専ら宗旨の法命を断たんと欲す。
これ前代未聞の悪行諸人耳目を驚かす所なり。
この義天下皆知れる事なればくわしく記するに及ばざる者なり。

門流清濁決疑集  終