萬代亀鏡録

奥聖鑑抜萃・5 (仏性院日奥)

一、師ののたまわく、煩悩の数甚だ多しと言えども根本は十悪なり。
この内にも五利使は得禅の外道の見計なれば今有るべからず。
五鈍使の内に疑煩悩は信力の一を以て打ち破るべし。
無疑曰信の釈の心なり。
かくしてみれば残って但四なり。
慢心は六即の位をよく知りたらば是もあるべからず。
愚痴は絶やしがたき事なれども是れも分に智慧を研いて断ずべし。
瞋恚はただ我心深き故なり。
本来我は無き者なり。
妄りに計して我心を起こすなり。
夢中に人と闘い争うが如し。
覚めてみれば争いし他もなく諍いし我がことばもなし。
ただ夢の不思議として無き人を見て争いの心を起こす我心強盛なり。
我等行住座臥の我心もまた是の如し。
本来自他不二の理に迷って自他分別の思いを成し自ら安んじ他を危ぶめんとす。
これに依って還って大苦悩を受く。
自を苦しめ他を安んぜんと欲わば自ら自も泰然なるべし。
かくの如く常に思念をなさば瞋も自ら薄くなるべし。
貪欲はまた離れがたしと言えども婬貪は容顔うるわしき女人の死したる姿を観ずべし。
生ける時の形は跡形もなく色変じ替わり誠に面を合わすべき事もうるさくなり、増して副わん事は一夜の間も誰か随うべき。
かくあさましき女色に心を悩まし日月を徒に送る事愚かの中の愚かなり。
これは死したる時の事なり。
生きて居る時とても薄皮一重引き覆いたればこれを浄しと思いて着をなす。
皮の一重の下を思いやれ、ただ血と肉と骨と膏と尿屎とその外一切の不浄を集めてこの中につつみこめたり。
この理を常に思わば男女の好色に於いて何の愛着あるべき。

一、およそ人の悪名立てらるる事欲心にはすぎず、これよく捨離すべき事なり。
いかに欲心を構えたりとも先因なくんば貧しかるべし。
たとい欲心なくとも先因あるほどは富み栄うべし。
思えばこの世は仮の宿なり、何ぞこの世にいつまでも留まるべき思いをなさんや。
常住の思いを成すに依って欲心を構えわりなき非分をなして今生には悪名を流し後世は閻魔王の責めを蒙るべし。
それ欲心もしかしながら我が身をよくせんが為なり。
しかるに欲心還って我が身を損ずる事刀剣にすぎたり。
ただ折々世の中の常無き事を思わば自ら妄欲も薄くなるべし。
云云。
右の欲心に二あり。
一には財欲、二に婬欲なり。
取り分け婬欲の身を亡ぼす事を恐るべし。

一、七月三十日書物を渡し給う時のたまうよう、これは汝に跡を譲るべき故にかくの如くせり。
もしその筋目立たずんばさいて捨つべし。
汝をかく思うは別けて頼もしく思う故なり。
贔屓とは言いながら只には非ず。
まず我が思う心は星陽、本理、比企谷聖人なんどよりは頼もしく思う故にかくの如くなり。
世人は談義者学問者と言うてそれを本とするなり。
我はさには非ず、心持ちの真実に頼もしきを本にするなり。
談義者などは一往の者なり。
そればかりにて真実の用に立つと言う事はない者なりと。
云云。
我申さく、さには有らざる者を結構に思し召すは還って迷惑なる事なり。
一大事の事なりと申す。
この時またのたまうようは我はかほどに思うが、もし汝が心違わばなお閑もなしと。
云云。
吾申さくなにしに心をたがえ申さんと。
師のたまわく、それは知れぬ者なり。
人の言いなしようで心替わる事も有る者なりと。
云云。
これは我を恥ずかしめ給う御ことばなり。
よくよく慎むべし、慎むべし。

一、丑七月二十九日師ののたまわく、我死したる後までも三大部を覚ゆる事をばやむべからず。
今の分にして正行院日源の年頃までいきて居るならば日源日住などの学問よりははるか勝るべし。
それも汝が一分の力に非ず。
あの衆の恩なりと。
云云。

一、己丑八月六日御前にて柿を食いければその中に一の虫あり。
我これを見て師へ申すよう、さてこの小虫にも十界三千の依正を備えたる事は不思議の事なりと申せば、一微塵に十方の分を具するが如しとあるほどになど。
云云。
これらの虫は三千の依正を具したれども少なく具せり。
上界ほど大いに具するなり。
心狭き一衆生自身と思う故にようやく促して螻蟻と成り乃至●螟と成ると言う釈を引き給えり。
またこの時上界ほど心平等なる事をのべ給えり。
人間の上にも親あて子をあまたもてり。
その子の中に独り抽んでて我一人に財宝を与えられよ、余の子には無用なりと言わば親の心はいづれの子をも平等に思いけるに吾一人にと言わば還ってその子をば見かぎるべし。
これは親の心平等にして子は只えせ者なり。
また我が身にても先度法音院来たって仏法を平等にかせぐと言う内にもただ我が身の良いように計り語りける。
これも吾が心には狭き心なりと思いてみかぎる心あり。
次第に上界までかくの如し。
帝釈修羅の戦いもまた梵天なんどの御心にはさていらぬ狭い心なりと思すべし。
それより次第にのぼり声聞縁覚の心をば菩薩はまた狭しと思すべし。
仏の御心は法界一心の御心中なればいかに楽しみなるらん。

一、師ののたまわく、我御書の内にも形の如くし覚えたりと思うは観心本尊抄、安国論、開目抄、四信五品抄などなり。
これは我死したる後なりとも自らよくすべし。
安国論は二度講じけりとぞ。

一、師寺をもち給いて初の程は借銭に沈みたる寺にてありしを様々にさたし給いて借銭をなしはらい給い、その後とかくし給いて七堂に余りて造営し給いける事不思議の事なりなどと讃歎したてまつりければ、御主も誠に不思議の重なり、かくあるべしと思わざる事なり。
天然の事なり。
これも物を費にせず少しも仏事につかわんと思いける故に仏意もちとは不便に思し召す故なるべし。
かほどに成りたる上はいかようにも大いに成るべき事なり。
ただ心持ちをよくもちて慎むべしと。
云云。
さて我問うて申さく、いかように心をもちて冥加に叶い申さんやと。
師答えてのたまわく、ただ正路にさえすればよしと。
云云。
この御ことばをよく持つべし。
何に付けても正路にせんと思う心を忘るべからず。

一、天正十七己丑二月二十三日師の御物語にいわく、たのもしく思え、この程も虚空に「一天四海皆帰妙法当寺安泰」と唱え給う。
然る程に心持ちをよくもちて行法をせばいよいよ繁昌すべきなり。
云云。
前村雲にても「当寺安泰伽藍成就」と唱え給いければかくの如く諸堂も出来ける間、よく祈らば天下一同の流布も有るべき事なりと。
云云。
また過ぎし夜の明け方に御法蔵におやすみなりけるに、御枕の上の方に自然として金の屏風立てあり。
これを見給いて不思議に思し召し、暫く御目を塞ぎ給いてまた見給えばその時は無く成りにけり。
かように金屏風など立ててみせ給いけるは仏法もいよいよ弘まるべき瑞相かと思し召し合わすと。
云云。
誠に有り難き事なり。
上来の御願文並びに御心記なお甚だ多しと雖も今要を拾ってこれを載す。

典師譲与奥師教誡之頌

信心道念大堅固  法華御書染心腑  本末暗誦不専余
行法修学大精進  交衆他学是分一  一事成弁即起座
三毒怨嫉甚恐怖  万緒不足能堪忍  七字口伝暫不忘
堅守根門心不染  孝行謙下無驕慢  少欲知足識食量
睡酒名利是蜜刀  生死因果強憶持  慈悲通戒徹骨髄
常願一乗広流布  自他頓証菩提果

右十五行教英日甄毎度望むところもだしがたきを謂いこれを頌しこれを書す。
敢えて他見するなかれ。
 天正十六戌子春雨月今日  在判
三毒と慈悲の二句を追加せし故に合わせて十七句と成る。
御直筆を以てこれを写し奉る冥加の至りなり

典師御代万部執行之制札
 禁制妙覚寺

一、当寺に於いて法華読誦執行並びに参詣の輩喧嘩口論の事
一、殺生の事
一、下々の為竹木を伐り取る事
右條々違犯の輩に於いては速やかに厳科に処せらるべき由に候なりよって件の如し

天正十八庚寅二月二十四日
 浅野弾正 在判
民部卿法印 在判

奥師御代万部制札全くこれに同じ。
私いわく、これ則ち一宗万部執行の始めなり。
云云

三通の御譲状
日典事去る永禄丙寅の秋より今天正辛卯夏に至る迄二十六年の間当寺を相続せしめ候。
その内世出に亘り候いて難堪の儀一ならず候と雖も冥の御加被力を以て伽藍並びに衆檀繁栄の段身体に余り恐れ存する迄に候。
向後の儀いよいよ令法久住利益人天の願望成就候いて法灯光を増し三会の暁に及ぶ様にと存ずるばかりに候。
これに就いて自今已後の儀行法学道ばかりにても世間の事欠如候いては時に当たって顛倒の儀候わんか。
また世間の儀諸人褒美候いても行法道念不足に候いては冥の御加護いかが候わんや。
何も一重ばかりにても住持職の儀叶い難く存じ候。
然る処安国坊日奥事行学道念の筋目形の如く整束候。
世間の事も当座の儀はやばやしくは候わね共、聊爾がましき事これ無く候いて首尾相調う様に見及び頼もしく存じ候故、当家台家の法門覆蔵無く閑談せしめ候。
この儀全く自門他門の間贔屓偏頗の覚悟にてもまた当座の見合いにても候わず。
数年の間種々憶度せしめし上にてかくの如く候條、都鄙本末の御真俗御同心に於いては一乗広布使不断絶の先兆たるべきと深く存じ入る迄に候。
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。

天正十九年龍集辛卯六月十四日 妙覚寺 日典 判
 霊宝章疏等残り無くこれを譲り与うるものなり。

当寺相続の事安国坊日奥に相定めおわんぬ。
門中衆檀この一通の旨を守らるべき者なり。
巨細去年六月十四日これを誌しおわんぬ。
 天正二十年壬辰七月二十一日 日典

当家総付属の一通朗師已来代々の深秘日奥に授与する者なり。
いささか以て忽諸することなかれ。
 時に天正二十年壬辰七月二十一日
 行年六十五 日典 判

御諷誦 七通
恭敬白久遠○方今於○千僧の大会を設け唯一無二の丹精を抽んでて法事の儀則を刷い有り。
その旨趣如何。
それ沙羅林に月落ちて影二千余回の空に暗く、龍華日遙かにしてなお五十六億の境に隠る。
吾等衆生二仏の中間に生じて出離解脱の因縁無し。
粟散扶桑の辺地に処して下化衆生の利益を欠き、冥より冥に入って永く出離の期を知ることなし。
然れば今宿善暗に催したまたま慈父の遺誡を聞くを得たり。
曇華の開敷を見るが如く、盲亀の浮木にあうに似たり。
誰かかくの如きの節を聞いて渇仰の思いを成し得脱の種を殖えざらんや。
これに依って真俗異体同心の芳盟を成して大誓願を発して大伽藍を建立す。
これはこれ大覚世尊の宝座、衆聖降臨の霊室なり。
しかしてこの造営を企つること去年孟秋の頃なり。
ここに僧侶自らの房舎未だ成らざるを思わず手に鋤鍬を取り力を修造に尽くす。
檀越渡世の安からざるを顧みず公私の暇を忍び財を傾け志を励ます。
かくの如き勤労に依って一歳未だ満たざるに造功ようやくおわんぬ。
恐らくこれ畿外希有の大堂、洛西無双の伽藍なり。
然らば則ち堂供養を為して妙経一万部の読誦を企てて真俗の深信冥鑑の擁護に依って大法事障礙無くこれを成就しおわんぬ。
これはこれ現世安穏の秘術、後生善処の善巧なり。
半偈聞法の徳なお三千界の宝に勝る。
いわんや百部千部をや。
何に況や数千部の読誦万部の聴聞に於いてをや。
しかるに予この請に赴いて?固一ならず、京都不慮の謗法供養に就いて花洛の寺塔を去り久しく深山幽窟に佇む。
この間の艱難それ誠に尽くし難し。
或いは法敵充満して法具資材等を奪い取り、或いはひそかに讒奏を企て住処を追い、或いは種々の秘計をめぐらし付き副う弟子等を誘い取り、或いは同意の僧侶に於いて無尽の横難を懸け、或いは国主地頭に訴えて理不尽に命根を断たんと欲す。
誠に暫くも王土に栖むべき様もなし。
仮に本坊を出でてよりこのかた一日片時も安堵の思いに住せず。
昼夜悪口の声を聞き朝暮に怨嫉の害を蒙る。
かくの如く過ぎ行く程に正法次第に乱れ、悪鬼便りを得て前代未聞の大凶瑞を起こす。
或いは天土をふらし昼闇夜の如く、或いは大地大いに動じて山を崩し谷を埋め、或いは非時の大風洪水、万民損亡その数を知らず。
これに驚き去る慶長元年九月十三日京都に馳せ登って勘文一通を撰び立正安国論を指し添え御伝奏に付し叡覧に備え奉る。
然りと雖も諸宗の讒言に依って御糺明に預からず。
その後三箇年の間地震等の凶瑞未だ止まず。
この悪瑞の根源経文の明鏡に浮かぶるにいささかも曇り無し。
これ偏に国主に大事有るべき先相なり。
これに依って国恩を報ぜんが為に去年三月二十八日重ねて諫状を以て天聴を驚かし奉る。
愚勘の趣一期を経ざるにほぼ符合することを得たり。
その後天子御悩の時また除悩延命の表一巻を献じて諫暁再三に及び留難重畳す。
幸いなるかな法王の勅宣を帯びて況滅度後の記文にあう。
たのもしいかな、末法流布に生まれて今度心田に仏種を殖ゆ。
多生曠劫の喜び何事かこれに如かん。
しかるに先聖の遺誡危うきを見て三度諫めて用いられずんば山林に交わるの例に任せて深く山谷に幽居せんと欲す。
ここにまた念ずらく、一度元祖の御配処を拝し奉らんと。
これに依って当年閏三月中旬の頃北国佐渡島に参詣す。
彼の島の体たらく心ことばも及ばず、蒼海漫々として険山峨々たり。
盛夏炎天のみぎりたりと雖も残雪未だ消えず、北山の嵐烈しゅうして膚に染み極寒の時の如し。
糧米殊に乏しく一日も忍び難し。
高祖四箇年の御艱難これを想像するに感涙しばしば下る。
かくの如き恩徳を思えば頓に帰ることを得ず、塚原の室内に籠もって三七日昼夜法味を献じ所願すでに弁ず。
六月上旬洛都に帰りおわんぬ。
長途の疲労未だ止まず。
然りと雖も真俗深切の招請強いて辞するに堪えず、ついにこの会に来たって法会の化儀を助くる者なり。
ここに僧侶あまねく衣服を整え座に屈す。
妙経読誦の音は一天に響き、道場荘厳の粧いは綺羅青天に耀く。
しかのみならず聴聞の貴賤は堂上堂下に集まり渇仰の思い肝に銘じ、随喜の涙袂に余す。
それおもんみれば天運循環して往いて復らざる無し。
近年都鄙一同に仏法を破壊すと雖も嘉会の時来たって正法また興ることを得と。
広宣流布の金言豈に唐狷ならんや。
もししかればこの席に来臨の人々は経王の功用に依って無始の罪障頓に消滅し、今生には不祥の災難を払い長生の術を得、来際には妙覚究竟の台に登り、微妙の栄花を極むこと疑い無き者なり。
乃至法界平等利益耳。
よって願札件の如し。

 于時慶長四年太歳乙亥八月二十九日
 開導師本化沙門 日奥 敬白

恭敬白久遠○代々先師等に言さく、まさに今南膳部州扶桑朝当国当寺の霊場に於いて満山龍象僧侶を請じて大乗妙典一千部を読誦し先師日典聖人報恩謝徳増道損生の資糧に擬す。
その旨趣如何となればそれ大覚三明の月の光空しく沙羅の雲に隠れて帝釈十善の花の色徒に退没の露に萎む。
哀しいかな○ここを以て先師聖人去る文禄元年太歳壬辰親月二十四日黄昏病患俄に競い起こりついに本質に返らず、果たして翌日二十五日未の刻行年六十五歳にして娑婆の化縁既に尽き一息空しく閉じて頓に寂光の帝都に帰り給いおわんぬ。
しからば則ち法恩を蒙るの弟子等芳体を抱き法灯の消ゆるを悲しむ、慈訓を受けし檀那等裳を曳いて恩山の頽るを歎く。
爾来光陰夢の如く二百五十の日数を経たり。
嗚呼悲しいかな、日緒めぐると雖も忘れざるは先師慈悲の顔なり。
眼を遮り涙を催す。
哀しいかな、月鏡めぐると雖も忍び難きは尊聖柔和の音なり。
耳に留まり胸を焦がす。
喟然なるかな、去冬の天枝條蕭索として樹貌無しと雖も来春の朝花色燦爛として樹粧をかざる。
然りと雖も黄泉に赴くの人重ねて来たる無し。
憂わしきかな、夕部の月西山に隠れ光閻浮に無しと雖も時を遂い節を待ちまた東天に出づ。
然りと雖も冥途へ行くの人両度帰る無し。
然れば則ち彼の尊体を忍び木を刻み形を成し、或いは画工に課せて姿を写さしめ、朝に影前に向かい香を焼き呪を誦すともその慈音を聞くこと無し。
夕に墓所に詣で花を供え経を誦すともその恩顔を視ること無し。
天を仰いで空しく声を呑み、地に臥して徒に恨みを展ぶ。
つらつら典師存日の徳行を案ずるに幼年の始めより志し学業に深く、蛍雪の窓に書を映し閑灯の前に文を諳んず。
ある時は峨々たる険山をこえて笈箱を千里の外に負い、ある時は漫々たる蒼波を凌いで明師を万里の外に尋ぬ。
これに依って当寺に師資相承の遺付を稟け法灯をかかげて二十七の星霜を満たせり。
爾来昼は弟子等に対って三説超過の講経欠如無く、夜は二尊等に向かって十喩称揚の勤行懈怠せず。
しかのみならず修造建立の思い深くして堂宇軒を連ね伽藍甍を並ぶ。
去る天正庚寅の春諸堂供養の為め万部の妙経これを執行せられ都鄙貴賤の渇仰これまた一宗の眉目か。
なかんづく霊宝章疏所有あまねくこれを尋ね広く文庫を作りこれを収む。
誠に尊師の行跡を思うに卑懐少量の計る所に非ず。
短才禿毫のあらわす所に非ず。
忝なくも本化弘法の大導師末法応時の明匠なり。
恩山峨々たり報ぜずんばあるべからず。
徳海漫々たり、謝せずんばあるべからず。
しかしてそれがし十歳にして初めて当山に登り師弟の芳盟を結び剃髪染衣の身と成る。
昼は牀下に侍ってまのあたり聖旨を稟け、夜は机前に跪いて近く法語を承る。
かくの如く星霜相積もって十九年の春秋を送る。
まことにその法恩を思うに泰山よりも高く、ますますその世恩を顧みるに蒼海よりも深し。
この義これを思うに九回の腸を断たんと欲し、この理これを案ずるに千行の涙押さえがたし。
再び恩顔を拝するは何の時ぞや。
愁雲朦々たり、涙雨●々たり。
何の時かこれを忘れ、何の日かこれを晴らさん。
尊師の温雅を聞くに他国遠方の人なお紅涙を催す。
況や門中緇素の愁鬱をや。
何に況や旦暮随逐の我等が悲歎をや。
あまつさえ三通の譲状を賜り世法二財を付与せられ思わざるの外に当寺の貫首と定めらる。
たとい香城に骨を粉き、雪嶺に身を投ぐとも何を以てか徳を謝するに足らん。
伝え聞く熹見菩薩は師恩の為に臂を焼き、雪山童子は半偈の為に身を投げ、輪王は身を燃やし、楽法は皮を剥ぐ。
噫已達の賢聖かくの如し、未達の凡下いかでかその志無からんや。
一日に三たび恒河沙の身を捨つともなお一句の恩を報じ尽くし難し。
いわんや十九年昼夜聞法の恩徳に於いてをや。
ここを以て先師聖人一回の正忌来る七月二十五日たりと雖も善根は急を以て最要となすが故に忌を今月に縮めて一百余人の僧侶を屈し、諸経中王の妙典一千部を読誦し、恩山の一塵に充て、徳海の半Hに擬す者なり。
しかして報恩の道これ多く謝徳の儀品々ありと雖も妙典を読誦するに過ぎたるは無し。
これに依って師恩報謝の為めそれがし愚性を励ます。
去年霜月二十八日妙経十万部の願状を書し典師影像の腹心にこれを収む。
仰ぎ願わくば三徳有縁の釈迦世尊賢聖と共に大慈悲を垂れこの願状に力を添え給え。
十方分身の諸善逝冥衆と共に哀愍し、愚意が悲歎これを納受し給え。
八荒道心の諸緇衆四方信心の諸檀越、予が丹精に力を合わせて共に倶に所願成弁せしめ給え。
乃至法界平等利益耳。
よって願札件の如し。
 于時文禄第二暦太歳癸巳卯月八日
 願主 本化沙門 日奥 敬白

恭敬白久遠○方今於○霊場に満山の僧侶を屈し、一心清浄の丹精を抽んでて先師日典聖人二十五年忌の為め五日の法事を刷い報恩謝徳に擬す。
その趣旨如何となればそれ世に三恩有り。
その中殊に重きは師匠の恩徳なり。
父母養育の恩至って深しと雖も只それ現世に限って未だ来生の飢渇を養わず。
また主君の恩賞その徳軽からずと雖もまた未だ冥途の険難を救わず。
それ師長の恩徳は只現世を扶くるのみならずまた未来永々の苦患を救う。
乃至得道得果皆悉く師君の鴻恩に由る。
誰かこれを報ぜざらん、誰かこれを謝せざらん。
畜類なお聞法の恩を報ず。
況や人倫に於いてをや。
ここを以て昔の熹見大士は身を焼き以て師仏に供養し、檀王は阿私仙の為に玉体を以て床と為し、雪山の小児は半偈の為に身を以て鬼神に与う。
これ皆師恩を報ずる先蹤なり。
後人誰かこれを緩くせんや。
誠に一言の教訓万玉に勝り、半偈聞法の徳三千界の宝に超ゆ。
況や多言の教誡数年の聴法に於いてをや。
予少年当山に登り先師の座下に侍り諸子と共に給使せしむ。
未だかつて怠らず、昼夜教誡を受け晨夕に諫暁を蒙る。
その法恩を思うに須弥山還って卑し。
その深徳を案ずるに蒼溟海なお浅し。
香城の粉骨、雪嶺の投身何を以てか徳を謝するに足らん。
ついに娑婆の化縁尽きて寂光の帝都に帰り給いてより已来光陰夢の如く五々の春秋を送る。
悲しいかな、日緒めぐると雖も先師の慈悲の貌を忘れず眼に遮り涙を催す。
哀しいかな、月鏡めぐると雖も忍び難きは尊聖柔和の音耳に留まり胸を焦がす。
つらつら先師一生の行徳を案ずるに高うして仰ぎ難く、深うして究め難し。
今しばらく九牛が一毛を宣べいささか未聞の聴聞に備えんと欲す。
その本国は備州、その嚢祖を尋ぬれば忝なくも孝霊天皇の苗裔なり。
幼少にして登山し、十四歳にして得度す。
十七歳にして学問の為め関左に下向す。
生知発明学解程なく万群に秀でその名四海に顕る。
しかして後能化の位に備わり広く諸国の学侶を指南す。
三十六歳にして関東茂原常在山の貫主と為り、三十九歳にして上洛有って当寺十八代の列祖と為る。
当山昔は荒廃に及びしも師の戒力を以て七堂伽藍悉くこれを建立す。
しかのみならず仏像経巻霊宝章疏等山の如くこれを集め法命相続の善巧と為す。
その徳天聴に達して叡感他に異なり摂政関白自ら来臨有って書を見文を開いて深く師徳を歎ず。
およそ一期の行業これを記さんと欲するも毛挙にいとま無し。
誠に大権の応作に非ずんばいかでかかくの如き大徳有らんや。
恐らくはこれ本化一類の再誕千歳一遇の明師なり。
弟子等苟もその流れを汲み法水絶えざらん事を願う。
ここを以て師恩を報ぜんが為め況滅度後の重障に当たり度々の法難を忍びぬ。
ある時は讐敵に責められ山林に流離し、ある時は擯出せられ身を深谷に遁れ、結句最後に国主の御勘気を蒙って西海の遠島に流さる。
辛苦堪え難くして十三年の星霜を送る。
彼の島の体たらく東西南北を去る百里の間人家を見ず、海水漫々として眼究る処無し。
青山峨々として日月の光を見ず。
人倫を離れ閑居し人の来たり訪る無し。
高山に登れば頭に天を戴き、幽谷に下れば足に雲を踏む。
昼夜耳に聞くものは岸打つ波の音、朝暮眼を遮るものは遠近の路を埋む雪雹なり。
彼の蘇武が巌窟の苦しみこの俊寛が鬼界島の憂い、殆ど身の上に積み知られぬ。
たまたま召し還さると雖もなお未だ一日片時も安堵の思いに住せず。
誠に師の諫めを蒙るに非ざれば●弱の身いかでか暫くもこの難堪に任さんや。
ただ悦ぶ所は当年時剋到来し天下の仏法昔に帰り法理既に一味と成る。
これ偏に広宣流布の先表、真俗円満の瑞相なり。
これらの功徳いかでか師君に帰せざらんや。
今二十五回の遠忌に当たり寸志を励ますと雖も久しく流浪の身となりしが故に微力合期せず。
いささか本坊の再興を企てこれを以て追善に擬せん。
また満山の大衆にたのみ微膳を備えんと志し五日法事を勤めて謝徳の思いを展ぶるものなり。
仰ぎ願わくば法華会上の諸仏菩薩経王守護の諸天善神哀愍納受を垂れ法味を受け功徳を証明し給え。
重ねて請う一天四海皆帰妙法門徒無為諸人快楽乃至法界平等利益耳。
よって願札件の如し。
 于時元和二年太歳丙辰七月二十五日
 願主 本化沙門 日奥 敬白

恭敬白勧請○霊場に一心清浄の丹精を抽んでて大乗一実の僧侶一千余人を屈請せしめ万部の妙典を読誦し、先師日典聖人三十三年の報恩謝徳に擬す。
その趣旨如何となればそれ世に三恩有り。
師徳二十五年忌に同じき故これを略す。
ここに貧道不慮に遺付を蒙り、徒に聖跡をけがし冥鑑恐れ有り慚愧千端、寝ても席安からず、さめても食甘からず。
昼夜心を砕き恩を報ぜんと欲すと雖も宿障拙くして敢えて意に任せず。
謹んで経論を開くに功徳深重師恩を報ずるに過ぎたるは無し。
ある経にいわく、師恩を報ずるは十方三世諸仏の恩を報ぜんが為なり。
諸仏頂を摩で菩薩守護す。
云云。
ここに微志を励まして去る文禄元年霜月二十八日十万部の願状を書し典師影像の腹心に蔵む。
第三年忌に至り当寺に於いて四千部を読誦す。
その後法難起こり他国遠島の身となると雖も十方の檀那を勧め衆僧の助成をたのみ第十七年に成就せしむ。
十万部。
対馬に於いて供養を展べおわってここに春秋早移りようやく三十三回になんなんとす。
何なる善根を以て恩山の一塵に充て、何なる功徳を修して徳海の半滴に擬せん。
然りと雖も本坊に迂りてよりこのかた常住不退の造営寸暇を得ず、財力共に尽き善根を営むに力無し。
奇なるかな、近年他国遠国より万部興行の時節をしきりに問い来る。
自ら謂くこれ天のみ告げか試みにこの経営を成すべしと。
すなわち末寺に触れて背かざる旨、檀越と語り倶に喜んで力を添ゆ。
あまつさえ他寺他門の助力を蒙り快く大願を成就せしむ。
これしかしながら先師行力の勲功か。
ここに僧侶遠国より登り衣服を整え威儀を正して法事の化儀を助く。
檀越遠路を凌いで本山によじ上り堂上堂下に集う。
読誦の声は青天に聞こえ、音楽の曲は雲上に響く。
聴聞の貴賤渇仰の思い肝に銘じ、随喜の涙袖に余す。
伏しておもんみれば半偈聞法の功徳なお三千世界の宝に勝る。
況や百部千部をや。
何に況や一万部読誦聴聞の大功徳に於いてをや。
もししからばこの席に来臨の真俗経王の功用に依って二世の災難を払い志す所聖霊三界の苦域を離れ寂光の台に登って微妙の栄花を究むること決定して疑い無き者か。
然るに花は根に帰り真味は土に留まる。
この功徳は故聖人日典尊霊の御身に集まるべし。
一天四海皆帰妙法自他倶安同帰常寂。
よって願札件の如し。
 于時元和九年太歳癸亥卯月八日
 願主 沙門 日奥 敬白

私いわく、右万部読誦三月二十八日より執行せらるるか。
誠にこれ大会奥聖の盛事たりしなりと。

恭敬白久遠○当寺仏前に一心清浄の丹精を抽んでて一乗の僧侶を屈し、悲母妙法霊尼十三年忌の為め法会の儀則を刷い離苦得楽頓証菩提の資糧に擬す。
その趣旨如何となれば、それ凡人に二親有り。
父の恩の高きこと須弥山に喩え、母の徳の深きこと蒼溟海にこれを類す。
まことに両親の恩徳何れも疎ならずと雖もなおその養育の志至って親切なるは母の恩殊に深し。
始め胎内に処して三八転の苦しみ、後胎外に生じて摩頂の恩を蒙り、乳味を費やすこと百八十斛。
或いは好味を得て自ら食せず、まずその子に与えんと思い、或いは美衣を得て自ら着けず。
まずその子に着けんと欲す。
造次顛沛も皆悉く子の為ならざるは無し。
畜類なお母の子を思う志ねんごろなり。
然るに竹林精舎の金鳥は卵の為に身を焼き、鹿野苑の鹿母は胎内の子を惜しんで自ら王の前に参ってこれを歎ず。
況や人倫をや。
然るに王陵が母、子のために脳を砕き、神尭皇帝の后は胎内の太子の為に御腹を破る。
されば賢聖集にいわく、母、子を悲しむ、涙落ちて金輪際に及ぶ。
云云。
仏説父母恩重経の所詮、母の恩誰かこれを報ぜざらんや。
誰かこれを謝せざらんや。
ここを以て丁蘭は母の形を木に刻んでこれにつかうること存日の如く、王●は母常に雷声を恐怖す、墓に至ってめぐること千廻。
但しこれらの孝その志を究むと雖も未だ実に冥途の苦を扶けず。
これ偏に仏法を以て孝養せざる故なり。
然らば則ち教主釈尊は悲母の御為に●利天に登り一夏九旬の間摩耶報恩経を説き給い、目連尊者は盂蘭盆経の説に依るに百味の飲食を調え十方の聖僧を供養し母の餓鬼道の苦患を救い、唐の高宗皇帝は先妃の恩を報ずる為め大慈恩寺を立つ。
これらは仏法を以て報恩謝徳に備うと雖も時刻未だ至らず、権教権門の方便にして女人成仏の法に非ず。
なお未だ悲母の恩を報ずるに足らず。
誠に妙法の威力に非ずんば何を以てか女人の業障を滅せん。
経王の勝用に非ずんば何に依ってか真実解脱の楽しみを得ん。
しかるに今弔う所の妙法霊尼は宿殖深厚にして累代一乗信心の家に生まれ、天然として性を貞潔に稟け、心に慈悲仁譲の徳を含み信力他に異なり、供仏施僧の志敢えて廃退無く。
堂舎仏閣に歩を運び数年怠り無し。
外には五障三従の雲に覆わると雖も内には信解明了の月朗かにして宝錦童女の跡を追い、身塵中に居すと雖も五辛肉食を断ち殆ど清浄●芻尼の如し。
手常に経巻を取り口に専ら首題を唱え、兼ねてまた妙経の要品を読誦す。
実に末代希有の信力当今無双の善者なり。
しかるに去る慶長元年七月上旬の頃仮に病床に臥し進退違例す。
これに依って祈療両道その術を究むと雖も定業限り有る故か色力日々に衰え、心神夜々に闇うしてついに本復すること能わず。
果たして八月二十三日辰の刻五十三歳を一期として露命たちまちに北芒の嵐に消えおわんぬ。
悲しいかな、母儀去って後年を数うれば十三歳、日を勘うれば四千余日なり。
年月移ると雖も悲歎更に止む時無し。
夢に非ずんば恩顔を見ること無く、空しき筆跡に非ずんばその慈訓を聞くこと無し。
何の年か悲涙乾くことを得ん、何の日か愁雲晴るることを得ん。
予一言母に聞くこと有り、その旨至って深く夙夜これを念じ朝暮これを思いて深く骨髄に徹し寤寐にも未だ忘れず、これを語るに泪まず前に立つ。
例せば孟母の子を諫めしが如し。
但し孟母はその現世を教えて未だその来生を誡めず。
予母に聞く所は只それ現在のみならず、また兼ねて菩提の道を教わる。
誠に世々の善知識に非ずんばいかでかかくの如きの教誡を蒙ることを得ん。
伝え聞く亀茲国羅什三蔵は悲母の教誡に依って位三賢に登って翻訳三蔵の最頂に居す。
吾朝の楞厳先徳は賢母の諫暁に依って学道万群に秀で智徳を漢土に振るう。
予度々の法難を忍びて門家の法命を継ぐ、源母の教訓を聞くに依る。
その恩の高きを思えば非想天に過ぎ、その徳の深きを案ずれば水輪際に超ゆ。
何を以てかこれを報ぜん、何を以てかこれに謝せん。
しかりと雖も久しく左遷の身たりしに依って孝養の思い心に任せず、いささか微膳を備え報恩に充て五日の法事を勤めて謝徳の思いを展ぶるものなり。
仰ぎ願わくば法華会上の諸仏菩薩経王守護の諸天善神、愚意が丹精を憐れんで哀愍納受を垂れ給え。
幸いなるかな、今日彼岸の結願に当たってこの小善を営む。
梵天帝釈四大天王閻魔法王等定んで法味を餐受したまわん。
ここに僧侶衣服を整えて威儀厳然たり。
歌詠讃頌の声雲に響いて三業清浄懸針懸露の点画を写す。
一字の功徳は満界の宝に勝り、一点の恩徳はまた多生を扶く。
たのもしいかな、若但書写の人当生?利の果報を得、五種法師の輩兜率天上の快楽を受く。
もししからば妙法霊尼この微善の酬いによって無始の業障頓に消滅し宝蓮華に坐せん。
成等正覚の妙果疑い無き者なり。
乃至法界平等利益耳。
よって誦文件の如し。
 于時慶長十三年太歳戊申八月二十三日
 沙門 日奥 敬白

典師十七年大旨同二十五年忌諷誦故抜書
然らば則ち門中の真俗は頭を叩き再び慈訓蒙るべからざるを歎ず。
一天の信男信女は胸を撲ちて法幢の永く倒れしことを悲しむ。
○殊に一宗開闢よりこのかた未だ執行せざる万部の妙経を始めてこれを執行し天下の貴賤渇仰肝に銘ず。
○弟子等苟もその末流を汲み、法水の絶えざらんことを願う。
ここを以て師の高徳を慕うの故に度々の法難を凌いで最後この島に流されて猶多怨嫉の如来の金言、遠離於塔寺の明文符合す。
歓喜の涙押さえ難し。
大海の盲亀の浮木、輪王の出世の瑞華豈にこれに如かんや。
年月早く移り既に九箇年の春秋を送る。
その間勤むる所行学の功常に倍す。
その徳豈に師君に帰せざらんや。
しかのみならず松風颯々の声を聞いては夜もすがら世間の無常を観じ、明月皓々たる光に臨んでは鎮に真常性の月を詠め、窓打つ雨に目を醒しては師のいにしえの教訓を思い、峯嵐の膚を侵すの暁には師の学窓に身を苦しめられしを感ず。
およそ起居動静哀れを催さざるは無し。
寝寤にも忘れざるは師の恩徳、起居にも思う所は報恩謝徳なり。
然りと雖も旅の栖居万事心に任せず、殊に流浪の身となりしが故微志を励ますと雖もその甲斐無し。
いささか微膳を備えて報恩に充て五日の法事を勤めて謝徳の志を宣ぶる者なり。
○重ねて乞う、聖衆経力を得て法楽を増長し、冥衆法味を嘗めて威光を倍増し、一天四海皆妙法に帰し、弘願速やかに成弁ならしめ給え。
乃至法界平等利益耳。
よって願札件の如し。
 于時慶長十三年太歳戊申七月二十五日
 沙門 日奥 敬白

恭敬白○方今於○霊場満山大衆一心清浄の丹精を抽んでて五日の法事を勤め先師日典聖人三十三回忌の報恩謝徳に擬す。
その旨趣如何となれば、それ大覚世尊は三界の主、四生の帰依なり。
入滅を跋提河の辺に告げ給う。
高祖大士は本化の再誕、末法の導師なり。
遷化を武州池上に示し給う。
先師聖人は当寺中興の開基また恐らくは日本一州天下の明導なり。
これ各謂自師の跨耀に非ず、諸門共にこれを許し一切世間その徳を敬わざるは無し。
それ至って深きは蒼溟九重の淵底、これを以て師徳に比するに尚浅し。
至って高きは迷盧八万の峯頂、これを以て師行にくらぶるに還って卑し。
ここを以てその名四海にあまねくその徳八荒に聞こゆ。
吁奇なるかな、玄冬素雪の寒の朝にも氷を叩いて水を結び勤行精進してしばらくも廃退無く、九夏三伏の暑のみぎりにも三衣を離れず、五種妙行かつて退転無し。
およそ一期の行業これを宣べんと欲するに高くして及び難く深くして究め難し。
誠にこれ本化一菩薩の再来、千歳一遇の明師ならんか。
幸いなるかな、弟子等生を末代に受くと雖も宿殖深厚にしてその法水を汲みあまつさえ尊師の座下に侍りまのあたり法音を聞くこと多年、つらつら過去の宿習を案ずるに久遠の大善に非ざるよりはいかでかかくの如き明師にあい奉ることを得ん。
盲亀の浮木にあうよりも難く、優曇華の開敷をみるよりも尚希なり。
謹んで経文を開くに正法の明師に値遇すること梵天の縷大地の針に貫くに喩う。
これを以て計り見るに吾等が輩無始曠劫の喜び何事かこれに如かんや。
ただ恨むらくは無常遷滅の掟は妙覚極果の如来もこれを免れ給わず。
況や人間に於いてをや。
然れば先師聖人去る文禄元年七月二十四日の黄昏病患俄に起こりついに本復し給わず、果たして翌日二十五日未の刻行年六十五歳にして娑婆の化縁すでに尽き、一息空しく閉じて寂光の帝土に帰り給う。
嗚呼歎かわしいかな、法灯にわかに消え法山たちまちに崩れ、門弟真俗の悲歎あだか世尊入滅の時の如し。
光陰矢の如く三十三回。
悲しいかな、夢に非ざれば恩顔を拝すること無く幻に非ざれば万体を見ず。
昼夜の教誡耳に留まり胸を焦がし、不退の慈訓即座の如く心を傷む。
およそ一字の功徳は四輪王の威力に超え、半偈の聞法は三千の金玉に勝る。
況や十年二十年聴法の恩徳に於いてをや。
師の違法に非ずんば一宗の法理恐らくは地に落ちなん、その功豈に大ならざらんや。
何を以てか報恩となし何を以てか謝徳と為さん。
これに依って去年春の末万部読誦の大会を企て報恩謝徳の志を展ぶ。
今また正忌に相当して空しく時を過ごし難し。
ここに一結諸徳等相語っていわく、齢若き輩は五十年の遠忌にあわんこと難からず。
歳半百に余る吾等その期にあわんこと不定なり。
今いかでか随分の報恩を励まざらんやと。
これに因って一山の志の為め各々微供を備え大乗一実の講肆を荘り、二十一日より今日に至るまで形の如く法会の儀則を刷い恩山の一塵に充て、徳海の半滴に擬す者なり。
しかのみならず仮初めに師弟の契約を結び幼少にして離れ奉る類すらなお師恩の深きことを思う。
面々志を尽くして供仏施僧の修善を営むべし。
噫師は三世の契りその縁深くここに顕る。
尊霊いかばかり霊山に於いて歓喜の笑みを含み給わん。
もししかれば尊師門弟子の暹念に酬いいよいよ増道損生の光を増す。
弟子等はまた師の慈念力に依って現世には不祥の災難を払い寿福増長の幸いを招き、後世にはまた四土一念の寂光に至り師と共に微妙の快楽を受く、喜びの中の喜びに非ずや。
願望底深く敬白ことば短うして諸天悉く知ろしめし給わん。
一天四海皆帰妙法自他倶安同帰常寂。
よって願札件の如し。
 于時寛永元年太歳甲子七月二十五日
 願主 沙門 日奥 並満山大衆一同 敬白

奥聖鑑抜萃  終