萬代亀鏡録

諫暁神明記【後】(仏性院日奥)

 答えていわく、証文一つにあらず、法華経第四にいわく、『我遣天龍王夜叉鬼神等為作聴法衆』云云。
 またいわく、『我遣化四衆比丘比丘尼及清信士女供養於法師』云云。
 またいわく、『一切天人皆応供養』云云。
 第五巻にいわく、『諸天昼夜営為法故而衛護之』云云。
 またいわく、『天諸童子以為給使』云云。
 経文明々たり。
 誰か疑網を懐かんや。
 問うていわく、今の経文の如く天の供養を受けたる証人これ有りや。
 答えていわく、如説の行者は諸仏菩薩なおこれを供養し給う。
 いわんや諸天等の供養は、未だ奇と為すに足らず。
 昔天台智者大師大蘇山に於いて、法華の真文を誦し給いしかば、釈迦多宝分身の諸仏、無数の聖衆と供に室内に影響し給う。
 慧思禅師閑静に処して経を誦せしかば、普賢菩薩白象に乗じ来たりて、頂を摩で給う。
 僧定法師法住寺に居して、法華を読誦せしかば、七仏五色の光明を放って道場に現じ給う。
 慧明比丘深山に入って経を講せしかば、大威徳の天人光を放って来下し、八枚の真珠を供養す。
 弘景法師一心に経を誦せしかば遍吉薩捶自ら句逗を授け、天童来たり仕う。
 漢土の伝記略を存ずるにかくの如し。
 また本朝の霊験少々これを記さん。
 性空聖人読誦の功積みしかば、二人の天童常に随って給使す。
 法賢法師法華経を誦せしかば、四天王番々に来たって光を放って守護す。
 蓮防法師江文山に住して、一夏経を誦せしかば、毘沙門天王来下して供養す。
 一宿聖人読経年積みしかば、甘露現前して自ら供養に備う。
 蓮蔵法師大安寺に居して、法華経を読みしかば、梵王帝釈大威徳天庵室の四方の空中に充満し、常に自ら守護し給う。
 仏蓮法師国上山に住して、日に三度澡浴し、精進して法華を誦せしかば、刹女童子と現じて、自ら浴湯を供す。
 光空法師讒をこうむって平公の為に矢を以て射られし時、一心に経を誦せしかば、普賢菩薩光空が命に替わり給う。
 良算法師金峯山に上りて法華経を読みしかば、天女下って礼拝し、鬼神来たって供養を作す。
 定照法師難風に遇い、舟まさに覆らんとせし時、一心に経を読みしかば、十羅刹十童子と現じて、手に舟を捧げて以て向こうの岸に着く。
 かくの如きの奇異典籍に載する所それ誠に尽くし難し。
 今勘うる所は大山の一塵、海水の一滴なり。
 汝疑うことなかれ。
 汝怪しむことなかれ。
 世末代に居すといえども、信仰の寸心を傾けば、誰か一分の霊応を感ぜざらんや。
 第六に時刻相応の本尊を明かすとは。
 問うていわく、聖武天皇東大寺の大仏を建立し給いしかば、普賢文殊等の四聖来たって、供に力を合わせ供養し給えり。
 故に諸仏は納受を垂れ、諸天善神も擁護の力を顕して、国土豊饒万民安穏にして、天下欽仰す。
 しかるに前の大相国平安城に於いて、大仏を建立し給いしかども、四聖の応来も無く、諸天冥道の擁護も聞かず、結句は前代未聞の大地震起こってことごとく仏像をくだき、万民多く亡ぶ。
 故にこの大仏は未だ開眼供養を遂げず早く滅び、相国も程なく他界し給う。
 その後また秀頼願主となって、金銅を以て仏を造り給えり。
 しかるにこの金銅の大像ようやくまさに成就せんとして、にわかに仏身より火起こって、仏像と大殿と一時に灰燼と成す。
 これ天下の怪しみ、万人の疑いなり。
 これ何の誤りに依り、これ何の禍いに依るや。
 答えていわく、汝が疑い大いによし。
 予度々諫状を奉り、奏聞再三に及ぶ事ひとえにこの事なり。
 所詮今度造る所の大仏は時刻不相応の本尊なり。
 故に災難しばしば起こって成就せざるなり。
 問うていわく、何を以て知る事を得ん。
 今度の大仏は時刻不相応の本尊なりと言うことを。
 答えていわく、それ本尊を造る事は仏家の一大事なり。
 故に仏正像末の三時に依って、本尊の差別を分け給えり。
 聖武天皇の造り給う所の本尊は華厳の教主台上の廬舎那他受用報身なり。
 その形尊高に似たれども、実を以てこれを勘うれば、全く円仏の相にあらず。
 只これ未免無常の権仏なり。
 天台妙楽伝教等の釈義にこの旨分明なり。
 故にこの仏は正法千年の内の後の五百年の本尊なり。
 これなお像法千年の本尊にあらず。
 いわんや末法今の時これを用いんや。
 像法千年の本尊は法華迹門の釈迦なり。
 末法万年には迹門の釈迦なお時刻に合わず。
 いわんや華厳の教主を用ゆべけんや。
 難じていわく、聖武天皇の御宇は像法の時なり。
 しからば何ぞ法華迹門の釈迦を造らずして、華厳の教主を造れるや。
 答えていわく、もっとも吉難なり。
 今試みに一義を示さん。
 それ吾が朝に仏法渡ることは、人王第三十代欽明天皇の治、十三年壬申の歳なり。
 これ像法五百年に相当たれり。
 しかりといえども、始めは神と仏との諍論強くして、仏法未だ定まらず。
 ここに用明天皇の御子、上宮太子守屋が逆を誅し給いてよりこのかた、人仏法に帰依す。
 しかりといえども、二百余年の間は仏法に於いて、大小権実の差別未だ分明ならず。
 ただ三論法相等の諍論のみにして事やみぬ。
 しかるに人皇第五十代桓武天皇の御宇に伝教大師御出世有って仏法の邪正を糺し、天台の釈義を明鏡として、一代の権実を分かち、ついに六宗を責破して法華宗を建立し給いぬ。
 この道理を以て思うに聖武天皇の御宇は、日本国に於いて法華経の実義未だ顕れず。
 故にしばらく時機を鑑みて、華厳の教主を造るなり。
 全くこれ像法正意の本尊にあらず。
 ただこれ吾が朝の仏法未熟なるが故なり。
 譬えは寒国には春の華夏開き、秋の菓冬熟するが如し。
 汝よくこれを思量せよ。
 問うていわく、伝教大師南都六宗を責め落として、ついに叡山を建立し、法華経を弘通し給えり。
 これ鎮護国家の霊地、天子本命の道場なり。
 しかれば根本中堂の本尊には法華の教主を造るべし。
 何ぞ東方の薬師を立つるや。
 答えていわく、根本中堂の本尊に薬師仏を安置すること最もその深意有り。
 これ常途の薬師にあらず大事なり、大切なり。
 よくよくこれを習うべし。
 但し深秘の故に紙面に載せず。
 問うていわく、末法今の時にはいかなる仏を造って本尊に用ゆべきや。
 答えていわく、末法相応の本尊は久遠実成の教主釈尊なり。
 この本尊は一切の諸仏の本地なり。
 天台のいわく、『天月を識らずして但池月を観ず』と云云。
 この釈の如くんば、久遠の釈尊は天の一月の如く、十方の諸仏は万水に浮かべる影の如し。
 ここに知んぬ、久遠の釈尊をおいて、余仏を以て本尊とするは、彼の猿が天月を見ず、水中の月に実の思いを為して、入りて取らんと欲し、井に墜ちて死するが如し。
 妙楽大師は久遠の釈尊を識らざる学者を才能の畜生と書き給えり。
 故に今は一閻浮提の一切衆生、余の一切の本尊をなげうちて、ひとえに久遠の釈尊を以て本尊と為すべき時刻なり。
 問うていわく、久遠の釈尊を造るべきよういかん。
 答えていわく、本尊は脇士を以てこれを顕す。
 いわゆる小乗の釈尊は迦葉阿難を以て脇士と為す。
 権大乗並びに迹門涅槃経等の釈尊は文殊普賢等の迹化の菩薩を以て脇士と為す。
 これらは正像二千年の本尊にして末法今の用にあたわず。
 問うていわく、久遠実成の釈尊は、いかなる菩薩を以て脇士と為し給うや。
 答えていわく、久遠実成の釈尊は本化の四大菩薩を以て脇士と為し給うなり。
 問うていわく、証文有りや。
 答えていわく、法華経第五湧出品にいわく、『是菩薩衆中有四導師一名上行二名無辺行三名浄行四名安立行是四菩薩於其衆中最為上首唱導之師在大衆前各共合掌観釈迦牟尼仏』云云。
 経文赫々たり、明々たり。
 誰人かこれを疑わん。
 問うていわく、久遠の釈尊は末法に限る証文いかん。
 答えていわく、汝証文を尋ねんより直ちに現証を以てこの事を信ずべし。
 問うていわく、いかなる現証有りや。
 答えていわく、正像二千年の間は三国に亘って、若干の論師人師世に出で、法を弘めしかども、未だ一人も久遠の釈尊を造らず。
 天竺漢土日本国に数万の寺有り、その寺々の本尊伝記目録等に残り無くこれを載す。
 その中にも久遠の釈尊は未だかつてましまさず。
 もし有りと言えばこれ大虚妄なり。
 これあに眼前の現証にあらずや。
 誠に後世を思わん人は、ここに心を留めて義理をつまびらかにせよ。
 龍樹天親天台伝教等の権化の人々、心中にはこれを知るといえども、深く仏勅を重んじ給う故に、試みにもこれを造り給わず。
 もし末法にあらずして、久遠の釈尊を造らば夜中に日輪の出でたるが如くなるべし。
 あに物怪にあらずや。
 世間仏法時を以て大事と為すこれなり。
 故に経に『定可造久遠本尊時刻云悪世末法時』云云。
 現証文証あに明白にあらずや。
 これらの道理を以て一宗の立義諸宗に超過することを知るべし。
 問うていわく、時刻不相応の本尊を造るに何ぞ必ず災難を起こさんや。
 答えていわく、世間の浅事時刻相違すれば、必ず禍の生ずこと有り。
 鶏の宵に鳴くが如きは必ずこれ物怪なり。
 また時ならざる薬を服すれば、病還って増長す。
 仏法もまたかくの如し。
 時刻不相応の本尊は善根に為らず、還って国家の禍と為るなり。
 問うていわく、今世間を見るに明匠碩学国中に充満す。
 何ぞ本尊の相違奏聞これ無きや。
 答えていわく、当世の高僧碩学大才の誉その名四海に響くといえども、実には仏法に闇きか、或いは世を憚り、人を恐れてこれを宣べざるか。
 よって経文を開見するに、末法に入って諂曲邪見の比丘国中に充満して国王大臣に向かって破仏破国の因縁を説くべきと云云。
 この文実なるや。
 今当世の体を見るに、或いは天台の座主と号し、或いは法華の碩学と称する人々皆ことごとく国主にへつらい、権威を恐れて、敢えて一口の諫言を出さず。
 ここによって仏法の邪正、行者の尊卑空しく雑乱の塵に埋もれ、結句は天台の座主、本宗本名を改めて華厳宗に移る。
 例せば摂政関白の位を捨てて土民の家に処するが如し。
 あに顛倒にあらずや。
 また当宗の学者本化の法水を汲み、最第一の行者と称しながら、権小下劣の僧徒に賤しめられ、あまつさえ言うに甲斐無き浄土宗に落とされぬ。
 例せば獅子王が野干の乗り物と成るが如し。
 かくの如き諂曲の僧徒国中に充満して、国主の帰依と為り、空しく信施を費やす。
 いかでか国恩を報じ、仏恩を謝せんや。
 第七天台宗華厳宗の勝劣を明かすとは。
 問うていわく、天台の座主華厳宗に落つる、何の咎が有るや。
 答えていわく、それ虞舜は匹夫の身を以て帝位に登る。
 世これを以て賢人の本と為す。
 晋の愍帝は国王の身を以て劉氏が馬の口を取る。
 人これを以て愚人の様と為す。
 仏法もまたかくの如し。
 劣を捨て勝に移るを賢となし、勝を捨て劣を取るを愚と為すなり。
 問うていわく、しかれば華厳宗は天台宗に劣るや。
 答えていわく、自他の偏党を捨て、専ら経文を先として二宗の勝劣を判ぜば、天台宗華厳宗に勝ること四重なり。
 問うていわく、その四重の次第いかん。
 答えていわく、第一法華経、第二無量義経、第三涅槃経、第四華厳経なり。
 問うていわく、その証いかん。
 答えていわく、法華経にいわく、『我所説諸経而於此経中法華最第一』云云。
 またいわく、『已説今説当説』云云。
 またいわく、『従始至今広説諸経而於其中此経第一』云云。
 これ一切経の中に法華経第一と言わる明文なり。
 次に無量義経にいわく、『四十余年未顕真実』云云。
 この文の如くば無量義経は華厳、方等、般若に勝りたること顕然なり。
 しかりといえどもなおこれ序分なる故に正宗の法華に劣れるなり。
 故に無量義経は第二なり。
 次に涅槃経は同醍醐味にして、同じく第五時を立つといえども、彼は●拾の位なる故に、未だ初分の醍醐味に及ばず。
(註)●=「手へんに君」という字)
 故に涅槃経は第三なり。
 次に華厳経は無量義経の中に於いて教主釈尊たしかに彼の経の名を指して未だ真実を顕さずと打ち破り給う。
 この時大荘厳等の八万の菩薩即ち領解していわく、ついに無上菩提を成ずることを得ずと云云。
 この文の如くんば、一切の菩薩も未顕真実の説を聞いて、華厳経は不成仏の法なりと定め給いぬ。
 その上五時を以て五味に喩える時、機の熟否に約すれば華厳経は乳味なり。
 理の浅深に約すれば熟蘇味なり。
 涅槃経はこれ醍醐味なり。
 故に華厳経は涅槃経に劣ること第四重に居するなり。
 問うていわく、三国の論師人師の料簡いかん。
 答えていわく、仏説すでに分明なり。
 何ぞ煩わしく三国の論師人師の義を尋ねんや。
 求めていわく、それ仏教は遠く、論釈は近し。
 近き論釈なお分明ならば、いよいよ信心を増長せん。
 答えていわく、好みに随ってほぼこれを示さん。
 天竺の大論師、天親菩薩十地論にいわく、因分を説くべし、果分を説くべからずと云云。
 この論文の如くんば、華厳経はただこれ因分の説にして、未だ成仏の果分を説かざるなり。
 果分の説は独り法華経に限る。
 秀句にいわく、果分の一切の所有の法ないし果分の一切の甚深の事、皆法華に於いて宣示し顕説するなり云云。
 漢土の天台智者大師玄義第六にいわく、故に知んぬ華厳に治することあたわざる所、方便の説なればなり。
 法華よく治す、これ如実の説なればなり。
 この処即ち妙と。
 この釈の如くんば、二乗の重病は華厳の力もこれを治する事あたわず。
 ただ法華の妙薬独りよく、この病を治すると云云。
 唐土の妙楽大師釈箋第一にいわく、華厳の頓大なお本懐にあらずと。
 この釈の如くんば華厳経は法華の為の方便にして、諸仏出世の本懐にあらずと云云。
 日本の伝教大師秀句の下にいわく、それ華厳経はただ住上地上の因分を説いて、未だ如来内証の果分を説かず。
 まさに知るべし、果分の経は因分に於いて勝りたりと云云。
 またいわく、華厳海空とは華厳宗所依の経なり。
 供に歴劫を説いて未だ大直道を知らずと。
 この釈の如くんば、華厳経は未だ成仏の直道を説かず。
 本朝の円珍大師授決集にいわく、未顕真実の唱え、何を以て寂場の始説を籠めざらんやと。
 この決の如くんば、華厳経は未顕真実の内に摂して虚妄の経なり。
 これらの勘文莫大なり。
 今諸師の一義を挙げて以て諸を省く、ああ当世天台等の学者たとえ自眼の黒白は拙くとも、上に勘うる所の経文釈義を見て、祖師の本意を悟れよ。
 盲者なお杖にまかせて千里の路を遊行す。
 末代の頑愚といえども、もし仏説に依憑し、深く正師の指南に任せば、いかでか一分の慧眼を開かざらんや。
 難じていわく、天台一家の学者は、上の釈義を用ゆべし。
 華厳家の諸師に於いては、誰かこの義を依用せんや。
 答えていわく、汝仏法の源に迷えり。
 故になおこの疑いを起こす。
 それ法華に対して華厳を捨つる事は、敢えて天台等の自義にあらず、専ら仏説を本として釈義を設く、その証つぶさに上に出しおわんぬ。
 あに曲会有らんや。
 その上漢土の華厳宗の祖師法蔵慧苑李通玄等、天台の義に帰伏す。
 その証依憑集に明白なり。
 また日本華厳宗の祖師は伝教大師に帰伏す。
 謝表の状家々の日記に在り。
 祖師すでにかくの如し、あに末学としてこの義に背かんや。
 問うていわく、当世の天台宗天台伝教の本意に違するや。
 答えていわく、天台伝教の両師華厳等の諸経をやぶり、法華経を弘通し給う証文上に在り。
 今の天台宗の座主は法華経を捨てて華厳宗に移り、台上の廬舎那仏を崇めて以て本尊と為す。
 これ遠くは釈迦多宝十方諸仏の禁言を破り、近くは祖師天台伝教の本懐に背く。
 あに逆路伽耶陀にあらずや。
 難じていわく、汝不肖の身としてこれらの貴僧高僧をやぶる。
 汝が大慢大天にも過ぎ、無垢論師にも超えたり。
 答えていわく、汝経説をわきまえずして理不尽に悪口を為す。
 その咎また提婆達多に過ぎ、瞿伽離尊者に越ゆ。
 我が語は慢に似たれども、ひとえに仏説に順じ、敢えて己義を存せず。
 汝は仏法の理を知らず、ただ世間の族姓を本として、貴僧高僧と言う。
 仏の金言の如くんば全く族姓の高下に依らず、ただ実大乗を行ずる人を貴僧高僧と名付く。
 故に経には、一切衆生の中にまたこれ第一と説き、釈には法妙なるが故に人貴しと宣たり。
 汝が私の料簡と諸仏の定判と、何を本と為すべきや。
 汝よくこれを慎め。
 過言一たび出れば駟馬も舌に及ばず。
 みだりに悪口を為して損害を招くことなかれ。
 第八に仏法の家に世間の族姓を用いざることを明かすとは。
 問うていわく、出家の人はすべて世間の族姓を用いざるや。
 答えていわく、しかなり。
 問うていわく、くわしくその趣を聞かん。
 答えていわく、それ出家とは族姓の家を出て出世実道に入る故に、出家と名付くるなり。
 故に天竺の四姓共に、出家の後は同一の釈種と成り、すべて本姓を称せず。
 牧牛難陀は頻婆沙羅王の牛飼いなり。
 羅云尊者は浄飯大王の嫡孫、悉達太子の長子なり。
 しかりといえども、同聞衆に列し、難陀は上に居し、羅云は下に居す。
 もしそれ族姓を本とせば、羅云いかでか難陀が下に処せんや。
 王種姓の人、なお出家の後は、本の族姓を称せず。
 いわんやその余の種姓をや。
 問うていわく、漢土もまた然りや。
 答えていわく、漢土の風俗、始めは出家の人もなお本姓を失わざりき。
 しかるに晋の代に至り天機秀発の智人有り、弥天の道安と号す。
 この人按じていわく、四河海に入りて皆本名を失す。
 四姓出家せるもまたかくの如くなるべし云云。
 これよりこの方、漢土の人も本の風俗を改めて、釈種と成るなり。
 後に梵本の論漢土に渡る。
 その中にこの旨有り。
 文にいわく、四河海に入ってまた河名無し。
 四姓出家して同一釈種と云云。
 この文を見るに道安法師の義深く仏説にかなえり。
 問うていわく、日本国はいかん。
 答えていわく、日本風俗権化の応作、多くは偏国に出現し、民家に託生し給う。
 故にいにしえの高徳種姓、高徳の家より出で給えるはまれなり。
 その末弟に列る人、何ぞ必ず種姓高貴を事とせん。
 しかるに当世の体たらくたまたま出家せる人も、仏家の法儀を忘れて、族姓の高下を諍い、無益の論を為す。
 併せて在俗の作行に同ず。
 これによって在家の人々三宝に於いて軽賤の思いを成し、敢えて恭敬の心を生ぜず、不信懈怠にして鎮に三途の業を造れり。
 悲しむべし、哀れむべし。
 第九出家の人在家を礼せざる事を明かすとは。
 問うていわく、出家の人、在家に対して礼儀有りや。
 答えていわく、出家の人、在家を礼せば在家の人必ず大罪を得るなり。
 故に仏堅く禁めて、沙門の俗人を礼することを許し給わず。
 梵網経にいわく、出家の人の法は、国王に向かって礼拝せざれ、父母に向かって礼拝せざれと。
 この文の如くんば出家の人はなお国王父母を拝せず。
 いわんや以下の諸人に於いてをや。
 故に太賢師の古迹にいわく、国王等の有戒無戒一切出家の功徳に如かず。
 出家もし在家を礼せば、在家即ち無量の罪を得ると云云。
 経釈の心顕然なり。
 疑っていわく、不軽菩薩は出家の身を以て俗男俗女等を礼す。
 今の経釈の如くんば不軽菩薩は在家の人に於いて、罪を得せしめんが為に、礼拝の行を立つるや。
 答えていわく、不軽菩薩礼拝の行を立て、あまねく四衆を礼し給うは、一切衆生に於いてことごとく仏性有ることを知らしめんが為なり。
 これただ衆生身中の仏性を礼するなり。
 必ず在家を礼するにあらず、これ一向別途の義なり。
 これを以て前の経釈を難ずるべからず。
 問うていわく、在家の人、出家の礼を受けて、身亡びたる先証有りや。
 答えていわく、賓頭廬尊者の礼を受けたる優陀延王は七年の内に身を喪す。
 尼建は大塔と現じて、多年人に敬われしかども、馬鳴菩薩の礼を受けてにわかに崩れぬ。
 魔王波旬は已に仏身を現じ、三十二相を具して、光明赫奕たりしかども、?多三蔵の礼を受けて、即ち神通を失い、本形を顕す。
 夫れ優陀延王は大王なり。
 尼建と波旬とは、大通の者なり。
 これらなお出家の礼を受けて罰をこうむれり。
 いわんや平人と無通の者とに於いてをや。
 問うていわく、沙門を悩乱し蔑如して、罪報を受けたる証拠有りや。
 答えていわく、不軽菩薩を軽毀せし、上慢の四衆は千劫阿鼻の焔にむせび、師子尊者の頸を斬りし檀弥羅王は、刀とひじと供に墜ちて死す。
 沙門を坑に埋めし後魏の太武は、天雷の為にその身を害せられ、太武を勧めし崔浩は腰斬せられて、この罪五族に及ぶ。
 沙門を還俗せしめる、北周の武帝は、疫癘の為に命根を奪わる。
 諦観法師の無礼を咎めし宇遅王は、天の縛をこうむり、黒色と為りて死す。
 営常法師を嘲弄せし優婆塞は、にわかに口歪み地に倒れて没す。
 三国の先蹤要を取るにかくの如し。
 汝先車の覆るを見て後車の誡めとせよ。
 謬って僧侶を賎しんで大罪を招く事なかれ。
 第十に大乗の僧、小乗の僧を礼せざることを明かすとは。
 問うていわく、大乗の出家、小乗の僧に対して礼儀有るや。
 答えていわく、およそ仏説の如くんば、大乗の僧と小乗の僧となお同座を許さず。
 いわんや礼儀に及ばんや。
 それ仏法の源は西天なり。
 しかるに西天に於いて大乗の僧と小乗の僧と、その位階を分かつこと天地懸隔なり。
 同路を往くことを許さず。
 一の大道に於いて三のちまたを分かつ。
 その中央を王路と名付けて大乗の僧この路を行く。
 左右の狭き道はこれ土民の路なり。
 小乗の僧この道を往く。
 また水を用うるに同流の水を汲まず。
 いかにいわんや親厚有らんをや。
 たとい親父といえども、小乗を持つ親をば、大乗を持つ子息はこれを礼せず。
 いわんや他人に於いてをや。
 かくの如く大乗小乗位の高下を分かつこと雲泥なり。
 問うていわく、証文いかん。
 答えていわく、法華経第五巻にいわく、『又不親近求声聞比丘比丘尼矣』。
 またいわく、『亦不問訊不供住止』云云。
 授決集にいわく、西天には大小二乗の僧同じ路を行くことを得ず。
 いわく一の大路に於いて三のちまたを為せり。
 中央を以て王路と為し大乗の僧これを行く。
 左右の狭き路はこれ百姓の道なり。
 即ち小乗の僧これを行くと。
 経釈の心明白なり。
 一言一句私曲を宣べず。
 しかるに当世の体たらく大小権実の簡別も無し。
 結句小乗の僧徒を以て上座に置き、大乗の僧侶を下座に居すこと、乱階の至り顛倒の極みなり。
 下克上の咎、言うても比び無く、嘆いても余り有り。
 悲しむべし悲しむべし。
 第十一大乗小乗の分別を明かすとは。
 問うていわく、大乗小乗の分別いかんが心得べきや。
 答えていわく、一往は阿含三蔵教を名付けて小乗と為すなり。
 然りといえども再往実義を論ずる時は、法華以前の華厳、方等、般若、大日経等も皆小乗なり。
 疑っていわく、阿含経を小乗と言うしかなり。
 何ぞ華厳等の諸大乗経を小乗と言うや。
 答えていわく、それ大小は物の相対によって一准ならざるなり。
 例せば小国の王が我が臣下に対して大王と称すれども、大国の王に対すれば、即ち小王と為り、また閻浮提第一の大王なれども四天下を領する転輪聖王に対すれば、また小王と為り、転輪聖王も四天王に対すれば、また小王なり。
 かくの如く校量して、一切の王の中に第一の大王は、大梵天王にして、また過上有ること無きが如く、仏法もまたかくの如し。
 華厳、方等、般若等の諸経も三蔵最下の小乗に対すれば、しばらく大乗と名付くといえども、妙法無上至極の大乗に対すれば、皆小乗と成るなり。
 疑っていわく、華厳等の大乗を法華経に対して、小乗と言う道理いかん。
 答えていわく、華厳等の大乗は法相甚深なるに似たれども、未だ仏法の肝心たる、一念三千の大綱骨髄たる二乗作仏を明かさず。
 故に爾前の諸大乗経に於いては、成仏の実義無し。
 成仏の実義無きが故に、皆小乗経に属するなり。
 問うていわく、法華以前を皆小乗と言える証文いかん。
 答えていわく、法華経第一にいわく、『今正是其時決定説大乗』云云。
 またいわく、『入大乗本以故説是経』云云。
 この文の如くんば、実に大乗と言わば独り法華に限るにあらずや。
 もししからば法華以前の諸経を、小乗経に属すこと、何の諍い有らんや。
 故に経にいわく、『若以小乗化乃至於一人我則堕慳貪』云云。
 論記にいわく、『一往三蔵を名付けて小乗と為し、再往三教を名付けて小乗と為す』云云。
 所詮爾前の経を皆小乗と言えるは、未だ開権の円を説かざるが故なり。
 然るに華厳、法等、般若等の諸大乗経は、その所詮の理を究むれば、実に前三教の分域を出でず。
 故に釈箋にいわく、『始め華厳より、終わり般若に至るまで、不同多しといえども、ただ次第三諦の所摂と為す』と云云。
 これらの道理有るが故に四十余年の諸経を束ねて、皆小乗と名付くるなり。
 問うていわく、二乗作仏法華経に限れる証文いかん。
 答えていわく、法華経第一にいわく、『未曽説汝等当得成仏道所以未曽説説時未至故』云云。
 文句第四にいわく、『二乗作仏は今の教より始まれり』云云。
 釈箋第一にいわく、『二乗はただ法華に在り』云云。
 疏記第三にいわく、『一代の所説円融無きにあらざれども、未だ二乗に記せず、化導のびず、今まさに始めて遂ぐ。
 功を推すに帰すこと有り』と。
 またいわく、一代記不記の意を叙すべし。
 華厳の法界の如きは、何ぞ含ぜざる所あらん。
 彼の声聞を隔て、聾唖の如くならしむるは後分に有りといえども、授記の事乖けり。
 鹿苑に初めて聞くは一向ただ小なり方等なお暗く、般若なお生し。
 楞伽方等に記小の言有りといえども、楞伽はすなわちひそかに菩薩に対し、方等は声聞を斥奪せんが為。
 故に一代の教門彰灼なることただこれなり。
 請う大蔵を捜検せよ。
 まさに帰する所有らんことを験らん。
 秀句上巻にいわく、粗食者ひとえに未顕真実の経を見て已顕真実の経を謗ず。
 維摩の已死、法華の再生その文分明に、その義顕了なり。
 粗食者已死の文に執して再生の仏種を埋む。
 仏滅後の法華の怨敵粗食者にあらずんば誰有って怨んや。
 誠に願わくば有智の君子、謬ってこれを許すことなかれ。
 一乗要決上にいわく、大論は大品般若を釈すといえども、法華等を引いて兼ねて実義を示す。
 もししからずんば般若のいずれの文に阿羅漢の回心作仏を説けるや云云。
 弘決第六にいわく、遍く法華以前の諸教を尋ぬるに実に二乗作仏の文無しと、かくの如き等の文広博なり。
 要を取ってこれを記す。
 問うていわく、久遠実成は法華経に限れる証文いかん。
 答えていわく、釈箋第六にいわく、『一代の教門皆伽耶始成と言わざるは無く、大乗の融通華厳に過ぎたるは無し。
 経の初めにまた菩提場に於いて始成正学と言う。
 故に知んぬ大小に成を説くこと皆近し』。
 五百問論にいわく、『一代教の中に未だかつて遠きを顕さず』。
 これらの明文の如くんば、華厳等の諸経法華経に劣れること金石なお喩えにあらず。
 持者の尊卑また以てかくの如し。
 法華経の行者は大王の如く、余経の行者は土民の如し。
 法華経の行者は獅子王の如く、余経の行者は兎の如し。
 勝劣天地なり、高下雲泥なり。
 故に文句にいわく、大薩捶の福は法華経を聞き、初随喜の福に及ばず云云。
 またいわく、後果に住すといえども、我が初心に及ばずと。
 この釈の如くば諸経の大菩薩は法華を持つ初心の凡夫に及ばず。
 譬えば一二三歳の太子襁褓に纏われて、未だ東西を弁えざれども、摂政関白を始めとして、一切の群臣皆ことごとく恭敬囲繞するが如し。
 後位の菩薩なお法華の初心に及ばず、いわんや今時の凡僧いかでか相対に及ばんや。
 しかるに当世の諸宗の僧徒、仏法の道理には智慧叶い難し。
 故に世間の権威を借りてみだりに法華の行者を下すこと、例せば弓削の道鏡が下劣の身を以て王位に登らんと欲し、前漢の王奔がよこしまに帝位を奪うが如し。
 あに大逆にあらずや、恐るべし恐るべし。
 第十二台家当家の差別を明かすとは。
 問うていわく、法華宗の諸宗に勝れたることは、金口の直説誠に以て分明なり。
 疑網皆すでに晴れぬ。
 なお雲霧を開いて明らかに三光を見るが如し。
 誰か猶予を懐かんや。
 但し天台所立の法華宗と当家所立の法華宗とその義差別有りや否や。
 答えていわく、差別有り。
 求めていわく、ことごとくその趣を聞かん。
 答えていわく、これ仏法に入って最第一の大事終窮究竟の秘奥なり。
 凡智を以てたやすく宣べ難し。
 然りといえども所伝の趣万が一これをのべん、それ釈尊御入滅の後、三時を分かちて弘経の人を定め給ういわゆる正法千年、像法千年、末法一万年なり。
 まず初め正法千年の間は、迦葉、阿難、馬鳴龍樹等仏の付属をこうむり、月氏国に出現して小乗権大乗の浅薬を以て衆生の軽病を治し、次に像法千年は観音、薬王等仏の御使となりて震旦国に出でて法華迹門の良薬を以て衆生の中病を治す。
 天台建立の法華宗これなり。
 三に末法一万年は五濁強盛にして、衆生の病はなはだ重し。
 故に広略二門の良薬なおその病を治し難し。
 いわんや小乗権大乗の浅薬に於いてをや。
 ここを以て久遠寿量の大医王大慈大悲を以て、末代重病の衆生の為に一大良薬を留め置き本眷属上行菩薩を御使となして末法に贈り給う。
 経に遣使還告と言うこれなり。
 この大良薬をば仏なお文殊薬王等の大薩捶に付属し給わず。
 如何にいわんやその以下をや。
 唯地涌千界を召して、八品を説いてこれを付属し給う。
 その付属の儀式は常ならず。
 五百由旬の宝塔大地より涌出して、太虚に懸かれり。
 譬えば大満月中天に処するが如し。
 ここに於いて釈迦牟尼仏は垢衣を脱いで宝塔の戸を開き、多宝如来と師子座を並べ給う。
 例せば頂生王と帝釈と善法堂におわすが如し。
 十方の諸仏は宝樹の下に座し給う。
 清涼池の蓮華の開敷せるが如し。
 一切の菩薩三千三百万億那由佗の世界に列なること、譬えば闇夜に衆星の出現するが如し。
 しかして涌出品に至って地涌千界の大菩薩を召し出す。
 この大菩薩は身みな金色にして三十二相を具し、大光明を放って釈迦牟尼仏に向かい奉り、一心に合掌し菩薩の種々の讃法を以て如来を讃歎し奉る。
 この諸大菩薩の威徳形貌ことばを以てのべ難く、心を以て測り難し。
 例せば綺里枳等の四皓の白髪老々として、商山より出で漢恵の左右に侍して世を治めしが如し。
 巍々堂々として尊高なり。
 一生補処の弥勒菩薩大いに驚いていわく、「無量千万億大衆の諸の菩薩は昔より未だかつて見ざる所なり。
 この諸の大威徳精進の菩薩衆は誰かその為に法を説き、教化して成就せる。
 我れ常に諸国に遊べども未だかつてこの事を見ず。
 我れこの衆中に於いて乃一人をも識らず」と云云。
 また一切の大衆も百歳の翁が二十五の人の子と為るが如しと疑えり。
 然らば四十余年の間経々の会の中にましませし自界他方の諸の大菩薩また無量義経法華経の中に於いて八万の菩薩の上首となりし文殊観音等の大薩捶も地涌の菩薩出で給う後は物の数ならずただ山夫の月卿等に交われるに異ならず。
 この大菩薩衆の中に四導師有り、いわゆる上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩これなり。
 大田鈔にいわく、この四大菩薩法華の会に出現して三仏を荘厳し、謗人の慢幢を倒すこと、太風の小樹の枝を吹くが如く、衆会の敬心を致すこと、諸天の帝釈を敬うが如し。
 提婆が仏を打ちしも舌を出して掌を合わせ、瞿伽離が無実を構えしも地に臥して失を悔ゆ。
 文殊等の大聖も身を慚じて言を出さず舎利弗等の小聖は智を失い頭を低る。
 その時に大覚世尊寿量品を演説し、しかる後に十神力を示現して四大菩薩に付属す。
 その付属の法何物ぞや。
 いわゆる妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり。
 しかるに地涌千界の大菩薩、一には娑婆世界に住すること多塵劫なり。
 二には釈尊に随って久遠よりこのかた初発心の弟子なり。
 三には娑婆の衆生の最初下種の菩薩なり。
 かくの如き等の宿縁の方便諸大菩薩に超過せり。
 天台のいわく、「これ我が弟子なり。我法を弘むべし」云云。
 妙楽のいわく、父の法を弘むべし云云。
 道暹のいわく、付属とはこの経は唯下方涌出の菩薩に付す。
 何が故ぞしかる、これ久成の法なるに由る故に久成の人に付す等云云。
 これらの大菩薩末法の衆生を利益し給うこと、なお魚の水に練し、鳥の天にて自在なるが如し。
 濁悪の衆生この大士に遇い奉りて仏種を植ゆること、例せば水精の月に向かいて水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し。
 天台のいわく、なお百川の応にすべからく海に潮すべきが如く、縁に牽かれて応に生ずることまたまたかくの如し云云。
 慧日大聖尊仏眼を以て兼ねてこれを鑑み給う故に諸の大聖を捨棄して、この四聖を召し出し要法を伝え、末法の弘通を定め給うなりと云云。
 問うていわく、これらの勘文の如くんば上行菩薩末法の始めに必ず出現し給うべきこと文明らかに理つまびらかなり。
 もししからばこの大菩薩何れの時いかなる国に出現し給えりや。
 答えていわく、宣べ難し。
 問うていわく、宣べざる意いかん。
 答えていわく、これを宣べば汝誹謗を起こして悪道に堕つべければ黙止す。
 求めていわく、説かざれば汝法慳の咎に墜ちなん。
 答えていわく、所難もっとも免れ難し。
 しばらく誹謗を忍んであらましこれを示さん。
 天竺の須梨耶蘇摩三蔵、亀茲国羅什三蔵に法華経を授け給う時の語にいわく、この典は縁東北に在り云云。
 瑜伽論にいわく、東方に小国有り、その中には唯大乗の種性のみ有り云云。
 これらの記文についてあらましこれを諭さん。
 天竺国より丑寅の角十万八千里の山海を過ぎて国有り、震旦国と名付く。
 また震旦国より東方三千余里の波涛を渡って大乗の妙国有り、日本国と名付く。
 この内また一の小国あり安州と名付く。
 末法一百余年の頃、上行大薩捶三大秘法を持ちてこの国に託生し給えり。
 吾宗の元祖これなり。
 問うていわく、天台大師を薬王菩薩の後身と知ることは薬王発願経に明かなる証文有り。
 汝が元祖を上行菩薩の再来とは何を以てこれを知らん。
 答えていわく、深秘の伝授なり。
 今率爾にこれを顕さんこと冥鑑深く恐れ有り。
 求めていわく、これを顕さずは深法必ず零落しなん。
 答えていわく、進退ここにきわまれり。
 汝慢幢を倒して深く信心に住せよ。
 聞いて後はまた妄失することなかれ。
 神力品にいわく、「爾時仏告上行等菩薩乃至以要言之如来一切所有之法乃至如来一切甚深之事皆於此経宣示顕説」等云云。
 天台のいわく、「結要付属」云云。
 妙楽のいわく、如来の四法を以て上行に属累す云云。
 分別功徳品にいわく、「悪世末法時等」云云。
 この経釈の如くんば仏法華経の肝心妙法蓮華経の五字を以て上行菩薩に付属し給う。
 故にこの菩薩は末法に出現して広略の修行をさしおき、結要の玄旨を守って専ら妙法蓮華経の五字を弘通し給うべし。
 しかるに吾が宗の元祖去る建長五年癸丑三月二十八日安州清澄山に於いて、朝日に向かってはじめて南無妙法蓮華経と唱え出し給いてよりこの方あまねく一切衆生に向かって偏にこの首題を弘め給う。
 詮ずる所吾が元祖を除いて誰人か末法に出でて初めてこの五字を弘通し給える。
 龍樹天親等は正法の出世、権大乗を弘通して実大乗は分明ならず。
 南岳、天台、妙楽、伝教等は像法の出世ただ法華経の迹門分を弘宣し給いぬ。
 恐らくは末法相応結要付属の導師吾が師のほかにこれを取り出さんと欲するに人無し。
 その上勧持品の二十行の偈は偏に末法弘通の相貌なり。
 誰人か末法に於いて三類の強敵に責められて刀杖瓦石ないし数々見擯出等の大難にあい給える天台伝教なおその人にあらず。
 いわんや諸余の人をや。
 誠なるかな、経にいわく、「如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇」と。
 今この文について些か宗旨の沖微を示さん。
 罪根深重の輩はこれを聞くともなお信ずべからず。
 悪病を受けたる者良薬を嫌うが如し。
 憐れむべし悲しむべし。
 汝慚愧清浄にしてしばらく耳にとどめよ。
 この文に斯人と言うは上行菩薩なり。
 上の結要付属の文に顕る。
 世間と言うは総じては一閻浮提、別しては大日本国なり。
 瑜伽論にまさしく扶桑国を指すこれなり。
 衆生と言うは末法に生を受けたる我等衆生なり。
 闇と言うは謗法の闇なり。
 謗法はこれ愚痴の闇より起こるが故なり。
 能滅と言うはこれ妙法蓮華経の五字なり。
 この五字の光は能く衆生の愚痴謗法の闇を滅するが故なり。
 これあに上行菩薩末法に出現し給いて妙法蓮華経の五字を弘通し給うべき現文にあらずや。
 悦ばしいかな頼もしいかな、我等在世の化導に漏るるといえども、宿縁の追う所今蓮大士の遺弟に列なって欲しいままに無上の仏種を植ゆることよ。
 仰いで本地を訪ぬれば地涌千界の上首としてまさしく塔中の付属を稟け給いし上行大薩捶なり。
 俯して垂跡を訪えば三大秘法広宣流布の大導師なり。
 願わくば世間の道俗かくの如き道理を聞いて頓に邪執を捨て速やかに正理に帰し今度菩提の善苗を植えよ。
 宝山に入ってあに手を空しくして帰らんや励むべし勤むべし。
 然して国の大小を論ずれば日本国は粟散辺地の小国なり。
 然りといえども、大乗流布の勝縁を思えば天竺にも勝れ漢土にも超えたり。
 天竺は法華の流布ただ僅かに八箇年なり。
 漢土また幾程も無くして断絶しぬ。
 この日本国は本化垂跡の霊地、大乗有縁の妙国なり。
 末法万年永々に断絶すべからず。
 しかのみならずここよりまた還って震旦月氏に伝うべし。
 「後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶」とはこれなり。
 然れば生を日本国に受けたる人は深く慶喜の念を生ずべし。
 かくの如きの勝利を聞いて誰か競慕せざらんや。
 なお台家当家の相違を判ぜば、彼は迹家これは本化なり。
 彼は広略の修行、これは要の修行なり。
 彼は迹門の本尊、これは本門の本尊なり。
 彼は迹門の戒壇、これは本門の戒壇なり。
 故に天台法華宗は迹化の立行にして時機すでに過ぎたり。
 末法に至っては去年の暦の如く全く利益有るべからず。
 当家建立の法華宗は教機時国相応なり。
 利潤広大なり。
 あに諸宗超過にあらずや。
 予不肖なりといえども、幸いに末法流布に生を受け、かたじけなくも本化の末流を汲みて結要付属の宝号を唱え奉る。
 多生曠劫の喜び何事かこれに如かん。
 故に微志を励ましてこの法を流布せしめんことを願う。
 ここを以て奏聞度々に及び諫暁再三に至る。
 然りといえども、上一人より下万民に至るまで敢えて叙用無く、還って怨嫉を為すこと父母宿世の敵よりも甚だし。
 結句は国主の御勘気をこうむってこの島に流罪せらる。
 昔よりこの方重科の者配所の国多しと言えども、未だこの島に流されたるためしを聞かず。
 かくの如く留難重畳せしかば疎人は申すに及ばず、年来の檀那にも捨てられ親類にも訪われず、たまたま付きたる弟子等も退屈を生じて捨て去る。
 正法守護の諸天善神如何んが御計らい有るらん、覚束無し。
 予は頑愚の者なればたとい天捨て給うとも恨みを懐くべきにあらず。
 然りといえども身命を顧みず、仏勅を重んずるものを守護せずして放ち給わば彼の謗法の輩いよいよ僻見を生じ悪業を増すべし。
 その罪の帰する所神明いかでか免れ給わんや。
 江南の橘江北に移されて枳となるも今身の上に積み知んぬ。
 情無き草木すらなお処を移されて性を変ず。
 いかにいわんや情有る人倫に於いてをや。彼の燕丹太子秦の国に虜せられ本国に帰らざることを悲しみしかば、天これを憐れみて烏頭馬角の瑞を示す。
 吾が朝の康頼入道鬼海が島に流されて古郷の事を祈りしかば大権現の霊夢を感じて帰国の願望を遂ぐ。
 趨衍讒を歎きしかば夏月に天これが為に霜を降らす。
 庶女天に訴えしかば雷下って齊の堂を敗る。
 邪を捨て、正を扶けずんば誰か天命の至れる事を仰がん。
 賞罰厳重ならずば誰か神徳の深きことを信ぜん。
 いわんや予身を法華経に寄せて法理の為に遠流せらるいかでか一つの霊応を感ぜざらんや。
 もし凡僧を簡び給わば誓言あに破れざらんや。
 正像すでに馳せ過ぎて末法五百余年なり。
 いかでか智慧持戒の行者有らん。
 凡夫を捨てざるはこの経の本意なり。
 誓願虚しからざれば一の瑞相を示し給え。
 これまた身の歎きを申すにあらず、世間の疑いを晴らさんが為なり。
 敢えて私曲を存せず。

慶長九年甲辰仲秋の頃対馬宮谷草庵に於いてこれを撰す。

諫暁神明記 終