諫暁神明記【前】(仏性院日奥)
それ樹は根強きときは則ち枝栄え、水は源深きときは即ち流れ盛んなり。神明もまたかくの如し。 本地甚深の体徳によって垂迹の応用利物広大なり。 故に本にあらざれば以て迹を垂るること無く、迹にあらざれば以て本を顕すことなし。 本いよいよ高くして迹いよいよ広し。 本迹一致契符して賞罰ここに厳重なり。 いわんや当宗鎮護の神明は万物の霊妙を統べ、宗廟社稷これを摂尽せざること無し。 行者帰依の想いを致さば、利生何ぞ虚しからん持者渇仰の心を尽くさば感応あに唐捐ならんや。 なかんづく神は正直の人を憐れみて、諂曲の者を憎む。 故に神書にいわく、神乗は祈祷を以て先と為し、冥加は正直を以て本と為す云云。 また或る書にいわく、日月は四州を廻り、六合を照らすといえども、すべからく正直の頂を照らすべし云云。 また託宣にいわく、正直は一旦の依怙に非ずといえども、ついに日月の憐れをこうむると云云。 文証甚だ広博なり。 つぶさに載するに暇あらず。 しからば則ち天道神道同じく邪曲を嫌い、正直を守護することその旨一致なり。 また正直に二有り。 一には世間の正直、いわゆる三墳五典等に明かす所の義これなり。 二には出世の正直いわゆる八万聖教に明かす所の理これなり。 周公孔子等の道は当分には正直の名を得るといえども、仏法に対すれば還って邪曲となる。 これ未だ性の理を尽くさざる故なり。 また出世の正直に於いて、重々の差品有り。 今その大綱を明かさば、外典外道に対すれば阿含小乗経も正直の典なり。 しかりといえども華厳般若等の権大乗経に対すれば、邪曲となるなり。 また華厳等の権大乗は、阿含小乗に対すればこれ正直なりといえども、法華経無上至極の正直に対せばまた邪曲となるなり。 故に開経に無量義経以前を定めていわく、「四十余年未顕真実」云云。 未顕真実とは不正直の義なり。 また無量義経以後を定めていわく、「文理真正尊無過上」云云。 またいわく、「真実甚深甚深甚深」と云云。 またいわく、「行大直道無留難故」云云。 法華経にいわく、「正直捨方便」云云。 またいわく、「直至道場」云云。 天台釈していわく、「今皆彼の偏曲を捨てただ正直の一道を説くなり」と云云。 これらの経釈の如くんば阿含方等般若華厳等の諸経は皆これ邪曲の教え不正直の経なり。 これ未だ成仏の肝心たる十界互具一念三千の大直道を説き顕さざるが故なり。 ただ法華経のみ真実が中の真実、正直が中の大正直尊無過上の経王なり。 諸仏出世の大事ここに極まれるが故なり。 けだし一大聖経の邪正の大判要を取るにかくの如し。 予遠流の身に当たって、諫暁の微志を励まし、いささか卑懐を述べ、略して本地垂迹の縁起を明かし、神明の本誓を顕して仏法の本意を開かんことを祈らんと欲す。 分かちて十二門と為す。 第一に神明の本地を明かし、第二に一切の神明法華経を信敬し給うことを明かし、第三に仏法の乱階に依って天変地夭を起こすことを明かし、第四に災難の先例を明かし、第五に諸天法華の持者を供養し給うことを明かし、第六に時刻相応の本尊を明かし、第七に天台宗、華厳宗の勝劣を明かし、第八に仏法の家には世間の族姓を用いざることを明かし、第九に出家の人在家を礼せざることを明かし、第十に大乗の僧、小乗の僧を礼せざることを明かし、第十一に大乗小乗の分別を明かし、第十二に台家当家の差別を明かす。 第一に神明本地を明かすとは。 問うていわく、天照太神の本地いかん。 答えていわく、太神宮の御託宣にいわく、日本国の主は天照太神なり。 地神の最初なり。 国を治むこと年久し。 我はこれ釈迦なりと云云。 それ教主釈尊の御童名を日種太子と号し奉る。 摩耶夫人日を懐むと夢み給いし故なり。 天照太神はまたこれ日神なり。 本迹異なりといえども名義全く一体なり。 疑っていわく、天照太神は地神の最初年紀遙かに遠く、釈尊出世は近く、地神五代の末に当たれり。 何ぞ天照を以て釈迦の垂迹と言わんや。 答えていわく、汝ただ始成の一辺を聞いて未だ久成の遠本を知らず。 故にこの疑い有り。 教主釈尊は二千余回の当初天竺に出世し給うといえども、遠くその本地を尋ぬれば、久遠正覚の古仏なり。 故に経に「我成仏已来甚大久遠」と言う。 しかれば則ち釈尊成道の最初に対すれば、天神七代の初めなお邇し。 いわんや地神の天照をや、あに釈尊の垂迹にあらずや。 問うていわく、八幡大菩薩の本地いかん。 答えていわく、大隅の国に石体の銘あり。 一の石破れて二と為る。 一石には八幡の二字有り、一石の銘には昔霊鷲山に在って妙法華経を説き、今正宮の中に在って大菩薩と示現す云云。 これ八幡の本地釈迦仏と言える第一の証拠なり。 これよりなお正しき事有り、八幡大菩薩は人皇第十六代応神天皇なり。 豊前の国宇佐ノ宮に於いて甲寅の歳四月八日に生まれ給う。 而して聖寿八十歳壬申の歳二月十五日に崩御し給う。 また釈迦如来は住劫第九の減、人寿百歳の時中天竺迦毘羅衛国藍毘尼園に於いて甲寅の歳四月八日に生まれ給う。 而して八十年を経て、東天竺倶尸那城跋提河の辺りにして二月十五日入滅し給う。 今の大菩薩もまたかくの如し。 天竺と日本と生国は異なるといえども、四月八日と甲寅と、二月十五日と、壬申と八十歳とは全く異なること無きなり。 釈迦如来の化身疑い無き者なり。 また安陪山の慶圓法師八幡の神祠に詣でしかば、大菩薩即ち男子の形を現じて御託宣の事有り、繁き故これを略す。 これらの現証を以て八幡の本地を知るべき者なり。 問うていわく、春日大明神の本地いかん。 答えていわく、山家の釈にいわく、春日大明神は鹿野苑の釈迦の応化なれば、鹿を以て使者と為すと云云。 問うていわく、山王権現の本地いかん。 答えていわく、山家の釈にいわく、日吉山王は久遠の釈迦の応化なれば、猿を以て使者と為すと云云。 問うていわく、熊野権現の本地いかん。 答えていわく、熊野縁起にいわく、昔霊山に在りては牟尼と名づく。 今海中金剛山に於いて、衆生を度せんが為に蔵王法起菩薩と現ずと云云。 右神託並びに先徳の釈の如きは、一切権者の神は皆これ久遠実成の釈迦如来大悲方便の化身なり。 証文にいわく、我が滅度の後末法の中に於いて大明神と現じて衆生を利益せんと云云。 この文の如くんば釈迦如来衆生を度せんが為に五百の大願を立て給えり。 その中の一の願に、我れ大明神と現じ、濁世群類を度せんと誓い給えり。 しからば則ち諸の神明形異なり応迹無量なれども、その本地を尋ねば釈迦一仏の変作普現色身の功用なり。 疑っていわく、熊野権現をば世間のある義に証誠殿の阿弥陀如来と言えり、この義いかん。 答えていわく、およそ神の本地を言うに、宗々の偏計人々の情量に依りあるいは弥陀と言い、あるいは薬師と言う。 しかりといえども自他の偏党を捨てて、直ちに仏説について詳しくその本地を究むれば、ただこれ釈迦一仏の応迹なり。 所以はいかんとなれば、常平等の日は諸仏の慈悲彼此無しといえども、常差別の時は諸仏各々浄土を卜して面々に有縁の衆生を利益し給う。 故に法華経第三に大通仏十六王子の八方作仏の因縁を説いて、「爾時聞法者各在諸仏所」と云云。 またいわく、「在々諸仏土常与師倶生」と云云。 釈にいわく、各別の発願、各浄土を修して、各衆生を化すと云云。 この経釈の如くんば十方の諸仏因位の始めより果位の終わりに至る迄有縁の衆生有り。 故に余方の諸仏はこの界の衆生に於いて全く利益無きなり。 しかれば他方無縁の弥陀いかでか釈迦の国土に来たって、猥らしく応迹を垂れ、大明神と現ぜんや。 その上阿弥陀仏は昔無諍念王たりし時、娑婆世界をばすでに捨て給えり。 釈迦仏はその時宝海梵志として、この忍土を取り給えり。 ことに弥陀の本願には五逆謗法の悪人を捨つ、唯除五逆誹謗正法の誓文これなり。 宝海梵志誓っていわく、即ち十方浄土擯出の衆生を集めて我まさにこれを度すべし云云。 この文の如くば、すでに弥陀仏等に捨てられたる極悪の衆生を釈迦如来大悲願を発して、ことごとくこれを度せんと誓い給えり。 法華経にいわく、「唯我一人能為救護」と云云。 そもそもこの経文に、唯我一人と言えるは仏語ほとんど狭きに似たり。 しかりといえどもこれ全く釈尊の自義にあらず。 弥陀等の諸仏我と娑婆世界を捨て給えるを、釈迦如来唯我一人と誓ってこの世界に出現し給いぬ。 大悲の弘願諸仏に於いて超過し給えること、誰人かこれを疑うべけんや。 寿量品にいわく、「我実成仏已来無量無辺百千万億那由佗劫等」云云。 またいわく、「自従是来我常在此娑婆世界説法教化等」云云。 摩訶止観第六にいわく、「和光同塵は結縁之始め八相成道は以て其の終りを論ず」と云云。 この経釈の如くんば、釈迦如来は過去久遠劫よりこのかたこの界の主と為り世々番々の化導未だかつてしばらくも廃し給わず。 しからば則ち迷いの前には神と現じ、悟りの前には仏と顕れ、一月万影の利益すべて他仏のいろわざる所なり。 故に「唯我一人能為救護」と言うなり。 この理を知らざる人々無縁の阿弥陀に憑を懸けて、三徳重恩の釈尊を捨つ、あに大不知恩の人にあらずや。 これらの道理を以て、本地垂迹の根元を弁うべきなり。 第二に一切の明神、法華経を信敬し給うことを明かすとはこれについて略して六と為す。 一には天照太神法華経に帰し給うこと明かし、二には八幡大菩薩、法華経の講談を喜びて、紫の袈裟を施し給う事を明かし、三には加茂明神、一乗妙法蓮華経の七字を以て、出離生死の道を示すことを明かし、四には山王権現、法華講の功力に依って、人の定業を転ずことを明かし、五には松尾明神、法華の衣を求め給う事を明かし、六には北野天神、真言を棄捨して法華に帰し給う事を明かす。 一に天照太神、法華経に帰し給う事。 人王四十五代聖武天皇、東大寺を建立せんと欲しられしに、この国は本これ神国なり。 国家神に事うることすでに久し今仏殿を営むこと、知らず神意に乖かんや否や。 よって神慮を試みんが為、行基菩薩に勅して仏舎利一粒を授け、伊勢大神宮に献ぜしむ。 行基菩薩勅を奉じ勢州に詣り、内宮の南門大杉の下に於いて庵を結びて居し、一七日を期して持念し、つぶさに帝意を告ぐ。 第七の夜神殿自ら開けて、高声に唱えていわく、実相真如の日輪は生死の長夜を照却し。 本有常住の月輪は煩悩の迷雲を爍破す。 我れ今遭い難き大願に逢う、渡りに船を得たるが如し。 また得難き宝珠を受く、暗に炬を得たるが如し云云。 今この託宣に実相の真如の日輪と言わるは、即ちこれ法華経なり。 故に釈にいわく、「実相深理本有妙法蓮華経」と云云。 また法華経を持って大日輪を喩うこと、薬王品に在り。 文にいわく、「又如日天子能除諸闇此経亦復如是能破一切不善之闇」云云。 この経文と彼の神託と宛も符契の如し。 ここに知んぬ皇大神宮まのあたり日神と現じて外には世間の幽冥を照らし、内には煩悩の黒闇を破ること、あに法華経の力にあらずや。 しかるに世間の人々神徳の重きを仰いで、遠く歩みを運ぶといえども未だ神明の本意を知らず。 いわんや巫祝いつわりて深く三宝を忌む。 いかでか神慮に叶わんや。 昔大覚世尊大集経を説きし時、四天王に勅して三千世界の一切の善神等を駆り、説法の会場に集めてねんごろに守護正法の勅宣を下し給えり。 一切の諸神つつしんで付属を受け、各本土に帰り給う。 天照太神独り付属に漏れて正法を守護し給わざらんや。 しかるに正法の至極は法華の妙理なり。 しからばこの経を信ずる輩は、たとい一生の間かつて神前に詣でずといえども、神明の応護をこうむらんこと疑い無き者なり。 故に経にいわく、「諸天昼夜常為法故而衛護之」云云。 二に八幡大菩薩法華の講談を悦びて、紫の袈裟衣を施し給う事。 伝教大師去る延暦二十三年御入唐の時、宇佐の神宮寺に詣で、渡海を遂げんが為、法華を講ぜんと祈誓し給う。 この願力に酬いて渡唐速やかに成り、御帰朝の後、前の願を果たさんが為に、弘仁五年重ねて宇佐八幡宮に詣で給う。 扶桑記にいわく、八幡大菩薩の為に、神宮寺に於いて自ら法華経を講ず。 すなわち聞きおわって太神託宣し給う。 我法音を聞かずして久しく歳年を歴、幸いに和尚に知遇して、正教を聞くことを得、兼ねて我が為に、種々の功徳を修す至誠に随喜す。 何ぞ徳を謝するに足らんや、兼ねて我が所持の法衣有り、即ち託宣の主自ら宝殿を開き手に紫の袈裟一つ、紫の衣一つを捧げ和尚に奉上す。 大悲力の故に幸いに納受を垂れ給えと、この時祢宜祝等各歎異していわく、元来かくの如きの奇事を見ず聞かずと云云。 八幡鈔にいわく、今の八幡大菩薩は月氏不妄語の法華経を、迹に日本に於いて正直の二字に作して、賢人の頂きに宿らんと云云。 もししからばこの大菩薩は宝殿を焼きて天に登り給う時、法華の行者日本国に在ればその処に住み給うべし云云。 石体銘鈔にいわく、昔霊鷲山に在りては妙法華経を説き今正宮の中に在って大菩薩と示現すと云云。 八幡大菩薩の御誓は月氏にては法華経を説きて正直捨方便と名乗り、日本にては正直の頂きに宿らんと誓い給う。 ここを以て思うに、法華経の人々は正直の法に付く故に釈迦仏なおこれを護り給う。 いわんや垂迹の八幡大菩薩、いかでかこれを受け給わざるべきと云云。 三加茂明神一乗妙法蓮華経の七字を以て出理生死の大事を示し給う事。 一條院の御宇慧心僧都、賀茂社に参籠して七日七夜出理生死の道を祈り給う。 明神僧都の道念に感じ示顕していわく、釈迦の説法は一乗に留る諸仏の成道は妙法に在り、菩薩の六度は蓮華に在り、二乗の作仏はこの経に在り云云。 また伝教大師賀茂に参籠して、法華経を講じ給えば、明神喜び自ら甲冑を布施し給う云云。 この明神はかくの如く法華経を貴び給う。 故に経王大明神と号するなり。 四に山王権現法華講の功力によって人の定業を転じ給う事。 人王七十三代堀河院の御宇、後二條の関白山王の祟りに依って重病を受け給う。 明医の方術、有験の加持ともに力を尽くせども験し無く、色心日々に衰え、露命すでに以て危うし。 ここに母公深くこれを悲しみ、祈願の為に山王明神に参籠して、七日七夜丹精を抽でて、種々の立願有り。 また心中ひそかに三つの願を立つ。 一には今度殿下の命を延ばせ給わば、千日の間諸の乞食非人の中に交わって、自ら宮仕に奉ぜん。 二には波止土濃従り八王寺の社に至って回廊を作り進ぜん。 三には八王寺の御社に於いて、毎日怠転無く法華問答講を執行せん。 願わくば今度び殿下の罪を許し、命を助け給えと心中に深く念じ給う。 しかるに七日満ずる夜山王明神童子に託していわく、悲母子の哀れむの思い誠に切なり。 心中の三願何れも疎ならずといえども、前の二は無くても有りなん。 法華問答講これ我が深く好む所なり。 もし退転なく毎日これを行わば、殿下の寿命三年これを延ばすべし。 これを不足と思わば力及ばず等と云云。母公即ち感涙を押さえ、白して言さく、たとい一日片時の命を伸ばし給うとも、誠に有り難かるべし。 いわんや三年の寿命をや。 しかる後殿下の所領の内、紀州田中ノ庄永代山王に寄進せられ、法華問答講毎日退転無し。 ここに於いて殿下の病悩速やかに平癒し三年の寿命を延ばす。 住吉明神の御託宣にいわく、山王明神はつねに法華醍醐味に飽く、故に勢い我に勝りたりと云云。 この御託宣の如くんば一切の神明法華経を持って威光勢力を増し給えること誠に以て明白なり。 五に松尾大明神法華の衣を求め給う事。 昔空也聖人、七月の頃雲林院より都城に入る時、路傍に一の老人有り。 その姿はなはだ寒えて歯牙相震う。 空也これを見老人に問うていわく、君はこれ何の人ぞ、この炎暑に当たって何ぞはなはだ寒えたるや。 老人のいわく、我はこれ松尾明神なり。 吾れ般若の衣を着すといえども、未だ法華の衣を着せず。 故に三毒の寒風膚を侵して忍び難し、師願わくば法華の衣を賜わんや。 空也即ち衣を脱いで明神に捧げていわく、我れこの衣を着して四十年間法華を読誦す。 功徳の妙香皆この衣に染む、今これを奉献すと明神すなわち歓喜してこの衣を取って身に懸け、空也を拝していわく、我この衣を着す、身すでに温かになりぬ。 恩恵報い難し。師の成道に至る迄必ず守護し奉るべしと云云。 六に北野天神真言を棄捨して法華経に帰し給う事。 天神の御託宣にいわく、円宗の法門に於いて未だ心に飽かず。 よって遠忌追善に当たり、すべからく密壇を改めて法華八講を修すべきなりと。 所以に曼荼羅供を改めて、法華講を始む。吉祥院の八講と号するこれなり。 右旧記に依って考える所、九牛が一毛なり。 ことごとく記すにいとまあらず。 かくの如く一切の大明神は法華経を以て、生死の闇を照らす灯となし、法華経を以てすみかとなし、法華経を以て衣となし、法華経を以て良薬となして、人の重病を治す。 故に日本国の大社多くは法華経を崇めて以て神体となす。 また神は正直の者を守護して、諂曲の者をにくむ。 故に逆臣の純友を打つ時は、住吉大明神、大将軍となりてこれを誅す。 朝敵の将門を討する時は、山王大明神大将軍となってこれを亡ぼし給う。 和気の清麿が正直の言を以てまさに頭を刎ねられんとする時は、宇佐八幡長さ一丈の月と顕れ給う。 高祖大士龍口の御難の時は、鶴ヶ岡の八幡大菩薩とみに光り物となって太刀取りの頸に懸かり給えり。 予下賤なりといえども、正直の経を持ちてこの島に流罪せらる。 正法守護の大小の神祇いかでかこれを捨て給うべき、もし諂曲の悪人を罰せずして、還って仏勅を重んずる者を捨て給わば、神明の本誓あに破れざらんや。 そもそも時澆季に属し、世末代に及ぶといえども、日月未だ地に落ち給わず、四季も形の如く変わらず、大海の潮も増減す。 今この一時に於いて昔に相替わるべきか。 秦の始皇の先祖に襄王と言いし王は、漢土第一の神と成り給いしかども、始皇の悪行を懲らさずして、これを守りしかば、沛公が剣に懸かりて失せ給いぬ。 本朝厳島大明神は平家の氏神なり。 太政入道の奢りを止めずして、守護ありしかば、天照八幡等に神打に討たれ給いぬ。 一切の明神いかでかこれを恐れ給わざらんや。 然るに一切の大明神は経王守護の誓願によりて、本地の霊光を隠して神と顕れ給う。 予また経王の威力を以て懇祈を晨夕に凝らし奉る。 これあに大明神の後誓願に力を添える者にあらずや。 かくの如く国の為、法の為大忠を懐く者の一国の諸人に怨まれ、あまつさえ悪僧ども引っ張り三衣を剥ぎ取るは大明神の御結構にあらずや。 しかのみならずこの島に遠流す。 そもそも予が罪過何事ぞ、ひとえに仏勅を重んずるが故に本寺を退出す。 仏法の為あに不可ならんや。 国の為不忠ならんや。 大明神もし彼の邪人に与して仏勅に順ずる者を捨て給わば恐らくは梵帝四天日月等の御咎にあい給うべし。 八幡大菩薩なお謗法の悪人を罰し給わざりしかば、諸天等の御計らいとして大蒙古の為に宝殿を焼かれ給いぬ。 いわんやその余の諸仏をや。 それがしかくの如く責め奉るもその恐れ無きにあらず。 然りといえどもこれ全く神慮を悩ますにあらず。 ただひとえに神明の本誓を試み、法華の真文の虚しからざる事を信知せんが為なり。 予もし誤って邪義を存せば、ただ速やかに命を召し後世を扶け給うべし。 今生には万民に責められて、一日片時も安堵の思い無く、後生また悪道に堕ちなば、あに悲しからんや。 敢えて私曲を存せず、ひとえに仏神の明鑑を仰ぎ奉る者なり。 また有る経に説くが如く、道理有る祈りに、もし利生無くば本尊を、あるいは罵りあるいは縛し、あるいは打て等と云云。 昔仏在世の時、月氏国に一の長者在り、尼倶律陀と名付く。 その家大いに富み、福力国王に勝れること一千倍なり。 六十の庫蔵有り、一庫金粟を容れたること、三百四十斛、双牛の金の犁き有り、その数九百九十九、その家に畳有り、最も下品なる者値百千両金、かくの如く富むといえども、子息有ること無し。 長者自ら憂念すらく、我れ財宝無量なりといえども、年すでに老朽しぬ。 また子有ること無し。 一旦に命終せば庫蔵の諸物誰にかまさに委付すべし。 常に憂いを懐き、樹神に詣で子を祈る。 年歳を経歴すれども、未だ微応有らず。 長者大いに嗔り、樹神に向かっていわく、我れ汝につかえてよりこのかた、すでに年歳を経るに、未だかつて為に福応を垂るを見ず、今まさに七日心を至して汝につかえんに、もしまた験無くば必ず相焼煎せんと。 樹神聞きおわってはなはだ愁怖を懐き、四天王に向かってつぶさに上の事を陳ぶ。 ここに於いて四王往て帝釈に申す。 帝釈観察し給うに、閻浮提の内に福徳の人、彼の子と為るに堪えたる。 即ち梵天に相詣で広く上の事を宣ぶ。 その時に梵王天眼を以て観見し給うに梵天のまさに命終に臨むべき有り。 しかしてこれに告げていわく、汝もし神を降らばよろしくまさに彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ずべし。 梵天むかっていわく、婆羅門の法は多くは悪邪見なり。 我れ今その子と為る能わざるなり。 梵王またいわく、彼の婆羅門は大威徳有って、閻浮提の人は往生に堪えたるなし。 汝必ず彼れに生ぜば、吾れ相護ってついに汝を邪見に入らしめざるなり。 梵天いわく、うべない敬って聖教を承らんと。 これに於いて帝釈即ち樹神に向かって、かくの如き事を説く、樹神歓喜して尋ねてその家に詣で、長者に語っていわく、汝今また恨みを我に起こすことなかれ。 かえって後七日にしてまさに卿が願を満ずべし七日に至りおわって婦はらめることあるを覚ゆ。 十月に足満して一男児を生ず。 面貌端正にして、世に比類無く身に三十の相有りて、光り一由旬を照らす。 今の迦葉これなり云云。 予この文意を以て案ずるに、彼の長者氏神に向かって嗔りを起こし、大悪口を吐き、還って大願を満足す。 外典にいわく、王赫としてここに怒る。 文王ひとたび怒ってしかして天下の民を安んず。 武王もまたひとたび怒って天下の民を安んずと云云。 注にいわく、血気の怒りは有るべからず。 理義の怒りは無くんば有るべからず云云。 理に当たるの嗔りは、還って大利を得ること内典外典の意全くこれ同じきか。 今それがし大明神を諫暁し奉ること、あに理に乖かんや、彼の長者は吾が身の為に氏神に嗔るすら、なお道理に背かざれば咎無く還って大利生を得。 いわんや予は全く身の安泰を思うにあらず。 天下の謗法を止めて、正法を弘通し、国土の災難を払いて、万人の現当を扶けんが為なり。 予貧賤の家に生まれ、身に戒行無く、心三毒強盛なりといえども、師の教誡を聞きしよりこのかた、法華の真文を仰ぎ、精祈を仏神に懸け奉って、ひとえに正法の流布を祈る。 大明神いかでか哀憐を垂れ給わざらんや。 それ神は正法の威力を以て、国家を守護し給う。 弓削の道鏡、称徳天皇の心寄りとなって、まさに王緒の継統を乱さんとする時、和気清麿宇佐の宮に参詣して、専ら心に祈精を致す。 八幡大神告げていわく、神に大小善悪有り、必ずしも一にあらず、善神は諂曲をにくみ、悪神は正直をにくむ。 故に善神悪神いくさを起こし戟を交ゆ、しかるに悪神は多く、善神はすくなし。 故に我が力労羸して当たり難し。 まさに仏法の力を頼んで、王道を扶護すべし云云。 まさに知るべし、八幡大菩薩は既に仏法の力を得て、威光を倍増し、国家を守護し給う。 譬えば龍王の水を得て勢力自在なるが如し。 大明神あに仏法の力を用い給わざらんや。 もし正法の威力を頼み給わずば、魚の水を離れ、鳥の翼を失えるに同じかるべし。 たとえ神力を尽くして国家を守護し給うとも、邪人を罰し給わず、謗法国に止まらずんば、悪鬼乱れ入って、災難並び起こらんこと疑い有るべからず。 第三仏法の乱階によって天変地夭を起こすことを明かすとは。 問うていわく、去る慶長元年の大天変地夭、何によって起こるや。 答えていわく瑞相はなはだ大にして前代に超過す。 およそ往古よりこのかた吾が朝に起こる所の天変地夭は伝記目録等にこれを載せて大事小事皆ことごとく隠れ無し。 然りといえどもかくの如きの大瑞は未だ現ぜず。 尺の池に丈の波立たず。 驢吟ずるに風鳴らず。 まさに知るべし、世間通途の吉凶の瑞にはあらずひとえに仏法の乱階の大過によって起こる所の災禍なりと。 問うていわく仏法の乱階何事によって起こるや。 答えていわく去る文禄年中前の大相国大仏妙法院に於いて諸宗の供養を始め給う。 これ仏法乱階の根源なり。 問うていわく乱階とは何事ぞや。 答えていわく尊を卑しめて下に置き卑を貴んで上に置くこれを乱階と言うなり。 問うていわく、その乱階の所詮何事を指してこれを言うや。 答えていわく法華最第一の行者を第五第六に下す。 これ前代未聞の大乱階なり。 これによって天神地祇の御咎め有って起こる所の災難なり。 問うていわく、法華の行者を軽賤する国に於いて諸天善神嗔りを為し災いを起こすその故何ぞや。 答えていわく、法華の行者はこれ釈迦法王の愛子なり。 譬えば世の王の太子の如し。 もし人有って誤って太子を蔑如せんに大臣公卿嗔りてこれを罰せざらんや。 法華の行者を軽賤するものまさに天罰をこうむる事これを以て知るべし。 経にいわく、『読持此経是真仏子』云云。 釈迦如来は三界の衆生の父なり。 一切衆生はことごとくこれ仏子なり。 然りといえども法華を信ぜざる者はこれ不孝の子なり。 この人は全く仏種を継ぐべからず。 例せば丹朱は堯王の太子といえども不孝の咎によって帝位を継がざるが如し。 法華の持者は真実の孝子なり。 故に経に『是真仏子』と言う。 釈尊の後を継ぎ、法王と成らん事何の滞りがあるべき。 例せば禹王の太子は孝徳有るによって、王位を継ぐに諍い無きが如し。 梵王帝釈等は教主釈尊左右の臣下なり。 摩訶止観第五にいわく、如来行じ給う時帝釈は右に在り、梵王は左に在りと云云。 釈尊すでにこれらの諸天を以て、法華の行者守護の仁と定め置き給いぬ。 いかでか仏勅を忘れて持経者に疎かなるべき。 故に経にいわく、『諸天昼夜常為法故而衛護之』云云。 またいわく、『天諸童子以為給使』云云。 文の如くんば諸天昼夜に持経者を守護し給うこと、例えば乳母の赤子を愛護するが如し。 これを軽毀する人いかでか安穏ならんや。 故に謗法の国には青天嗔りを為し、黄地憤りを含み、災難大いに起こるなり。 第四に災難の先例を明かすとは。 問うていわく、法華の行者を軽賤して、すでに災難起こりたる先例有りや。 答えていわく、去る正嘉の大地震、文永の大彗星、並びに蒙古国の攻め来る等、これその証なり。 立正安国論の名書たる根元はこれなり。 録内にいわく、この書は白楽天が楽府にも超え、仏の未来記にも劣らず。 末代の不思議何事かこれに過ぎん。 賢王聖主の御世ならば、日本第一の勧賞にも行われ、現身に大師号をも有りぬべきにと云云。 問うていわく、安国論の自讃いかなる子細によるや。 答えていわく、いにしえの聖人の書、天下これを重んずることは、未来の事を鑑みる故なり。 例せば天台伝教の未来記ないし上宮太子の瑪瑙記等の如し。 安国論もまたまたかくの如し。 未来の事を記すに一分も違わず、時に当たって国家の大事を勘えたる書なり。 問うていわく、その証いかん。 答えていわく、宗祖鎌倉殿へ送り給える書にいわく、そもそも正月十八日西戎大蒙古国の牒状到来す。 日蓮先年諸経の要文を集めてこれを勘えたるに、立正安国論の如く、少しも違わず符合しぬ。 日蓮は聖人の一分に当たれり。 未萌を知るが故なり。 しかる間重ねてこの由を驚かし奉る。 急ぎ建長寺、寿福寺ないし大仏殿の御帰依を止められよ。 しからざれば重ねてまた四方より迫り来たるべきなり。 速やかに蒙古の人を調伏して、我が国を安泰ならしめよ。 彼の呉王は、伍子胥が詞を捨てて我身を亡ぼし、桀紂は、龍比を失いて国位を取らる。 今日本国既に蒙古国に奪わる。 あに嘆かざらんや、あに驚かざらんや。 日蓮が申す事御用い無くば定めて後悔これ有るべしと云云。 また多宝寺に贈り給える書にいわく、日蓮最明寺殿に奉るの書立正安国論、未萌を知ってこれを勘え申す処なり。 既に去る正月蒙古国の牒状到来す、何ぞ驚かざらんや。 この事不審千万なり。 たとい日蓮にくしといえども、勘うる所相当たらんに於いては、何ぞ用いざらんや云云。 問うていわく、正嘉の大地震その他種々の災難、誰人を軽賤する咎によって起こるや。 答えていわく、この義、自答を存すべきにあらず。 幸いに文証有り、これを引くべし。 録内にいわく、正嘉の大地震、文永の長星は誰故ぞ。 日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。 しかるを上一人より、下万人に至る迄これを軽賤して、刀杖を加え、流罪に処す。 故に梵釈日月四天隣国に仰せ付けて、この国を責むるなり。 たとい祈誓を致すといえども、日蓮を用いずんば必ずこの国の人壱岐対馬の如くなるべし。 我が弟子仰いでこれを見るべし。 これひとえに日蓮が尊貴なるにあらず、法華経の御力の殊勝なるによってなりと云云。 またいわく、日蓮は閻浮提第一の法華経の行者なり。 これを毀り、これを怨む人は閻浮提第一の大難にあうべし。 日本国を振動する正嘉の大地震、一天にわたりし文永の大彗星等なり。 これらを見よ仏の滅度の後、仏法を行ずる者に怨を為す事多しといえども、今の如きの大難は一度も無きなり。 南無妙法蓮華経と一切衆生に勧むる人は一人も無し。 この徳は誰か一天に眼を合わせ、四海に肩を並ぶべけんや云云。 またいわく、日蓮御勘気をこうむらば、仏の御使いを用いざるに成るべし。 梵天帝釈日月四天の御咎め有って、遠流死罪の後、百日一年三年七年が内に自界叛逆難とて、この御一門友打始まるべし。 その後他国侵逼難とて四方より起こり、殊に西方より責められさせ給うべし。 その時後悔有るべしと云云。 またいわく、去る文永九年二月の友軍と、十一年四月の大風と、同十月に大蒙古国の来ると、ひとえに日蓮を失わんとする故にあらずか。 いわんや先よりこれを調べたり。 誰人か疑うべきと云云。 これらの明証顕然なり。 あに私の料簡を加えんや。 疑っていわく、法華宗の一門は、今の証文を信ずべし。 他宗に於いてはいかでかこの義を許さんや。 答えていわく、汝偏執を先として、理に暗き事漆の如く、また闇夜の如し。 人を嫉み理を失う事智者の嗟く所なり。 烏の吉凶を告ぐる、畜鳥の智信ずべからずといえども、必ず現証有れば人これを疑わず。 誰か烏を賤しめてその吉凶の告げを捨てんや。 周の第四昭王の御宇四月八日の夜、天地の間に於いて不思議の大瑞を現ず。 大吏蘇由これを勘えて、未来の事を記す。 この事寸分も違わず、後皆符合しぬ。 天下皆その聖智を称す、これまたかくの如し。 たとい他宗の輩偏執を致して、これを用ゆべからずと言うといえども、勘文ことごとく相当たれば誰かこの理を破らんや。 いわんや上に出す所の証文の源と仏説より事起これり。 いかでか一句一言の失錯有らんや。 汝吾が祖師を謗らんが為にみだりに仏説を空しくす。 あに大悪人にあらずや。 その上未萌の災いを勘え給うに、皆以て符合しぬ。 その時内外典の学者数を尽くしてこれを勘えしかども、すべて一人も知らず。 誠に大権の応作にあらずんば、いかでかかくの如き奇異有らん。 顕立正意鈔にいわく、たとい日蓮富楼那の弁を得て、目連の通を現すとも、勘うる所当たらずば誰かこれを信ぜんや。 去る文永五年蒙古国の牒状吾が朝に渡来する所、賢人有らばこれを怪しむべし。 たといそれを信ぜずとも、去る文永八年九月十二日御勘気をこうむりし時、吐く所の強言次の年の二月十一日符合せしむ。 情有らん者はこれを信ずべし、いかにいわんや今年既に彼の国二箇国を奪い取る。 たとい木石たりといえども、たとい禽獣たりといえども感ずべく驚くべしと云云。 清澄山に贈り給える書にいわく、日蓮未だ築紫を見ざれば西戎を知らず、一切経を以て勘えたる事は既にあいぬと云云。 汝これらの現証を聞け、あに大不思議にあらずや。 嗚呼偏執狐疑は堕獄の根源、信楽慚愧は得道の要路なり。 汝早く偏執を捨てて速やかにこの正理に帰せよ。 いかでか現当の益を得ざらんや。 問うていわく、伝え聞く正嘉の大地震は前代未聞の大瑞なり。 しかるに慶長元年の大地動とその瑞何れが大なるや。 答えていわく、その義計り難しといえども、しばらく旧記を以て比校してこれを見るに、慶長の大瑞は正嘉に超過せり。 問うていわく、悪瑞の相いにしえに過ぎたるは何の咎によるや。 答えていわく、昔に超ゆる大謗法国中にこれ有る故に瑞相も随って大なり。 問うていわく、その謗法の趣きくわしくこれを聞かん。 答えていわく、およそ謗法は法華の行者を軽賤するより大なるは無し。 所以はいかんとなれば仏の滅度の後には、仏宝有ること無し。 法宝有りといえども、もし行者無くんば誰かよくこれを弘めん。 仏宝法宝を知るひとえに僧宝の力に依る。 故に三宝の中には僧宝最も大切なり。 仏世猶は人を以て法を顕す。 いわんや末代に於いてをや。 故にに僧宝を誹謗するを第一の謗法と為すなり。 難じていわく、僧宝を誹謗するは只これ謗人なり。 何ぞこれを謗法と言わんや。 答えていわく、三宝各別に立つるは小乗の意なり。 大乗の意は三宝一体にして異ならず、別ならず。 故に僧宝を毀る者は即仏宝法宝を毀るに為るなり。 故に大経にいわく、別相を信ずといえども、一体無差別の相を信ぜざるを信不具と名付くと。 またいわく、この三宝は異相有る事無し。 この理を聞かん人誰か僧宝に於いて軽賤の思いを成さんや。 故に経にいわく、『当起遠迎当如敬仏』と。 文の如くんば、法華の行者を貴ぶこと生身の如来を敬うが如くせよと云云。 これまさしく法華の真文、釈尊の直説なり。 誰人かこれに背かん。 しかるに今世の諸人権小下劣の僧徒を敬うこと王の如く金の如し。 法華の行者を賎しむること民の如く土の如し。 いにしえ軽賤するもの多しといえども、未だ今の如くはなはだしきは有らず。 諸天善神いかでか憤りを含まざらんや。 昔洛陽に於いて災難起こること有り。 天子大いに驚き、大吏に勅してこれを勘えしむ。 奏していわく、王城の辰巳に当たって古寺有るべし大殿の仏像次第に乱階す。 故にこの災怪を起こすと云云。 ここに帝王高の公輔に詔して尋ねしむ。 都城の東南安祥寺の大殿に両界の諸尊を安置す。 年旧りて仏像斜み傾いて次第に参差せり。 公輔即ち堂に入り杖を以てその本座を指しかば、仏像自ら飛んで皆本座に着き給う。 しかして即ち災い止むと云云。 今この例を以て明らかに道理を察せよ。 同じ尊像なりといえども、次第に相乱れしかば災怪とみに起こりぬ。 いかにいわんや教主釈尊人天大会の中に於いて、多宝仏を証人として、法華の行者の位を定めていわく、『有能受持是経典者亦復如是於一切衆生中亦為第一』云云。 すでに釈尊金口の誠言を以て、最第一と定め給える法華の行者を第五第六に下さんに、天神地神あに大転変を起こさざらんや。 そもそも人の世に在る、あるいは現世の為、あるいは後世の為仏事善根を修すること、皆釈尊の教えより起これり。 仏の教えに依って善根を修する人しかも仏説に背いて持経者を賎しむるは、孝経を以て父母の頭を打つ者にあらずや。 かくの如きの人は、たとい仏前に珍宝を積むこと須弥山の如くし、大海の如く湛うともいかでか納受を垂れ給わんや。 問うていわく、去る慶長元年の大天変地夭何事の先表なりや。 答えていわく、未萌を知るは聖智なり。 予がこの凡智いかでか未来の事を識らんや。 然りといえども経文の亀鏡に向かい、はた先縦に就いてこれを勘うに、恐らくはこれ国主亡家亡国の先表なり。 問うていわく、その経文の証拠いかん。 答えていわく、最勝王経にいわく、悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に他方の怨賊来たって国人喪乱に遭う等云云。 大集経にいわく、衣鉢種々の資具を奪い、もしは他の給施に留難を作さば我等彼をして自然に率に他方の怨賊を起こさしめ及び自の国土にまた兵をして起こらしめんと云云。 しかるに今の世ひとえに謗法の悪人を愛敬し、持者の善人を治罰して、みだりに資具を奪い、留難をなすこと誠にはなはだし。 経文もし実ならばあに亡家亡国の禍を免れんや。 法華の持者は極めて貧賤なりといえども、かたじけなくも是れ如来の使いの一分なり。 梵王帝釈なおこの人を供養し給う。 しかるに人間としてこれを軽賤し、留難を加えば天あにこれを罰せざらんや。 第五に諸天法華の持者を供養し給うことを明かすとは。 問うていわく、諸天法華の持者を供養すべしと言う経文有りや。 【後】に続く |