経王弘通之沙門本化末葉日奥敬上、除悩延命表、被献 後陽成帝書(仏性院日奥)
それ寒浪の白亀は毛宝が恩を報じ、昆明池の大魚は夜中に珠を捧げたり。畜生すら恩を知る事かくの如しいわんや人倫をや。 ここを以ていにしえの賢者預譲と言いし者は剣に伏して知伯が恩にあて、弘演と申せし臣下は自ら腹を割いて衛のい懿公が肝を入れたり。 世法猶徳を報ずる事かくの如しいわんや仏法を学し形を釈門に仮りながらいかでか国恩を忘れ仏恩を報ぜざらんや。 しかるに仏恩を報ずる要枢妙法を弘通するに過ぎたるはなく、国恩を謝する秘術正法を宣伝するにしかず。 但し経文にいわく、『今以無上正法付属諸王大臣宰相及四部衆毀正法者大臣四部衆応当苦治矣』。 誠に仏法の興滅は専ら明主暗君の時代により、王法の理乱は必ず正法邪宗の得失にあり。 故に大覚世尊無上の正法を以て、滅後末代の国王大臣に付属し給えり。 そもそも仏法は八宗十宗に分かれ、その義まちまち也といえども、源は釈尊一仏の説教なり。 したがって釈尊一代五十年の説法事広しといえども、その所詮大いに分かちて二なり。 一に前四十二年は権教、二に後八箇年は実教なり。 しかるに権教の諸経も如来の金言なれば定めて真実なるべしと信ずる処に、法華経の序分無量義経に至りて四十余年説き給える華厳阿含方等般若の諸経つぶさに是を挙げて、『未顕真実乃至終不得成無上菩提』とただ一言に打ち消したまう事たとえば大水の小火を消し、大風の無量の草露を吹き落とすが如し。 しかる後正宗の法華経に至りて『世尊法久後要当説真実乃至正直捨方便但説無上道』と説き給う。 たとえば暗夜に大月輪の出現し大塔立って後、足代を切り捨てるが如し。 かくの如き経文より事起こりて而前と法華の不同明白なる処に、諸宗の人師如来の金言を背きて前に捨てられし所の権教を以て宗旨を立つる事、教主釈尊の怨敵となるのみならず三世十方の諸仏の大讐敵なり。 それ釈尊は三界の衆生のためには主君なり、親なり、師匠なり。 故に法華経第二の巻譬喩品にいわく『今此三界皆是我有(主君の文なり)』『其中衆生悉是吾子(親の文なり)』『而今此処多諸患難唯我一人能為救護云云(師匠の文なり)』これ三徳有縁の明文なり。 しからば即ち梵主帝釈日月四天四輪王乃至日本国中の大小の神祇ならびに国王大臣道俗男女貴賤上下一切ことごとく教主釈尊の所従にあらずと言う事なし。 かくの如く主師親の三徳を備えて娑婆世界の衆生を助け給う仏は一切の諸仏の中には釈尊一仏に限るなり。 もし弥陀薬師等の仏此界の衆生を済度し給う事あらばいかでか唯我一人とは説かせ給うべき。 故に此の界の衆生は他仏に於いて全く縁なし。 故に天台釈していわく、西方は仏別にして縁異なれり、縁異なるが故に子父の義を成ぜず云云。 妙楽これを受けていわく、弥陀釈迦二仏既に殊なりいわんや宿昔の縁別にして化導同じからざるをや。 しかるに日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つ事、たとえば水中に向かって火を求め、瓦鏡に天月を浮かべんとせんが如し。 あまつさえ浄土の祖師三徳有縁の釈尊に背きて礼拝雑行と立て有る。 祖師は釈尊を下して無明纏縛の仏と号す。 例せば天子たる父を下して種姓もなき者を敬うが如し。 あに不忠不孝逆路伽耶陀の人に非ずや。 いわんや三世の諸仏正覚の本尊たる法華経に於いて捨閉閣抛の四字を加え、あるいは『未有一人得者千中無一』という。 これらの謗法の師は釈迦諸仏の大怨敵一切衆生の悪知識に非ずや。 経文の如くんば阿鼻大城まぬがれ難し、その流れをくむ今の末弟等またこの罪をまぬがるべからず。 故に守護章にいわく、法華を権と為し、法華を謗ずるこの二種の義すべて正義ならず、一切の学人信受すべからず。 所以はいかんその師の墜つる所弟子また墜つる所、檀越亦墜つ金口の明説慎まざるべけんや矣、問うていわく、法華経を謗じて無間に墜つる経文ありや。答えていわく、法華経第二譬喩品にいわく『若人不信毀謗此経則断一切世間仏種云云』この文の如くんば法華経を信ぜざる人は釈迦多宝十方の諸仏の命根を断つ人なり。 そもそも一仏を殺したらん罪猶多劫にも説き尽くし難しいわんや法華経を一偈一句も毀る人は十方世界の一切の仏を殺し奉る科になりぬと説き給えり。 問うていわく、まさしく無間に墜つる経文未だ聞こえず。 答えていわく、『此人罪報汝今復聴其人命終入阿鼻獄云云』阿鼻とは無間の別名なり。 所詮文の心は、法華経を信ぜざらん人は必ず無間に墜つべしと見えたり。 問うていわく世間の人々一同の義にいわく、法華経の貴き事は敢えて疑いなし。 しかりと言えども経文に難信難解と説いて我等が浅機に叶い難し、弥陀の念仏は易行の法にして行住座臥をえらばず不浄をも嫌わざれば末代造悪の我等が機に叶いて行じ易し。 しからば即ち機に叶わざる法華を行じて身を苦しめんより、機に叶える念仏を修して往生を遂げんにはしかじと言う。 これは道理とは覚えたり如何。 答えていわく、難信難解の文を引いて法華経を言い止むる事浄土の学者の秘曲なり。 悪見の至り妄語の極みなり。 人の心に叶いて法華経を失う大術この邪見に過ぎず、日本国一切衆生大謗法となる根源この僻見より起これり。 そもそも難信難解の文を以て法華経を機に叶わずと言わば、まず速やかに念仏を捨つべきなり。 その故は雙観経には難中の難これに過ぎたる難無しと説き、阿弥陀経には難信の法とのべたり。 何ぞ我が依経の南進の文をば隠して法華経を失わんが為に事を難信難解の文に寄せてかくの如き誹謗をなすや。 誑惑の心甚顕なり。 次に不浄念仏の事をこれまた大段言わざる事なり。 その故は唐土の祖師善導和尚の観念法門経には、酒肉五辛誓って手にとらず口に喫まずと発願す、もしこの言に違わばすなわち願わくば身口ともに悪瘡つくべしと誡めたり。 日本の祖師法然上人は起請文を書いていわく、五辛肉食を用ゆる念仏者は予が門弟に非ずとのべたり。 この二師の禁誡誠に以て厳重なり。 しからば近来浄土家の学者不浄念仏を許す事は、祖師の遺言を破るに非ずや、師敵対の者なり。 次に法華経は末世の衆生の機に叶わずと言う事はこれまた大なる誤りなり。 法華経は殊に末代濁世の悪業の衆生を以て専ら正機と定めたまえり。 故に経文に恐怖悪世中と説きあるいは悪世末法時とのべたり。 そのうえ難信難解の文は全く難行道の義に非ず。 是は法華経の余経に勝れて貴き事を嘆じたる文なり。 次に法華経と浄土の三部経と難行易行の義を論ぜば、観経の十念具足下品下生の往生より法華経の一句一偈皆当作仏は百千万倍勝れたり。 易行の法に非ずや。 かくの如き分明なる経文に迷うて何ぞ僻見をなすや。 所詮観経等の諸経は皆ことごとく未顕真実の邪法なり。 早くこれを捨つべきなり。 問うていわく、余経を捨てよと言う証文ありや。 答えていわく、その文多々にしてつぶさに挙べき事難し。 まず一両三の文を出さん。 第一巻にいわく『無二亦無三除仏方便説説矣。 またいわく、『正直捨方便但説無上道矣』。 第二巻にいわく、『但楽受持大乗経典乃至不受余経一偈云云』この文の如くんば法華経を説の如く持つ人は、余経を一字一句も信ぜず、皆ことごとく捨つべしと見えたり。 問うていわく、余経を捨てよと言う証文はあらまし聞こえたり。 また法華経を信じて成仏する証文ありや。 答えていわく、経にいわく、『聞我所説法乃至於一偈皆成仏無疑矣』。 またいわく『若有聞法者無一不成仏矣』。 またいわく、『聞妙法華経一偈一句乃至一念随喜者我皆興授記当得三菩提矣』。 またいわく、『是人於仏道決定無有疑矣』。 これらの経文の心は法華経を一偈一句も信ずる人は、如何なる極悪の人たりと言えども成仏すること疑いなしと見えたり。 ここを以て一代の諸経に永不成仏と嫌い捨てられし二乗も法華経に来たりて成仏得道の本意を遂げ、現に三逆罪を造って生きながら奈落の底に沈みし提婆達多も今の経に於いて天王如来の尊号をこうむり、畜生蛇体の八歳の龍女も、わずかにこの経を聴聞して即身成仏し、南方無垢世界の主となる。 誠にかくの如き不思議の力用は余経にすべてなし。 故に秀句にいわく、『此文問所成仏人顕此経威勢云云』。 問うていわく、法華経信受の人後世成仏の義は文証現証誠に以て分明なり。 この事に於いては誰か疑網をのこさんや。 ただし今生の所願を成就し、国土の災難を止むる秘術法華経にこれありや如何。 答えていわく、法華経は是れ三世の諸仏の秘密の奥蔵、法王髻中の明珠なり。 故にこれを信じ奉る人は諸天善神昼夜に守護して災難を払い、寿福を与え給うと見えたり。 故に息災延命の秘法今の一乗妙典に過ぎたるは無し。 問うていわく、妙経の勝用今生の災を消し、難を止べき事道理最も至極せり。 但しその義経文にこれを載すや如何。 答えていわく、道理極成せば証文を引くに及ぶべからず。 何ぞわずらわしくその文を尋ねその証を求むや。 迷なり愚なり。 問うていわく、凡夫の習い、その道理を聞くと言えどもまさしくその文を見ざれば信心深く起こり難し。 今くわしく証文を尋ねる事は信心を増長せんが為なり。 願わくば大慈悲を以ていささか経文を出して愚客が疑心を開き給え。 答えていわく、その文繁多にして、その証広博なり。 但し繁を削り、多をおいて詮を取ってこれを示さん。 第三巻にいわく、『聞是法已現世安穏矣』。 第五巻にいわく、『諸天昼夜常為法故亦衛護之矣』。 第七巻にいわく、『此経能大僥益一切衆生充満其願矣』。 またいわく、『諸余怨敵皆悉摧滅矣』。 またいわく、『此経則為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死矣』。 第八巻にいわく、『持是経者令百由旬内無諸衰患矣』。 またいわく、『所願不虚亦於現世得其福報矣』。 法華結経にいわく、『正法治国』、学生式にいわく、ひそかに以れば菩薩は国の宝なることを法華経に載せ、大乗の利他は摩訶衍にこれを説く。 弥天の七難大乗経に非ずんば何を以てかこれを除かん矣。 それ経文釈義顕然なり。 私の言何ぞ加えん。 所詮現世安穏を祈り後生善処を願う人は無二の信心を立て渇仰の思いに住して専ら法華経を信ずべきなり。 問うていわく、愚意が疑念に依って現に定業を転じ新たに霊験を得たる証人経論にこれありや如何。 答えていわく、汝が疑網未だ解せず、道理極成の上に経釈の文証を出さばすなわち邪執を翻して、早く実乗の一善に帰すべき処に、尚その証人を尋ぬる事猶予の慮、孤疑の至りなり。 しかりと言えども好みに従って少々これを顕さん。 そもそもこの一段についてその先証を勘うるに、典蔵幽奥にして眼根届き難し。 今しばらく広を捨て略を存して九牛が一毛これをのべん。 いわゆる過去の不軽菩薩は法華弘通の功用に依って現に六根清浄を得、二百万億那由他歳の寿命を増長す。 在世の阿闍世王は閻浮第一の不幸の人提婆達多を師として仏に怨を成し父を殺す。 悪業の積もり、身の七処に悪瘡出で、既に無間の先相を現して身心の苦痛忍び難し。 時に耆婆月光の二人の臣下の諫めに依って、にわかに仏前に参りて重罪を懺悔す。 その時釈尊重ねて仏性常住の理を説いて大王に授け給いしかば、身の悪瘡とみに癒え、しかも四十年の寿命を延たり。 滅後の陳鍼は命期五十歳に定まりしが智者大師に値いて十五年の齢を延べたり。 そのほか于満国崔摩帝寺の沙弥は定命十七歳に限りしかども、方便寿量の二品を読みて、寿算を七十歳に持ち、雍州の小児は短寿の相有りしかども、暫時の聞経に依って九十余歳の長寿を得、揚州の盲童はわずかに寿量品の題号を唱えて、土中に三年の寿命を持ちて、しかも両眼を開きたり。 かくの如きの霊験典籍に載る所、それ誠に尽くし難し。 妙法甚深の巨益は昔より今に至るまで欠減有る事なし。 但し信心の強弱に依りて得益の浅深あり。 己が懈怠を以て経力を疑う事なかれ。 問うていわく、今蘭室に入ってくわしく芳詞を承るに、妙経不思議の力用誠に以て広大なり。 現世には国土の災難を払いて心中の願望を成就し、来生には無始の業障を滅して、妙学の台に登るべき事文明に理つまびらかなり。 但し余経に於いて会って成仏の理なしと言う事たしかなる経文未だこれを聞かず如何。 答えていわく、方便品にいわく、『終不以小乗済度於衆生云云』。 文の如くんば余経には一人も得道の者なしと見えたり。 また重ねて説いていわく、『若以小乗化乃至於一人我則堕慳貪云云』。 この文の心は余経に於いて、もし一人も衆生を成仏せしめ給う事あらば釈尊妄語の御咎に依って悪道に堕つべしと誓言を立て給えり。 釈尊かくの如き御誓いを以て、余経に成仏なしと定めさせ給う上、多宝如来は宝浄世界よりはるばる釈尊の御前に来たり給いて、妙法華経皆是真実と証明を加え、一切の諸仏は十方よりこの土に集まりて、広長舌を大梵天に付けて証誠と成し給う。 かくの如き釈迦多宝十方の諸仏一処に集まりて不妄語の御舌を以て菩薩聖衆人天大会の中にして定め置かせ給いたる法華経の金言をば、誰人かこれを背き奉るべき。 しかるを権教執着の輩みなことごとく大小権実に迷いて教門をわきまえず、あまつさえ多くの書を作りて法華経を謗ず。 これらの謗法の諸師は如何に才能いみじく、種姓高貴の人々なりとも、法華誹謗の科眼前たる間大道理の推す所は無間大城疑い無しと見えたり。 問うていわく、今たまたま善友に近づいてしばしば法語を聴聞するに、法華誹謗の科至って重く、その罪誠に深し。 この業因に依って、阿鼻に墜つる事仏語はなはだ分明なり。 しかりと言えども余宗の祖師法華経を謗じたる事未だかつてこれを聞かず。 但したしかなる証文ありや。 答えていわく、この事仏法に入りて第一の大事なり。 くわしくこれをのべば、一切世間の諸人前代未聞の瞋恚を起こし、悪心強盛ならん。 故にしばらくこれをのべず。 難じていわく、これをのべずは無実の科汝に帰すべし如何。 答えていわく、此の難最も甚だし、経文の如くこれをのべんとすれば、世間の誹謗忍び難し。 人を恐れて顕されば寧喪身命不匿教者の仏陀の諫暁を用いざる者なり。 誠なるかな宝塔品にいわく、『若接須弥擲置他方無数仏土亦未為難乃至若仏滅度於悪世中能説此経是則為難等云云』。 問う、経文の意如何。 答えていわく、法華経の六難九易と申す大事の法門これなり。 我等程の小力の者須弥山をば投ぐるとも我等程の無通の者乾きたる草を負うて劫火には焼けずとも、末代悪世に法華経を説の如く説かん事は難かるべしと言う経文なり。 仏尚これを以て大事とし給う。 いわんや一毫未断惑の我等凡夫としてたやすくこれを説くべきや。 難じていわく、もししからば汝無慈詐親の科如何せん。 答えていわく、難ずる所最もいわれあり。 今しばらく大難を忍びてあらましこれをのべん。 汝慢の幢を倒し、瞋の杖を捨て、無二の道念に住せよ。 そもそも浄土の祖師は撰択集を作りて捨閉閣抛の四字を以て法華経を謗じ、禅宗の祖師は教外別伝不立文字の邪義を以て法華経を失い、真言宗の祖師は十住心論等の書を作りて最第一の法華経を第三と下し、あまつさえ戯論の法と蔑り、天台宗の慈覚智証は、理同事勝の謬釈を設けて諸仏出世の本懐を失う。 これらの謗法の重罪は我等が分斎に及ばざる事なれども、経文の如く立申さば釈迦諸仏の御舌を切り命根を断つ人に非ずや。 重ねて難じていわく、汝末代無智の身として上代高徳の明師を謗法と称する事その義いわれなし。 そもそもこれらの先師、智は日月に斎しく徳は四海にみつる。 従って代々の明王時々の賢臣、崇重年旧り尊貴日に新たなり。 汝が小智いかでか前代の祖師に及ばん。 愚痴の心を持ってほしいままに悪口を吐き、何ぞ先師を罵るや。 その咎最も恐れあり、罪科いかでか脱れんや。 答えていわく、重難誠に甚だし。 予も先師を仰いで信ずる事かくの如し。 しかりと言えども仏双林最後の御遺言にいわく、『依法不依人云云』。 この文の心はたとい等学深位の大士たりと言えども経の説文に背きて説かば、これを用ゆべからずと定め給えり。 しかれば上に挙る所の諸宗の祖師智徳は一天に響き、戒行は四海に遍しと言えども経文に相違せば何ぞ難勢を加えざらんや。 なかんずく予が小智いかでか前代の祖師に及ばんやと疑いをなさば、反詰していわく、さては諸宗の祖師と釈尊とは何れが勝るべしや。 善導和尚は法華を行ぜん者は、千人の中に一人も成仏する者有るべからずと言い、法華経には『若有聞法者無一不成仏』と説き給えり。 法華経と善導とは水火なり。 何を本とすべきや。 法然上人は念仏に対して法華経を捨てよと言い、釈尊は正直捨方便と説いて念仏等の方便を捨つべしとのべ給いぬ。 釈尊と法然とは言大いに相違せり、何れの説に付くべきや。 弘法大師は大日経に対して法華経を三重の劣と定め、慈覚智証は二重の劣と釈を設けたり。 釈尊は大日経等の一切経に相対して法華最第一と説き給えり。 この相違また天地なり。 それ後漢の永平より唐朝に至る迄、月氏より渡る処の一切の経論に二本あり、旧訳の経は五千四十八巻、新訳の経は七千三百九十三巻なり。 この一切経の中に法華経の三説超過を悔い還したる文ありや。 たしかに証文を出すべし。 弘法慈覚等の釈書の中に未だその証文出ず唯曲会私情の邪義、荘厳己義の法門なり。 所詮釈尊を捨てて弘法慈覚を用ゆべきか。 また弘法慈覚を捨て釈尊を信ずべきか如何。 悲しいかな、一切衆生皆成仏道の法華経、善導の一言に破れて、千中無一の虚妄の法となる。 嘆かわしいかな、法華最第一の妙経の肝文、弘法慈覚の一語に壊れて、第二第三の下劣の法と成りぬ。 皆是真実の多宝の証明も妄語となれり。 上至梵天の諸仏の広長舌も破られ給いぬ。 三世の諸仏の大怨敵となれり。 十方の如来の成仏の種子を失う、大謗法の科甚だ重し。 苦果いかでか脱れんや。 汝道心あらば専ら経文を本とすべし、初猴をたのみ井底に沈みて万歳悔る事なかれ。 問うていわく、法華宗強く諸宗を隔ててその交わりをも深く嫌う事心狭くまた偏執に似たり如何。 答えていわく、法華の行者諸宗を隔つる事これ私の義に非ず。 専ら教主釈尊の禁戒なり。それ法華経を信ぜざる人は如何なる才能の人師たりと言えども、謗法の重罪脱れ難し。 故にこの人は釈迦諸仏の大怨敵聖僧衆人の讐敵なり。 故にこれに親近せず。 たとえば父母の怨、主君の敵に近付かざるが如し。 ここを以て法華経にいわく、『捨悪知識親近善友云云』涅槃経にいわく、『於悪象等心無恐怖於悪知識生怖畏心矣』。 法性論にいわく『智者は怨家大毒蛇旋陀羅霹靂刀杖諸の悪獣虎狼獅子等を畏るべからず。 彼はただよく命を断つれども人をして阿鼻獄に入らしむるあたわず。 深法を謗り及び謗法の悪知識を畏るべし。 決定として人をして阿鼻獄に入らしむ云云』これらの経釈の心謗法の僧侶には悪象毒蛇虎狼獅子等よりも深く恐れをなして、少しも近付くべからずと禁じ給えり。 故に法華宗は仏の金言を重んじ経論の掟を守る、故に諸宗の謗法を責め、その交わりをも深く嫌うなり。 問うていわく、謗法の僧侶を供養しては功徳あるべしや如何。 答えていわく、これまた自答を存すべきに非ず。 この事は法華経の流通たる涅槃経に仏くわしく説き給えり。 経にいわく、『仏言唯除一人余一切施皆可讃歎矣』。 この唯除一人を次下に説いていわく、『発粗悪言誹謗正法唯除如此一闡提輩施其余者一切讃歎云云』この文の如くんば謗法の輩を供養するは大なる罪業と見えたり。 故に五逆罪の者をば供養するとも謗法の者をば供養すべからずと禁じ給えり。 尋ねていわく、祖師謗法の義はあらまし先段に顕たり。 ただこの経文に正法を誹謗するとは未だその心を知らず。 当世には正しく誰人を指して誹謗正法の人と言うべきや如何。 答えていわく、難問の大事これに過ぐべからず。 但し末の論師人師の異義をおいて専ら本経本論に依ってこれを糾さば、法華宗より外の諸宗ことごとくこれを指すべきか。 その故は宗々多くして、法理まちまちなりと言えども、法華を信ぜざる事は皆以て一同なり。 難じていわく、諸宗に於いても常に法華経を読み一乗妙典を供養す。 何ぞひとえに余宗を謗法と称するや。 答えていわく、諸宗に於いても法華経を読むといえども経文の心に背く故に謗法となるなり。 その故は上に出しつる経文の如く、仏は正直に方便を捨てよ乃至余経の一偈をも受けざれと深く禁しめ給う。 しかるを他宗の人々は法華経を読むと言えども、あるいは念仏、あるいは禅法、あるいは真言、これ余経に非ずや。 たとえば良薬に毒を交え飯に砂石を添えたるが如し。 故に法華経を読むと言えども全く経の説文に順ぜず、ここを以て謗法と言うなり。 重ねて難じていわく、法華経は諸経の王たるを以てあまねく諸宗に亘って用ゆる所の経なり。 法華宗何ぞ心狭く独我家の経とするや。 答えていわく、この事仏法の大事当家甚深の秘伝なり。 しかりと言えども請いに赴いて粗ぼこれを示さん。 聞いて後は深く信ずべし。 そもそも釈尊一代の経教付属の仁を定め給えり。 まず小乗経をば迦葉阿難等の声聞にこれを付属し、権大乗ならびに迹門涅槃経等をば文殊普賢薬王弥勒等の迹化他方の菩薩に付属し給う。 これは正像二千年の衆生の為めなり。 故にこれらの声聞菩薩釈尊の付属に任せて正像に出世して、これを弘通し給えり。 次に法華経の肝心をば釈尊初発心第一の御弟子上行菩薩を寂光の空中より召出して、塔中にしてこれを付属し給う。 これは正しく末法当今の衆生の為なり。 その証文第七巻神力品に分明なり。 故に法華経を持つ人当家に入りて上行所伝の妙法蓮華経をよく持つと師資相承して作法受得の義なくば、たとい法華経を読むと言えども、恐らくは徒事なるべし。 故に当宗は正しく上行薩捶の流れをくむ故に真実の行者なり。 たとえば皇帝宝位を太子に譲り給うが如し。 余宗の人々みだりに法華経を取りて読む事は卑賤の人よこしまに宝位を奪って自ら誅戮をこうむるが如し。 しかれば即ち当宗法華経を以て我が家の経とする事最もそのいわれあり。 問うていわく、法華経は一切経の中に第一また経王と言う事証文ありや、くわしくこれを聞く。 答えていわく、法師品にいわく、『我所説諸経而於此経中法華最第一云云』、宝塔品にいわく、『従始至今広説諸経而於其中此経第一矣』。 薬王品にいわく、『諸経中王云云』これらの文証多々なり。 つぶさにこれを載すあたわず。 難じていわく、経々の自賛は常の習いなり。 故に金光明経には諸経の王と説き、密厳経には一切経中の勝と言い、蘇悉地経には三部の中に於いてこの経は王なりとのべたり。 もししからば経王と言うこと法華一経の規模に非ず。 汝他経に於いて、かくの如きの文ある事知らずして法華経一部を執する事、たとえば井底の蝦蟆が大海を知らず、山夫が帝都を見ざるに似たり如何。 答えていわく、家々に尊主あり、国々に高貴あり、大小尊卑各その分斎に従う。 みなその主を敬い、その親を崇むといえどもあに国王に勝るべきや。 ここに知んぬ経々の自賛はその所対に従って当分の第一なり。 全く一代の第一大王に非ず。 それ法華経は総じて、一代五十年の説経已今当の一切経に対して第一なり。 大王なり。 故に妙薬大師のいわく、たとい経有り諸経の王と言うとも已今当説最為第一と言わずば兼但対帯その義を知るべし矣。 釈の心顕然なり。 されば余経の習いとして今説く経の後にまた経を説くべき由をいわず、ただ法華経ばかり諸仏出世の本懐なれば、已今当の勅宣を下して一代諸経の中にこの経ひとり大王なりと説き給うなり。 問うていわく、法華経は一代聖経の中の大王と言う事は経文分明なり。 ただし法華の行者と余経の行者とその位何れ勝るるや。 答えていわく、所持の御経勝るるが故に能持の人また一切衆生の中に貴き事第一なり。 この事は仏遮して説いてのたまわく、『有能受持是経典者亦復如是於一切衆生中亦為第一云云』。 文句にいわく、法妙なるが故に人貴し矣。 秀句にいわく、法華宗諸宗に勝るるは所依の経による。 故に自賛毀他に非ず矣。 これらの経釈の如きは法華の行者は諸宗の頂上に居すべしと、仏は分明にのべ給えり。 また宝塔品にいわく、『読持此経是真仏子云云』。 文の如くんば、法華の行者は釈迦法王の太子なり。 諸宗の行者は何ぞ相対に及ばん。 月に星を合わせ、大海に小河を並べたるが如し。 しかるを権宗権門の輩、法華の行者を軽賤し嘲哢する事はなはだ仏説に背けり。 これしかしながら野干が獅子王を蔑り、烏鵲が鸞鳳を笑うに異ならず。 されば西天に於いては大乗の僧と小乗の僧とは同座を許さず。 道を分けて同路を行かず。 河を隔てて同流をくむ事なし。 大唐に於いては南三北七の十師仏法を様々に判じ、各異義蘭菊にして慢幢山の如し。 しかりと言えども天台大師出世ありて南北の邪義を責め給えり。 ここに陳隋二代の帝王自ら仏法の邪正を聞し召し分たまいて、立所に南三北七の十流を捨て、天台大師を天下の仏法の棟梁と崇めたまう。 それよりこのかた震旦一国智者大師に帰伏せずと言う事なし。 日本に於いては桓武天皇の御宇に南都の六宗と伝教大師と仏法の争論あり。 桓武皇帝高雄寺に行幸有りて、六宗の碩徳十四人を伝教に召し合わせて宗論ありしに、六宗の高徳ことごとく責落されて、一言に舌を巻きしかば、帝王とみに六宗の邪義を捨て、伝教大師を国師と定め給えり。 天皇重ねて勅宣を下して十四人を責め給いしかば、各々承伏の謝表を捧げたり。 その書にいわく、七箇の大寺六宗の学匠乃至初めて至極を悟る云云。 それよりこのかた扶桑一州皆ことごとく根本大師の門人となる。 凡そ三朝の先例を勘がうるに、法華の行者諸宗に勝りたることは敢えて疑いなし。 それ天台伝教は顕密二道の明師両朝無双の大師なり。 しかりといえども迹化の衆なるが故に、いまだ末法の弘通を許されず。 故に天台は後五百歳遠沾妙道と末法を慕い、伝教は正像やや過ぎおわって末法はなはだ近きに有りと当今を願い給えり。 しかれば即ち時国相応の三大秘法未だこれ弘通せず。 これ末法流布の大白法なるが故なり。 疑うていわく、天台伝教のいまだ弘通したまわざる大秘法という事未だその名を聞かず如何。 答えていわく、これを顕さんとすれば、冥鑑の恐れあり、またこれを隠せば慈悲なきに似たり。 しかりといえども経文顕然なればすべからく名字既にこれを聞く、願わくばその形猊を示し給え、信を致してこれを聞かん。 答えていわく、名字ばかりこれを示す事猶お恐れあり、いわんやその形猊をや。 しかりと言えども信心丁寧なれば、少々これを顕さん。 まず本尊の相猊あらましこれを示すべし。 そもそも末法相応の本尊とは本門久成の教主釈尊なり。 この本尊は二千余年の当初霊山会上の雲の上鷲峰説法の霞の中にして、釈尊要を結び地涌千界の大薩捶を召して、これを付属し給いしよりこのかた、正像二千年の間ついにこれを顕したる人なし。 三朝の間に数万の寺々を建立せし人々も、本門の教主を作るべき事を知らず。 五天竺諸国の本尊は西域記、慈恩伝、伝灯録等の書に皆註し尽くしてこれを渡す。 また漢土国中の本尊も日域に来たる聖人残りなく記して、これを渡せば、その寺々の本尊また隠れなし。 その中にも久成の世尊はましまさず。 また日本国中の寺々の本尊も、二本紀を始め多くの日記に尽くして載せしかば、これまた隠れなし。 その中にもこの本尊はかつて見えさせ給わず。 しかればすなわち上宮太子仏法最初の寺と号して、四天王寺を建立せしかども、西方の仏陀を本尊として、脇士には観音等四天王を造り副えたり。 伝教大師延暦寺を建立ありしかども、中堂には東方の鵞王を本尊として久成の教主脇士をば立て給わず、南京七大寺の中にも、いまだこの事聞こえず。 田舎の寺以てしかなり。 かたわら不審なりし間、委細に経文をかんがえ奉るに、末法に入らずんばこの本尊を造るべからざる旨分明なり。 正像二千年に出世ありし論師人師の造り書かざる事は、仏の御いましめを重んずる故なり。 正法像法の間にもし本門久成の釈尊を造り奉らば、夜中に日輪の出で、日中に月輪の出でたるが如くなるべし。 末法に入りて本化の大士御出世有りて始めて顕したまうべき本尊なるが故なり。 問うていわく、本門久成の釈尊の造りよういかん。 答えていわく、本尊の体は脇士を以てこれを顕す。 いわゆる小乗の釈尊は迦葉阿難を以て脇士とす。 権大乗ならびに迹門涅槃経等の釈尊は文殊普賢等の迹化の菩薩を以て脇士とせり。 これらは正像二千年の本尊にして、末法今の用にあたわず。 末法相応の本尊たる本門久成の釈尊は、本化の四大菩薩を以て脇士とし給えり。 これ時国相応の本尊一切衆生現当二世を祈り奉るべき仏陀なり。 問うていわく、聖武天皇東大寺を建立し給いて、華厳の教主を本尊と崇め給う。 この仏は末法のために相応の本尊なるや否や如何。 答えていわく、華厳の教主は台上の廬舎那他受用報身の如来なり。 その形相尊高なるに似たれども、その実体を尋ぬれば有為無常の仏なり。 故に法華の教主自受用報身の如来に相対すれば、勝劣天地なり。 高下雲泥なり。 しからば守護章にいわく、権教の三身は未だ無常を免れず云云。 その上華厳経は法華の序分無量義経に責落されたる経なり。 法すでに下劣なり、教主あに高貴ならんや。 故に像法過時の本尊にして末法今の用にあたわず。 これを以て秀句にいわく、華厳経はただ住上地上の因分を説き未だ如来内証の果分を説かず矣。 問うていわく、末法の今釈尊の脇士に四菩薩を造るべき証文ありや。 答えていわく、法華経第五涌出品にいわく。 『是菩薩衆中有四導師一名上行二名無辺行三名浄行四名安立行是四菩薩於其衆中最為上首唱導之師在大衆前各共合掌観釈迦牟尼仏矣』。 分別功徳品にいわく、『悪世末法時云云』。 経文赫々たり、明々たり。 誰人かこれを疑わん。 問うていわく、龍樹天親はこの事をしらせ給わざるや。 答えていわく、龍樹天親は内鑑冷然の時はしらせ給いたりしかども、三の故ありてこれを顕し給わず。 一には時至らざる故、二には所被の機なき故、三には仏より付属し給わざる故なり。 これらの義を以て口より外へ出させ給わず。 問うていわく、南岳天台は如何。 答えていわく、これも三の故ありて宣伝したまわず、前の如し。 驚いていわく、これらの論師大師の弘め給わざる大秘法を誰人か末法に出世してこれを弘めたまえるや。 答えていわく、宣べず。 重ねて問うていわく、宣ぶべからずと言う心如何。 答えていわく、これを宣れば一切世間の諸人耳目を驚動し、心意を迷惑して威音王仏の像法歓喜増益仏の末法の如くなるべし。 故にこれを黙す。 求めていわく、これを説かざれば汝慳貪に墜なん。 答えていわく、進退これに谷まれり。 試にあらましこれを宣べん。 法師品にいわく、『而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後云云』。 勧持品にいわく、『有諸無智者悪口罵詈等乃至数数見擯出云云』。 寿量品にいわく、『是好良薬今留在此乃至遣使還告云云』。 分別功徳品にいわく、『悪世末法時云云』。 神力品にいわく、『而時仏告上行等菩薩云云』。 天台のいわく、『結要付属云云』。 妙楽のいわく、如来の四法を以て上行に属累す等云云。 経釈の心甚深なり。 宿習あらばその心を発得すべしここに吾が宗の高祖は本化上行薩捶の後身として、末法後五百歳の付属を受け、人王八十五代後堀川院の御宇、貞応元年壬午倭国に誕生し釈尊の付属に任せて、七字の要法を弘め、ならびに本門久成の教主脇士を顕し給う。 故に去る建長五年癸丑三月二十八日午の刻生年三十二歳にして、安州清澄山諸仏坊の南面にして、一山の大衆を集め、五箇條の法門を始めて立て給う。 金言耳に逆らうの道理、一山の大衆おおいに驚動し、即時に怨敵となってその夜に寺内を擯出せしめ、後には国主よりの御勘気、弘長には伊豆の国伊東の流罪、文永には及加刀杖の頭の疵、そのほかあるいは左の手を打ち折られ、あるいは弟子を殺し、結句最後には相州龍の口に於いて死罪に処せらる。 しかりといえども仏神の守護力を以て、前代未聞の物怪出来せり。 国主これを驚き死罪に行うことあたわず。 しかる上は早く先非を悔い帰依あるべきところに、還ってまた佐渡の島に流しまいらせたり。 誠に一生の大難小難その数を知らず。 仏の九横の大難にも勝れ、不軽菩薩の杖木の責にも越えたり。 況滅度後の金口の未来記宛も符契の如し。 もし日蓮大士出世なくんば、恐らくは釈尊の誠言は虚妄となり、多宝仏の証明は泡沫に同じ、諸仏の舌相は芭蕉の如くなるべし。 これ全く誇耀にあらず。 法華経の真文の顕す所の感応なり。 この功徳は天親龍樹天台伝教もいかでか及び給うべき。 それ君の志をば臣のべ、親の志をば子のぶると申すは常のならいなり。 よって不肖の身たりと言えども、無上の妙典を受持し、かたじけなくも釈迦法王に仕え奉る。 ここを以てひそかに天長地久の御願を祈り奉り、鎮に四海泰平の懇祈を致す。 法を知り国を思うこころざしもっとも、天聴に達し奉るべき所に、邪法邪教の輩讒奏讒言の間久しく大忠を懐いて、いまだ微望を達せず。 これしかしながら明月狂雲に覆われ、白砂汚泥にあかづかされたるいわれか。 一宗年来の鬱訴衆僧多歳の胸襟なり。 ことに大仏に於いて千僧供養の事誠に前代希有の大善なり。 しかりといえども法華最第一の行者権小下劣の僧徒に賤しめられ、天下第一の下克上誠に以て難治の次第なり。 例せば玉体凡下に賎しまれ、麟鳳鹿烏に恥められたるが如し。 およそ普天の下には誰一人の主あって、二もなく三もなし。 その余はこれ皆臣なり民なり。 もし下として上を敬わざる時は、国乱れ民おとろえてついに刑罰に当たるべし、十方仏土の中には唯一乗の法のみ有って、二もなくまた三もなし。 その余は皆これ権なり小なり。 しかるに権として実に帰らざる時は人皆謗法に墜ちて、悪道の果脱れ難し。 それ教の浅深によって人の尊卑を定むる事は釈迦諸仏の御本意、祖師先哲の定判なり。 ただ恨むらくは国主仏法の邪正を糾し給わず、謗法の師を以てこれを聖人と号し、邪法の輩これを国師と崇め給う。 故に諸経中王の妙典むなしく隠没して、いまだ無上の宝珠を磨かず卞和が涕泣、伍子胥が悲傷これなり。 ここを以て守護国土の諸天善神法味に飢えて所を辞す。 故に前代未聞の天変地夭出現せり。 およそ仏滅後正像二千年と末法に入って五百余年とその間の大地震等あらましこれをかんがうるに今の傾動にはしかず。 これを以てこれを推すに、前代に越えたる大謗法国中にこれ有るか。 これすなわち権宗権門の輩国土に充満して破法破国の因縁を説く。 故に青天瞋をなし、黄地憤を含て起こる所の災難なり。 それ瑞相の不同は世間出世の善悪によって大小吉凶相分かれたり。 周の第四昭王の御宇甲寅四月八日の夜中五色の光気南北に亘りて昼の如し。 大地六種に震動し雨降らずして江河井池の水増せり。 一切の草木に花咲き菓なりたり。 不思議の事なりしかば、昭王おおいに驚き給う。 大史蘇由占っていわく、西方に聖人生まれたり。 彼の聖人の教一千年の後この国に渡り手人を利益すべしと云云。 果たして後漢の明帝永平十年に仏法始めて漢土に渡る。 周の幽王の御宇に山川頽れ、大地震せしかば、白陽という者かんがえていわく、十年の内に大王事に値せ給うべしと云云。 仏御入滅の時は十二の白虹南北に亘り、大日輪光り無くして昼も夜の如し。 仏陀生滅の時と転法輪の時の吉瑞凶瑞はともに前後に絶えたる大瑞なり。 故に法華序品の瑞相は文殊これを知って、弥勒に告げ、涌出品の瑞相は妙徳少しもこれを測らず。 故に慈氏菩薩ただちに仏に問い奉る。 神力品の瑞はまた前の二瑞に似ざる処の転変なり。 この神力品の大瑞は末法当今法華経の肝心たる、妙法五字の題目一閻浮提に弘まり給うべき先表なり。 経文顕然なり。 明白なり。 誰人かこれを疑わん。 しかりといえども魔類の讒訴によって、国主いまだこれを信じ給わず。 故に重ねて大天変地夭を以てこれを諫暁せしめ給うか。 世間政道の直否によってはかくの如きの大瑞現じ難し。尺の池には丈の波立たず、驢吟ずるに風鳴らず。 当に知るべし世間通途の吉凶の大瑞にはあらず。 ひとえにこれ大法興滅の大瑞なり。 貧道不才たりといえどもこの事に於いては、根源深くこれを勘う。 烏の年中の吉凶を知り、蛇の七日の内の洪水を知るが如し。 およそ災難興起の由来宗祖一巻の勘文あり。 これを立正安国論と号す、道理文証誠に以て分明なり。 あまつさえ未萌を勘うるに皆以て符合せり。 所詮災難対治の秘法今の一乗妙典に過ぎたるはなし。 また謗法国中に止まらず、邪義屡興ぜば災難いよいよ並び起こり、自叛と他逼と必ず出来すべきか。 しからば早くもしは智臣に仰せ、もしは高祖に対し邪正を尋ね下され是非を糾明せらるる日、所存誠に邪義たらば速やかに罪科に処せらるべく、立義もし正法たらば何ぞ法華を弘め給わずや。 旨趣多しといえども畢竟ここに在り。 そもそも法華経にいわく、『後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶云云』。 伝教大師のいわく、法華一乗の機今正しくこれその時なり云云。 またいわく、地を尋ぬれば唐の東羯の西、人を原れば即ち五濁の生闘諍の時なり云云。 時すでに法華の世なり。 国また法華の機なり。 しからばすなわち王法を守る仏法は独り法華宗に限るべし。 仏法を助くる王法は専ら法華経を崇めたまうべきか。 所以に仏法王法相応せばいよいよ天長地久にして堯舜の栄にこえ、臣民一同に不祥の災難を払いて長 生の術を得、正法正義を弘通せばますます国土安全にして、犠農の世にことならず。 山万歳と呼び、風和らぎ、波静かにして宝祚久しく不老不死の齢を保ち給う者なり而巳 文禄五年丙申九月十三日 本化沙門日奥誌之 |