不受不施思想解説 11身延VS池上への道B
対論前夜、幕府役人が日経の宿所を襲う慶長十三年(一六○八)十一月十四日、つまり宗論の前夜のことである。 いよいよ明日は、江戸城中で浄土宗との対決が行われるという矢先のことであった。 理由もなしに、幕府の役人たちが大勢で日経の宿所を襲い、殴る蹴るの乱暴を働いた。 同行してきた弟子たちは必死になって師の日経を守ったが、何分にも多勢に無勢で、なす術もなく日経は人事不省に陥ってしまった。 半死半生の日経は、身動きも出来ない。 付き添いの弟子たちは、宗論の延期を願い出たが案の定、許される訳がない。 やむなく、師の日経を戸板に乗せて城中に入ったのだった。 宗論に勝ち目がないと暴力に訴え、対論者を半死半生の目に合わせて、宗論そのものを出来なくする手段は、過去にも法華宗は幾度となく合わされている。 今回も、その憂き目に合おうとは… さぞ無念であっただろう。。 |