日講上人略伝 8

領主の死去

 講師は、次に日蓮聖人の著作注釈を念願された。延宝4年(1676)、講師は51歳の春を迎え、配流以来10年の歳月が流れていた。講師は、年頭にあたって、まず法華経の万部(一万巻)読誦と日蓮聖人著書注釈を誓願されたのである。かくして、法華経の読誦が寸暇を惜しんで重ねられたのであった。
 ところで、この年の8月に島津飛騨守の死去に遭遇されたのである。
 島津飛騨守は、寛文4年に14歳で家督を相続し、16歳で講師を預かって26歳で亡くなるまでの間、講師を模範とされ、流人の講師に対して恩師の礼をもってしたのである。

 寛文7年に初めて講師のもとを訪れて以来、年末年始は言うに及ばず、江戸参勤の前後にも慰問することを欠かさなかった。また、講師をたびたび邸内に招待して、心から迎えられている。書院文庫の寄贈はもとより庭園に至るまで、善意を尽くして講師を慰めようとされ、衣服なども講師の辞退にもかかわらず、これを贈っているのである。飛騨守死去は、講師にとってもショックだったに違いないし、何と言っても以後の待遇が変わるのではないかと思うのだが、家督を継いだ又吉郎らによって同じく厚遇された事を想うと、講師の人徳が窺い知れるのである。
〜つづく