雑談雑話(15)

お経に値段はつけられない

 「お坊さんを招いて、お経を読んでもらったら、大体いくらぐらいお布施を包んだらよいのでしょうか」
という質問をよく受けるが、お布施という言葉を使う以上、値段はないことを知っていただきたいのです。
 “僧侶”というのは、普通の意味での職業ではないし、“お経を読む”ことを生活の手段としている存在でもないのです。
 こんなことを言うと、
 「バカを言うな。お経を読んでもらって、何がしかの金を包むから坊主は生きていけるんだし、事実、今の坊主は“お布施”をアテにして、葬式や法事を営んでいるんだろう」と言うかもしれない。

 確かに、
 「布施のない読経には、功徳がない」
などと言って、“お布施”が多ければ多いほど功徳があると信じている人も多いようだし、中には、
 「このお経はいくら」
 「何人の僧侶を招けばいくら」
と、具体的な金額を要求する僧侶もいる。

 昔と違い、どの宗派の僧侶も妻帯し、オマケに、葬式や法事の場合以外は、お寺にお金を寄附するような人が、段々少なくなってきている時代では、僧侶も職業化しなければ、やっていけないのも事実であろう。
 ただ一つだけ言えることは、“お経を読む”という行為には値段がつけられない、という事である。
 少し練習すれば、門前の小僧にだってお経は読める。
 「お布施」は、先祖をはじめとした近親の死者に対する供養でもあり、読んでもらった施主側の“報いを期待しない施し”なのである、ということを噛みしめておきたい。
2007.4.18_UP