人間の諸悪・苦しみの根源とされ、私たちが克服すべき最も根本的な煩悩があります。
それは貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三つ。
「三毒(さんどく)」といいます。
上座部仏教、大乗仏教を通じて説かれる煩悩で、仏教全般における概念です。
法華経譬喩品の「三車火宅のたとえ」に「衆生の生老病死、憂い、悲しみ、苦悩、無知、混乱や三毒から解放する為に仏陀は姿を現したのだ」というふうに説かれています。
では、この貪・瞋・癡とはいかなる煩悩なのかというと、それは、貪り・怒り・無知と訳すことができます。
貪りとは必要以上の欲望、その欲望を満たそうとすること。
つまり、私欲の極みです。
怒りとは、まさにそのもの。怒りはその人の心を闇黒にしてしまうだけでなく、周囲の人たちにも暗い影を落としてしまいます。
無知とは、欲望や怒りが自己破壊・自己破滅を招くものであることを知らないこと。
これは愚かなことと言えます。
また、欲望や怒りを静める術を知らないことは不幸なことでもありましょう。
仏教では、貪りを貪欲とも言い表します。
『貪欲を生じ、怒りを起こすその源をいえば、皆それは無知より出でたり』と説き、三毒の根源は無知であると喝破しています。
現代社会は人間の欲望を刺激する情報が溢れています。
それが経済を活性化する薬の如く。
欲望が満たされず、不平不満が募るばかりとなれば怒りを生じて犯罪を引き起こすこともありましょう。
貪欲は法華経譬喩品に出てくる大邸宅をその炎で包み込んでしまい、人の心を炎で焼き尽くそうとします。
無知とは、その炎の中に身を置いていることに気が付かないこと。
怒りの心は忠告に耳を貸さない。
そう、自分が何も知らないということに気づかないことが不幸の始まりと言えるのでありましょう。
寺報179号から転載