不受不施の話(29

日経 不覚

 幕府の役人たちが大勢で日経の宿所を襲撃し、殴る蹴るの乱暴を働いた。
 同行してきた弟子たちは必死になって師の日経を守ったが、何分にも多勢に無勢で、なす術もなく日経は人事不省に陥ってしまった。
 半死半生の日経は、身動きも出来ない。
 付き添いの弟子たちは、宗論の延期を願い出たが許される訳もなく。
 宗論当日、弟子たちは仕方なく師の日経を戸板に乗せて城中に入るしかなかったのである。

 江戸城中の宗論の場には、正面に家康と将軍の秀忠が座り、一段下がった左右に老中ら幕閣の諸役が居並んでいる。
 浄土宗側は、対論者である廊山と彼の師であり増上寺の源誉ら高僧が付き添って座っていた。
 宗論の判定者である高野山・頼慶は正面に、その後には天台・真言・禅など各宗の傍聴僧十数人が列席していた。

 その中に日経は引き出されたのであった。
 日経の無惨な様子を見て気にとめた者もいなかったのか。
 当然そんなことは構わず、家康は宗論開始を命じた。
 仮死状態からやっと意識を取り戻した日経は口もきけない有様で、対論者廊山の問いに答えられるべくもない。

参考文献 不受不施派の源流と展開.不受不施派の研究.日蓮宗不受不施派読史年表.法難.日蓮講門宗読本.日蓮教学の研究.日蓮宗新聞.その他

寺報第181号から転載