不受不施の話(27

日奥の弟子 日経

 常楽院日経(1551~1620)は上総国(現在の千葉県中部)の出身。江戸に五十の寺院を創建し、鎌倉本興寺27世から京都妙満寺第27世貫首を継いだ僧でありました。
 日経は、日奥の赦免運動に努めつつ、不受不施再興のため、京都・大坂を中心に盛んな折伏運動を始めました。
 慶長11年頃、その教線は尾張方面にまで及んでいたといいます。
 これに強い危機感を抱いた他宗が対抗手段に出たため、近畿方面の宗教界が俄に騒然となりました。
 何といっても日経は、日奥の弟子であり、自ら日奥の後継者を以て任じる傑僧であったので、他宗は一層の脅威を感じたことでありましょう。

 そんな中、熱田の浄土宗のある寺が、日経に法論を挑んだのです。
 しかし、散々に打ち負かされてしまいました。
 助けを江戸の浄土大本山・増上寺に求めたのですが、あいにくこれが家康の耳に入ってしまうことになります。
 浄土宗といえば、将軍・徳川家の宗旨であり、一方、法華宗の中でも不受不施派といえば、家康が目の敵にしている相手だから、一刻も捨てておく訳がありません。
 「不受不施の悪僧どもめ! 日奥のみならず、日経まで出てきおって余に逆らおうというのか!」と、家康は激怒したとか。
 直ちに、日経のもとに家康の命令が届けられたのです。
 「慶長13年(1608)11月15日、江戸城において浄土宗増上寺と宗論せよ」と、京都の所司代を通じて、物々しく日経に伝えられたのでありました。

参考文献 不受不施派の源流と展開.不受不施派の研究.日蓮宗不受不施派読史年表.法難.日蓮講門宗読本.日蓮教学の研究.日蓮宗新聞.その他

寺報第179号から転載