まず、仏陀の出家の経緯から物語らねばならないであろう。 後代の仏伝では、仏陀の出家の理由は、いわゆる「四門出遊」の物語として脚色されています。 その原形を示すものは、おそらく仏陀の述懐として物語られた次のような経の叙述であろう。 それは仏陀が、サーヴッティ(舎衛城)の郊外のジェータ(祗陀)林の精舎、いわゆる祗園精舎にいた時のことであった。 その時、仏陀は、比丘たちのために自己の出家にいたる経緯を次のように物語った。 比丘たちよ、出家する前の私は、大変幸福な生活の中にあった。 私の生家には池があって、蓮の美しい花が浮かんでいた。 部屋にはいつも栴檀香のかぐわしい香りが漂っていたし、着るものはすべてカーシ産の最上の布であった。 また、私のために、三つの別殿があって、冬には冬の殿、夏には夏の殿、春には春の殿に住んでいた。 夏の雨期の間には、夏の殿で、歌舞をもってかしずかれ、一歩も外に出なかった。 外に出る時には、いつも白い傘蓋がかざされた。 また比丘たちよ、他の家では、召使いや寄食者には糠に塩粥をまぜたものを与えるが、私のところでは彼らにも米と肉の食事が与えられた。 だが、それにもかかわらず、その生活の中に留まることが出来なかったのは、老と病と死のことに思いたったからだ、と語りをすすめる。 比丘たちよ、私は、そのような生活の中にあって思った。 愚かな者は、自ら老いる身であり、老いを免れることも知らないのに、他人の老いたるを見れば、己のことは忘れて、厭い嫌う。 考えてみると、私もまた老いる身である。 老いることを免れることは出来ない。 それなのに、他人の老い衰えた様を見て厭い嫌うというのは、私として相応しいことではない。 比丘たちよ、そのように考えた時、私の青春のきょう逸はことごとく断たれてしまった。 そしてさらに、病いにつき、また死について、同じ類型の思惟が営まれたことが物語られ、それ故に彼は、 なお年若くして、漆黒の髪をいただき、人生の春にあった にもかかわらず、父母の慟哭する中、ひげや髪を剃りおとし、袈裟衣をまとうて在家の生活を捨て、出家の沙門となった、と語る。 この物語は、もともと、弟子たちのために、青春のきょう逸と、健康のきょう逸と、生存のきょう逸の三つのたかぶりを誡め語ったものであるが、そこには、己ずからして、仏陀の出家にいたる理由が、その述懐のかたちで説かれている。 …注釈・解説… 四門出遊: 仏陀がまだ太子であった頃、東・西・南・北の四つの門から出て、生・老・病・死の四苦を見て世を厭う心を生じたという物語。 比丘: 出家者のこと。今でいえば男性のお坊さんの呼称。 栴檀香: 最高級のお香。 傘蓋: 今でいえば、ビーチパラソルの高級なものと思ってよい。 きょう逸: おごって遊び怠ける。 沙門: バラモン以外の出家の修行者。インドでは昔からカースト制度が定着している。バラモン階級は最上の階級であり、それ以外の人が出家修行者になると、沙門と呼ばれた。 |