どうにかしようという気持ちを捨てさることで、消極的なマイナスイメージを色こく持っている言葉である。 この言葉は仏教起源のものであるが、何とこちらのほうでは最高のプラスイメージが与えられている。 「諦」は「サッティヤ」など、「真実」を意味するサンスクリット語からの漢訳語。 したがって、「諦める」は「真実を明らかに知る」「さとる」ということになる。 真実をさとれば、ああもしよう、こうもしようとして、あくせくすることもなく、何が起きてもジタバタすることがない。 こんな結構なことはないのであるが、しょせん、世俗の価値観はその反対だ、ということである。 |