「叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな」(夏目漱石)。 それでなくても眠たくなる読経の声に添えて、木魚がポークポークポーク、夏の暑い時にこんなのを聞いていると、本当に眠ってしまいそうになりますが、実は木魚は、眠気醒ましのためにあるというのですから不思議です。 何故そうなのかといいますと、魚というものは、昼でも夜でも、決して眠らないと信じられていたからです。 実際、魚をよく観察してみますと、全然目をつぶりません。 というのも当たり前でして、魚には「まぶた」というものがないワケでして、目をつぶろうたって、それは無理というものです。 ただし、目をつぶらないからといって、魚が眠らないワケではありません。 いつ眠っているのかは知りませんが、ちゃんとしかるべき睡眠はとっているのです。 ま、魚談義はともかくとしまして、禅宗の修行というのは、坐禅を中心としています。 時によっては、朝早くから夜遅くまで、なん日もなん日も坐禅を続けることがあります。 一週間、少なくとも横になって体を伸ばす恰好ではまったく眠らないこともあります。 さあこうなると問題となってくるのは、いかにして眠けを抑えるかということです。 その一つは、眠たくなったら、棒で肩のあたりを叩いてもらうというものです。 この棒のことを「警策」といいます。 棒といいましても、少し平になっていまして、ですから、バシッと大変大きな音がでますが、ギャーッとばかりに飛び上がるほど痛いわけではありません。(目の玉がトビ出るほど痛いヤツもあるにはありますが) もう一つは、散歩をすることです。 散歩といいましても、坐禅をしているお堂の中をユルユルと静かに歩くだけなのですが、それでも、眠け醒ましにはバツグンの効果があります。 禅宗の用語では、これを「経行」といいます。 ただ、そうやっても、なかなか眠けを退散することは難しいのでありまして、そこで、一種のおまじないというか、それを模範にするというか、魚を形どった木魚というものが作られたのだ、というようにいわれています。 木魚の使い道は、初めは、広いお寺の中にいるお坊さんを呼び寄せるためのものだったのですが、イヤこれはケッコウいい音が出るものだ、というわけで、やがて、お経のリズムを整える楽器に変身したという次第です。 |